第6話 テンションの密林と、老賢者の審判
オルタードの粉塵が消えた砂浜に、サブスティテュートの笑い声だけが残っていた。
「あんたたち、まだそんな顔してるの?」
彼女は、興味を失ったように三人を見下ろす。
「教えてあげたでしょう。あんたたちが後生大事に抱えてきた『三和音の常識』なんて、所詮ちっぽけな幻よ。……うせな。あたしの砂浜を、これ以上あんたたちの湿った音で汚さないで」
その言葉に押し出されるように、三人は海岸を後にした。
行く当てなどなかった。ただ、この禍々しい響きに満ちた場所から一刻も早く離れたかった。
皮膚に馴染み始めた紫の粉塵の重さを振り払うように、木々の生い茂る方角へと足を向ける。
やがて、植物が不自然なほど高く、空中に浮いて生い茂る森が見えてきた。ビマを先頭に、ディマとアマはその森へ足を踏み入れた。
「ビマさん、見てください!」
ディマが、驚きに目を輝かせる。
「この森の木の実、触れるだけで頭の中に『高い、透き通った音』が響いてくるんです!」
「なんて優雅なの……」
アマも、うっとりと息を吐いた。
「王宮の閉ざされた響きとは違う、空へ溶けていくような色だわ」
森の奥。巨大なピアノの鍵盤のような形をした岩場に、一人の老人が座っていた。かつて王宮を追放された伝説の調律師――「9の老人」。
「ほう……」
老人は、三人を見て目を細めた。
「Cメジャーの騎士が、オルタードの毒を浴びてここまで来るとはな。お前の中に眠る『ハーフ・ディミニッシュ』の魂が、この森の『9thの雫』を欲しているようじゃ」
老人は、ビマの剣、アマのマント、ディマの帳簿に、一滴ずつ透明な液体を垂らした。
剣の響きが、さらに天高く突き抜けるような浮遊感を纏う。ビマの音は「m7(♭5, 9)」――この世のものとは思えない、洗練された響きへと変わっていた。
アマはAm9へ。ディマはDm9へ。
それぞれの音に、静かな余韻が宿る。
「お前たちは今まで、自分自身を『完成された3つの音』だと思い込んでいた」
老人は、静かに告げた。
「だが、この『9番目の音』は、お前たちが一人で背負わなくていい、外の世界からの贈り物なのじゃ」
「贈り物……」
ビマが、その言葉を噛みしめるように呟く。
これまで彼にとって音とは、誰かに与えられるものではなく、一人で抱え込むものだった。
「行け」
老人が、森の奥を指差す。
「この森を抜けた先に、お前たちの真の敵――そして、真の『王』が待っている」
**♪ 今日の音楽理論ひとくちメモ**
「9th」は、コードにさらに音を足す「テンションノート」の一つ。解決を急がず、余韻や広がりを生む音で、ジャズやシティポップでよく使われます。「完成させない豊かさ」が持ち味の音なのです。




