森を揺るがす一撃、そして始まる噂
グリードベアが姿を現したのは、森の奥の大きな木を押し分けた、そのときだった。
ギィ……バキバキッ!!
樫の幹が割れ、太い枝が折れ散る。
そして、その向こうから、土埃を巻き上げながら巨体が姿を現した。
毛並みは荒れ、所々に苔が張り付いている。
頭からは枝のように伸びた角が何本も突き出ており、血走った目はあたりを睨みつけていた。
《グリードベア》
フィールドボス。
この森を縄張りにし、見境なく動く狂暴な熊型モンスター。
「……でけぇ……」
森で何度か見た中型の狼や猪とは比べ物にならない。
VRとはいえ、視界いっぱいに映るその巨体に本能的な恐怖を覚えた。
グリードベアは鼻を鳴らし、俺たちを見つけると低い唸り声を上げた。
「グゥ……ォォォォ……」
そして、ゆっくりと肩を上下させながらこちらに歩を進めてくる。
(やばい、目をつけられた……!)
俺は肩のフェアリードラゴンを抱えるようにして、後ずさりながら森の小道へ戻ろうとした。
「引くぞ……今はまだ――」
だが次の瞬間、フェアリードラゴンが俺の腕をすり抜けるように前へ飛び出した。
「おい、待て!」
小竜は森の地面に着地し、細い体をぐっと伸ばして翼を大きく広げた。
背中の鱗が逆立ち、口元には淡い光が滲み始める。
「……護るつもりか?」
フェアリードラゴンは俺の方を一瞬だけ振り返り、小さく鳴いた。
「キュッ!」
それは「任せろ」とでも言っているようで――
その姿に、俺は何も言えなくなった。
***
グリードベアは低く頭を下げ、前脚を大きく開く。
次の瞬間、爆発するような勢いで地面を蹴った。
「グゥォォォォ!!」
土煙とともに、三メートルを超える巨体が突進してくる。
地面が震え、辺りの草花がはじけ飛んだ。
「フェアリードラゴン――っ!」
声を張り上げるより早く、フェアリードラゴンは口を大きく開いた。
そこから、眩いエメラルドの光が一瞬にして溢れ出す。
「ギャアァァァァ!!」
甲高い鳴き声と同時に放たれた光線は、直線状に空気を歪ませ、グリードベアの胸元に直撃した。
ドォォォォォォン!!!
爆音。
その場にいた全てのものが一瞬音を失い、次いで強烈な風が周囲を薙ぎ払った。
グリードベアの巨体は、光に貫かれた次の瞬間、抵抗もできずに後方へ吹き飛ばされ――
十メートル以上向こうの木立に叩きつけられた。
ガシャァァァァン!!!
木々がまとめて折れ、土煙がもうもうと舞い上がる。
その場には、ビクとも動かなくなった巨大な影だけが残った。
>《グリードベア》を討伐しました!
システムログが静かに告げる。
***
「……」
俺は呆然と立ち尽くしていた。
さっきまで世界を支配していた恐怖はもうどこにもなく、
ただ土埃の中に、フェアリードラゴンが誇らしげに翼をはためかせているだけ。
「……お前、ほんとに、まだ幼体なんだよな?」
「キュー♪」
振り返ったフェアリードラゴンは、何事もなかったかのように小さく鳴いた。
尻尾をくるんと巻き、俺の肩に飛び乗ると、さっきまでの緊張が嘘のように小さな頭を頬に押し当ててきた。
可愛い。
可愛いけど――。
「いや……これ、可愛いじゃ済まねぇぞ……?」
それを証明するように、周囲の茂みからバサバサと複数の足音がした。
「な、何だ今の音……?」
「うわ、マジでグリードベア倒れてんじゃん!」
枝を掻き分けて現れたのは、ボス狩り目的で森を訪れていたらしい別のパーティだった。
「討伐ログ見たけど……え? お前、一人で? サモナーで?」
「動画、動画回してた!? 今のブレス撮れた?」
「おいおい掲示板映え狙いに来てみたら、もう終わってんじゃねーか! しかもこれ……ワンパンってマジ?」
俺は慌てて手を振る。
「いや、違うんだ。俺、釣りしてただけで……」
だがもう遅い。
さっきから数人がHUDを操作して録画データを送信しているのが見えた。
***
アステルタウンに戻る頃には、広場のチャットは大騒ぎになっていた。
「なぁ見たか? サモナーのフェアリードラゴンがグリードベア即死させた動画」
「ギルドチャットも流れてきたw まだレベル20くらいのボスなのに与ダメ桁おかしくね?」
「何かのバグ? 運営対応案件じゃね?」
「いやそれが純粋に育成バグってるだけっぽいって噂も……」
見る見るうちに冒険者掲示板にスレッドが乱立する。
【速報】サモナーがグリードベア即死させたんだがwwwww
【動画あり】フェアリードラゴンのブレス火力おかしいwww
【運営見てる?】チート疑惑出てるけど大丈夫なの?
街角で知らないプレイヤーにいきなり声をかけられた。
「動画のサモナーさんですよね!? 握手してください!」
「ちょ、お前なんで俺知って――」
「有名人っすよ! もう閲覧数やばいですもん!」
広場には、俺のフェアリードラゴンを一目見ようと人だかりまでできていた。
フェアリードラゴンは得意げに翼をぱたぱた動かしている。
「……頼むから、のんびり暮らさせてくれよ……」
俺は顔を覆った。