11話 マーリス4ー皇国の真実、嘘で塗り固められた美し国2ー
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「故国の才女は存在自体がチートでした」11話になります。
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
流血、残酷な表現があります。ご注意ください。
「お茶、飲むかしら?」
「はい…。」
マーリス様から紅茶のおかわりを聞かれた私は空になったカップとソーサーを手渡しながら考えを巡らせた。
もしもマーリス様から語られた事が真実であれば大変なことである。
ル・バニア皇国は神託によって選ばれた偉大な聖女様と勇者様によって建国された国だ。
皇国に住むほとんどの者は自分達の国が神聖な国と強く信じて疑わない。そのことは勇者一族の末裔である皇族、貴族自身の誇りやそれらに対する民の敬意の念、ひいては国を愛する心へとつながっているのだ。
それがだ。真実は神の意志や崇高な目的ではなく人の利によって建国されたとなれば、皇国にとって根幹を揺るがすような大騒動になってしまうのは間違いない。
「はい、どうぞ。熱いから気を付けてね。」
「…ありがとう、ございます。」
マーリス様は私の前にお茶を置くと元居た向かいの席に座った。
(いい香り。)
先ほどまで飲んでいたものとはまた違ったお茶だ。置かれたカップから立ち昇るとても芳しい香りに少し気持ちをくすぐられるが、今はそれを手放しで楽しむような気分にはとてもなれなかった。
少し気持ちを整理する時間が欲しかった。
しばらくして、ようやっとお茶を楽しむ余裕が出てきた頃。それまで私をよそに一人でゆったりとお茶とお菓子を楽しんでいたマーリス様はお菓子とカップで両手を塞いだ状態で口を開いた。
「そういえば…まとめて質問に答える約束だったわね。ここまで私とル・バニアがリーゼと戦うことになった経緯まで話したわ。何か聞きたいことがあるのなら聞くわよ。」
マーリス様の話を聞いている時に一番気になったのは神託の内容だ。マーリス様の話は聖女や勇者についてが中心で神託の内容についてほとんど触れられていない。
神託の内容は何だったのか。国を心から愛するものとして確認しておかなければならない。皇国は神に望まれた国なのか。
私はお茶の香りを堪能するのもそこそこに話の最中に出てきた疑問について聞くことにした。
「それでは、お聞きします。アストロメリア正教の経典にも聖マーリス教の聖典にも神託には地の民を救えと示された、とあります。先ほどお聞きしたお話の中では神託の内容についてほとんど触れられておりません。お教えください。神託には何と書かれていたのでしょうか?」
お菓子を堪能しながら聞いていたマーリス様はお茶で喉を潤すと顔を上げた。その表情は私の質問がお気に召さなかったのかやや呆れたような様子である。
「神託の内容ね。質問するように言っておいてあれだけど、その質問はナンセンスだわ。少なくとも今のあなた達にはね。」
「今の私たちには意味がない?それはどういうことでしょうか?」
視線を鋭くした私に対し、ソーサーにカップを静かに置いたマーリス様は椅子の背もたれに身体を預けて小さくため息をついた。
「その質問が出てくるということはあなたは十柱の神から示される神託がどんなものなのか知らないようね。」
「確かに完全には理解しておりません。しかしながら、アストロメリア正教で言い伝えられている神託の内容はおおむね理解しています。」
やや強い口調で答えた私にマーリス様は大げさに肩をすくめる。
「ふう、おおむね理解・・・ね。あなたのその理解は所詮、人間の介されたものについてでしょう?そんなのは私から言わせれば、あなたが盲目的に信じ込んでいる聖女の話と同じだわ。ナンセンスよ。」
「ッ!…」
(盲目的ですって!!!しかも、聖マーリス教の聖典がナンセンス?!)
ソーサーを持つ私の手に力が入りカップが微かに音を立てる。
「私が言っているのは神託そのもの。人間の手の加えられていないもののことよ。でもまぁ、前回の神託が下りてからいくらか時間が経っているのは確かだし、皇国貴族のあなたでは知らなくても仕方ないことではあるけどね。」
腹は立つがマーリス様の言う通りでもある。私の知識のほとんどは大勢の人間の介された情報にすぎない。
「そもそも神とはとても高次元な存在なの。それに比べて人間に知覚できる次元は限られたごく狭い範囲でしかない。その狭い範囲ですら、一部でしか知覚していないそんな『生き物』のあなた達が本来持っている精神構造ではどんなに頑張っても神の考えを理解することは難しいことなの。」
「そうは言っても私も元は人間として生まれた身、勘違いしないでほしいのだけれど、『あなた達』人間では『できない』と言っているのではないの。今は無理でもいずれは必ず神の考えを理解できると断言できるわ。それでも、授けられる神託の内容を読み解いたり書かれている意味を少なくとも『今のままのあなた達』が読めたところで意味は分からないと言っているの。今は。」
(人間が神の考えを理解していない?そんなわけがないわ。)
「そのご説明は受け入れられません。なぜならば、示された神託の内容が理解できていたからこそ、人間は高度な魔法文明を築き上げ、豊かな暮らしを手に入れたとそう思います。」
「これまで幾度となく神託は人間に示された。でもね、実際にはそのどれもが神が望んだ結果になっていない。それどころか、人間は神託の権威を利用することを考えた。」
「神託はまごうことなき神の意志、たとえその意味が理解できなくともその影響力は絶大だった。わかるでしょう?要するに神託は時の権力者や教会の最高司祭など、その時の影響力の強い人間の考え方によって都合よく解釈され伝えられる『政治的なプロパガンダ』の道具としてね。」
マーリス様はカップを手に取ると紅茶で喉を潤した。
「当然、あの時の神託になんて書いてあったのか、当時の聖教会の連中には読み解けなかったわ。だからなんて書かれていたのか私も知らない。でもね、今だからわかるのだけれど、これだけは絶対に間違いないということもあるの。」
「それは十柱の神がリーゼを倒せ、なんてことを命じるわけがないということよ。だって、リーゼは神々が地上に遣わした監察者だったのだから。」
(神が遣わした!?監視者!魔物の王が!?)
私はすぐに問いただした。
「監視者!?神が魔物の王を地上に使わされたというのですか!?地の民を支配するために!?」
「魔物の王、民を支配ね。それをリーゼ本人が聞いたら間違いなく怒るでしょうね。リーゼは魔物ではなく『あなた達』の呼び方をするならば聖獣とよばれるもっと高位な存在なのよ。」
(リーゼ・ナハトが聖獣ですって!?)
聖獣は神が生み出した、聖獣は生みの親である神に仕え、時にに神の使いとして獣の姿で人間の前に現れるとされている、間違いなく存在すると考えられているが根拠も不確かな非常に古い文献に残っているだけだ。
実際に確かな記録として残っている神託とは違って聖獣なんて私の認識では古のおとぎ話の中の世界である。
「聖獣は魔力も力も非常に強力。それは人間や魔物の比ではない。それにその成り立ちは魔物とは異なるわ。まぁ、動物によく似た形をしているから、『あなた達』にとっては同じように見えるかもしれないけれどね。」
「神がリーゼを遣わしたのは、支配ではなく人間を監視し報告させる為だったのよ。リーゼ本人にしても彼らを支配していたという感覚はないでしょうね。」
「まぁ、結果的に言えば地の魔物を手足として使役していたから、人間からしてみれば魔物を使って地を支配しているように見えたのは仕方がないことだと思うわ。当時の私にもそう見えていたもの。」
「だからね、人間は自分たちが信仰する神の使いにちょっかいをかけたのよ。授けられた力を使って、恩をあだで返したのね。」
差も平然と言ってのけるマーリス様であるが、その内容は世の中の人間が聞いたならば仰天するような新事実ばかりである。
「ちなみに、この子。きゅきゅも聖獣なのよ。あなたには子犬みたいな魔物にしか見えないだろうけど。御覧の通りこの子は私に仕えているの。」
マーリス様は椅子の上で丸くなっているきゅきゅに視線を向けながら言った。
「きゅきゅが...マーリス様の、聖獣。」
視線が自分に集中していると気づいたきゅきゅは身体を起こすと私とマーリス様を交互に見て声を上げた。
「きゅ?きゅ??一体何なのきゅ?」
「ごめんなさい、何でもないわ。寝てていいわよ。」
マーリス様が手をひらひらさせるときゅきゅは私を一瞥してからまた丸くなった。
私は視線をきゅきゅからマーリス様に戻すとリーゼ・ナハトについて質問投げかける。
「リーゼ・ナハトは魔物ではなく神が遣わした聖獣とおっしゃられました。動物が変化した魔物とは異なります。それに女性とも。」
「そうよ、リーゼは女の子。しかも聖獣の中でもかなり上位な存在よ。ちなみに聖獣と魔物の違いは、神が創った者か、動物が自然環境に適応するために進化した者か、の違いでしかないわ。」
(進化...?)
マーリス様から聞きなれない言葉が出たので聞き返す。
「魔物は魔力によって動物が変化したの間違いではありませんか?神が創られた生き物と変化した生き物では大きな違いでだと思うのですが?」
「そう、成り立ちとしては大きく異なるわね。でも、生物学的な違いはほんの僅かでしかないのよ。あと、動物が魔物になることは変化ではない、進化というのよ。まぁ、アルスが進化論を知らないのは仕方がないことね。進化論については機会があれば説明してあげるわ。でも、今は話を先に進めたいのだけど?」
(進化論?)
よくわからないけれど、今はその話をしている時ではない。話を進めよう。
「畏まりました。それでは、勇者様は知性にあふれ、剣術、魔法に秀でた方だと。王家の勇者様に対する扱いや、とても魔法契約書を持ち出して王家に迫るようなことをする方とは思えません。」
マーリス様は鼻で笑った。
「ふふっ、そうね。頭の方はともかくとして、確かに剣術や魔法については優れた能力を持っていたわ。けれどね、話した通りよ。彼の人間性や思考パターンには大きな問題があったとしか思えない。考えてもみなさい、もし彼がすこぶる優秀で非の打ち所のない人間であったならば、王家が彼を死地に。死ぬのがわかっているようなところに送り込むような真似をするわけがない。わかるでしょう?まぁ、ル・バニアについてはこれから話す話を聞いてもらえれば納得してもらえると思うわ。」
「リーゼの討伐に加わることになった私は勇者率いるパーティに組み込まれたのだけど、もちろんのこと討伐に対してやる気なんて全くなかったわ。だって、指揮官は戦闘狂なのだもの。
しかも、結局、パーティはル・バニア、私、私の身の回りの世話をする侍女、あとはル・バニアの配下の貴族が数名。まぁ、他にも細々とした人たちはいたけれど。周りも同じくル・バニア配下の人間にまともなのはいなかったわ。」
「それでもね、私たちはやり遂げた。多くの犠牲を出して。」
「皇国は神聖な国です。聖典にも、聖女の力により被害はなかったと書かれています。おっしゃるように多くの犠牲を出したのでは、その後の皇国建国どころではないはずです。」
「いいえ。死屍累々だった。ル・バニアは後々の当地のことを考えて自軍の軍勢には被害を出したくないと思っていたの。だから、彼はろくに戦闘訓練も受けていない地の民を多く徴兵した。貧しいものを中心にね。」
「魔物は容赦がない。リーゼ素直に倒されてくれるような性格ではないわ。彼女も徹底抗戦の構えをとった。本当に多くの人間が犠牲になったわ。男も女も、時には…子供も...。」
マーリス様は声を詰まらせると、目元をハンカチで軽く抑えた。
「ぐす...ごめんなさい。少ししんみりしてしまったわ。先を続けるわね。」
「...リーゼを倒した、ということだけれど、『倒した』のは間違いね。実際には『封印』しただけなの。封印したのは間違いなく私。そして、その後ル・バニア皇国の建国に力を貸し、民に尽くしてまとめ上げたのは私ではない。だって私はリーゼ・ナハトを『封印』した時に生贄にされて死んだのだから。」
(封印して死んだ?じゃぁ、今ここに居るあなたは?その後、民を救い。尽くした聖女マーリス様は?)
「それはおかしいです。リーゼ・ナハトを倒したマーリス様と、聖女と呼ばれたマーリス様は別人ということですか?」
「よくわかってるじゃない。そうよ。だから、皇国が聖女として崇めている人間。話を聞く容姿から思い当たる人物は、間違いなく『連れて来た侍女』だと思うわ。」
「なんですって!?」
(聖女マーリス様が実はただの侍女ですって!?)
「だた私にもわからないの。下級とはいっても侍女も一応は貴族だから魔法は使えた。でも使えるのは中級以下の回復魔法だけ。どうやったって民を救うなんて無理・・・。」
マーリス様は顎に手を当て思案顔をした。しかし、マーリス様の疑問など私にはどうでもよかった。
「待ってください!そんなのは全部、デタラメです、信じられません!」
たまらず、突いて出た私の抗議にマーリス様はピクリと眉を動かすとスッと表情を消した。
「あら?でたらめ?私はすべて事実を言ったまで。その言い方は、とても心外だわ・・・。」
「ル・バニアが現地で徴兵した民は貧しいものばかりだった。ろくに食べていない身体はやせ細り、力はない。少し訓練したところで焼け石に水。当然、魔物と戦闘になれば相手になるわけがない。」
「ル・バニアには、そんなことわかっていたのよ。だから取られた作戦はただ一つ、私をリーゼ・ナハトのところまで連れていくこと、それだけ、とにかく連れていければいいの。被害が出ようが、私の五体満足は関係ない、浄化さえできれば、生きてさえいればそれでよかった。」
「そうして民衆を使い捨てのようにしてやっとリーゼ・ナハトのところにたどり着いてみれば、なに?封印することしかできない? しかも、私は死ぬしかない、ですって・・・。今思い返しても、本当に、最悪だわ。くだらない名声に目がくらんだあの時の私が馬鹿だったのね。あんな悲惨な死に方するなんてわかってたら、死んでも絶対に討伐になんか参加しなかった。」
マーリス様の表情は冷たいものだったが、その瞳には間違いなく怒りの感情が宿っていた。
「それも、当時のル・バニアの配下の判断だったのでしょう。分からなくもない。リーゼ・ナハトはとりあえず『封印』できたけれど、長年、魔物に支配されていた大地は荒れ果てていて、とてもじゃないけれど、国なんて作れるような状況ではなかったものね。それには、ちりじりの元からそこに住む人たちをまとめ上げ、労働力として確保しなければならない。」
「でも、その人たちにとっては勇者とは名ばかりの、急にやってきた所詮はよそ者でしかない。しかも、そのやってきたのがろくでもない戦闘狂で自分達をまるで同じ人間と思っていないことが丸わかり。」
「まぁ、そんなだから、リーゼ・ナハトを封印することがができても、民衆の勇者への支持は低く国を興すにはそこに暮らす民衆を取り込み、まとめ上げる必要があったでしょうね。安価な労働力として。」
「だから、少しばかり見栄えのする女を祭り上げて、民衆の心を掴もうとした。でも、肝心の女は祭り上げる前に死んでしまった。」
「仕方がなくなったル・バニアは、たまたま近くに居た適当に回復魔法の使えるな侍女に、道化を演じさせたのよ、民衆の心を欺くためにね。」
「ただの侍女にどうやって聖女と信じ込ませたのか、それはわからない。けれど、お馬鹿な民衆はまんまと騙されたようね。」
「そして、民衆を巻き込んだ美しくも滑稽な喜劇、聖女マーリスとル・バニア皇国物語を仕組んだというわけ。とんだ詐欺師ってわけね。そしてその演目は、今も続けられているの。あなた達(皇族に連ねるもの)詐欺師の末裔の手によって。」
一気に語り終えたマーリス様は何食わぬ顔をしてティーカップを傾けた。
そして私の方を軽く一瞥する。
「でもそれは、もう過ぎたことだわ。今更どうこうしてもらおうなんて思わない。今のル・バニアの皇帝にも取り巻きの末裔である、あなたにも。それに、私は私だから。滑稽な狂信者(あなた達)が私の事をマーリスであると信じようが信じまいが、道化を敬おうが、私は興味がないわ。」
「それに結果として、聖女となった私の侍女は、献身的に尽くし、皇国を救ったのでしょう?間違いなく私では無理だったでしょうね。だって、私、血の一滴も流さずにのうのうと暮らしている人たちのために、わが身削って尽くすなんて、まっぴらごめんだもの。」
私はたまらず立ち上がってマーリス様を睨みつけた。敬語なんてもう使わない。
「い、言わせておけば!・・・そんな、言い方、偉大な国祖を詐欺師呼ばわりなんて!あんまりだわ!今すぐ訂正しなさい!」
マーリス様も立ち上がって私を冷ややかに見下ろす。
「偉大な国祖ね。まぁ、それでも結構よ。言ったはずよね。私は私、後世でどんなに美化されていようが、私はそれに合わせて自分を変えるつもりはないの。それにあなたが信じようが信じまいが、私はどうでもいいの。だって、真実は一つしかないのだから。ただ覚えておきなさい。私はル・バニアも皇国もアストロメリアも、今のあなた達も認めない。だから訂正は、絶対にしないわ。」
そう言ってマーリス様は座りなおした。私を見上げながら手をかざす。
「それから、私の庭で子犬みたいに吠えるのはやめなさい。あなたのその声、とっても、耳障りなの。とりあえず座って。」
「Sit!」
マーリス様が声を上げると、私の身体はグッと椅子へと押し付けられた。無理やり座らされる。まるで縛られたかのようにひじ掛けに吸い付いた腕は上げることもできない。
(ぐっ...力の、魔法。)
けれど、そんなことをされたところで!私は引くつもりはない。
(こんな真実は絶対に認めない!この程度の魔法なら解除してやる!私は、屈しない!)
「ど、どうでもよくないわ!祖国を愛する者として!このような侮辱を許すわけにはいかない!デタラメを言わないで!絶対に訂正してもらうわ!」
「きゃんきゃんとうるさいわね。ちゃんと人の話聞いてるかしら?いい加減に真実を理解しなさい。お国では才女だとか言われているのでしょ?」
「それから…。あなた、また。デタラメといったわね...。訂正するのは、私じゃないあなたよ。」
その時、マーリス様の纏う雰囲気ががらりと変わった。重苦しい空気に背筋が凍る。
「ッ…。」
(殺気?!)
「あなたに、想像できる?目の前で多くの人が死んでいくのよ?そんな光景、世に生まれてきてから見たことがあるかしら?ぬくぬくと守られ、何も知らず、言われたことだけをすればいい。当たり前のように今までゆりかごの中で育ってきた、あんたに。」
「それを、でたらめの一言で片づけようとは。いったい、『あんたみたいな人形に』なんかに何がわかるというのかしらね?分かったような口を利く前に少しはその心で味わってみたらどうかしら?」
(にん、ぎょう…。)
その口調はとても平坦でまるで感情をそぎ落としたかのようだった、言葉はとても冷たく、そして鋭く私の心をえぐった。じくじくと胸が酷く痛む。
そして、それはほぼ同時だった。私の中に何かが流れ込んできたのだ。それは誰かが見た光景、記憶だった。
「ひっ!」
鳴り響く戦笛と怒号、そして襲い来る無数の黒い影、私は短い悲鳴を上げ見ていられずギュッと目を瞑る。
けれど目を瞑ったところで意味はない。記憶の映像はどんどん頭の中に流れ込んでくる。目を背けることなどできない。させてくれない。
目の前には多くの兵士の姿が。恐怖に震える手で剣を持ち、それでも勇敢に魔物に向かっていく。
しかし、すぐに悲痛な叫び声を上げながら魔物の集団に成すすべなく飲み込まれていく。手足を引きちぎられ、身体を引き裂かれ、中身を地面にまき散らしながら、一人、また一人と真っ赤に染まって食い殺されていく。
「や、やめ…て、あげて、よ…」
ついさっきまで言葉を交わしていたはずなのに。それは、一瞬にして人だったモノに成り果て、足元に転がる肉の塊になっていく。
少年だった。
腹部は大きく裂け中身が飛び出し、引きちぎられた腕からは上腕骨が飛び出していた。少年は口から血を吐きながら息も絶え絶えにうわ言のように何か呟いていた。
私は、怖くて、怖くて、とてもそれが人間だとはとても思えなくて後ずさった。
「痛い…。くるしい…。…たすけ、て、おかあ…さん…。」
でも、地響きのような咆哮が響く中、微かに彼の声が聞こえた気がした。
その声にはっとした。
(まだ、生きてる。)
それでも彼は生きている。彼は人間だ。彼の帰りを待っている人もいるのだ。そう思った。
(私なら、助けられる。今なら…助けられる!)
私は少年に向かって一歩踏み出す。でも、それはすぐに阻止された。
振り返るとそこには魔物の血に濡れた剣を持った男が立っていた。
ル・バニアだった。
息絶えようとしている少年をとても冷たい目で一瞥すると静かに命令した。
「無駄なことはするな。お前は、リーゼ・ナハトを倒すことだけを考えていればよい。捨て置け。」
私はその姿、その声に震え上がった。悪魔だ、と思った。でも。
「くっ…!」
(無駄なんかじゃない!)
私は勇気を振り絞り掴まれた腕を振り払う。地面に転がっている誰のものかもわからない腕や肉片をかき集め、少年の足りないところに押し付けて何度も回復魔法を詠唱した。
「ヒール!ヒール!」
でも、遅かった。少年はすでに人だったモノになってしまっていた。
「う、うう…。」
私は軽くなった彼の身体を抱きしめ、天に向かって叫ぶ。
「あ…あ…!神よ!十柱の神よ!お願いです。もう、やめさせてください!お願い、も…もうやめて!!」
それは私が生まれてから一度たりとも見たこともないような悲惨な光景だった。
気が付くと私は、美しい湖のほとりに立つ真っ白なガセボに立っていた。
腕の中の少年はどこにもいない。
(夢、だったの?)
いや、違う。あれは夢や幻覚なんかじゃない。全て現実だ。なぜならは、この身体には土と鉄が入り混じった不快な匂い、そしてかき集めた肉片の感触と抱きしめた少年のぬくもりが、いまだにはっきりと残っていた。
「うぷっ!!」
急激に喉の奥から何かがこみあげてきた私は口元をギュッと抑えて、急いでガセボの手すりから身を乗り出す。
視界いっぱいに広がる美しい湖面に映る自分のシルエットは滲み、目からはとめどなく涙があふれる。身体の奥から強制的に流れ出る何かを抑え込む余裕などない。立っているだけで精いっぱいだ。
「はぁ、はぁ、うぅ…。」
私はもう吐き出すものが残っていない身体を精一杯抱きしめた。それでもなお身体を襲う猛烈な吐き気と寒さに耐えながらガセボの端ににうずくまることしかできない。
次第に脚に力が入らなくなりその場に膝を突いた。
肩で息をしながら、不快さを堪えていると背中をふわりと包まれた。顔を上げるとそこには心配そうな表情のマーリス様が優しく背中をさすってくれていた。
「...ごめんなさい。怒りに任せて少しやりすぎたわ。こんなことをすればどうなるか、わかっていたのに…。記憶を司る女神として恥ずべき行為だわ。」
マーリス様は眉尻を下げ頭を下げた。
「私は自分の記憶や他人の記憶を入れ込むのはお手の物だけれど。でも、クリエイターじゃない。ない記憶を創り出したり、改変することはできない。だからさっきあなたが見たのは私の記憶。私が見たもの。すべて真実よ。」
「本当はすべて見て、真実を受け入れてほしい。でも、それはしないわ。あなたの心は耐えられない。それをすればあなたの心は間違いなく壊れてしまう。」
「うっく…」
私はゆっくりと頷く。
「アルス、人間の精神は経験と密接な関係があるの。人は経験によって成長する。そして経験は記憶となるわ。他人の記憶だけを入れた場合、精神がその記憶に対して耐えられなければその人間は壊れてしまう。」
「本当に、ごめんなさい。私はあなたを壊してしまうところだった。こんなことをして今さら信じてもらえるかわからないけれど、これだけは信じてほしい。あれをデタラメだなんて考えて欲しくなかったの。ほかの人のように。」
「あなたは、他の人とは違う。あなたにはこの世界の、真実を知ってもらわなくてはならない。それが…どんなに辛く苦しくても。」
「立てる?」
「はい…大丈夫です…。申し訳…ありませんでした。」
差し出されたマーリス様の手を私は強く握りしめた。
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