トラウマ
私が会場へ戻ると既に中は熱気に包まれていた。
主役である殿下は貴族に囲まれたまま、動きづらそうにしている。
その様子を見ると、私が席を外した事など一切気が付いていないだろう。
「妃殿下、大丈夫ですか!」
私へと駆け寄ってくる一人の男性。
ふわふわの栗色の髪が急いで来たせいか、少し乱れている。
「ダン。どうしたのですか、そんな慌てて。」
「実は挨拶が終わってすぐ妃殿下の所へ行こうとしたのですが見当たらなくて…。それで周りの人に聞いたら、ブルーノ伯爵令嬢と一緒に会場を出たとお聞きしたものですから。」
優しい彼の事だ。
先ほど騒動を起こした令嬢と一緒に会場を抜けたと聞いて心配してくれたのだろう。
「大丈夫ですよ。特に問題は起きていません。」
寧ろこの場合の被害者は彼女の方だとも言える。
私に嘘の情報を掴まされ、まんまと皇后様の逆鱗に触れる行いをしたのだから。
皇后様がご実家と仲が悪いと言う噂は一部の高位貴族の間では有名だ。
キャリー様が知らなかったのも無理はない。
しかし、カブランの花を特に嫌っていると言う情報は前世の経験から知ったもの。
ある商人が皇后様に気に入られようと献上したものの中に、まさにあのカブランの花の香水があったのだ。
それを持ってこられた皇后様はと言うと、普段の冷静なお姿からは想像できない程に怒り狂った。
それこそ、その商人をその場で打ち首にしてしまうのではないかと言う程。
態々西部地域にしか咲かない珍しい花の話をする人もいないので知らなかったが、あそこまで怒るとはどうやらあの花には特別な思いでもあったのだろう。
それを利用して、キャリー・ブルーノ伯爵令嬢を断罪することができたが。
彼女が思い通りに動いてくれて本当に良かった。
既に先ほどの件が貴族の中で広まっている。
彼女の今後の社交活動の妨げになるし、皇后様に嫌われた家門の商品を買うような貴族もいないから伯爵家の財政状況はこれから先、どんどん悪化していくのが予想できる。
私にとって、納得のいく結果になったので満足だ。
「無事なら安心いたしました。殿下も気にされていたようなので。」
「殿下が?」
私が満足感に浸っていると、ダンの口からあり得ない話を聞く。
殿下が私の事を気にしていただなんて。
彼の目は節穴なのではないだろうか。
信じようとしない私にダンは慌てて付け加える。
「本当です!妃殿下が会場を出るのに気づいていたようでしたし、ブルーノ伯爵令嬢の事も警戒されていましたから。」
「にわかに信じがたい話ですね。それで、殿下に私の警護をしろとでも言われたのですか?」
「いえ、直接言われたわけでは…。」
「ほらやっぱり。」
私がいくら否定しても、ダンは尚も殿下の肩を持っていた。
他の貴族に気を取られてこちらを一回も見ようとしない殿下が、私を気にするなんてにわかに信じがたい話である。
もし、ダンが私に気を遣ってそんな事を言っているのだとしたらお門違いなので止めてほしい。
「とにかく、憶測で物事を判断してはいけませんよ。」
ダンは私に注意され、見るからに落ち込んでしまった。
見えるはずのない、耳としっぽが下に下がっているみたいで私の良心を刺激する。
「殿下の思惑など誰にもわからないのですから、変な噂でも広まったら大変でしょう?」
その様子に耐えきれなかった私は慌てて付け加える。
別にダンの事など放って置けば良いのに前世の出来事の申し訳なさからどうも彼には甘くなってしまう。
「妃殿下…!やっぱりあなたは優しい方ですね!」
ダンはすぐに機嫌を取り戻したようで笑顔になる。
先ほどまで垂れ下がっていた耳としっぽが復活したかのように上を向いた気がする。
脈絡のないダンの発言に私は話をちゃんと聞いていたのか不安だ。
「珍しい組み合わせですね。」
「エトワール卿。」
ダンと二人でいるとエトワール卿がこちらへやって来た。
今日の彼はお仕事モードの様で、補佐官の制服を着ている。
「お勤めご苦労様です。こんな時まで仕事だなんて大変そうですね。」
「これくらいは大したことないですよ。」
エトワール卿はその言葉通り、余裕の表情を見せていた。
他の人であれば見落としていたであろうが、幼馴染である私の目はそう簡単には誤魔化せない。
「昔から人の多いところは苦手でしたものね。大丈夫ですか?」
「…はは、妃殿下にはやはりバレてしまいますか。」
「当たり前です。」
何年一緒にいると思っているのか。
彼は確かに表情には出にくいけど、仲良くなればどれだけ感情豊かな人なのかわかる。
私が自信満々に言うと、エトワール卿は一瞬切なげな眼をして顔を伏せた。
「昔も今も……は…ないですね…。」
何か言ったような気がするけど、あまり聞こえない。
下を向いてしまっているので彼が今どんな表情をしているのかさえわからない。
ただ聞こえた声が思いつめたような感じなのが気になり、エトワール卿へ話しかけようとしたところ。
「イヴェット様。お二人も。皆さんで集まって何のお話をされているのですか?」
この場にそぐわない明るい声が耳に届き、そちらを見ると殿下とタシェ様が私たちの近くに来ていた。
二人で並んで歩いている姿を見ると華やかでお似合いだ。
私なんかよりもずっと。
「タシェ様。いえ、ただの世間話です。」
「そうなのですか?ではイヴェット様、あちらで私ともお話ししませんか。」
タシェ様のこの言葉を聞いて、この時が来たかと身構える。
私が貴族達から軽んじられるようになった一件。
トラウマとも呼べるような苦い記憶の一部。
「ええ、行きましょうか。」
私は笑顔を作りタシェ様の提案を受け入れた。
――
「最近イヴェット様とお話しする機会が無かったので、寂しかったですわ。」
「パーティーの準備でお互いバタバタしていましたもんね。」
「ええ、本当に。ですので、今日は特別なお酒を用意いたしました。二人だけで楽しみませんか。」
タシェ様がそう言うと、使用人の一人がワインを持ってくる。
光に当たると褐色を帯びた赤い色がゆらゆらと揺れ、一目で良いワインなどだという事がわかる。
この時の為に態々タシェ様が用意したのだろうか。
運ばれてくるワインを静かに見守る。
タイミングが大事なので少し緊張しながらその時が来るのを待っていた。
そして私たちの前にワインが来る一歩手前のところ。
ついにその瞬間が訪れる。
「!」
使用人がその場で急に躓き、持っていたものが手から離れる。
ワインが宙を舞い、それは一直線に私の方へ向かってくるのがスローモーションのように見えた。
このままだとドレスが汚れてしまうだろう。
だが、こうなる事は予想済みだ。
私はにやりと口元に笑みを浮かべ、自分に向かってくるワインを華麗に避ける。
最悪な事態は回避できたので、ドレスは汚れることなく無事だ。
「キャッ!」
だがタシェ様は避け切れなかったみたいで、着ていた服にワインが飛び散ってしまったようだ。
「!も、申し訳ございません!!」
使用人は事の重大さを理解し、顔を青褪めさせている。
(まさかこんな事になるなんて思っていなかったのでしょうね。)
「いえ、そんな汚れませんでしたし大丈夫ですよ!イヴェット様は、大丈夫だったのですか…?」
私がワインを浴びていないことに驚いたようだ。
タシェ様が目を丸くして私の様子を見ている。
「いいえ。大丈夫ではありません。」
私はタシェ様の言葉を否定し、厳しい目を使用人へ向けた。
これは、結果的にドレスが汚れなかったから大丈夫で済まされる問題ではないのだから。
(ここで逃がしてなんてやるものですか。)




