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Moon Child  作者: かゆき
第七章 不滅の青
52/89

3

「……はっ」



 吐き出すように息をつき、朔夜は目覚めた。

 酸素がいちどきになくなったのが影響してか、酷い眩暈がする。視界いっぱいに広がった天井もぐにゃりと曲がっていてはっきりせず、まるで水の中から見ているかのようだった。



 今まで見ていたのは夢、これは現実。



 ぼんやりした意識で夢現を確認し、朔夜は再び瞼を閉じた。


 黒い闇がしっとりと体を包み込み、何とも表現しがたい恍惚が頭の中に広がっていく。

 皮膚が溶けて寝具と一体になるような感覚。水に濡れたように重い体は、微かに身じろぎをしただけでも尋常ではない疲労感を募らせ、それが更なる眠気を引き起こした。


 軽く欠伸をして、シーツを口元まで引き寄せる。自らの体温に染まった寝具はこの上なく気持ちがいい。


 朔夜は枕に頬を擦りつけるようにして眠る体勢を取ると、再び闇の中に身をゆだねた。


 けれどもそんな安らぎに満ちた時間は長くは続かなかった。突如とした鳴り響いたアラームが脳天を貫き、一気に覚醒へと導く。


 朔夜は延髄反射のように素早く上体を起こすと、枕元の端末を叩くようにしながら、目覚ましを消した。



「うるさい……」



 耳の奥ではまだ余韻が残っている。

 朔夜はキンと引きつったようになっている耳を押さえながら、眉間に深く皺を刻んだ。

 レム睡眠中にやたらと鮮明な夢を見ているせいか、どうも寝た気がしない。


 欠伸を連続でしてから、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜていると、細かい音が聞こえた。


 聞き漏らしてしまいそうなささやかな音。ガラスを打つ雨のようなその音は浴室からのものだ。


 また夢でも見たのだろうかと、シンの額の紋章について思いを馳せながら、朔夜はゆっくりとした動作で寝台から降りた。



 ◇



「キサラギ」



 廊下に出ると眼鏡をかけた少年が立っていた。

 朔夜の姿を見て、元から温和そうな顔を更にやわらげる。



「おはよう。もう具合はいいの?」



 壁に背をもたせかけながらシンを待つ少年を、朔夜はぶしつけなほどじろじろと見た。



「? どうしたの?」



 ジェセルは色眼鏡の奥の目を細め、居心地悪そうに微笑んだ。黒い制服をまとった彼の身長は朔夜より少し高いくらいの中背で、眼鏡以外特に目立つところもない普通の少年である。


 ジェセルはシンとともに連れ立って歩いていなければ、その姿は目にも止まらないだろうというほど影が薄く、それ以外では何をしているのかよくわからない。彼について分かっているのはシンの護衛だということだけだ。


 朔夜は()めつけるようにジェセルを眺め、眉根を寄せた。



「あんたって、あいつの護衛なんじゃないの? 何でいつも中に入らないであいつのこと待ってるの?」



 その問いにジェセルは答えなかった。ただ静かに笑みを浮かべて朔夜を見返す。



「シンがね」



 ジェセルは軽く交差させていた足を解いて、壁から背を離した。



「キサラギと友達になれてよかったって云ってたよ」



 言下に朔夜は心の中に何かがざわめくのを感じた。


 朔夜は顔を曇らせたまま、ジェセルを見つめ、突っかかるように云った。



「あんただってそうだろ」



「シンは君と友達になりたかったんだよ」



 にっこりと微笑む、ジェセルに朔夜は渋面した。



「それに僕には端から無理なことなんだ」



「無理?」



「シンに訊かなかった?」



 言外に、シンと自分の仲には及びもつかないと云われているような気がして、朔夜はむかつきを覚えた。

 顔を曇らせる朔夜の側に歩み寄り、ジェセルは微かに声をひそめた。



「僕はシンの替え玉だよ」



「替え玉……」



 反問するように同じ言葉を繰り返した朔夜から離れ、ジェセルは愁眉を開いた。



「今は体つきが変わってきちゃったから妹が代わりを務めてるけど、昔はシンの代わりにわざと動画を撮らせたこともあるんだよ」



「じゃあ、あの写真……」



 朔夜はかつてシンのことを調べたときに見つけた画像を思い出した。ジェセルはまた微笑んだ。



「それに結局僕はライザーの関係者だからね。友達になるのは無理なんだよ」



 朔夜はわずかに唇を噛むと、これ以上同じ空気を吸うのに耐えられないとばかりにきびすを返した。



「シンはね」



 歩き始めた朔夜の背に向かって、ジェセルは言葉を放った。



「外に出るのも許されない子だったから、ずっと友達が欲しかったんだ」



―――ナーサリーに来る前、自分の中で賭けをした



 脳裏にシンの言葉が刻まれる。それはヤーンスでの出来事だ。賭けとは何のことかと訊いた自分を覚えている。



「それももうかなり長い間ね」



―――本名を名乗っても動じない人間がいたのなら、相手がどんなに嫌がっても絶対友達になろうって



 そのときのシンの表情はまるで録画した映像を見るように思い出すことが出来る。

 朔夜はそれに吐きそうなほどの拒否感を覚えた。



「キサラギにはその望みを叶えて欲しいと思っている」



「おれは」



 感極まったように振り返った朔夜に、ジェセルは眼鏡の奥の柔和な目を細めた。



「もちろん押しつけるつもりはないよ」



 そう云ってまた一笑すると、ジェセルは朔夜が来る前そうしていたように、壁に背をもたせかけた。


 反照がまぶしい床に視線を落とし、興味を失したようにうつむくジェセルに、朔夜は一言も云えず、唇を噛み締めてきびすを返した。


 彼の言葉はどんな命令よりも強く、朔夜の中に響いた。



 ◇



 二週間ぶりに出た授業は、三ヵ月後に控えた演習旅行のせいか、かなり白熱したものだった。

 ホログラフィースクリーンにはいやに質問が挿入され、そのたびに教師が話を止めて、その部分について説明をする。

 二週間の間に授業はかなり進んでいて、初めて聞く単語が連発された。けれど、皆が当然のように知っているそれを今更質問するわけにはいかず、分からないままどんどん取り残されていく。


 朔夜は焦燥感から来る不安で、どの授業もパニックになっていたが、それはまだ序の口だった。

 昼過ぎから行われた演習はそんなものより遥かに過酷だったのだ。


 これまでの射撃演習とは違う本格的な訓練。それは文字の上でしか見たことがないようなもので、模型を使った船外活動演習や高重力下の技量訓練などがそれだった。


 しかも船外活動など、チーム編成がアルファベット順で行われていたため、朔夜は自動的にシンと同じにされていて、耐え難いことこの上なかった。


 二週間で技術を上達させたクラスメイトたちは拙い動作の朔夜を嘲笑うかのように作業をこなし、彼がルオウに怒鳴られるとわざわざ手を止めてこちらを見てきた。

 ヘルメットに包まれているおかげで表情まではわからないというところが救いだったが、それで気が安らぐわけもない。何しろこの空間内にはシンがいるのだ。失態を見られているというだけで、すでにいたたまれない。


 朔夜は緊張感でガチガチになりながら、手を動かした。



 嫌だ嫌だと思っているので時間の進みもいつもの三倍近くに感じられる。



 演習終了後、朔夜は敬礼もそこそこに逃げるように更衣室に行き、さっさと着替えた。



 向かう先は監督室だ。

 早く行かないとルオウが帰ってしまう。朔夜は慌てた様子で上階に行った。



「サクヤ・キサラギ入ります」



 部屋の脇にあるリーダーに学生証スティックを入れると、軽い音を立ててドアが開いた。

 ルオウと軍人五人が同時にこちらを振り返り、主任教官だけが表情をやわらげた。



「具合はもういいのか?」



「はい、おかげさまで」



 言下にルオウの背後に立つ女性軍人がきつい眼差しを送ってきた。不敬だと云いたいらしい。


 慌てて口をつぐむと、ルオウはふっと微笑み、手だけでその女性軍人を制した。


 五人の軍人は緑に白の縁取りがなされた制服を着ていることから、下士官クラスらしい。白の制服を着たルオウがとても目立って見える。

 教鞭をとっているときよりも馴染んだその雰囲気に気圧されながらも、朔夜は緊張した面持ちで部屋に入った。



「ゼンにあまり心配をかけるな」



「……はい」



 目覚めたときに見た、泣きそうなシンの表情がまた脳裏をかすめる。


 朔夜は想起する努力をしなくともすぐに思い出すその映像に唇を噛んだ。


 ルオウは己の背後に立つ下士官たちを目配せして立ち退かせ、床の一部を椅子に変化させると座るように促した。


 脇を通り過ぎる軍人たちが去り際に厳しい視線を浴びせてくる。

 不安そうにそれを見送る朔夜に、ルオウは気にするなとばかりに笑んでみせた。



「――で、訊きたいこととは何だ?」



「この間の試験で」



「随分昔の話だな。眠りすぎで時間の感覚が鈍くなってるんじゃないか?」



 ふっと笑って椅子に腰かけると、ルオウは指を組んでそこに顎を乗せた。


 朔夜は至近距離でルオウの目を見て話す勇気など出ず、スラックスの上に視線をさまよわせていた。


 間近で呼吸する音が聞こえて更にいたたまれない気分になる。けれども緊張したからといってここで喋らなければ何をしにやってきたのか分からない。


 朔夜は落ち着け落ち着けと念じながら、生地をぎゅっとつかみ、ゴクリと唾を飲んで顔を上げた。



「……ルオウ教官、おれはどうして自分が試験に通ったのか分からないんです」



 口内がかさついている。


 頬杖をついたまま、観察でもするようにこちらを見るルオウの視線が緊張を更に高める。


 朔夜は乾燥した唇を噛んで湿らせると、再び口を開いた。



「おれが受かったのは、おれがテレパシストだからですか?」



 こんなこと云うのも馬鹿げていると自分でも思うが、もうそれくらいしか自分が受かった理由が考えられない。


 自信があったというくらい勉強に励んだウェーバーが落ちて、最低ランクの点数ばかりを取った自分が受かった理由。サイトは受かったのだから気にするなと云っていたが、理由をはっきりさせなければこの先何が必要なのか知ることが出来ない。


 ウェーバーになく、自分にある能力。もしそれがシンの云ったような超能力だとしたら。


 朔夜は思わず口元に手を当てた。



 そのときはどうすればいい。



 緊張感から重力が普段よりも重く感じる。


 ずしりとくる重圧に耐えながら朔夜は、黙ったままのルオウを不安感いっぱいの表情で見つめた。



「教…官……」



 ルオウは頬杖をしていた手を解き、体を起こした。

 褐色の指の先についた小さな爪が冷たい光沢を放つ。


 ルオウは口を開いた。



「では逆に訊くが、テレパシストならば合格するのか?」



 テレパシストという単語に朔夜の心臓は飛び上がるかと思うくらい高鳴った。そして同時にルオウがテレパシストについて否定しなかったことも衝撃を与えた。


 動揺を思い切り顔に出す朔夜にルオウは、冷淡なくらい落ち着いた口調で云った。



「テレパシストというだけで合格するのなら、異関(いせき)だったか、レギオンがやってるあの胡散臭い研究所に登録されている人間をナーサリーに招待するのが一番手っ取り早くていいな」



 異関(いせき)とは国際的に認められた超能力者が登録されている団体、異能力開発機関の略称だ。

 八大コングロマリットの一つ、レギオングループが出資していることで有名だが、超能力の発生メカニズムが不明なこともあり、一般人からは怪しげな団体と目されている。


 言外に激しい非難が込められているのを知り、唇を噛む朔夜にルオウは先程より少しやわらいだ口調で告げた。



「成績が悪いせいで試験に通ったのかどうかも不安になるくらいだったら、もう少ししっかりと勉強したらどうだ? 確かにあの成績は少し問題がある。留年する可能性は大いにあるぞ」



「は……い」



 朔夜はもうルオウの顔を見ることが出来なかった。


 自分がテレパシストで、類稀なその能力によって生き残れたという考えが現実になってしまったからだ。

 同時に楽観的な思いもあった。それがあるならどんなに成績が悪くても退学宣告を受けずに済むという考えだ。しかしそれを思うと、ではテレパシー能力を持ってさえすれば誰でもいいのかという悲観的な思考が渦巻いてきてどんどん気分が悪くなってきた。


 自分という存在を認めて欲しいわけではない。

 確かに価値ある存在でいたいという思いはあったが、そんなことよりも制御どころか自覚すら出来ないテレパシー能力が突如として失われたときのことを考えると、どうしていいか分からなくなる。


 どんなに努力しても力が失われたら終わりなのだ。自分ではどうすることも出来ない能力一つに人生がかかっているということが不安でたまらない。



―――どうして俺は落とされたんです?!



 耳の中にあの日のウェーバーの言葉が響く。



―――……俺はさ、落とされないために出来るかぎりのことをやってきたつもりだったんだ。結果はね、出たよ。試験の手ごたえはばっちりだった。上位に食い込む自信もあった。でもこのざまだ。俺は試験結果は良くとも才能がなかったんだよ。十二教科も追試を食らってもまだ居残れるようなそんな素晴しい才能は持ち合わせていなかったんだ。だから落ちたんだよ



 そうだ、あんたの云うとおりだった。



 朔夜は締めつけられるような気分を味わいながら、ルオウに敬礼した。


 一刻も早くこの場から出て行きたい。朔夜は息苦しささえ感じはじめた空間から逃れようと、きびすを返すなり駆け出した。



「キサラギ」



 その声は背中をえぐるように突き刺さった。そのまま走り去ってしまいたかったのだが、上官の呼びかけを無視するわけにはいかず、朔夜は振り返った。



「今回開発された機体は感応力を必要とする。大雑把に云うと機体と一体化を図ることの出来る能力だ。そのためにこのたびの募集がかけられ、特別クラスが編成された」



 朔夜はルオウの云わんとしていることが理解出来なかった。何を云い出すのだろうと、更に顔を曇らせていると、ルオウは淡々とした口調で続きを口にした。



「感応力は訓練ではどうにもならない天性のものだ。思春期に最も増大する。知識や技術はあとからどうにでもなるが、その力だけはどうにもならない。――お前は選ばれたんだ。それを忘れるな」



 念を押されるような強い云い方に、朔夜は体を強張らせた。


 脳裏に、きつい視線を投げかけるウェーバーと、あっけらかんとした表情で笑うサイトの姿が過ぎる。



「アルノルト・ウェーバーとサイト・シアクは……その感応力というのがなかったから落とされたんですか?」



「違う」



「では何故……」



「適正というものがある。落ちた人間のほとんどはこのプランにそぐわないと判断したからだ」



 握った手の中は酷い熱を発していて、汗がどろりと皮膚の上を這っている。何でもないことのように云うルオウに反感じみた思いが膨れ上がり、朔夜は握り込んだ手にさらに力を込めた。



「お前も自分に自信がないのなら止めることだ。前にも云ったはずだな。生半可な覚悟でここにいるなと。退学願いはいつでも受け取ってやる」



「……」



 一つ一つの言葉がずしりと重い。朔夜はうつむいたまま、その重みに耐え、唇の端に歯を当てた。


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