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タタラバ  作者: 諏訪錦
2/2

贋作ー1

そもそもの始まりは、僕がその不思議な手紙を手に入れてから二週間が経ったところまで遡る。

およそ二週間振りに大学のキャンパスに足を踏み入れた僕は、ゼミ担当教諭である、鈴木先生の研究室に足を運んだ。

朝方、安眠を妨害するように騒音をまき散らしている携帯電話の画面には、先生の名前が浮かび上がっていた。着信音の違いからそれが電話ではなく、メールであることに直ぐに気が付く。何やら嫌な予感がしたが、泥のように眠る僕を動かすには足りなかった。

どうせ呼び出しのメールだろうと高を括っていた。

どんな言い訳でゼミを休むか思案しながら、再び目を瞑る。


――数時間後、メールの本文に刮目する。


『今日ゼミを欠席するようなら、単位は出ないものと思いなさい』


僕は風よりも早く着替えを済ませていた。大学のキャンパスの広さが恨めしくてならなかった。そして、研究室の扉を三回叩く。

「どうぞ」と落ち着いた声に促され、ノブを捻った。申し訳ない思いでスルリと扉を潜る。極力音を殺して入室したつもりだ。

 先生は僕の顔を見るなり、わざとらしい仕草でこう言った。

「おや珍しい。君が研究室を訪ねて来るなんて初めてのことじゃないか。これはいけない。コーヒーの一つでも出さねば失礼というものか」

 シュンとなる僕。これらの台詞が嫌味だということくらい馬鹿でも分かる。つまり僕にも分かるということ。

席から立ち上がり、狭い研究室内を縫って歩きながらコーヒーメイカーの場所まで向かい、僕を呼び出した張本人、鈴木先生はボソリと言った。

「君が此処を訪れることはもうないだろうからね」

 ――死の宣告っ!?

 僕は思わず言い訳していた。

「電車が遅れたんです。二時間も足止めを食らいました」

「どんな惨事が武蔵野線を襲ったのか実に気になりますね」

先生の冷たい眼差しが、嘘であることを冷静に看破していた。

ちぃっ、苦しい言い訳だったか。二時間の足止めともなると、各駅で人がダイブでもしない限り起こり得ない遅延だろう。

電車に轢かれて死ぬなど僕はまっぴらゴメンだ。そんな奇矯な連中が各駅に待機しているはずもない。

「先生違うんです、お婆ちゃんが急に倒れて――」

「君は天涯孤独の身の上だろう」

僕の言葉を最後まで聞くこと無く先生は被せてきた。

「あれ、話しましたっけ?」

僕が孤児院育ちだということを。

「君は覚えていないかもしれないが、入学説明会の時に君を案内したのは私なんだよ」

入学説明会。それは二年前、僕がまだ勉学に並々ならぬやる気を持っていた頃の話しだ。

「その時に色々と話を聞いたよ。奨学金申請の進め方や、近場の安いアパートを君に紹介したのも私なんだが」

「えっと……すみません、覚えてません」

その当時は手続きばかりで忙しかったし、施設を出て一人でやっていくということに緊張していたのだろう、記憶になかった。

書類の手続きや何やらを手伝ってくれた先生がいたことは覚えているのだが、それが鈴木先生だったかどうかは定かではない。

「……そうか」

目に見えて沈んだ表情になる先生。もしかしたら寂しがり屋なのかもしれない。

「残念だよ。君とは本当に縁が無かったんだね」

――火に油を注いでしまった。

その後のやり取りは諸事情により割愛させてもらう。ただ、僕がどれだけ無様な姿を晒したかは想像に易いと思う。在り体に言えば謝罪の最上級だ。先生が引いてしまうほど、僕は全力のそれを披露してやった。床の冷たさが忘れられないぜ。

「君の熱意には負けたよ」

鈴木先生は根負けしたように首を振った。

大人なんてチョロイ、と内心でアウトローを気取ってみるが、客観的に見てどうしようもない負け組は僕だ。

「さあ、もう頭を上げなさい。こんな所を誰かに見られたら私が誤解されてしまう」

言及は避けてきたが、勘の鋭い人はお気付きのことと思う。そうです、僕は土下座をしていました。

立ち上がらせると、先生は自分の顎に手を当て思案した。

「しかし、困りましたね」

「何がですか?」

「君は点数が不足しているんじゃない。出席日数が不足しているんだ。そもそも私のゼミにテストなどない。誠実に出席を心掛けてさえいてくれれば、誰にだって単位を与える献身的な教師なんだよ、私は」

そんなことは知っている。だから先生のゼミを選んだのだ。先人の知恵、つまり先輩に聞き込み調査をして入念に選んだ末の結果がこれだ。笑うに笑えない。

「夏休み、全部を使って補習するしかないな」

先生はボソリと言った。なんて恐ろしいことを。

「それ以外に道はありませんか?」

「君に選択肢はないんだよ、馬鹿たれ」

うーん、やはり駄目か。

けれど困った。夏休みに学校になど来ていられない。この長期休みこそ、今後の生活を大きく左右する基点となるのだ。

「先生、言い辛いんですけど……」

「何だ?」

「僕、バイトしないといけないんです」

「単位は諦めてくれるか?」

「ああ、僕に御慈悲を、先生!」

縋ってみた。先生のサマースーツの腰元に抱きつく惨めな僕。

「お願いします。生活掛かってるんですよ。夏休みに金を作っておかないと……」

そこで口が止まる。ついでに、先生の腰に回した手もスルリと離れた。僕は何て大バカ野郎だ。今、何を口走ろうした。何を理由にしようとした。そんなハンデがいったい何だというのだろう。初めから分かっていたことじゃないか。理由になどなりっこない。

「――もういい、分かった」

先生が気遣うように言う。みなまで言わずとも、彼には分かってしまったようだ。

「そうだったな。君は、生活費と学費の工面をしなければいけないんだよな」

先生の申し訳なさそうな表情が痛い。悪いのは僕の方なのに、先生は罪悪感でいっぱいな顔をする。

「……学費は奨学金が下りますから。それに、国立だから大分マシな方ですよ」

僕はそう言って先生の罪の意識を消せないものかと考える。

「それはそうかもしれないが……」

大学に務める講師なのだから、学費でどれだけ取られているのかも認識しているのだろう。学生がアルバイトをし、生活費もそれで賄おうとすることがどれだけ大変なことか、お見通しなのだろう。

「僕はそんなつもりで言ったんじゃないんです、先生。同情してもらいたくて、お願いに来たんじゃない」

身勝手な言い分だということは分かっている。先生は正しい反応を示しただけだ。世間一般に見て可哀そうな身の上の子。両親に捨てられ、ずっと孤児院で育った所謂〝みなし子〟が僕だ。

娯楽などない日々で、少し勉強に力を入れたら大学から推薦を貰い、調子に乗った結果がこれだ。

 

「よしっ、丁度良い」

 

先生は快活な声で手を打った。僕は何事かと目を白黒させる。

「私も夏休みは所用で立て込んでいてね。君のために割ける時間はあまり取れないんだよ」

「はぁ」

僕は溜息にも似た返答をする。それはつまり、単位を落したということだろうか。必修科目を落すのは痛い限りだが、自業自得と諦めるしかないのだろう。

諦めかけたその時、先生が二の句を継いだ。

「現地調査、及びそれに類する資料収集を課題としよう。夏休み明けにレポートで提出してくれればそれでいい。取り敢えず、及第点として単位を与えるとしよう」

その言葉を聞いて驚愕した。先生は夕食を決めるように簡単に言ってのけたが、それが大層な決断であることは言うまでもない。

大学は二期制なので、前期と後期のそれぞれ期末に単位の可・不可が評される。今は前期の期末、つまり成績評価の時期にある。通知表に不可の文字が記されるのは身から出た錆びと言わざるを得ない。だというのに、僕を信用して課題提出で単位をくれるというのだ。ありがたい限りだ。

「けれど、念のために方向性くらいは指定しておこうか。私のゼミと無関係の論文を提出されても困る」

カラカラと笑い、僕を指差した先生。

「このゼミが何をテーマにしているか、分かっているね?」

馬鹿な質問だったかな、と先生は自嘲気味に言った。

まったく、ふざけた質問だと僕も思った。あまりにふざけ過ぎていて―――脂汗が止まらないよ。

「……まさか、嘘だろう。いままで私の話を聞いていなかったのかい?」

光を反射しない淀みきった目を先生はしていた。ショックだったようだ。

「やだなぁ、冗談ですよ」

僕は笑みをこぼしながら、必死に眼球を彷徨わせた。その動きはハ虫類のそれを凌駕していたと自負している。

「文化人類学・民間伝承研究(Ⅰ)」

机の隅に辛うじて見えたプリントの見出しが僕を救った。

心から安心したように、先生は嘆息した。

「まったく、君も人が悪いな。四カ月に渡って熱弁を振るった私の努力が、まるで無駄だったのかと冷や冷やしたよ」

優しい嘘は許される。そう心の中で何度も呟いた。

「さて、君にやってきてもらう課題は、文化人類学あるいは民俗学に類するレポートだ」

「分かりました」

僕は内心で大いに喜んだ。レポートをまとめるのはこう見えても得意分野だ。適当なサイトから文書を引用すればすぐに片付くし、図書館で本を数冊斜め読みすれば体裁くらいは整うだろう。

ガッツポーズでも決めてやろうかと思ったその時、先生は僕の魂胆を見抜くかのように次の言葉を送った。

「――ああ、図書館で資料を読んだとかは駄目だよ。それは研究ではなく学習だから。あと、分かっているとは思うけどインターネットで探してきた資料なんて、論外だから」

うっ、と呻き声が漏れてしまいそうになるのを必死に堪えた。まるで心が読まれたようだ。

けれど甘い。僕の手に掛かれば、既存のレポートも独自性に富んだ論文と化す。いくら先生でも、ネット上に枚挙する全ての論文に精通しているわけではないだろう。極力マイナーな、そう『まつど物語』でも取り上げてみようか。

そんな甘い考えを打ち砕くように、先生は不敵に笑みを零した。

「私も一応は研究者のはしくれだ、ネットの論文は一通り目を通しているからそのつもりで」

全ての退路は断たれた。

それらの言葉が脅しである可能性は充分にあるが、危険を冒してまでする賭けではない。そもそも論文で単位をくれるというのは、鈴木先生の善意でしかない。その善意に対しては、誠実に尽くすのが最も建設的と言えるのではないだろうか。

「やっぱり……フィールドワークをしなければいけませんか?」

「当然だ」

頷く先生。フィールドワークの面倒さを誰よりも知っているであろう人の言葉とはとても思えない。

「そんな嫌そうな表情をするんじゃない」

先生は僕の顔を見てそう言った。別段意識したつもりはなかったのだが、どうやら顔に出てしまっていたようだ。

「そんな無理を言っているつもりはないよ。幸い、千葉には豊富な風土資料なんかも残っているし、調べようと思ったら一週間も掛からないだろう。『南総里見八犬伝』や『まつど物語』といったそれなりに有名な書物の資料館も幾らかあるしね」

確かにその辺が無難なのかもしれないな、と僕は頷いた。県内を回るのならそれほど苦労もないし、交通の便も悪くないだろう。

しかし、どうも面白味に欠ける。

先生が挙げた『南総里見八犬伝』や『まつど物語』はゼミや講義で取り上げられたこともあり、大筋は頭に入っている。前者に関しては風土資料というよりも物語に限りなく近い。

レポートをまとめるのは容易だろうが、わざわざ調べに行くのなら新鮮なテーマを選びたいものだ。

僕が不真面目なのは否定しないが、やると決めたら徹底する主義である。それに、民間伝承や風土史なんかは好きな方でもある。講義やゼミの専攻もそっち方面が割かし多い。

「もちろん、それ以外でも構わないよ。君が興味あるのなら、県外の村落について調べに行ってもらっても構わない。というか、教師としてはそれくらいの積極性が見られると正直、嬉しいかな」

「『遠野物語』とかどうですか」

「また、随分ベタな所を責めるね」

どうしてか、先生はジトっとした目を向ける。

「悪くないが遠野は難しいよ。もう既に多くの学者が研究テーマとして調べ尽くしているし、あの場所は既に観光地として栄えてしまっている。観光としては赴きもあるし、旅行で行ったら大いに楽しめることだろう。けれど、研究に向かう場所としては些か情緒に欠けるんじゃないかな。というか、研究の第一人者で、著者でもある柳田國男先生が偉大過ぎたんだ。昔は豊富にあふれた研究テーマだったのだろうが、今ではありふれた題材でしかないよ」

予想外にも消極的意見に、盛り上がっていた僕の気持ちは加速度的に低下した。

「遠野と言えば岩手県だろう。東北には他にも多くの村落があるんだ。土地柄か、あるいは気候の問題か、面白い伝承も沢山残っている。どうだい、いっそ他の県にしてみたら。隣の秋田も面白いよ。太平洋に面している岩手とはまた違った趣があるんだ。あくまで私の主観だけれど、日本海に面した県は仄暗い影を感じさせる。寒さなんかも相まって、それはもう感慨深いものがあるよ」

「……はぁ」と曖昧に頷く。お気に召さないと分かると、先生はさらに饒舌に筆舌の限りを尽くした。

「しかし、何と言っても青森が素晴らしい。やはり本州最北端の意地とでも言うのかな、ずば抜けた神秘を内に秘めているよ。北海道ほどあか抜けていないのが、また研究意欲を駆り立てる」

「青森、ですか」

確か、部屋に置いたままになっていた前の住人の手紙に書かれていたのが、青森県の住所だった。

思わず呟いたぼくの言葉を聞き洩らさず、先生はパアっと表情を晴らした。

「何か興味がある題材とかあるの。言ってくれたら、夏休みまでに調べてアドバイスくらいしてあげるよ」

先生の善意に目礼し、少し考え込む。いいから言ってごらん、と先生が先を促すので、僕は恐る恐る答えた。

「興味がある題材ではないんですけど……興味がある土地ならあります」

「へえ」と先生は興味深げに顎を擦った。

「それで、場所は何処なんだい?」

「はい、青森県の――」


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