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Guilty Dependance  作者: タチバナ ナツメ
#Episode:1 What is evil ? - Whatever springs from weakness.
5/5

#04 Accident will happen-4

 滝降りの俄か雨が引き上げた直後。

 水しぶきを跳ね上げる二つの足音が、やけに大きく響き渡っていた。

 鬼火のように青白くゆらめく篝火を辿り、戒は三たびの追走を再開していた。

 声質から想像するに、新手の妨害因子が若い男であろうことは窺えるものの、依然としてその正体は不明のままである。

 怪しげな導火線の伸ばされた先で、強い気配が揺れている。戒の前方を行くその気配は、迷路のような細辻を、一度たりと立ち止まることなく、軽やかに走り続けていた。

 幾つも存在しているはずの袋小路を着実に避けながら進んでいるあたり、どうやら彼は、この界隈の地理に相当明るい人間のようである。追っ手が常人であったなら、とっくに撒かれていてもおかしくない頃合だっただろう。

 ――追っ手が“常人”だったら、な。

 生憎と、自分がその普遍的なカテゴリーに割り振られる人間でないことは自覚済みである。

 これまで、鵺を仕留めるために発揮してきた異能力はもちろんのこと。他にも自身を“普遍的な人種でない”と言い切るための要素はいくつかあるが、戒の場合、その最たるところは、暗闇の中でも昼間とほぼ変わらない調子で活動できる力――すなわち“暗視”の能力にあると言えよう。

 便宜上の字面こそ“(くら)きを()る”としてはいるが、厳密に言えばその力は、“暗闇の中で昼間と同じようにものを見る力”ではない。

 聴覚、嗅覚、触覚、そして霊感。

 視覚以外の感覚を常人の何倍も鋭敏に研ぎ澄ませることで、視界不良によって失われた情報を完璧に補完する――それが戒の“暗視”の力である。

 日中発揮されるものとは全く違った特殊な感覚によって“世界”を捉えるその力は、通常、光の射さない場所では判別できるはずのない、物体の色や材質の情報でさえも、ほぼ完璧に補うことが出来る。

 つまり戒は、耳と鼻と、皮膚感覚――ひいては“心”でもって、闇の世界を視ることができるのである。

 ゆえに、悪足掻きとばかりに、前方の男が蹴飛ばしたゴミ箱やドラム缶の強襲を受けようと、眉ひとつ動かさず、それら全てを避け切ることができるのだ。


「くっそ! やっぱアイツ、超足速えよ! バケモンかよ、ちくしょう!」


 そうするうち、真っ暗闇の中から、悔しげな喚き声とともに、とうとう男の朧気な輪郭が顔を出した。

 これだけ長距離に渡って追走劇を続けても、男に大して息を乱した様子の見られないところは驚愕せざるを得ない。だが、もはや全ては時間の問題であろう。数秒ののち、戒があの影に追いつきさえすれば、思いも寄らぬ長丁場となってしまった今夜の鬼ごっこも、程無くして終焉を迎えるはずである。


「そう思うなら、諦めてくれ。逃げ切れないことはもう分かってるだろ」


 ばさばさと髪を振り乱し、がむしゃらに疾走する男は、青白く光る壷のようなものを小脇に抱えている。

 小さな壷の放つ光は、闇路を走る導火線と同じ色をしている。壷に隠されたからくりの正体など皆目見当もつかなかったが、大方戒の獲物は今、あの中に閉じ込められてしまっているのだろう。


「おとなしく“それ”をこっちへ渡してくれ。素直に応じてくれれば、手荒な真似はしない」


 男との距離は既に、手を伸ばせば届きそうなくらいにまで縮められている。

 奪い返すなら、今だ。これまでも、“仕事中”に同じ異能力者からの妨害を受けた折には、示しを付ける意味でも、死なせない程度の制裁を加えてきた。

 しかし、無用に敵を増やすようなやり方は好みではない。出来るなら、実力行使は最終手段に回したいところだが――

 迷いあぐねていた矢先。


「お前、もしかして――」


“それ”に気が付いたのは、説得を試みようと、戒が男の真隣に並び立ったときのことであった。

 まさか、こいつもなのか――

 半ばうんざりとしながら溜め息を漏らした戒は、どうか見間違いであってくれという思いとともに、男の頭の先から足先までをもう一度改めた。

 男の服装(コーディネート)は、実に明瞭である。くたびれたブレザーにネクタイ。そして、妙にダボついたチェック柄のパンツ。パッと見ではスーツ姿に見えなくもないが、足元に派手やかなスニーカーを合わせているところを見ると、明らかにサラリーマンではない――やはりどう見繕おうと、彼は“制服を着た学生”のようなのだ。


「せっかく苦労して見つけた三十五番だぞ! 誰が渡すか、ボケ! ちょっとやそっと速く走れるからって、いい気になってんじゃねえ!」

「三十五番? 何のことだ?」

「今更とぼけてんじゃねえ! お前らが黒焦げにしやがった、“マルコキアス”のことだよ!」

「マルコ――キアス?」


 その名をどこかで聞いたような覚えはあるが、はっきりと思い出すことができない。しかし、彼の言う“三十五番”とか“マルコキアス”という言葉が、鵺のことを指しているようだということだけは、何となく理解が出来た。


「中学時代、“脱兎の盗塁王”と呼ばれた俺様を、簡単に追い抜けると思うな! 追いつけるもんなら追いついてみろよ! うおおおおおお…………」


 一方的に息巻いた男は更に加速を強め、涼しい顔で並走する戒を見る見るうちに追い抜いていった。

 どうやら、彼の“盗塁王”の名は伊達ではないようだ。これほどの速さを保った状態で、まだスパートをかける余裕があったとは。彼が真面目にアスリートをやっていたとしたら、おそらく国体を狙えるレベルではないかと思う。


「“脱兎”って――逃げ足が速いって意味だよな。あんまりいいあだ名だとは思えないけど」

「うるせえよ! いちいちムカつく野郎だな、てめえは! スカした顔しやがって! このっ!」


 突如としていきり立った男は、手にした壷をでたらめに振り回そうとする。おそらくは、またも平然と並走してきた戒を自分の側から追い払おうとしているのだろうが、とても“狙いを定めている”とは考えにくいその動きは、戒にしてみれば無益な消耗の塊でしかなかった。


「何がしたいんだ、お前――」


 頭の奥がずしりと重みを帯びたような心地になる。

 荒汰と出会ってしまったことだけでも、後々面倒な事態を引き起こすのは避けられないだろうと思っていたところだった。それなのに。

 よりにもよって、二人目である。

 しかもその相手は、ひたすら感情的で、暴力的で、お世辞にも頭の良さそうな人間とは言えない。何かの拍子に正体を知られてしまったら、ロクなことにならないのは目に見えている。

 それでも戒は、どうにかして獲物を取り返す算段をつけなくてはならない。

 ここは一度、澪の指示を仰ぐべきか、それとも――



 

 再び戒が迷いを持て余し始めた、そのときのこと。

 男の脇から、何か小さなものがするりと零れ落ちる様が視えた。

 落とし物には目もくれず、ひたすら走り続けることをやめようとしない男は、どうやらそれに全く気がついていないようである。

 すかさず足元へ手を伸ばした戒は、アスファルトに転がった何かを、寸でのところで掠め取っていた。


「何だこれ」


 拾い上げてみると、それはもはや“圧縮”されていると表現してもいいくらい、力いっぱい押し固められた紙片のようであった。

 何とはなし、ぐしゃぐしゃに丸まった紙切れを拡げたついで、最も目立つ文字だけを拾って音読してみる。


「私立神楽坂西高校2年E組、桐嶋隼人(きりしまはやと)。0点」


 否。目立つものを拾ったというよりも、そこ以外に文字らしい文字が書いてあるところが見当たらなかった、という表現の方が正しかったかもしれない。赤インクで書かれた“0”の文字は、雨に滲んでいささか読み辛くなってはいたが、これだけ大きく書かれていれば、読み上げるには何の支障も無かった。

 どこかで覚えのある書式だと数瞬思いを馳せたところで、戒はようやく、それが“白紙の答案”であることに気が付く。


「ああっ! てめえ、それ返せよっ! てか点数まで読み上げる必要ねえだろうが!」


 途端にぴたりと脚を止め、電光石火の勢いで振り返った男は、怒りにギラつく瞳でこちらを()め付けた。


「これ、そんなに大事なものなのか? 名前以外何も書いてないぞ」

「うるせえな! 書けるもんなら、書いてるに決まってんだろうが!」

「ああ……そういうことか」


 幸運というものはいつも、思わぬところから舞い込んでくるものだ。

 まさか、紙切れひとつで敵の足止めに成功するとは思ってもみなかった。どうやら桐嶋という少年にとって、この答案は――おそらくいろんな意味で――相当手放したくないもののようである。

 おもむろに皺くちゃの答案用紙を突き出した戒は、薄く口端を持ち上げ、精一杯の“挑発的な笑顔”を浮かべてみせた。


「返してほしければ、実力で奪い返したらどうだ?」


 切れ掛かった街灯の明かりがチカチカと不規則なリズムで錯綜を繰り返している。

 闇の中に浮かび上がった桐嶋の姿は、――少しばかりやんちゃそうなところには目を瞑るとして――平時ならば、すれ違ったくらいでは気にも留めぬであろう、ありふれた高校生のものに違いなかった。


「この野郎――言いやがったな」


 緩くウェーブのかかった栗色の髪から、支えきれなくなった雨の雫がぽたぽたと零れ落ちている。歯軋りの音が聞こえてきそうなほど、桐嶋は悔しげに奥歯を噛み締めていた。

 少なからず機嫌を損ねるであろうことは予想していたものの、挑発行為を受けたときの彼の点火の速さは、想像以上に急速であった。

 やはりと言うか、何と言うか――彼を相手に、ただただ事を穏便に済ませようとするのは、随分無理があるようだ。それならむしろ、あの血の気の多い性格を手玉に取るべきかもしれないと思う。

 選択肢のひとつをあっさりと放り投げることにした戒は、早々と新たな算段を組み立て始めていた。

 話の通じそうにない相手となれば、手段は自ずと限られてくる。

 極力手加減を加えた電撃で桐嶋を気絶させ、その隙に壷を奪い返す。ほぼ実力行使に近いやり方だが、もはや仕方が無い。

 壷から鵺を取り出す方法は、後々考えることにする。奪還ついでに、あの白紙の答案も、こっそり返しておいてやることにしようか――


「上等だぜ! 後悔すんなよ!」


 刹那、想像以上を更に上回る速さで痺れを切らした桐嶋が、またもあの小さな壷を振りかざして躍りかかってくるのが視えた。

 地を蹴る音。

 怒りに満ちた吼え声とともに、風を凪ぐ音が戒の鼓膜を震わせる。

 それとほぼ同じタイミングで、深い闇色の向こうから、ギラギラと輝く金色の残像が迫ってくるのが視えた。

 凄まじいスピードでこちらの横っ面に喰らいつこうと迫るそれを、戒は僅かに体を傾け、鼻先数センチのところでやり過ごしていた。

 途端、強烈な違和感に襲われる。

 あいつの手にしているものは、一体何だ?

 てっきり彼は、あの小脇に抱えた壷で殴りかかってきたものとばかり思っていたのだが、鼻先を掠めたその獲物は、ぴかぴかと光る細長い金属のようであったのだ。

 鉄パイプ? 金属バット? どちらにも似ているようで、何かが違う。とにかく彼の握り締めていたものは、身の丈の半分ほどの長さのある、“棒状の何か”だったのである。

 武器を隠し持っている様子などなかったはずの桐嶋の手から、予想外の凶器が飛び出したことで、戒は不覚にも大きく怯まされていた。

 間髪を入れず、ニ撃目が襲い掛かってくる。次は真上からだ。

 おそらく利き腕と見られる左腕一本で、桐嶋はそれを縦一閃に振り抜いた。咄嗟に真横へ跳び、接触だけは回避できたものの、虚を突かれた戒は、桐嶋の獲物が描いた軌跡を最後まで追う事が出来なかった。

 続けざま、すぐ側の足元で、脳髄を揺るがすような激しい金属音が弾け飛んだ。

 何て力だ――

 気が付くと、足元に敷き詰められたアスファルトが、月面のクレーターのように陥没していた。

 そこでようやく戒は、桐嶋の手にした獲物が、凄まじい勢いで地面に激突したことを知る。衝突(インパクト)の瞬間、アスファルトの絨毯は(ことごと)く粉砕され、粉々に飛び散った漆黒の飛礫(つぶて)が、剥き出しになった肌のあちらこちらに鋭い痛みを置き去りにしていく感覚があった。


「くそっ……」


 その時、爆ぜ上がった飛礫のひとつが、僅かに覗いた戒の眼睛を打ち据えようと、容赦なく迫ってくるのが見えた。

 現状、いくら暗闇でほぼ視覚に頼る必要がないとはいえ、代わりの利かない目を潰されるわけにはいかない。

 否応無しに、飛礫を避けることに気を取られる。そうして戒は、またも大きな隙を作らざるを得なくなっていた。


「もらったぁ!」


 刹那。

 ガツン、と鈍い音が響き、全身が衝撃に包まれる。

 一触即発の状況にはそぐわない、軽妙な桐嶋の声が、やけに遠くで響いたような気がしていた。

 息が出来ない。けれど、何故だか痛みは感じなかった。

 意識とは無関係に、脳内物質が鮮やかな仕事をこなしたせいなのか。それとももはや、認識できるレベルを超越した痛みであったからなのか。

 どちらにしろ、戒は考える術をなくしていた。

 それは、殴られた衝撃で意識が吹き飛んだわけでも、恐怖によってパニックを起こしたわけでもない。

 無風状態。

 心を取り巻く感情の風が、ぴたりと止んでしまったのである。

 凪のように(すべ)らかになった戒の奥底に残ったものは、ただひとつ。

 最も原始的で、最も獣じみた衝動。

 生き続けようとする防衛本能だ。

 死なないために、生き続けるために、自らが最も優先すべき行動は――?




 ぐらつく体を起こし、戒はゆっくりと視線を持ち上げた。

 ぼやけた視界の中心に、ヒトの形をした“何か”が映り込んでいる。

 ――あれが、敵だ。

 敵影を認めた後、僅かに遅れてピントの合った戒の両目が、ようやっと“何か”の全貌を捉えていた。

 ――俺を殺そうとしている、敵だ。

 一体自分は、どんな眼差しで彼を見つめていると言うのだろう。

 ――関係ないよ。

 戒と視線を合わせるや否や、あれだけ息巻いていたはずの少年の表情は、明け透けなほどの恐怖の一色に塗り潰されていた。

 ――関係ない。




 鋭い破裂音。

 続けて、何かが倒れこむ音が響いたところで、戒はようやく我に返っていた。


「しまった――!」


 背筋に冷たいものが走り抜けていた。

 殺してしまった――かもしれない。

 耳朶にこびりつくように残ったあの破裂音は、紛れもなく自らが放った電撃の音に違いなかった。

 細長い煙を上げ、戒の足元でうつ伏せに横たわった人影は、ぴくりとも動かなくなっている。


「お、おい――しっかりしろ! 目を開けろ!」


 どれだけ揺さぶっても、顔中をススだらけに汚した桐嶋が再び目を開けることはなかった。

 驚愕と焦燥が、戒の内側を黒々と塗り潰そうとしている――

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