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第2話 その『愛』、何ですか?



『 一札の事

 私、プロッティはジュスタを妻としておりましたが

 この度離縁する事と相成りました

 つきましては今後彼女が新たに縁付こうとも

 一切構わない所存です


 カイロニア州 アルヴェディ国相 アーダルベルト様

  アリアメス歴1625年 〇月△日 国軍仮候 プロッティ・リナルディ 』



 新たに修道院でお勤めをする事となった女性 = ジュスタの手には、そう書かれた書面が届けられた。

『離縁状』である。先日押しかけてきていた男こと、元夫となった仮候には、結局の所朝廷の管轄機関(太常府)の担当者と勤め先である国の軍本部から"お叱り"が下り、しぶしぶ離婚に応じたそうな。

 最後の言い分としては、「家族を養うために必死にやっていた」という事だ。下男と下女も、奥方に懐いていた面子がやめてしまった事で家中もうまく回らず、絞られた事で事の深刻さにようやく気付いた様子であるとも。それ以来、峻厳な軍人としての勤務態度は変わらないものの、少し暗くかつ柔らかくなったらしい。

 元々、勤務態度そのものが真面目な方だったそうな。賄賂も受け取らず、実直かつ清廉。

 しかしそれを他者、特に部下にも強要するようなタイプに近頃変わってしまったそうな。

 

 やはり、視点がどこかで歪んでしまったという見立てが当たっていた。



「それで矛先が奥様に向いちゃぁ本末転倒でしょうに」

「その奥方の"親戚"も、凄かったなぁ」


 修道院がある州、カイロニアの州都はそのまま州名をなぞっている。この町は『帝都に次ぐ』と評される事千年余りだが、内情はこんな"とるに足らぬ話"も混じっているのだった。

 ゾーリャとモーリスは、街角のテラス席で軽食をとっている。

 今日は季節に合わぬ暑さだ。まだ夏には遠いというのに、妙に日差しが強い。


 ゾーリャはモーリスの漏らした言葉を反芻する。


 早い話が、故郷から召喚されたジュスタの家族は、顛末を聞くと意見がまっ二つに割れた。

 離縁を容認してやりたい肉親達と、軍で出世している男の妻となった地位を捨てる事に反対する親戚の図。


()()()()()()()()()()() …… 我々は"軍候"か"司馬"の親族となれていたんだぞ!」


 アレ程まで、聖職者でありながら人間を殴り飛ばしたくなったのは久しぶりだった。

 幸い、その役は今目の前にいるモーリスが代役になってくれたが。申し訳ないことをしたと思っている。あまりの発言であったがために、手をあげてしまったという彼の非は問われなかった。しかし衛兵として似つかわしくない振る舞いであると、院長にこってり叱られるはめにはなったそう。


「あの野郎、屯長殿が部屋から出された後、親戚からも詰められてましたよ」

「そりゃそうだろ。傷心の女性に言っていい言葉じゃねぇ」

「ですが、今後修道院の中であんな真似はやめてください。

 大精霊様が見守りくださる場所としての"品位"にかかわりますので」

「……被害者を貶める奴に何もせず、がよっぽどかかわるじゃん」


 子供か。

 ふくれっ面を見せるモーリスの顔を見て、ゾーリャはやや呆れる。

 いかに正しかろうと、体裁が無ければそこから正しさは抜けるのだ。だから彼女はあの場で耐えようとした。


「ならせめて、修道院の外でやってください。ならしょっ引かれるのが貴方だけで済みます」

「"加害者"が足りねぇって……お?」


 パンをミルクで流し込んだモーリスが、視界の中で何かを捉えたようだった。

 彼女も気になって振り返り、彼の視線をたどる。すると、本屋の前に立っている少年が目に入った。

 軒先で平積みになっている本を、じぃと見つめて視線をそらし、店主の様子を見ている。


 あれは —— ヤる


 二人の意見が合致した。

 少年は店主の隙をついて、平積みの本を一冊手に取り、懐に差し込んだのである。

 身なりからして、そこそこ良い育ちをしていそうな少年。似つかわしくはない。

 こういう『コソ泥』は大抵、食い詰めた貧困層の子と連想しがちだ。


 が、世の中は広い。そういう理由じゃないのに、手を付けてしまう子はいる。


 店の物を物色していた少年の目は、生気がなく目が死人のようであった。

 しかし本を懐に入れた時、キラリと生気が一瞬だけよみがえっていたのだ。

 普段が充実していないか、何かに追い詰められて()()するためだけの窃盗。


「嫌なもの見ちゃったなぁ」

「仕方ないだろ。すまん、ちょっと行ってくるわ」


 そう言って、モーリスは人ごみの中を駆け始める。もちろん、()()()()()()だ。


 街の警らに当たっている兵士たちに任せてはいけない気がしたからである。


 普通の窃盗犯なら、兵に引き渡すのが正解だ。


 だがあの少年はきっと、兵士では矯正できないし、またやるだろう。



 ※※※



 ヒュッ —— ヒュッ —— ヒュッ ——


「モーリス様、やりすぎです」

「これはさすがに俺のせいじゃないぞ」


 子供の足で、鍛えた男から逃げることは極めて難しい。たちまち追いついて、少年の足を止めさせた。

 肩に手をのせただけで、他には何もしていない。それでも足を止めたということは、悪いことをしたという自覚と後ろめたさは残っているのだろう。ただ、その後にかけた言葉が、琴線に触れたようだ。


()()()()()()()()()()()()?」


 これが引き金だったようだ。

 呼吸の間が狭くなり、うまく息を吸って吐く事ができなくなっている。ゾーリャはその様子を見て、少年へ駆け寄ると背中をさせながら、優しく声をかけた。


「ほら、かがんで。怖くない、怖くないから」


 一緒に前かがみに屈んでやる。怯えた表情のままだが、こちらを視認はできている。大丈夫だ。


「ゆっくり、吐いて。ゆ~くり、吸ってね。ほら」


 普段の息より倍は吸って、さらに倍吐く。大体1:2くらいの範囲で、ゆっくりと繰り返す。

 だんだんと、少年の様子も落ち着いていく。まずは一安心、ともいかない。


「落ち着いた?」

「は……はい」


 視線をこちらに合わせない。いや、合わせられない。

 

(これは相当"重症"だなぁ)


「なんでお兄さんとお姉さんが止めたか、わかるよね?」

「……は、い」


 おずおずと、懐から本を取り出した。『-帝国初期名画-水彩画集』とある。


「画集? 何でそんなもの」

「ちょっと黙っていてください」


 いやな予感がする。それも、とびっきり嫌な臭い。ゾーリャの眉が上がる。

 とても、とても嫌な臭い。思い出したくない蓋が開かれる感覚がする。


 先ほど、発散のための窃盗かと思った自分を絞め殺したい気分にすらなった。


「……『欲しかった』んだ、それ」

「—— っ!!」


 声音が、自分でも驚くほどに落ち着いて優しいものだった。自分はこんな声も出せたのか、と思うほど。

 少年は弾かれるように顔を上げて、ゾーリャの顔を見る。目に光が戻っていた。次いで、ポロポロと涙をこぼし始めてしまう。こうなるのは苦手だ。宥める方法はそんなに覚えていないから。

 ゾーリャは少年をそっと抱きしめてやると、落ち着くように聖歌を口ずさみながら、頭を撫でてやった。



 ※※※



「で、どうすんだそれ」


 一度、修道院に戻った。

 中庭にて、モーリスはゾーリャの手に握られている画集を見て言う。

 あのまま書店をそのままにするわけにはいかないため、少年を引き連れて店主に頭を下げに行った。軍人と修道女が共に行って結果としてはよかったようだ。二人にこってり絞られたろうと判断した店主は、少年にはそれ以上追求せず、代金さえ払ってくれれば親に連絡する事もしないとして収めてくれた。

 おかげで、ゾーリャの財布は想定より軽くなったが。


「後日、あの子のお土産にでもしようと思います。

 少し気になる所が多かったので」


 あの後、今日ばかりは一度家へ戻れと言って少年を話してやった。

 ただちゃんと名前や住所は聞いて、困ったら今日の場所へ来なさいと伝えた上でだが。

 いやな予感。ゾーリャの脳裏を言葉にしがたい不快感で包むもの。

 それはあの時少年が見せていた怯えと目の色にある。


「それにしても、『メルカ家』か。どっかで聞いたような」

「このアルヴェディ国内を収める『国相』様の『丞』を、歴代で何人も出している家ですよ」

「……まずいな」

「ええ、とんでもないもん引いちゃいました」


 エリク・メルカ。


 それが少年の名前。通常の官吏ではなく皇族が収めるこの地を、現地に行かぬ皇族本人に代わって収めるのが【国相】だ。

 その【丞】、つまり副官を務めた者を、帝国建国から何人も出している。

 帝国きってとは言わないまでも、この地域一帯では相当な名門だった。


「そんな家の子なら、普通一人で出歩きなんてさせないし」

「お忍びという事になります。しかも親の"単語"であの怯えようですから」


 普通の人間であれば、他所様の……それも名家の家庭事情に首を突っ込むなぞできるはずもない。

 だが、大凡の察しは付く。


「なので、明日もあそこへ行こうと思います」

「今日明日でいきなり来ると思うか?」

「本屋の前に立っていたあたりで、既にオドオドはしてました。

 たぶん、親や召使の目を盗んで外に出たのも、初めてだったのでしょう。

 そんな事が起こっていれば、家中はきっと大騒ぎになっています」


 そこへ、行方が知れない子供が返ってきたらどうなるか。


「私達は、弱いですね」


 ゾーリャは、そう言って両手を強く握りしめる。


「私達は、『何かが起こって』ないと何もできない。『かもしれない』では動いてはならない」


 己に言い聞かせているようだ。モーリスは、黙って聞いていた。


「未然に防止するためと言って、誰かの領域に踏み入る事を許せば、私達の修道院は()()()()()()()()


 そして彼は、ゾーリャの肩に手を置いた。


「そりゃあ気負いすぎってもんだ。五体満足の人間に劇薬を飲ませちゃならんのは当然。

 俺達兵士にだって踏み込んじゃならん領域さ」


 そう言って、帰りがけに買ったブドウジュースを彼女に手渡す。


「……またコレっすか」

「またとは何だ。街一番の果実屋特性だぞ」

「マズくは無いっすけど」

「よし……いつもの口調に戻ったな」


 こう聞いて、ふと彼女は気付いた。今日も、やけに喋りすぎた気がする。


「実際に事が起こってからじゃなきゃ何も出来ねぇのは、修道院(おまえら)兵士(おれたち)も一緒さ。

 薬のようなもんだ。だけどな ――」


 綺麗な歯の光る笑顔を見せながら、彼は言う。

 

「薬があるから、熱が上がっても、腹を下しても安心できる。そうだろ?

 それと同じと思ったら良い。現に、あの元奥様だって救われたようなもんだ。問題はまだ山積みだが」

「まだ症状続いてるって事じゃないっすか」


 まぁ、安心させようとしてくれているのは解る。

 故に、返礼に脇腹を小突いてやった。



 ※※※



「……何があったの?」


 翌日、エリク少年を保護したあの場所に二人は行ってみた。

 事が動くだろうと思っていたが、予想の斜め上。起こって欲しくなかった事が起きたと、すぐに解った。


「ひっ、ひっ」


 声にならない声で、十にもならない少年は泣いている。大きな紙を抱えていた。

 より詳しく言うならば、しわくちゃになって、所々が破かれている紙だ。

 左手には、乾いた絵の具が着いた絵筆。それも真っ二つに柄が折られている。


 あの本を狙ってしまったのは、そういう事か。


 ゾーリャは屈んで、少年と目線を合わせる。こうすれば、少しは喋りやすい筈。


 手を、そっと差し出してみる。『見せて』という意思はエリク少年に伝わったようだ。


「―― これ」


 そう、涙声で言う少年が、ゾーリャの手に紙を渡してくれた。そっと、広げてみる。


 三人の人物が、仲良く晩餐の卓を囲んでいる絵だった。


「良い絵だね。これは、お父さんとお母さん?」


 彼女の問いに、少年は無言で頷く。

 よく見ると、絵の具の乾き方が所々で違う。日を置いて、少しずつ書いたのか。

 色の付き方も、同じ色であってもまばらだ。絵の具の使い方自体上手くいっていない。

 少なくとも、きちんと教えて貰ってはいない。教えて貰った事も無いのかも知れない。


 そして何より、その絵はビリビリに破かれている。


 嫌な予感がする。


「これは、お父さんが?」


 勢いよく首を振る。少年の表情は少し怒っているようにも見える。と、言う事は……

 

「……じゃあ、()()()()か」


 少年の肩が跳ねる。

 それを見たモーリスも、屈んでエリクと視線を合わせた。

 

「なぁ、君。答えるのが嫌なら、答えてもらわわなくても良い。

 これはもしもと、お兄さんが思っている事なんだが」


 助かった、とゾーリャは思った。出来る事なら"この質問"は自分から口にしたくない。

 

「君の、その……お母さんは『絵を描く事』に反対しているのかい?」


 ゾーリャも、胃を捕まれたような感覚に陥る。表情を隠せ。彼からも、少年からも。

 脳裏に、嫌な記憶が過ぎる。


 

 < またこんな事をしているの、あなたは! あなたは後々―― >


 あぁ、辞めろ思い出にまで出てくるなクソババァ。


 < 兵士風情の真似事なぞ淑女のやる事でなくてよ。私達は ―― >


 うるせぇクソ姉貴共。好きなことをして何が悪い。


 脳裏がどす黒くなりかけて、思考が現実に引き戻される。

 


 目の前にいるのは、"私"じゃない。泣いている少年だ。

 エリク少年は、意を決したように首を縦に振る。

 

「ぼ、僕のは、母上は……『鷹の紋』をとりなさいって。

 絵なんて何の役にもたたない、くだらないって言うんだ」


 やはり『教育虐待』だ。


 【鷹の紋】は、官吏登用において朝廷や地方行政区で重要視される『人材候補生』の証である。

 それを取る為、文武や魔法の分野で何かしら高い実力を身につけなければならない。

 故に、武門の家では代々厳しい訓練が施されるし、文官の家であれば激しい詰め込みが行われると言う。


 が、この子のやりたいことは"お勉強"では無かった。


 ただそれだけなのである。


「兄上、が …… もうもっているのに。母上は、ぼ、僕もとるようにって、毎日」


 兄がいるならば、普通なら家を継ぐのは兄だ。

 長子がいて、資格も持っている。


「身体が弱かったりするのかい?」

「ううん、兄上は僕より、というか家の人達の中で誰よりも強いし、賢いんだ」


 身体が弱いという事も無い。資質に問題無いのであれば、原因は別の所にある。


「―― もしかして」


 モーリスは少し考えて、ゆっくりと口に出す。これは、子供にとってはあまりにデリケートな言葉だから。


() () () () () () () の か な ? 」


 エリク少年は、頷く。


 嗚呼、()()()()()()()()()んだ。


「うん。母上は、兄上を"はしためのこ"って呼ぶんだよ。どういう意味かわからないけど」

「お父さんと、お兄さんは、お母さんに何も言わないのかい?」

「父上も兄上も、東のおおきな"みやこ"って所にいるんだ。

 父上はたまに帰ってくるけど、兄上は勉強中なんだって」


 そうだろうとも。丞はこの"国"を治める国相の補佐役だ。

 都で国の主として収まっている皇族との橋渡し役もやっている。

 となれば、家に帰って家族と過ごす機会はすこぶる少なかろう。


 そして"鷹の紋"を取得した兄の方は、それこそ官吏登用目前ともあれば、父親の後を継ぐべく先達に学んでいる期間。

 こっちも家にはロクに戻れていまい。


 つまり今、少年の家には『母親が顔色を窺う相手』がいない状況である事。


 そして"端女(はしため)の子"と憚らない所を見るに、この子の母親が『正室』だ。長子の母親は身分が低い側室か、他所で作った子。


 男子を産んだのに、世継ぎの座を"下賤な女"が産んだガキに取られる。


 嫌な女のプライドだ。



「―― 反吐がでる」



 そう、二人にも聞こえない声量でつぶやく。嗚呼、はらわたが煮え返る。


 すっくと、ゾーリャは立つ。エリク少年には優しい表情を見せたまま。


「エリク君。貴方はしばらく私達の修道院にて保護します」

「―― ッ!? やる気か!?」


 モーリスは目を見開いてゾーリャを見た。

 今自分はどんな顔をしているだろう。


 本音が見える顔をしていればきっと彼は、「感情で仕事をするな!」と叱ってくれる。


 でもこればかりは許せない。父親と腹違いの兄はきっと、この事を知るまい。


 彼らの目の無い所でこんな仕打ちを母親がしているのに、この子は泣いていた。


 誰にも護って貰っていないのだ。家の召使い達は何をやっているのか。

 

 誰がこの子を護ってやれる?


「相手が国相の丞がお家であっても、アシュ・ガバル修道院は誰であっても奥には立ち入れません」


 

 エリク少年を見据えながら、続ける。


 

「エリク君、貴女のお母様の『愛』は、無効です」



 

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