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第1話 丘の上の修道院



「 その『愛』、"無効"です」


「今何と言った、小娘が」


 海と街が一望出来る小高い丘に、一軒の修道院が建っていた。

 広さはやや大きめで、外部からの侵入を防ぐための堀も設けられている。


 その一室は今、剣呑な雰囲気に支配されていた。

 シンプルな造りの部屋には、数名の男女が詰めている。怒りに燃えているのは、その中の二名。

 壮年の男性と、まだ20にもならない修道女がだ。


「私は妻を連れ戻しに来たまでだ。それを無効だと?」

「えぇ、言いました」

 

 互いに机を挟んで睨み合い、それをオドオドと見比べている壮年の女性もいる。


「あ、あの……」

「貴女様はそのまま、座っていて大丈夫です」


 その人を護るように、精悍な体つきの軍人が側に控えていた。これは『調停』の場である。

 少々野卑さを覗かせる壮年の男は、妻と呼んだ女性に侍る形となっていたその軍人を睨み付けるも、場数の違いが佇まいからもわかる。返しの眼を受けるや、さっと視線を逸らした。それが壮年の男の性根だろう。


「さて、『プロッティ』仮候様。改めて、お話を整理しましょうか」


 恐れを知らぬと見える修道女が、じぃと壮年の男を見据え、凛とした声音を発する。よく通る声だ。


「貴方様はまだ、奥方様を愛しておられる。

 先ほど、そう仰った。聞き違いではありませんね?」

「当然だ。夫は妻を愛するものだろう」


 堂々とした態度である。ここを何処と思い、何を考えてその台詞を言っているのだろうか。

 それはこの場において当人のみぞ知る事だ。到底理解できるものでは無いが。


「成る程、ではもう一つお伺いいたします。

 貴方の仰る"愛する"というのは、奥方を()()()()()()()()()()事を言うのですか」


 修道女の語気が強くなる。少女は手を振りかぶって、壮年の女性を指し示した。

 女性の首筋は、赤黒く変色している。よく見れば目の下にもくまが見られ、顔や手の肌にも荒れが現れているではないか。


「お住まいの区画住民には聞き込みを行いました。夜な夜な、何かを叩く音と鳴き声がするとか」

「犬を躾けておったのだ」

「おや、番犬を? 庭を駆け回る犬の姿なぞ誰の証言にもありませんでしたが」

「ちっ、誰ぞ余計な」


 頑なに、認めようとしない。修道女の顔が、険しくなっていく。それは壮年の女性に侍る軍人も同様であった。

 夫である男が何故認めようとしないのか。その理由は明白である。


 妻を愛しているから、では無い。


「仮候様、既に奥方様の"お体"は拝見しております」

「―― っ」


 プロッティの顔が引きつる。ここであえて階級で呼んだ事にも、反応を示した。やはり、そうだ。


「首筋のみならず、胸部、腰部にもアザが見られました」


 少し首元が露出する服を着て、かろうじて見える程度。着こめば見えなくなるように。

 そして、下着だけになってコルセットも外さなければわからないようなアザ。どう見ても確信犯だ。

 

「家中で転んだのだろう、どんくさい女故な」


 その言葉に、壮年の女性の肩が跳ねる。顔に怯えが見られた。

 言葉を重ねる度に、己が不利になっているという事も、この男は気付いている。ただ止められないのだ、己を。

 夫である男の目の奥にも、焦りと怯えがある。

 

「質問を、変えましょう」


 修道女も少し落ち着いて、椅子に腰掛ける。少女の前に広がっているのは、複数枚の書面。

 その内が一枚を手にとって、眺めてみせる。

 これはポーズだ。既に内容は把握してあるが、目の前の男に対する"圧"には十二分な威力があろう。


「……仮候様、そういえばそろそろ()()の時期でしたね」


 男の顔が、引きつる。これだ。

 これが、この期に及んでも往生際悪く抵抗している理由。


「こんな時に"離縁"などあれば、響くとお思いでしょうや」

「……黙れ! 何かと思えば図々しい醜女よな!」


 そう怒鳴ったかと思えば、男は椅子を蹴り倒して席を立つ。


「私は認めんからな、いずれ連れ戻してくれよう!」


 そう言って、部屋から立ち去っていった。


 少しの間、嫌な沈黙が一室を支配する。何ともやりきれない空気だ。



 ※※※

 


 そして、軍人が口を開く。

 

「これは長引くな。あの暴力男はしぶとそうだ」

「そうっすね。あぁ~あ、『召喚状』コースかぁ」


 少女が机に突っ伏した。凛としていた先ほどの姿勢はどこへやら、だらけきったスライムの如き顔つきになる。

 軍人の方は、申し訳なさそうに女性へ向き合うと、恭しく頭を下げた。


「ご婦人、申し訳ありません。大抵の男は最初の召喚で折れるものなのですが」

「気になさらないでください、屯長様。私がもっと時期を選んでいれば ――」

「奥様が悲観なさる必要は無いっすよ。今回の場合、10:0でアイツが悪いんで」

「……お前なぁ、依頼者殿の前でくらいONのままでいろよ。見苦しい」

「いいじゃ無いっすか、もう六百石以上のお偉方は部屋にいないですしぃ」

「俺の事は無視か、この」


 気心のしれた、若い男女のやり取りを見る女性の目には、どこか懐かしいものを見る色がある。しかし、全身からまだ漂ってくる緊張が、これまで彼女がどんな環境下にいたのかを物語っている。手が、まだ小刻みに揺れていたからだ。

 少女は、女性に近づいて屈むと、そっと震える手を両手で包んだ。


「ご心配なさらず。本修道院はご公儀直下です。

 いかな高官であろうとも、この部屋より奥には進む事はできません。

 ごゆるりと心身をお休めください」

「ありがとう、ございます。―― あっ」


 そして少女の両手から、淡く白い光が溢れる。それが女性の手を覆い、それと同時に女性の顔に満ちていた"不安感"を解きほぐしていくのが、第三者の目線からもわかった。


(こう見ると、ちゃんと『大精霊』様の使徒なんだよな、コイツ)


 と、青年軍人は半分呆れながら少女を見る。

 まぁ、この女性のように"長いつきあいのない者"にはまだピンとこないであろうが。


「―― あったかい」


 女性の頬を、心の雫がつたう。緊張が解けたからなのか、それとも別のものによるか。


「あの人も、最初はあんな人では無かった」


 そう、口から漏れ出てきている。これは"聞いてほしい語り"というより、己自身で整理をするための語りだ。

 止めてはならない。これは彼女自身が自分で己を救おうとするための"仕組み"であるから。


「お優しい方だったのですか?」

「えぇ。さわやかで人当たりの良い方でした。村娘だった私と、一兵士だったあの人。

 出会って、助けられて……。私にとっては太陽のような人だったのに」


 先の発言と、彼女が受けた仕打ちを思えばとてもそうは見えない。ただ、"輝いていた頃"があの男にもあったのだろう。


「私から求婚したんです。あの人も真っ赤になって応えてくれました。

 なかなか子はできませんでしたけど、幸せだった」

「ご主人が()()()()()のは、その頃から?」


 少女は淡く光る手を、「失礼…」と言いながら首元や腰の方へ伸ばす。アザへ手を当てるや、わずかずつだがアザが癒えて元の肌へ戻っていく。心地よいのか、女性の表情はさらに和らいでいく。思い出を掘り起こしても痛くない程に。


「えぇ、まぁ。徐々に顔つきが暗くなっていきました。

 思えば、私にも非があったのかもしれません。この時、夫に何があったのか聞くこともできませんでした」


 軍の内部で階級が上がれば、責任も増えるし"潜在的な敵"も増える。何せ人の命を預かり、又は奪う仕事だ。家族にだって言えないような"お役目"をしたかもしれないし、もしくはそんな光景を目にしてしまったのかもしれない。

 その積み重ねで、夫は擦り切れていた。女性は、その時は夫に黙って従うだけで、話を聞いたりといった事をしなかったと言う。


「あの人なら大丈夫と、今様に言えば"高をくくっていた"のでしょう。

 もっとあの時、夫と向き合っていれば。こうはならなかったかもしれないのに」


 "輝いていたあの人"から変わってしまう事が恐ろしくて、目を背けてしまった。

 女性はそう言った。確かに非があるとするならば、そこだ。きっと今後も責められるだろう。夫側の親族や、自分の肉親からも。


「こうなってしまった事は残念ですが、あの方が貴女に行った振る舞いは許されるものではありません」


 そう。どれだけ追い詰められたとしても、擦り切れたとしても、夫であるあの男は『妻に暴力を振るう』事を選んでしまった。つらい目にあった時、「今日実は、嫌なことがあって」の一言が言えなかった。それがきっと、この夫婦における失敗の原点。

 

 夫側がどうであったかはわからない。最初から妻を所有物としてしか見ていなかったかもしれない。


 ただ女性の言葉を信じるならば、最初こそ彼女の理想たる『いい男』であろうとしたのだろう。


 しかし軍という場所で仕事を続けるうちに、擦り切れて目標を見失い、目的と手段が途中ですり替わった。家族のために出世してお給料を稼ぐ、という所から逆転して、出世のために家族という"体裁"も利用するようになったのだ。

 そうなってしまえば、このまま価値観を戻す事は不可能である。


 ――『三行半』と『返り一札』を交わさねば、男の頭も冷えまい。

 

「もう、『あの日あの時』とは言えぬ所まで来てしまったんです」


 人生は残酷だ。特にこの修道院を頼らねばならぬほどの人達は。


「もし、貴女様の中に残る気持ちが『愛』であり、それがまだ有効だと思うなら」


 少女は、女性から手を放したうえで向き合い、言った。


「一度、手をお放しになるべきです。それが貴女様と、旦那様のためでしょう」



 ※※※

 


「やけに饒舌だったじゃないか、ゾーリャ」

「モーリス屯長こそ、切りかからなくて偉い偉い」


 修道院の外壁で、赤くなり始めている空を、『ゾーリャ』と呼ばれた修道女が見上げていた。


 ゾーリャ・スハノヴァ。それが少女の名前である。


 時はすっかり夕方だ。修道僧と修道女はそれぞれ別棟へ戻り、それぞれ夕食の支度にとりかかっている頃だろう。

 修道院に訪れていた"厄介夫"の話は既に修道女達の間では広まっていて、「アンタは休んでな!」といらぬ気づかいをされ暇を持て余すこととなった。故にここに立っていたのだが、そんなときでも、どこからともなくかぎつけてやってくる。なんとも鼻の良い男だ。


「俺をそんな狂犬呼ばわりしなくてもいいだろ、相変わらず可愛げの無い奴だ」

「院警備にも関わらず、一か所常駐はどうかと思ったまでですよ、モーリス・ベインズ屯長様」


 モーリス・ベインズ。はるか東にある帝都からやってきた、朝廷直下、典礼祭祀を司る【太常】麾下のれっきとした軍人だ。

 位は低いが、地方においては朝廷直轄という時点で同格の連中以上に声は通る方でもある。まぁ、一修道女相手に砕けた話し方をするなど異端と言うべき男である。こんな西の端の地に来たのも、きっと左遷か何かでお鉢を回されたところだろう。

 まぁ、果ての地から来たのはゾーリャとて同じだ。

 愚痴の掃き出し先として憩いにはさせてもらおう。


「で、さっきのご婦人はどうなった。尼の区画まで入る訳にはいかんから」

「結論が出るまで修道院預かりです。数日後には奥方様のご家族が、院に召喚されるでしょう」

「やっぱりこじれるか、奥方本人がどう思ってても」

「個人間なら気持ちの問題で済みますが、結婚は()()()の場合が多いですし。

 奥方様も、村娘と呼ぶにはちょっと無理があるお立場だったようで」


 奥方の家族も、離婚に反対する可能性がまだ残っているという事。


「……有力者の娘、か。面倒臭い事なりそうだな、そりゃ」


 傍から見れば、順調に出世している軍属の妻になれた娘が、修道院に駆け込んで離婚しようとしています。

 理由次第ではまた、修道院内で騒動が起きそうなものだ。ただ、院内は今日もいたって平穏である。

 今日の晩餐はシチューのようだ。なんとも良い匂いが漂ってくる。

 聞こえてくる談笑の音色も、いつもの光景だ。


 そう、騒動もいつもの光景なのだ。少なくともここでは。



 ここ、【アシュ・ガバル修道院】は、全国でも少ない"駆け込み所"なのだから。



 離婚とは、そう一筋縄にはいかない。少なくとも今の御世はそういう仕組みになっている。


 夫から『離縁状』を書面にしてもらい、『返し一礼』という受領証明を書かねばならない。いわば、『離婚しました』と証明する書類だ。それがなければ互いに正式な離婚をしたとみなされず、再婚しようにも重婚状態となってしまい『不義』が成立する。

 一見、妻側にとって極めて不利な条件に見えてしまうが、妻側からも了承の書面をもらわなければならないため双方に精神的負担がかかるのは変わらない。

 近年ではあらかじめ双方に書類を書かせて、夫婦生活の安定を担保する夫婦も増えているという。たくましい限りだ。

 

 ただそれは"普通の夫婦"なら、の話。

 

 夫や妻が非常に暴力的、もしくはお酒など一定条件下で狂暴になるといった、"言いだし辛さ"に満ちた家族関係であった場合、被害者側が何もできなくなるという事態になってしまう。

 これは夫婦関係だけではない。躾が行き過ぎる親子、主人と奴隷、上司と部下。上下だけでなく左右にも、心を壊すモノは日常の中に潜んでいるのだ。


 この修道院は、そんな人々が最後に頼れる『砦』である。

 

「ま、そのための私たちなんで」

「難儀な仕事に就いたもんだ」

 

 そう言いながら、モーリスは手にしていた酒瓶をあおる。


「一口いただけません?」

「冗談言うな。まだ成人前だろうが」

「ちぇっ、ケチ」

「お前にはこっちだ」


 モーリスが、酒瓶を持つ手とは逆、左腕に持っていたものをゾーリャに手渡す。

 ブドウジュースだった。


「それよりお前の方は大丈夫なのか?」

「大丈夫って、何がです?」

「あのバカ旦那の事だよ。最後に……酷ぇ事言っただろ」

「は? ―― あぁ、その事ですか」


 醜女。あの旦那はそう吐き捨てた。それが響いていないかという事か。

 むかつく質問をする男だ。気を使っているのであろうが、掘り起こす事がかえって傷つくという事もあるのに。


「気にしてないっすよ、事実なんで」

「お前なぁ……」


 ゾーリャは、へらへらしながら己の左眉周囲を撫でる。

 眉があるはずの所には、毛が半分生えていない。あるのは、赤くなった火傷の跡だ。


 気にしていないというのも、嘘。触れる度、脳裏に焼き付いて離れぬ光景はある。


 だが、この場所にいる限り、それを一々思い出している暇はない。


 ここは自由と癒しを求める人々の最後の砦なのだから。



 そこの修道女が、心をいまだ縛られている不自由な女だとは、知られてはならないのだから。


 


ゆっくり書いていきます(平行して連載作品あるのです、ごめんなさい)

時折足を運んでみてくださるとうれしいです

ブクマ/評価は泣いて喜びます、きっとね

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