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1-1「これって夢…じゃない」

本日より新作を投稿してまいります。

前作もまだ完結しておりませんが、どちらもがんばってまいりますので応援よろしくお願いいたします。

目が覚めたら、女子高生になっていた。


しかも夢じゃない。

触れるし、痛いし、なにより――元の俺がどこにもいない。


「……は?」


声を出した瞬間、それが自分の声じゃないことに気づいた…


 最初に戻ってきたのは、音だった。


 規則正しい電子音。どこかの家電の通知音みたいな、短くて乾いた「ピッ」という断片が、脳の奥に刺さる。次に、重たい瞼の裏で白い光が滲んだ。朝日……いや、違う。まぶしさの質が硬い。蛍光灯の白だ。


 ――起きろ。


 誰かに肩を揺すられている感覚がある。だが、触られているのに遠い。皮膚の表面ではなく、神経のどこかを直接引っ張られているような。


 俺は、息を吸って――咳き込んだ。


「……っ、げほ」


 声が、変だった。


 高い。思ったよりずっと軽い。喉の奥にかすれも重みもない。自分の声を、自分が知らない。


 目を開ける。天井。白い。角に小さなシミがある。視界の端に、カーテンの隙間から差し込む朝の光。部屋は狭いが、整っている。木目調の机、本棚、やたらかわいいクッション。壁には、何かのアイドルかアニメか、笑っている女の子のポスター。


 俺の部屋じゃない。


 まずそう思った。次に「どこだここ」と続くはずだったのに、頭の中に妙な空白があった。俺は……昨日まで、どこで何をしていた?


 記憶を掴もうとして、指先が痺れるみたいに痛んだ。思い出そうとするほど、脳が嫌がる。


 断片だけが浮かぶ。


 雨の匂い。夜の道路。ブレーキ音。白いヘッドライト。浮き上がる身体。――その先が、ない。


 俺は、ベッドから身を起こそうとして、止まった。


 身体が……軽い。


 重心が違う。腕が細い。手のひらが小さい。爪の形が丸い。肌が妙にすべすべしている。見慣れた手じゃない。自分の手のはずなのに、他人の手だ。


「……は?」


 声がまた高く響いた。俺は布団を跳ね上げ、自分の身体を確認して――言葉を失った。


 パジャマの胸元が、膨らんでいる。


 それも「ちょっと太った」とか、そういうレベルじゃない。明らかに女の身体の形だ。少し腹の出た、四十三歳の男の身体じゃない。俺の身体じゃない。


 心臓が暴れた。いや、暴れているはずなのに、鼓動の強さまで軽い。これも違う。


 床に落ちていたスマホが、画面を点けたまま震えていた。アラーム。画面には、見覚えのない名前と、見覚えのない顔。


 ロック画面の壁紙――制服姿の女の子が、友達らしき子と笑っている。明るい茶色の髪。目が大きい。頬が少し赤い。


 その女の子が、今の俺の手を持ってスマホを握っている。


 俺は喉を鳴らして、ゆっくりベッドから降りた。足が床につく。足首が細い。体重が軽い。立っただけで、世界が一段高くなったような錯覚がある……いや逆だ。縮んだ。俺は、縮んでいる。


 部屋の隅に、姿見があった。


 鏡の前に立つ。立ってしまう。見たくないのに、見ずにいられない。


 鏡の中の女の子が、同じ動きをした。


 制服じゃない。パステル色のパジャマ。肩までの黒髪。寝起きで少し跳ねている。肌が白い。目が大きくて、見開かれていて、震えている。


 その顔は、見知らぬ誰かの顔だった。


 なのに――動揺の仕方だけが、俺と同じだった。


「……嘘だろ」


 言ったつもりが、かわいい声で出た。俺は両手で頬を押さえる。柔らかい。触覚が、違う。頬の厚みが、違う。顎のラインが、違う。


 俺は鏡に近づき、歯を見せた。舌を出した。眉を上げた。なのに、全部、俺の意思通りに動く。動く。なのに、俺じゃない。


 背筋に冷たいものが走った。転生? 異世界? そういうやつか? いや、ここは日本だ。窓の外に見えるのはマンションの隣の家。電線。コンビニの看板。遠くの踏切の音。


 現実だ。少なくとも、現実っぽい。


 俺は机の上のカレンダーを見た。日付。……見た瞬間、頭がぐらりと揺れた。数字が意味を持たない。理解はできるのに、体感が追いつかない。


 壁の時計が「7:12」を指している。


 そして、スマホの通知が震えた。


【陽菜:おはよ!今日早めに駅ね!】


 陽菜……誰だ。俺はそんな名前の人間を知らない。なのに、指先が勝手に既読に触れそうになる。習慣みたいに。


 また通知。


【俊介:遅れんなよ。文化祭の件、朝ちょっと話す】


 俊介……それも知らない。文化祭? 俺は文化祭なんて言葉、もう二十年以上聞いていない。


 息が詰まる。呼吸が浅い。眩暈がする。俺は椅子に座り込んだ。座面の高さが合ってない。足が床につきすぎる。小さい。俺は小さい。


 机の引き出しに手を伸ばす。何か、身分がわかるもの。学生証。免許証。保険証でもいい。確かめたい。


 引き出しはすんなり開いた。中には文房具、プリント、折り畳み傘の袋、ハンドクリーム、そして――学生証。


 写真。さっき鏡に映っていた顔と同じ。


【藤田 ちひろ】

【○○高校 2年】


 俺の指先が、カードの角をなぞった。紙じゃない。ちゃんとしたプラスチック。偽物の安っぽさはない。これが当たり前みたいに、ここにある。


 俺はカードを握りしめた。


「……俺、は」


 そこで、部屋の外から声がした。


「ちひろー! 起きてるー? 遅刻するよー!」


 女性の声。母親? 知らないのに、懐かしさのようなものが耳に触れる。脳が勝手にラベルを貼る。『お母さん』。そんなはずない。俺の母親はもう――いや、そこまで考えた瞬間、頭の奥がキリッと痛んで思考が途切れた。


 まただ。深く掘ろうとすると、痛みが入って遮断される。


 ドアノブが回り、扉が少し開く。


 そこにいたのは、エプロン姿の女性だった。四十代くらい。顔立ちは普通。だけど、目が優しい。俺を見て、当たり前のように笑った。


「起きたなら顔洗って! 朝ごはんできてるから。今日、駅で陽菜ちゃんと待ち合わせなんでしょ?」


 陽菜――またその名前。言葉が自然に、流れの中に組み込まれている。


 俺は、何も言えない。


 女性は首を傾げる。「どうしたの?」とでも聞きそうな顔。


 俺は、咄嗟に笑おうとした。社会人の処世術。とにかく場を壊さないための、薄い笑い。


 でも出たのは、かすれた声だった。


「……う、うん。起きた」


 高い声で。


 女性は安心したように「よかった」と言ってドアを閉めた。足音が遠ざかっていく。台所の音。食器の擦れる音。湯気の匂いまで漂ってくる。


 俺は学生証を机に置き、両手を見つめた。


 この手で、何をしてきた?

 この身体は、誰の人生だ?

 そして俺は、どこへ行った?


 ――転移した? 転生? 憑依?


 言葉を探すほど、どれも違う気がした。


 だって、この部屋は最初から「藤田ちひろ」の部屋として完璧に存在している。俺が突然入り込んだにしては、完成度が高すぎる。生活の痕跡が多すぎる。プリクラ、教科書の書き込み、ペンケースの汚れ、SNSの通知、家族の声。


 俺は、パジャマの袖をつまんだ。布の手触りを確かめる。現実だ。夢じゃない。


 そのとき、机の端に置かれた小さなメモ帳が目に入った。


 何気なく開く。


 そこには、丁寧な丸文字でこう書かれていた。


――「もし、私じゃない誰かがここにいるなら、お願い。私を探して」


 背中に氷水を流し込まれたみたいに、全身が硬直した。


 丸文字。女子高生の字。藤田ちひろの字。


 俺は喉を鳴らし、もう一度、文字をなぞった。インクは乾いている。書いたのは昨日じゃないかもしれない。もっと前かもしれない。


 いや、それより――


 “私じゃない誰かがここにいるなら”。


 まるで、今の状況を予測していたみたいな言い方だ。


 俺はメモ帳を閉じ、立ち上がった。足が震える。震えているのは恐怖だけじゃない。理解が追いつかない怒りと、言いようのない不安が混ざっている。


 俺は鏡を見た。


 鏡の中の少女――藤田ちひろが、俺と同じ顔で俺を見返している。


 そして、心の奥から声がした。


 ――ここは、俺の世界じゃない。


 なのに、世界は俺に向かって当たり前の顔をする。


 当たり前に朝が来て、当たり前に学校があって、当たり前に友達がいる。


 まるで最初から、そういうふうに”作られていた”みたいに。


 俺はメモ帳を握りしめたまま、洗面所へ向かった。


 廊下の壁に貼られた家族写真。そこには俺――ではない、藤田ちひろが笑っている。


 足音が、やけに小さく響いた。


 そして不思議なことに、階段を降りる途中、俺の脳裏に一瞬だけ浮かんだ。


 画面の端に、薄い文字のようなものが。


 《チュートリアル:1/3》


 瞬きをしたら、消えた。


 俺は立ち止まり、呼吸を整えようとした。


 ……今のは何だ。


 見間違い? 寝ぼけ?


 だが、背中に張り付く寒気だけは消えない。


 俺は、まだ何もわかっていない。


 わかっているのは一つだけ。


 この世界は、優しすぎる。


 そして――優しさは、たいてい何かを隠している。


――このときの俺は、まだ”もう一人の存在”に気づいていなかった。

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