第七話 九州の中国化
2029年3月、長崎。
ロシアによる北海道占領と同様に、日本政府の無策により、中国による九州制圧はあっけなく始まった。
海を越えて上陸した人民解放軍は、長崎から怒涛の勢いで各地へ侵攻。
防衛線は築かれる間もなく、九州は瞬く間に占領された。
中国人は実に合理的だった。
占領後、直ちに“再構築”が始まった。
日本文化は禁止され、神社仏閣は焼かれ、日本語の看板や出版物は回収・処分された。
情報は完全に統制され、テレビ・ラジオ・インターネットは全て中国の国営メディアに切り替えられた。
監視カメラが通りという通りに設置され、住民には中国のID制度に準じた電子認証が義務付けられた。
学校教育も同様に変貌を遂げた。
子どもたちは朝の国旗掲揚で中国国歌を歌い、中国語の読み書きを叩き込まれ、毛沢東思想を学ばされる。
日本の歴史や文学は「反国家的思想」として教科書から抹消され、教師には中国政府の“教育官”が帯同するようになった。
抵抗すれば“粛清”。
告発ひとつで家族ごと消される現実に、人々は沈黙し、諦めていった。
だが、ひとり、怒りに燃える男がいた。
イシカワ――。
彼は自衛官として、九州を守る使命を持っていた。
だが、上層部からの命令は「静観」。
人民解放軍が迫る中でさえ「手出しは厳禁」と指示され、現場の士気は地に落ちた。
彼はそれでも戦おうとしたが、命令に背こうとした瞬間、同僚に拘束された。
祖国を守るという“正義”が、自衛隊によって封じられた瞬間だった。
結果、九州はあっという間に中国の手に堕ちた。
自らの無力を呪い、イシカワは自衛隊を除隊した。
その日、彼は自らに誓った。
「今度こそ、命令に縛られず、俺の意志で戦う」と。
ひとり地下に潜り、ゲリラ戦の構想を練っていた矢先、かつての同期・ナカムラから連絡が入る。
ナカムラもまた除隊し、同じ怒りと挫折を抱えていた。
「もう政府には期待できない。俺たちで、やるしかない」
ナカムラの言葉に迷いはなかった。イシカワは、瞬時に決意を固めた。
「白虎隊」――。
それが、ふたりの立ち上げた組織の名だった。幕末、滅びゆく会津藩で最後まで戦った少年兵たちの名にちなみ、彼らはこの戦いを“命を懸けた覚悟の戦争”と定義した。
メンバーは少数だった。
元自衛官、元警察官、公安関係者、武闘派市民、裏社会の人間――。
だが全員が一様に、国家ではなく“日本”を守ろうとする意思を持っていた。
彼らにとって命は手段、戦いは義務だった。
イシカワは、常に前線に立った。
敵を倒すためには犠牲を厭わない。
市街地での爆破、物資拠点の襲撃、情報機関への潜入、寝返った日本人協力者の暗殺。
冷徹に、効率的に、確実に遂行した。
「泣いても戻らない。だったら殺せ。怒りを武器に変えろ」
それがイシカワの信条だった。
白虎隊は恐れられた。
中国軍にとって、彼らは正規兵でもゲリラでもない、ただの”テロリスト”だった。
だが、奪われた祖国の中で、白虎隊だけは唯一“反撃する意志”を持っていた。
中国軍の兵士たちは、白虎隊が出没する熊本や北九州の夜を恐れた。突如起こる襲撃、列車爆破、幹部狙撃――。
住民たちは沈黙しながらも、密かに彼らの戦果を噂した。
“まだ日本は終わっていない”、そう信じたくて。
イシカワは静かに、しかし鋼のような眼差しで言い放つ。
「祖国は売らせない。誰にだって、何にだってな」
九州の片隅で生まれたその意志は、やがて“桜花”や“雪月花”と交わる日を迎える。
今はまだ、誰も知らない。
だが、白虎隊は確かに動き始めた。
荒れ狂う虎の如く、怒りを燃料に――。




