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第六話 蹂躙される北海道


2029年2月。


北海道の空を、轟音が引き裂いた。釧路、網走、稚内、函館……沿岸部に展開するレーダーサイトが次々と沈黙し、続いて空港、自衛隊基地、通信インフラが正確かつ無慈悲に叩かれた。ロシア軍の侵攻は、宣戦布告の一切ないまま始まった。


彼らは「平和維持部隊」という名目で日本国内に進駐した。ロシア政府は国際社会に向けて、日本国内の不安定化を抑止し、北海道在住のロシア系住民を保護するための措置だと主張した。だが、その実態は精緻に計画された軍事占領に他ならなかった。


ロシア極東軍第45特殊偵察旅団を指揮していたのは、アレクセイ・ボルコフ中将だった。シリア戦線で反体制派を徹底的に潰し、「民心制圧の専門家」として知られる実戦派。苛烈な鎮圧と冷静な支配の両輪で、道内各都市の統治を急速に進めていた。


当初、防衛省はロシア軍の動きを「地域的な緊張の一環」として軽視した。

政府は会見を開き、官房長官が原稿を読み上げる。

「ロシアの軍事行動については、極めて遺憾。わが国としては、プーリン大統領との誤解を解くべく、外交ルートでしっかりと対話を行っていきたいと考えております」

その傍らで、広報官がSNS向けに「冷静な対応を」とするハッシュタグ付きメッセージを発信し、

文科省は「学校はできる限り通常通り運営を」と通達を出した。

時を同じくして、国会では首相が「国民の安全確保に万全を期す」と述べたものの、その発言の直後、地下シェルターに入る姿がテレビで映し出された。

防衛大臣は「自衛隊は、現地の状況をよく把握して行動するよう努めております」と歯切れの悪いコメントを繰り返すばかりだった。

政府は、国際会議の開催や非難決議の調整に奔走していたが、それが何かを変えるとは誰も本気で信じていなかった。


「まず冷静に状況を注視し、関係国と緊密に連携し……」


会見の言葉はいつも同じだった。

国民に届いたのは、「何もしていない」という事実だけだった。


命令系統は混乱を極め、自衛隊は独自判断での行動を禁止された。結果、北海道に展開していた陸上自衛隊は応戦する間もなく各個撃破され、司令部は早々に制圧。航空戦力は離陸前に滑走路ごと爆撃され、機能を失った。戦闘どころか、守ることすら叶わなかった。


アグリは、そんな崩壊の現場にいた。


旭川の陸上自衛隊第2師団に所属していた彼は、基地が制圧された瞬間、ただ、崩れ落ちる組織と、自分たちが守るはずだった市民が蹂躙されるのを、見ているだけだった。


アグリの母はアイヌの血を引いていた。雪山の山中にルーツを持ち、自然と共に生きる思想を教えてくれた。だからこそ、アグリにとって北海道は単なる故郷ではなかった。自らの存在の根幹だった。だからこそ、失われていくその光景に、彼は歯噛みした。


自衛隊は命令系統の崩壊とともに、実質的な解体状態に追い込まれた。多くの隊員が拘束、あるいは逃亡した。


アグリは生き残った仲間とともに山中へと潜伏した。彼らは住民の居なくなった小さな集落に身を寄せ、アジトとした。元自衛官、元警察官、地元の猟師、医師、教師、大学生。アグリの呼びかけに応じ、各地から仲間が集まり始めた。


「このまま黙って蹂躙されるのを待つわけにはいかない」


そう言って、アグリは組織を立ち上げた。

名を、「雪月花せつげつか」。


「冬の雪、春の月、夏の花──それぞれは静かで、儚く、美しい。だが、自然の摂理を乱せば、それは牙をむく。俺たちは静かな怒りだ」


アグリの演説は、雪月花の精神を象徴する言葉として記録された。


武器は乏しかった。元自衛隊員が持ち出した小火器、地元猟師の猟銃、解体された警察署から密かに奪取した拳銃、廃品から作り上げた即席爆弾。


その爆弾の設計を手がけたのが、シノハラだった。元陸自医官。傷の手当と同じ手際で、敵兵器を破壊するための即席装置を生み出す異能の医師。

「治すことと、壊すことは、意外と似ている」

冷静沈着に見えて、時に情熱を隠さない。アグリとは旧知の仲である。


通信・諜報を支えるのは、コムロ。かつて情報保全隊に属していた元曹長で、無線傍受、暗号解析、ジャミング妨害のエキスパートだ。

「“声”を奪えば、奴らの戦術は骨抜きになる」

無線周波数のわずかな揺らぎから、敵の行動意図を読み取る冷静な戦略家。山岳通信の知識では雪月花随一である。


雪月花の戦いは、正面からの戦争ではない。山中からの狙撃、通信施設への破壊工作、補給路の分断、スパイ行為。彼らは、ロシア軍にとっての「見えざる敵」として動き出した。


拠点は旭川近郊の山間部に存在する。アグリは拠点周辺にトラップを張り巡らし、数少ない物資を仲間に分配しながら、日々作戦を練った。規模は100人に満たないが、全員が同じ志を持っていた。


アグリ自身は指揮官でありながら、最前線にも姿を見せた。彼の存在が仲間を鼓舞した。優しさと厳しさを兼ね備えた彼の言葉に、人々は希望を見出した。


ロシア軍は北海道の大都市を占領し、次第に統治を進めていった。日本語の看板はロシア語に書き換えられ、教育機関ではロシア語教育が始まり、アイヌの文化すらも「修正対象」として扱われた。抗えば捕らえられ、なかには処刑される者もいた。


その支配が強まれば強まるほど、人々の心は逆に燃え上がっていった。


雪月花は、まだロシア軍にとって「小さな反乱分子」に過ぎなかった。だが、アグリは知っていた。


──これは始まりに過ぎない。


「俺たちはまだ、名も知られていない。でもな、奴らに知られる時が来る。その時は、恐怖と共にだ」


雪月花は動き出した。

雪に覆われた静寂の中で、確かに火が灯った。


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