テニスでしばき倒せ
達志とマルクス、一ゲーム先取で勝利が決まるこの試合。そのマッチポイント、これを取られればマルクスの勝ちという大事な局面での、マルクスのサーブ。
放たれた速球サーブは、一球目と違い狙い狂わず襲いかかる。それを打ち返すか、はたまた打ち逃すか……二つに一つ、運命の大一番。
……の、はずだった。だがそれは、コート内に侵入してきた何者かによって妨害される。
「……はっ……え?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。ボールは速かったが、目で追えてはいたのだ。ボールの到達地点を予測し、そこに先回り。
打ち返すための姿勢を取った達志の視界に……黒い物体が映った。
どこから飛び出してきたのか、ボールは見事にそれにぶつかった。ボールが直撃した黒い物体は、まるで犬のような鳴き声を上げてその場に倒れた。
「え、なに……? ど、動物……?」
我に返った達志は、倒れた黒い物体にゆっくりと視線を移す。
もしや、どこからか動物が迷い込んで、運悪く飛び出してきたタイミングでマルクスのサーブが直撃してしまったのだろうか。
だとしたら、無事か確認しないと。だから、達志はそのまま近づこうと足を踏み出して……
「近づくな! イサカイ!」
「へ……」
怒鳴るようなマルクスの声に肩を震わせた達志か足を止めたのと、黒い物体が動いたのは同時だった。
それは赤い瞳を達志に向け、倒れた体勢からバネを伸ばして踏み込み飛びかかっていく。
突然のことに何が起きたかわからない達志は、逃げるという選択肢すら浮かばないまま、黒い物体の餌食に……
「うらぁ!」
「ギャウ!」
なる直前、気合いの入った声がどこからか聞こえたかと思えば、次の瞬間には黒い物体か吹き飛んでいた。
そしてその場に残されたのは、黒い物体に直撃した反動で地面に落ち、ぼんぽんと跳ねている。
今のはまさか……と向こう側にいるマルクスを見る。すると彼は、サーブの時と同じようにボールを打った直後と同じポーズを取っている。
これはあれだ。向こう側にいるマルクスが、そこから打った球があの黒い物体に直撃したのか? しかも、直撃した勢いで黒い物体が吹っ飛んだのか?
「タツシ様ー! ご無事ですか!? 怪我は!? どこか痛くないですか!?」
呆然とする達志の下へ駆け寄ってくるのはリミだ。ぴょんぴょんと跳ね、その焦りを体で表現しているかのよう。
トサカゴリラに、達志がちょっと傷つけられただけであの事態だ。もしもまた達志の身に何かあったとしたら……ここは血の海に、いや氷の海になる。
「うん、大丈夫……ってか、あれ何?」
そもそも、大丈夫云々の前に、コート内に乱入してきた黒い物体の正体すらわかってないのだ。生き物、だろうかという程度の認識だ。
「あれは……魔物です」
倒れている黒い物体の正体。問いかけのようなその言葉に答えるリミの言葉を聞いて、達志はしばし沈黙。
だってそうだろう。試合中にいきなり乱入してきた生き物が、魔物だなんて言われても素直に受け入れられない。
が、少し前に魔物についての話をしていたせいか、そこまでの驚きはない。見た感じ、黒い体毛に覆われたオオカミといったところだろうか。
「なんで、魔物がこんなとこに……? 飼ってるわけじゃないんだよね?」
「飼いませんよ、あんな危険な生き物。少し前からちょくちょく現れてたんですが、ここ最近になって頻繁に現れますね」
「こわっ!」
魔物がここにいる理由はリミも知らないらしいが、最近だとよく現れるらしい。そうなのかもしれないが、そんな、近所の子供がよく遊びに来る感覚で言わなくても……
だからだろうか、リミの様子を見て納得した部分はある。魔物が頻繁に現れる世界なら、学校でのテロもたいしたことないんだろうか、と。
「にしても、たくましすぎない?」
誰一人、あの純真そうなエルフ少女であるシェルリアさえ、なんの反応もない。慣れた光景だとでも言わんばかりだ。
魔物という存在について深く理解したわけではないが、要は多分動物だろう。動物にテニスボールをぶつけ倒し、それをみんなが黙って見ている。何このとんでも状態。
「なあ、さすがにちょっとかわいそうじゃ……」
「あ! ダメです!」
コート内に侵入してきただけでこの仕打ちはあんまりではないか。そう思い近づく達志であったが、その背中に待ったがかかる。
しかしそんなに焦らなくても、魔物は倒れてるし危険はないだろう。平気平気とリミに笑いかけるが……
「ギシャアアアア!!」
「ぎゃあああああ!?」
再び魔物の方を向いたとき、魔物の口から何かが出ていた。舌にしては長すぎるそれはぐんぐん伸びていき、先端が口のようにかぱっと開かれる。
まるで、魔物のもう一つの顔のようだ。それは鋭い牙を見せ、達志に襲い掛かる。
「うらぁ!」
「ぎゃん!」
このまま噛まれる……そう覚悟し目を閉じたが、何やら切ない叫びが聞こえてきた。そのまま数秒経っても、痛みはない。
恐る恐る目を開けてみると、そこには地面に落ちたあの変な舌のような化け物がいた。ピクピクと痙攣しており、口と思われる場所からは涎であろうか、を垂らしている。
控えめに言って気持ち悪い。
「な、何これ……?」
「触手、ですね。魔物は体内に触手を飼ってる種もいるので、油断して近づいたらガブリですよ。指に噛まれて持っていかれた人もいるんですから」
「また触手かよちくしょう!」
マンガとかだと、単ににゅるにゅるしているだけの、男の子の妄想のお手伝いをしてくれるような存在のはずだが……実際に見たそれは、グロテスクこの上ない。
生きてるようだし、なんだか今とても嫌な事実話をされた気がする。深くは聞くまい。
それにしても、昼間のトサカゴリラといい……今日は触手に厄介な目にあわされる日である。なんだこれ、触手デーか!
「まったく、危険だとヴァタクシアが言っていただろう」
「マルちゃん……」
「誰がマルちゃんだ」
触手に対するイメージを大きく変えていたところへ近づいてきたのはマルクスだ。他の部員は、達志の心配をしたりグロッキー状態の魔物に近づき処分を話し合っている。
その動きは、もう確かに慣れているものだった。
「えっと、もしかしてあの魔物……いや触手、マルちゃんが……?」
さっき襲われそうなところを救ってくれた何か。それがなんなのかいまいちわからなかったが、近くに落ちているテニスボールを見てまさかと思った。だが……他には考えられない。
誰も駆け寄ってきていないのに、触手は吹っ飛んだ。それは遠距離から何かがぶつかったということで……それはなんらかの魔法の可能性もある。
だが直前に聞こえた声は、マルクスの声だったように思う。彼は魔法が使えないと、自分で言っていた。
それに……彼は現に、コート内に侵入した魔物を吹っ飛ばしている。だから、まさかまたテニスボールで、今度は狙いを触手に定めて……?
「ふん、テニスで魔物をしばき倒すことくらいできんと、副部長は務まらんさ」
「いやいやいやいや……」
さも当然のように語るマルクスだが……ちょっと何言ってるかわからない。
これ軟式用のソフトボールだし。そもそも当たったとして生き物があんなに吹っ飛ぶとか……あり得ない、とは言えないが。マルクスの超すごサーブを見てしまったわけだし。
だが、だとしても……
「いろいろ、頭の整理が追いつかねえ……」
気持ち痛くなる頭を、抱える達志であった。




