第27話 シャドウ
それは突然やってきた。
「マスター!生体反応、異常な速度で進行しています!すでに一階層三分の一を突破、このままだとあと数分で二階層へ到達します」
ぽんこの報告を聞いた瞬間、胸の奥がひやりとした。焦りが湧く。
けれど、思考は止まらない。
むしろ頭が冷えていく。
支配域マップを開く。
一階層の通路。
光る点が七つ、一直線にこちらへ迫っていた。曲がり角で減速しない、分岐で迷わない、段差にも躓かない。
「勇者か!?」
ぽんこが即座に否定する。
「いえ!モンスターです!数、七体」
予想外の返答に一瞬思考が止まる。
「野生のモンスター?」
「いえ。訓練された動きです」
「訓練?どういうことだ」
ぽんこが一瞬だけ言葉に詰まった。
「……説明は後です。とにかく、今は迎撃です!」
視界の端に小さなウィンドウが出る。
【ぽんこメモ】
【侵入者:シャドウ×7】
【シャドウ:機動力と回避特化、攻撃力もそれなり、防御力は低い】
俺は息を吐いて、命令を組み立てた。
迎撃。まず一階層で止める。
止まらなければ二階層で潰す。
三階層には、入れたくない。
スライムは総出。役には立たなくても、空間を埋めるだけで意味がある。
ゴブリンもとにかく数だ、今や三千体のゴブリン部隊、通路はゴブリンで埋め尽くす。
数で押して、少しでも速度を削る。
「総力戦だ、全員警戒態勢」
ぽんこが横で小さく頷く。
「総員警戒態勢!全員でかかってください!……ただマスター、シャドウに攻撃があたるかどうかは」
「当てる。数で」
言いながら、指先が少し震えているのが見えた。
一階層の半ば、通路の角から、影が這い出てくる。
七体。輪郭が揺れていて、はっきりしない。
人型に近い影が七つ、はっきりしない輪郭に対比するようにギョロリとした目が目立つ。
暗闇の中を駆けてくると、目だけが移動しているみたいに見える。
「グギャギャギャギャギャ!!」
アニの号令が通路に響き、ゴブリンたちが一斉に動きはじめる。
最前のゴブリンが棍棒を振り上げる。二列目が棍棒を投げる。三列目が押し込む。
ゴブリンの波が通路を埋めた。
しかし、影は止まらなかった。
シャドウが駆け、壁を蹴る。そのまま天井近くまで飛び、天井を蹴って角度を変える。
別の奴は正面から突っ込んでくる。
しかし棍棒の軌道から、すり抜けるみたいに抜けていく。
当たった。そう見えた一撃が、地面を叩く。
当たったと思った瞬間には、もう後ろにいる。
すれ違いざま、シャドウの爪が伸びた。
ひゅ、と黒い線が走る。ゴブリンの喉元、腹、膝裏。
倒れる、倒れる、倒れる。
数十体が、面白いくらい軽く崩れていく。
俺の視界の端で、通知が静かに重なっていく。
【ゴブリン死亡】
【ゴブリン死亡】
【ゴブリン死亡】
スライムが粘液を伸ばす。捕らえたように見えた影が、すぐにすり抜ける。
はじくでもなく、ただ通り過ぎる。
「だめか」
ぽんこが小声で答えた。
「回避特化です。防御は薄いですが、当たらない限り意味がありません」
七つの影はすぐに階段にたどり着く。
「一階層、突破されました!」
二階層に入っても速度は落ちない、俺の目の前にはゴブリン死亡の通知が積み上がる。
「……三階層に来るな」
「はい、このペースだとあと数分で三階層です」
焦りが胸に湧く。それでも視線はブレない。
「二階層、追撃継続。三階層、迎撃態勢」
三階層。
森の境界に、五つの影が侵入した。
あれだけゴブリン達をぶつけたのに、敵の数は二体しか減っていない。
こちらだけが削られた。
俺たちがいるのは森の中心、横にはシルヴァさんがいる。
いつも通り、ふわりとした笑顔。なのに眉だけ少し困っている。
「あらあら……困った子たちですね」
その声の柔らかさが、逆に落ち着かない。
「侵入者は五。速い……シルヴァさん、何か手はあるか?」
「はい。大丈夫ですよ、マスター」
直後。
森が、動いた。
根がうねる。蔦が木々の間を走る。樹が軋み、枝葉が揺れる。
シャドウが散開する。ここまでと同じ。
避ける。
抜ける。
角度を変える。
蔦を裂いて道を作り、根の突き上げをかわしていく。
シルヴァさんは、森を巧みに操って敵を追い詰めはじめる。
戦闘能力のないはずのシルヴァさんだが、ここまでできるとは。
しかし……
「……やっぱ速いな」
俺が呟くと、シルヴァさんがふんわり笑った。
「困りましたねぇ。足の速い子は、転んでくれないので」
次の瞬間、森の動きが変わった。
一本の蔦で追うのをやめた。
一本の根で突くのをやめた。
面で来た。
根が一斉に盛り上がり、地面そのものが波打つ。
蔦が木々の間に何重にも張られ、追う手が線じゃなく網になる。
枝葉が延びて視界を奪い、踏み場が消える。
シャドウが避ける。避ける。避ける。
でも、避け先がなくなる。
飽和。森全体が攻撃になっている。
「……は?」
「はー、シルヴァさん、すごいですねぇ」
ぽんこの呑気な声と対比するように、森は地面ごと轟音をたててうねる。
「おいおいおい、何だよこれ」
そして、最初の一体が絡め取られた。根が掴み、蔦が締め、枝が潰す。
黒い影が霧みたいに散って、消えた。
シャドウが次々、倒れていく。
シルヴァさんは困り顔のまま、優しく言った。
「だめですよ。悪い子は許しません」
声も口調もいつも通り、優しい声。でも、森は容赦しない。
あっけにとられていたが、六体目が潰れたところで、ようやく俺は気づく。
一体足りない。
どこだ、どこにいる。
「……外周だ」
視点を滑らせると、最後の一体がダンジョンの壁際をなぞるように走っていた。
木々の濃い部分を避け、端から抜けていく。
入り口が近い。
ぽんこが短く言った。
「止め――」
言い終わる前に、影は階段を上り、消えた。
「ゴブリン達で止められるか?」
「先ほどの様子を見る限り、難しいです!」
そして、見る間に敵はダンジョンの外へ消えていった。
「……逃したか」
出た声は思ったよりも低かった。
焦りはある、しかしそれよりは安堵の方が大きい。
ぽんこが、視界端に小窓を出し書き込む。
【結果:シャドウ6体撃退/1体逃走】
森の奥から、シルヴァさんが歩いてくる。
笑顔のまま、少しだけ困った顔。
「マスター、怖い顔になっていますよ?お茶でもいれましょうか」
「シルヴァさんって……有能すぎません?」
「シルヴァさん!すごかったです!」
「ぽんこ、お前は見習え」
「大丈夫です!今回マスターも割と役立たずでした!」
「ふふ。森のおかげですよ、私だけじゃ何もできません」
シルヴァさんのおかげで、辛くも敵は撃退できた。
しかし、何かが動きだしている、それだけは確実だった。




