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グリーン・モンスターの逆襲  作者: jin kawasaki


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侵略者の晩餐

奈良県吉野。深い霧が杉林の隙間を縫い、冷気が刃物のように肌を刺す。

一月の早朝、葛城かつらぎ れんは、凍てつく作業場に立っていた。白い息が吐き出されるたび、歴史の重みが染み付いた古い梁に吸い込まれていく。


ここ「葛城堂」は、江戸時代から続く葛粉問屋だ。蓮が守り続けているのは、厳冬期の冷水で何度も粉を晒す「吉野晒し」という過酷な製法。しかし、近年その伝統はかつてない窮地に立たされていた。


「……今年も、これっぽっちか」


蓮は手元の台帳を睨み、苦く呟いた。

原因は温暖化だ。葛の根(葛根)は、厳しい冬の寒さを経ることで良質な澱粉を蓄える。だが、暖冬が続いたせいで根の質が落ち、さらに山に入って巨大な根を掘り起こす「掘り子」の高齢化も進んでいる。一日に数十キロの土を掘り返し、時に重さ十キロを超える根を担ぎ出す重労働に耐えられる若者は、この吉野にもう蓮くらいしか残っていなかった。


「蓮さん、またそんな顔して。眉間にシワが寄ると、せっかくの男前が台無しですよ」


作業場の入り口から、近所に住む幼馴染で、老舗和菓子店「いろは堂」の娘・小春が顔を出した。彼女は手にスマートフォンを握りしめている。


「小春か。悪いが、今は冗談に付き合ってる暇はないんだ。今年の出荷量は、例年の三割減になりそうだ」

「それどころじゃないんです。これ、見てください。今、SNSで世界的にバズってる動画」


小春が差し出した画面には、どこか近未来的なラボのような施設が映し出されていた。

清潔な白衣を着たスタッフたちが、巨大な円筒形のタンクを操作している。そして、そのラインの先から吐き出されていたのは、眩いばかりの「白」だった。


『ボストン発、次世代のスーパーフード。かつて南部を覆い尽くした悪魔の植物が、今、アメリカを救う。』


テロップが英語で流れる。蓮は鼻で笑った。


「ボストンの葛? ……ああ、アメリカにクズが繁殖してるのは知ってる。十九世紀に日本が万博で持ち込んで以来、『東洋の侵略者』って嫌われてる厄介者の雑草だろ。あんな大味な土に生えた葛が、まともな粉になるはずがない。精々、増粘剤の代わりがいいところだ」


「それが……そうでもないみたいなんです。ニューヨーカーの間では、これまでの日本の葛粉とは次元が違うって大騒ぎで。ほら、このタグ。#KUDZU_Diamond」


「ダイアモンドだと?」


蓮は小春のスマホを奪い取るようにして凝視した。

動画では、シェフがその粉を水で溶き、加熱していた。

練り上げられたそれは、吉野の最高級品ですら到達し得ないほどの圧倒的な透明度を誇っていた。まるでクリスタルのような輝きを放ちながら、重力に逆らうような強靭な弾力を見せている。


「馬鹿な……。葛の精製には、不純物を取り除くための『時間』と『冷水』が不可欠だ。機械任せでこんな色が……」


その時、作業場の重い木扉が開き、一人の男が入ってきた。

スーツ姿の男は、葛城堂の暖簾をくぐると、恭しく一袋のパッケージを机に置いた。海外のサプリメントのような、洗練されたデザインのアルミ袋だ。


「葛城さん。貿易商社の者です。一度、これをお試しいただけませんか」


蓮は無言で袋を手に取った。

重みは五百グラムほど。封を切った瞬間、蓮は息を呑んだ。

漂ってきたのは、土臭さの欠片もない、無機質でいて清涼な香り。指先で粉に触れる。粒子は吉野の「晒し」で得られるものより遥かに細かく、シルクのような滑らかさだった。


「……これが、アメリカで作られたものだというのか」


「ええ。マサチューセッツ州にある最新のバイオプラントで、ナノ濾過技術を用いて精製された『KUDZU』です。彼らは本気ですよ。アメリカ全土に広がるクズを、彼らは『無限の金脈』と呼んでいます」


蓮は、自身のひび割れた指先を見た。

吉野の厳しい山に入り、泥にまみれて根を掘り、氷のような水で何度も指の感覚を失いながら晒してきた自分たちの「伝統」。

その全てが、海の向こうから来た、この一袋の「白い粉」に嘲笑われているような気がした。


「火を……火を入れさせろ」


蓮の声が震えていた。

彼は慌てて雪平鍋に水とサンプルを入れ、木べらを握った。

中火にかけ、練り始める。


通常、葛は加熱されるにつれ白濁から半透明へと変わっていく。だが、この粉は違った。熱が入った瞬間、液体は一気に「光」を孕んだのだ。鍋の中で踊る葛は、まるで生き物のように艶やかにのた打ち、強い粘りとともに、底が見えるほどの透明な塊へと変貌した。


「……なんてことだ」


蓮は、木べらを持ち上げた。

糸を引く葛は、吉野の冬の朝、一番綺麗な氷柱のように澄み渡っている。

一口、口に含む。

舌の上で弾けるような弾力。そして、一切の雑味がないまま、喉を滑り落ちる清涼感。


それは、蓮が一生をかけて追い求めていた「究極の透明」そのものだった。


「アメリカが、本気を出したっていうのか。……この、雑草に」


静まり返った作業場に、吉野の冷たい風が吹き込む。

蓮の足元には、先ほどまで「伝統」と信じて疑わなかった、灰白色を帯びた自前の葛粉が転がっていた。

百年以上の歴史を持つ老舗の静寂の中で、蓮はかつてない恐怖を感じていた。


黒船は、海からではなく、一袋の粉になって「食卓」から上陸しようとしていた。

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