第5話 未来の前借り
師匠に電話したら開口一番の罵倒。
せめてワンクッション欲しいものである。
「それは失礼しました。相変わらずお元気そうで何よりです。以前は重すぎてしんどいとおっしゃっていたのに新しいドールでも買ったのですか。」
93歳の老人にガールフレンドなどいてたまるか。
「羨ましいか?新型はいいぞ、軽くて。小さいし場所も取らん。今度貸してやろうかクソ童貞。」
ふぅ。
ツッコミが渋滞する。
ペドじじいの下の話など聞きたくも無い。
少しセンチな私には師匠との会話は時期尚早だったかもしれない。
「いやぁ、ご健勝で何よりです。全く壮健さが口調から漏れ出ていますよ。師匠にとって悪口は”松の屋のミソスープ”ですね。」
「ことわざなんてスカしやがってハナタレが。さっさと要件言えや。負けたんか?雑魚」
ふうと師匠が一息つく。
タバコでも吸っているのだろう。
「お恥ずかしながら、負けたわけじゃ無いんです。負けては無いのですが...」
再戦申し出から帰宅までのあらましを伝える。
場面の情景がありありと甦り、心を揺さぶる。
黙って聞いていた老人は、しばしの間をおいて重い口を開いた。
「未熟。 ――としか言えんわな。青い。思春期かお前は。」
未熟なのは知っている。
「思ってた距離より遠くて動揺した?格下相手に油断して、想定が甘かっただけだろ。馬鹿者め。」
そんな事も分かっている。
「知識も気概も力量も何もかも足りてねえが。何より敬愛。これが無いのが一番いけねえ。」
たった20年しか生きていないのだ。足りないものは多いと自覚している。
だからそれらを一切合切、覆い隠せる強さが欲しい。
足りないものを知るために師匠にすがるわけではない。
スゥーーと細く長いタバコの煙が見えた気がした。
「ピンと来てねえな。暇だから年寄りらしく説教垂れてやる。」
どっこいしょと、座りなおした気配に背筋が伸びる。
「毛も生えてないような青二才に、敬愛のケの字から説いてやら。」
「さあてまず一つ、お前は相手の胆力を敬った上で、力量を推し量ったか? そんなわけないだろうよ。 対峙できる時点でお前に勝つ算段を見出してきている。それをお前は格下だとナメ腐って唾棄した。相手への尊敬が無いクソ野郎。それがお前。」
…
「二つ、相手の意味不明な極挨の動向にちびった。相手が何考えてんのかなんてわかるかボケ。自分を神だとでも思ってるのか?再戦申し込んで来た次点で合理性を殴り捨てたぶっ飛んでる奴だってのは分かるだろ。合理だけで判断するのはAIにやらしておけ。人間は感情も使って動ける。だからおもしれえんじゃねえの。それが生き物ってもんだろうよ。なぁ?」
「生命への敬服が無いクソ野郎。はいこれでクソ二つ。」
……
「そんでクソ三つ目。間合いが微妙だったから迷ったなんてぬかしやがって。こぉれが一番腹が立つ。」
「自分の最適な間合いを定めたんだろう? だったら、ただ成せやハゲ。」
「無外神挨流の極挨はお前が一人で作ったんじゃねえ。 お前は俺から学んで練り上げた。 俺も師匠から学んで練ってきた。 その師匠もそのまた師匠もそうだ。 そうやって作り上げた技をお前は毎日毎日鍛錬を積んできたんだろう? なのにお前はその時、その技を信じきれなかった。」
「そりゃおまえ、先祖代々への、俺への、そんでお前自身への侮辱だぞ畜生が。 挨拶はただの虚勢なんてマセガキみてえな眠たいこと言ってんじゃあねえぞドアホ。たった一言の挨拶には、流派の歴史と、技の苦悩と、今までの自分がどっしりと、確かに質量としてのっかってる。そんな挨拶への敬愛が無いお前には特大巻き糞を進呈してやる。感想は。」
………。
咥え込んだ下唇が言葉を発することを許さない。
肩がわなわなと震える。
恥ずかしい。悔しい。申し訳ない。
もらった言葉を旨く嚥下できない。
それでも、たった今言われた敬愛。その一端でも示すべく、そして教えの感謝を示すためやっとのことで口を開く。
「ぁ、ありがとうございますっ。」
通話の向こうでゆっくりと息をはく音が聞こえた。
「この、お前がずっとくせえくせえって毛嫌いしてたこのタバコ。 ゴールドバットって言ってなあ、愛好家が細々と手作りしてる分しかなくなった紙タバコの中でも、一番クソって言われんだけどよお。 俺はこれが大好きなんだわ。 葉の茎やらも混ざってて燃える速度も味も不均一で基本的に不味い。 でも1箱にたった1,2本、奇跡みてえに旨いのがいてな。 世の中そんなんを好き好んで作っている奴がいるんだわ。 不人気だからどうせ採算取れてねえだろうよ。 それでもこの銘柄は300年以上続いてるんだとよ。大昔の文豪も吸ってたって話だ。 ちゃんと全部旨い銘柄もある。 もっと割のいい新しいものだってある。 だけどこの人間くせえタバコがどうしようもなく好きで、俺はこれをわざわざ苦労して手に入れてる。おもしれえだろ?」
いきなりタバコの話をされて、よく意図を理解できない。だが、なんとなく胸に温かみを感じた。
「なあ、末吉さんや。お前がお前の望むように行く先を変えたいなら、相手が何考えてようがどうでもいいと思わないか?」
「練り上げた極挨があれば、相手がどうしようとどうでも良くないか?」
「お前がお前を認めていれば、他の一切はどうでもよくないか?」
「お前は今の自分のすべてを信じてやれてるか?」
首の欠陥が切れそうなほど強く筋を張る。
呼吸は浅く。新しい空気を受け付けない。
「あとそれと。間合いを見誤らずに極挨を放ったことだけは認めてやる。よくやった。」
嗚咽が溢れる。
握ったこぶしから血が流れる。
何物にも曲げられない鋼でありたい。
一本の筋の通った刀でありたい。
自分は高潔な侍でありたい。
切に願う。
神になどではない。スサノオでもない。他ならぬ自分に。
そして迎えに行くのだ。妹を。家族を。
そのためならば立ちはだかる壁をすべて切り伏せる。
そう決めた。今決めた。
決めたならば、成す。それだけだ。
「師匠!ご高説、心より御礼申し上げます。」
音声通話だが深々とお辞儀する。
尊敬と敬服と敬愛の一切を乗せて。
空気に乗せられている?いいじゃないか。
勢いだけ?大いに結構。
物理に限らず、心の力学は、思いの重さと勢いの乗法。
やるぞ俺は。
視線は天井へ向かう。
「ああそうだ。そういえば、娘のやつが今度イーストウェークに行くことになったらしい。心底行きたいと思ってるお前より先に、別に行きたいわけでもない娘が行くとかバカウケだな。ガッハハハ。じゃあな雑魚。」即座に通話が切られる。
は?
唐突な混乱が渦巻く。
性悪じじいのいたずらじみた発言への憤怒。
私の希望へ不用意にリードした義妹への嫉妬。
雰囲気ぶち壊しの喪失感。
決意の強い感情をかき乱して胸焼けしそうだ。
胃からせりあがる本物の嗚咽が喉元に達しそう。
大きく深呼吸して、精神の安定化に注力する。
無理だ。
「よしッ、飯だっ!」
抑えきれない感情を無理やりに押さえつけて意識をそらす。
フグ卵巣の糠漬けが届いているのを忘れていた。
入手に苦節3年を要したこの不可解な食べ物をどれだけ心待ちにしていたことか。
いまだ残る心の乱舞を白飯の質量で押しこめる。
決めた。ならば成す。それのみ。
感銘を受けた教えがあらぬ方向に向いている気がするが止めはしない。
すべては腹を満たしてから。
研いだコメを土鍋に浸している間に漬けた梅を動かす。
わずかに青さを残した表面はまだ張りを残していて、空威張りしているように見える。
なんだか再戦前を思い出す。
刻んだ赤紫蘇を塩でもんでを重ねれば、黒い灰汁が浮かび、周囲の梅酢が赤く染まる。
コメを炊いて、味噌汁を注ぎ、届いていた卵巣の糠漬けを薄く切って添える。
胸のざわめきはいまだに奥底でぐつぐつと煮立っている。
味噌汁を口に含み、舌の雑味を上書きしようと口いっぱいに白米を頬張れば、不思議と目頭が赤く熱を持つ。
思わず目を瞑ると、タバコを飲む剛月丹師範が瞼の裏にありありと姿を表し、先ほどの言葉を反芻する。
くそ。くそ、くそくそくクソくソクソ、クソッ。糞がっっ!
腹の奥底から私への憎悪が湧き上がってくる。
ッペブッゴッッ!!
箸を握った拳が、コメをため込んだ右頬を打ち抜いていた。
噴出した粘性のコメは、胡坐を描いた脹脛に一点の空白を作る。
脳は光彩をちらつかせ、租借は止まる。
視線はただ真直ぐにズボンの白点を見つめた。
立ち合い前に電岡を一度でも心から恐れただろうか?
電岡の可能性を信じただろうか?
電岡が…
電岡に…
電岡は…
電岡をこれまでに一度でも敬っただろうか??
答えは明白。
目尻は下がり呼吸が喉奥でキュッと強く引き上がる。
ただの一度も電岡を尊んだことなどない。
高慢。これほど私に似合う言葉はない。
見つけた父の足跡を追うため高等選抜主席を殴り捨てて、イーストウェークの裁量権を握っているホンオフェスタ不動産に就職したが、納東亜重工でも通用する実力を有していると、高等選抜学校の卒業から4年たった今でも自惚れている。
自信がある。
これ自体は悪いことでは無い。むしろ歓迎されるべきだ。
事実、私は人一倍励んできた。
家族が失踪し、剛月丹師匠の家に引き取られた5歳の頃から明確な目的を持って技を磨いてきた。
そうだ。私は強い。強くないなんて許されない。
ただ、その思い込みが相手に敬意を払えなった原因だと、頭の片隅で主張してくる。
前の立ち合いでの圧勝も相まって、自分と電岡との立ち位置に大きな高低差を作っている。
遥かに高い位置から見下ろせば、相手の姿形も表情も何も見えない。
それでは相手を尊ぶなんて、できやしない。
だが自身への信頼も大事であるとそう師匠は言っていたではないか。
自分を敬い、高く見積れば、相対的に相手を見下す。
どうしようもない矛盾を生んでいる。
どうしろというのだ。
思わず歯を食いしばれば、咀嚼を中断していた白米から異様な甘さを感じる。
四方八方に棘を突き出した心を優しく包むように。
突拍子もなく、飛び込んできた生体化学に驚いた。
なんだか無性に笑えてくる。
可笑しい。
鼻から空気が断続的に抜けてゆく。
唾液の分解酵素ででんぷんが分解された事くらい知っている。
先ほどまで、自分でも説明できない良くない感情で満たされたはずなのに、なんで笑っているのだろう。
それが余計に面白い。
人が笑うのはいつだろう。
真面目な顔をした人間がコケた時。
素っ頓狂な返答が来た時。
苦いはずの薬がちょっとおいしかった時。
いずれも予想していないタイミング、場所で、予想していない事が起こったという意外性を感じたとき。
笑いが止まらない。
真剣勝負で見せた電岡の無邪気な笑顔に。
師匠の高説に光明が見えたと思った矢先に現れた矛盾に。
快勝を確信していたのに、苦戦を強いられた立ち合いに。
そして、
こんなことに笑ってしまう自分自身に。
思えば電岡も立ち合いの場で笑っていた。
嘲笑、冷笑、嘲笑うのとは違う。
満月のような笑顔。
あれは心の底からにじみ出たものにしか感じられなかった。
人が意外性に笑うのならば、彼の笑顔は何から生まれたのか。
意味不明な再戦を私が受けたから?
私が電岡の極挨に驚いたことか?
それとも、再び会った私が、予想より弱そうだった?
どれもあり得る。でも違う。確信できる。
あれは”期待”。
理想の未来を思い描き、今か今かと訪れるのを待つ。
まだ得ていないはずの望みの喜びを前借りした表情。
分かる。なぜなら今朝の私も卵巣の糠漬けに期待して、同じ類の表情を浮かべていたから。
電岡が何を期待していたかなんて考えても分からない。
ただ彼は再戦に不の感情では無く、なにか希望を見出していたことに他ならない。
そして成したのだ。
期待に手を伸ばし、得た。
商談中にニッコニコでハンバーガーを頼むなど、目的をすでに完遂していたことを表している。
おかしい。
勝ち。それだけが仕事の成果。
勝つことにこだわらなければいけないこの世界で彼は負けることを期待していたのか。
イカれてる。
何なんだあの男は。
今更ながらに畏怖した。
味噌汁は、すでにぬるい。
一つ言えることは、電岡は負けることを恐れない。
目的を達するためにはなんでもできる豪傑さを持っている。
強い男。
今確かに感じた。彼への尊敬。
立ち合いで不意に引きずり下ろされ、対等に近い立場にたったからこそはっきり見える。
対等に近いじゃあ無い。対等なのだ。
肺は瞬間的に空気を引き込み、一気に気管支が冷える。
電流が走った気がした。
対等。そう、対等なのだ。
極挨の力量を絶対的な指標として相手を推し量っていた。
だが何も尺度はそれだけではない。
師匠が言っていたことが喉を流れ落ちる。
電岡は私が持てない考えを持ち、できない事ができた。
きっと経験も技術も心の在り方もそう。
それぞれに優劣はあっても違うものがある。それが重要なのだろう。
そして、極挨は一つの指標でしかない。
挨拶は、これまでの人生すべてを技前とした果し合い。
たとえ極挨が貧弱であろうと、姿勢が不純であろうと、方法が意味不明であっても。
若さゆえの純朴、老獪。長身の圧力、低身長の身のこなし。
それは表裏一体で武器にも弱点にもなる。
うまく使えばなんだって、己より優れた面を相手は必ず持っていると言える。
そしてたった一点でも優位を譲っているならば、上だ下だの言える立場ではなかった。
過去に戦った誰しもが、勝敗を決するまで対等であったのだろう。
今までがそうであったなら、これからも。
そして、これから立ち会う格上の相手も。
いかような相手であっても、決して手が届かないことなど無い。
抱えていた千差万別の感情が水泡のようにはじけていく気がした。
胸のつかえが取れた今。満を持して卵巣を食む。
柔らかくもさっくりとした舌触りは、嚙み締めると小さな粒がふつふつと弾ける感覚に変わる。
糠の匂いが豪快に鼻を抜け、魚卵の旨味がねっとりと重く舌を撫で、舌の根元の端っこにじんわりと締め付け感を残して流れていく。
本物の魚の毒を持った部位を漬物にするという人類の狂気の産物。
美味しいと聞いたが、期待通りに旨い。
人が笑うのはもう一つ。
望みが成就したとき。
にんまりと口角が上がる。
叶った望みは次の希望を求める。
望む未来はなんだ?
……まずは2日後、大艦榴鯛 課長補佐をブッた斬る。
期待をするときはどんな表情がいいんだったか?
何か忘れているような気がするがどうせ些細なこと。
描いた未来を前借りして、上唇を押し上げれば、満月のような笑みが浮かんだ。
これにて電岡戦幕引き。
長々とすみませんでした。
謎に感情解析に走っため、重苦しい文章になってしまいましたが本来やりたかったのは、
巨大ドイツ人科学者が走って向かってきた!
先んじて「こんにちはッ!」と言って渾身の挨拶をする。
だが見上げた瞬間。「なぁにぃッ!?」
「マァァルツゥゥゥアアアアイイイ!!」ドイツ人が特大の熱々白ソーセージをぶん投げてきた。
っていうのを淡々とって感じなので以後そっち寄りにしていきたいです。できれば。
話を編むのは難しいですね。はい。
というわけで次回、女の子登場!ご期待ください。
かしこ




