第4話 光芒は気まぐれに
映画やVRで悪魔が笑っているのはなぜなのだろう。
悪魔は恐怖の象徴。
だったら怖い顔してた方がいいはず。
眉間には底の見えない深々とした皺を刻み
原罪の重みに下げられた瞼は、光を宿した目を覆う。
下弦を残した鋭利な瞳は、映るものに突き刺さる。
噛み締めた顎が隆起して、広角は地へ向かう。
圧倒的な暴力を連想させる。
そんな顔。
それと真逆とも言える表情。
こちらのルールも行動も意思も関係ない。
無慈悲な優越。
いかようにもできる。どうしてやろうか。
相手の末路を想像し、期待に胸を躍らせる超越者の表情。
対峙する者には予想もつかない。
ただ良くない未来だけを予感する。
そして、不理解は未来への不信に変わり恐怖となって残る。
二人はそれぞれの笑みを携え、向かい合う。
放った奥義への反応、まだ見ぬ技の高み。
期待を子供のような無邪気な笑みに昇華させた電岡は、刹那も見逃すまいと瞬きを封じた。
ここへ来るまでに何度も想像した錦山の反応。
意にも解さないまっすぐなまなざし。
それとも、怪訝に表すアシンメトリーの眉。
あるいは、朝笑いふと上る眉間。
こうかもしれない。違う、こう。
月陰狼哮を受けて驚愕のあまり横一線の口元と間抜けな鼻孔。
なすすべなく絶望に染まりだらしなく落ちてゆく下顎。
そんな都合のいいことも脳内に再現した。
錦山、百面相。
そのどれをも自分は知っている。
もはや愛おしささえ感じる彼の顔。
奥義を受けた最初の変化は目だった。
大きく見開かれた。
知っている。それは驚き。
想定していた中で最も多く。何より望んでいた反応。
一矢報いた。そう思った。
喜びが中心から広がろうとしている。
だが、実直に礼を続ける小脳が何か違和感を告げている。
わずかな時間差で全身でもってその違和感を理解することとなった。
いや、正確には理解を拒んだ。
錦山の口角が吊り上がった。
後頭部から電流が脊髄を伝い、地絡する。
ピリピリとわずかな痺れが全身に根を伸ばす。
暖かさを内包した胸が1点に収縮したかと思えば、床が、足が、肩が凍りつく。
寒い。
思い出したかのように膝が震えだす。
子供の頃に流行ったIT聡明期の古いホラー動画がフラッシュバックした。
白い肌に大きな四白眼、細く半円を描く口元からは整列した歯が垣間見える。
「こんなの何が怖いの」そう馬鹿にしていた。初等学生の自分。
今更はっきりと理解した。
心の奥底に恐怖は確実に刻み込まれていたのだと。
氷の世界。
体も、照明も、太陽すらも凍り付いた。
そんな中を一歩、また一歩と恐怖は距離を縮めてくる。
そして。
「コッツパァーンッ!!!!」
すべてがカクつくこの世界で唯一、64bitで動く彼の長い脚は唐突に踵を打ち鳴らした。
指先はおろか700の連なる筋肉、たった一つの表情筋も動かせない。
怖い。
許してくれ。
なんでもする。
許しをこう。安い言葉が胸の内を席巻した。
続く動作を受け入れる心の重心移動が整わないのを気にも止めない悪魔は腰を折る。
この先に待つ悲惨な未来をただ見開いた目で見守ることしかできない。
「どうも。」
一変した柔らかなほほ笑みが、甘やかに心臓をとかして。
暖かさが凍えた根を伝って全身へ広がってゆく。
曇天の雲の隙間から暖かな光が降りた。
湧き上がる冷気をさわやかな春風が吹き飛ばす。
想像した最悪の未来はもう来ない。確信した。
氷河期の終わり。
飢饉は去り、豊かが芽生え。
鳥は戻り、虫は栄えてバク中する。
農奴は背に2枚の羽を広げる
オオムラサキの軽い翼は闇を孕んだ色を残して自由を享受した。
衣服という重圧を脱ぎ棄て、蝶々おっさんは光る鱗粉をまき散らし、天高く舞い上がる。
なん、それ。
極大の緊張からの解放から生まれたのは、シナプスの爆発。
感情のジェットコースターは予測のインフレーションを起こしてビックバンに帰結した。
円柱状の時間をキャンディ状に引き伸ばして、空想は指数的に放射した。
震える眼球は何とか現実を留めて、続く動作を観察する。
時間は狂い、同期しようとした心は混沌を極めている。
奥底で続く言葉に期待している。
何を?
「こんにちは」
引き延ばされた時空の中、ニシキヤマが至極ふつうな言葉を告げる。
現れたのは大鷹の巨人。
興奮が横隔膜を押し上げる。
すでに自分の命運は分かっている。
どこまで無慈悲に。どれほど無残に。
迎える未来の壮絶さを知りたいという欲求が血流を加速させる。
首から上が腫れあがったように熱い。
鷹の礼影はまっすぐにこちらを見定め、段平を握る両腕を天高く掲げる。
祈る。ただひたすらに。
どうか。どうか教えてください。
技の高みを。
自分の稚拙さを。
錦山の頭蓋が降りてくる。
一寸のブレも無く。ただ真直ぐに。
同じくして礼影は刃を振り下ろす。
嗚呼、なんと。なんと美しいのだろうか。
涙は溜まり、視界をゆがめる。
歪んだ世界の中であっても振り下ろされる段平は光芒を失わない。
天からの光がその垂直さを失わないように。
狼の礼影を両断し、自分の正中線を抵抗も無く、割る。
喜びが駆け巡り、細胞は一堂に喝采した。
ありがとうございます。
神はいたのだ。ずっと見守ってくださった。
割られたはずの胸が、ぬくもりで膨れ上がる。
そんな気がした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
何だったんだあの男は。
挨拶は終わり商談に入れば前回と同じ資料。
しかも説明は、かなり端折っていた。
あろうことか商談中に自分のAIコンシェルジュにハンバーガーの注文をしてやがる。
何がしたかったのか、理解できない。
おまけに最後、乙女のような紅潮した顔で
「よければ個人的な連絡ら気を教えてください。」ときた。
意味不明。
桃色遊戯にでも誘うつもりか?
私はストレート。公開IDにも明記されている。
電岡もそのはずだ。事前に見た。
理解不能。
はぁ。
異様に疲れた。
帰路に就く彼の浮足立った姿はスキップでも始めそうだった。
それとは対照的に自責の念がずっしりと心に座り込む。
今回の勝利は揺るがない。
それでも出鼻をくじかれ、ひどく動揺したことは事実。
はっきり言って、なんで電岡は負けを認めたのか分からない。
だが認めよう。
彼の極挨は卓越した技だった。タイミングも気迫もすべて練り上げられた産物。
思わず引きつった。不味いと思った。
師範に言ったらなんといわれるだろう。
胃は重く、何も食べる気がしない。
とてもハンバーガーなんて食べられる気分じゃない。
彼の豪胆さは異常だ。認識を改める必要がある。
できればもう会いたくない。
一刻も早く帰りたい。そう思って特急飛行タクシーに乗った。
じっとりと汗をかいているはずの梅の様子が見たい。
ワイヤーグラスを外して眉間をつまむ。
窓の外の景色を見れば、すべてを飲み込む黒の街並みと透き通る青が上下で二分する。
ビルも、道も、室外機さえ、新型の光合成塗料で塗られ、陰のように輪郭だけを残している。
AR機能を通さない街並みは、陰鬱でつまらない。
10年前は真緑だったのにと意識をそらす。
煌びやかな風景の下で人知れず葉緑型塗料を侵食して、真っ黒な空虚に染め上げていたらしい。
ワイヤーグラスをかけてARを有効にすれば、空には飛行船が、特大の空中広告、ネオン看板、道路が光りだす。
幻想が空っぽの街を覆う。
ビル壁面で舞妓がサプリメントの掲げる広告を眺めていると、タクシーが歩行する巨人を模したARに突っ込んだ。
衝撃は無いが、ぴくりと身構えてしまった。
虚勢で彩られた街に自身を重ねた。
大昔の偉人のように別に何かを成したわけでもなく、特別何ができるわけでも無い。
空っぽだ。
極挨において自分がそれなりに強い自覚はある。
そう思えるだけの修行を重ねてきた。
ただそれがなんになる。
ただ元気に挨拶できるだけの男。それだけだ。
礼影があろうがただの虚勢。
今でこそ、極挨の強さを可視化している礼影だが、もともとはウケ狙いのARエフェクトであったらしい。
第一次企業大戦直後、軍用技術として確立したアイインプラントが一般にも普及し、誰もが何らかのデバイスでARオブジェクトを常に見る事が当たり前になった時代。
とあるおっさんが、挨拶する時に「デェェェエエン!!」と頭上に文字エフェクトを表示させたのが始まりと言われている。
印象に残るようより派手に、より盛大に、と増長していつしか広告まで含むようになった。
挙げ句の果てにホラーゲーム会社の広告エフェクトでPTSDを発症する事例が発生。しだいに自粛し、使用しないことがビジネスマナーになった歴史がある。
再び日の目を見たのは第2次企業大戦中終盤。
調停の場での非暴力での威圧として、強制的に相手の脊髄インプラントを通して視覚野へイメージを顕現させる技術が確立される。
管理AIは精神的症例を発症させた過去がありながらも、実害は無いとして次第にポリシーや派閥を主張するツールとして用いられ、礼影として挨拶の場で普及した。
礼影とは幻想。
私の大鷹もただの虚勢の体現でしかない。
ただ、あの狼には恐怖を覚えた。
そしてあの場での満月のような無邪気な笑顔には人間が欲求の塊であることを思い出させ、邪気な笑顔には人間が欲求の塊であることを思い出させ、心胆を寒からしめた。
このまま課長補佐に臨むのは万全とは言えない。
考え事をしていれば自宅についていた。
なんと言われようと師匠に今日の出来事を話して、助言を願おう。
そう言いつつ、梅干しを確認する。
浸透圧に抵抗しようと身から出た梅酢に浸る姿は、しぼんで皺ができていても、どこか満足そうに見える。
どうにもいたたまれず、永外師匠に電話する。
応答はすぐに。
「くそボケが。人が女を抱いているときに電話するとかどういう了見だ。あぁん?」
更新に間が開いてすみません。
週1で更新できるように努めます。
社会人では天日干し管理が難しく梅干しを作れないのがつらいところですね。昨年雨でやられたので今年はおとなしく梅酒をつけたいと思っています。




