第3話 好奇心は止められない
一度たりとも臆して極挨を放てなかったことは無かった。
ホンオフェスタ不動産の帰り道。社有車の自動操縦に揺られながらハニークアトロチーズバーガーをほおばりながら電岡は昔のことを考えていた。
今さっきの惨劇のことを考えていたら涙が出てきそうだった。だって男の子だもん。
公共の場で泣いてはいけない。
でも堪える。
泣いていいのはレモンを持っているときだけ。
愛すべき遠吠流の掟。涙の理由を果汁のせいにするため。
過去には納東亜重工本社へ持ち込みをしたこともある。
第3子会社の社員にも勝ったことがある。
当然同格企業にも勝ってきた。負けたことも多いが、不発で終わるなどあり得なかった。
今日対峙したホンオフェスタ不動産の錦山末吉という男を思い出すと熱いものがこみ上げてくる。
「なんなんだアイツは。」
目頭を強くつまんで上を向く
いけない。今はレモンを持っていないのだ。
視線を戻せば、少し潰れてしまったハンバーガー。
負けた時は必ずこれを食べる。
4種のチーズがこれでもかと挟まれ、重厚な香りを車内に充満させる。
ハニーマスタードのソースはチーズの臭みをマスタードの刺激が丸め込んで優しいはちみつの甘さが味蕾を撫でる。
美味い。
でも二口目にいけない。
もともとは一番好きな食べ物だった。
だから自分への慰めとして負けたらいつも食べていた。
いつしか、なんでもない日にこのバーガーを食べなくなっていた。
今となっては敗北の味。
一口でたくさん。
溶けたチーズとソースが滴る。
腿の一点にじんわりと温かさが染み込む。
手もチーズの脂と粘度の高いソースで汚れて気持ちが悪い。
そんなことより、脳みそは勝手に要因分析を開始していた。
どうして負けたのだろうか。
きっと、極挨を放てなかったからだ。
どうして極挨を放てなかったのだろうか。
きっと、錦山の挨拶を見たあとでは見劣りして、自分はおろか流派までも恥をかくと思ったからだ。
どうして恥ずかしいと思いたくないのか。
きっと、自分の価値が貶められるからだ。
どうして自分の価値を下げたくないのか。
決まっている。贅沢できない。
眺めのいい家に住みたい。美味いものを食べたい。優先的に医療を受けたい。デカい風呂に入りたい。
望んだ時に望んだことができるようになりたい。
夢がある。いつか本物の肉を食べる。
やれ倫理だ、衛生だ、リスクだ何のかんので人類は肉食をやめた。
そしてよくわからないタンパク質をよくわからない加工を施してチキンミートとかフィッシュミートとしてありがたがっている。
誰も本物のチキンやビーフの味など知らないのに。
今、人間の価値には貢献ポイントという絶対的な指標がある。
ポイントさえあればなんでもできる。そう、なんでも。
ポイントを得るには何が何でも勝つことが必要。アリにだって分かる。
恥をかいて価値が下がる?いいや、負けたところでポイントは下がらない。
だったら、少しでも勝利に近づけるように渾身の挨拶をするべきだった。
問答を繰り返していたら、家についた。
ハンバーガーは冷めきって、チーズが今にも垂れそうな形で固まっている。
ぼんやりと自分の中でも、今回の反省が形を成したように思える。
ハンバーガーを口に押し込み部屋に入る。
捨てるなんてもったいないことはしない。
ソファベッドに横になり、アイインプラントをAR無効モードに切り替える。
最近、お気に入りだった無限に続く天の川銀河の天井レイアウトが一変して、無骨なコンクリートの面が見える。
急な閉塞感。天井が迫ってくるような気がしてくる。
腕で目を覆い、思考を再開する。
挨拶すべきだった。それは理解できる。
けれども、極挨を浴びせたところで勝てただろうか。
いや、勝てない。断言できる。
なぜ、勝てないのか。
格が違うから?挨拶の切れがいいから?背が高いから?
どれも違う気がする。
極挨を放った自分を想像して、対比させる。
今回のように相手が部屋で待っている場合、空嚥系は後手に回るのが定石。
待っている側は、一番得意な間合いで待ち構えている。距離はすでに詰まっている。
であれば豪傑さを見せつけるため相手の極挨を受けきり、余裕を見せるかのように一泊おいてから大きく息を吸いこんで、一歩踏み込み咆哮する。
これは空嚥系の基本の型の一つ。
至近圧殺などと呼ばれる場合もある。
今回の敗北は、受けきれなかったことにある。
後出しの至近圧殺を考えても無意味。
そもそも錦山という男の流派は何だったのだろう。
あの卓越した一連の動作の繋がり。
流れるような美しい所作で有名な弓流系だろうか。
いや違う。あの時の距離は3m程度。弓流系の舞のような美しさが最も映える距離はもっと遠い。
それなら、あの礼の鋭さ。
緩急のついた動作で急所をつく鋭薙系だろうか。
これも違う。錦山の挨拶の重厚さは以前立ち会った鋭薙系の比ではない。
答えは明確。居合系。
最も傲慢で、最も理想に近いと評される流派。
会得は空嚥系と比べものにならないほど難しく、実戦向きとは言えない。ゆえに人数は少ない。
届かぬ理想に手を伸ばす。狂人向け流派。これが世間一般の認識。
生まれて初めて居合系の使い手と立ち会った。
客観的に考えればその驚きも、反撃できなかった理由の一つだろう。
居合系流派の弱点。いなし方。最適な切り返し。想定しようとしてもいまいちイメージできない。
はっきり言ってサンプル数が少なすぎる。
今回は負けを認めるとしても、再び居合系に会った時の方策くらいは準備しなければ。
負けっぱなしは、夢のリアルミートが遠のいてゆく。
分からないなら経験を増やそう。
至極単純な帰結。
n増しをして弱点を探ろう。
錦山に会うのはひどく恐ろしい。
だが失うものは無い。
理知的に考えろ。
居合系に出会えたのは幸運だったと思い込め。
再戦だ。それしかない。
それに。
ナメられたままでは終われない。
たとえ再び負けようと。
最善を尽くして負けたい。
錦山は極挨を披露しなかった自分を侮っている。
自分がその立場なら絶対にべろべろのレロレロにナメ腐る。
現に商談中の態度はすでに話が終わっているような素振りで、ちょっとムカついた。
企業の格が上なら普通かもしれないが、伊佐ジャンクテクノとホンオフェスタ不動産は同格のはず。
増長させる理由を与えたと思うと自分に腹が立つ。
思い立ったが吉日。錦山末吉に再戦の果たし状を送りつける。
パーソナルAIコンシェルジュが予定を調整したのは明後日。
当日までに作戦を練り上げる。
方向が決まればあとは進むのみ。
やっちゃうぞ。コラ。
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正面から錦山の首元に噛み跡を残す。そう一昨日決意した。
影のように真っ黒な詰襟。
忌まわしき高等学校の勝負服。
チーズのシミでやむなく引っ張り出した。
当時度重なる悔恨の念が染み込んだ服は5年たった今でもまったくキツさを感じない。
この戦いに連れて行けと言っている気さえする。
ホックを閉めれば、苦楽を共にした戦友が背中を押してくれる。
冷や水を浴びた闘志が燃え上がった。
たとえ負けようとも、侮られた電岡無右衛門の名を錦山の強者フォルダにぶち込んでやる。
奇襲で運よく勝利したとしてもそんな白星に意味はない。
なので再戦当日、少し遅れて会議室へ向かった。
ビル入口の錦山向けの案内はすでに消えている。すでに相手は到着しているようだ。
錦山はインビテーションを受けて何を考えただろうか。
あの、かっちり73野郎が狼狽を想像すると笑みが浮かんでくる。
胸が軽くなる気がした。
ニシキヤマ。何を思う?
侮った相手。敗北を突きつけた相手からの突然の再戦申し出。
面倒だと思うか?愚かな行動だと嘲るか?
それとも恐怖か?
あとたった十数分もすればすべてを理解できるだろう。
楽しみだ。ああ楽しみだ。
勝利を目指さない今、勝負とは、こんなにも自由だったとは思いもしなかった。
狭いスコープ。互いに急所を探して覗き込む。いままではそれが普通だと思っていた。
勝利から目を離して回りを見渡してみれば壁も天井も無く、羽の生えた体はどこからでも相手を観察できる。
どんな表情を見せる?ニシキヤマ。
控室に入った自分の右手は、待ちきれないとドアノブを離さなかった。
「ふふっ」
ニューロキャストが1分前を告げたとき、自分の顔は一体どんな表情をしていただろう。
肺へ空気を詰め込んで、ドアを開け、錦山を捕捉する。
引き締めた顔をまっすぐに怨敵に向ける。
12m。
最低ノルマは3つ。
1、前回とは違う状況での極挨を引き出す。
2、後手の居合系の動向を確認する。
3、証明する。自分の価値を。
願わくば4、足腰立たなくなるまで錦山を打ちのめし、この場で切腹させる。
それはさすがに冗談だが。冗談ではない。
気概はノルマ4を遂行すべく身構える。
ノルマ1は、すでに中立のレンタルオフィスへ場を移したことで達成している。
前回とは違うどちらかの待機型ではない真向勝負。
会議室へ向かう花道でのタイマン。これこそ居合系の本領を発揮する場のはずだ。
お前の最高打点を見せてくれ。
ノルマ2、これは攻略を練る中で生まれた必須確認事項。
最適な間で、適切なベクトルで、相手を先んじて切り伏せる。それが居合系。
であるならば、後手に回った場合はどうするのだろうか。
先手を取れなかった時点で負けを認めてその場で腹を切るなんてことは無いはずだ。
必ず切り返しの技を持っているはず。
それをつまびらかにしないことには、居合系の解析など片腹痛し。なんちゃって。
解析はともかく、前回は自分が後手に回ったことで敗北した。
また強烈な極挨が先んじてきたら、前回と同じ状況になってしまうかもしれない。
それに。
自分は常々、自分を客観的に観察するよう努めている。
傍観を決め込む第三視座の私からすれば、あいてよりも低身長な空嚥系であれば距離を限界まで詰めるはず。
そう予測することを予測する。
分かっているならば対処する。
未来を垣間見るごとき英知を与えられたホモサピエンス。
であれば、コンマ1でも可能性を上げるために可能性を潰しこむ。それは自分も錦山も同じこと。
錦山は自分が距離を詰めて最大の火力を至近距離で撃ち込むと考える。
ノコノコと居合の間合いに入った瞬間、渾身の一撃を放つ。定石通りであればそのはずだ。
これでは意味がない。後手に回った。これが前回の敗北条件の筆頭なのだから。
なので条件を変える。
間合いに入る前に先制する。
9m
空嚥系は一様に音圧を武器としている。
近い程その威力は増す。だから近距離特化と思われがちだ。
先の敗北を見れば明らかなように立ち合いは先手有利。
声がデカいということは、それだけ遠くへ響かせることもできる。
しかし早まれば、空嚥系の大きく息を吸う予備動作は放つまでの間に先手を取られる場合もある。
遠吠流にはこれらを解決する奥義がある。
名を――月陰狼哮。
月下の狼は、息をひそめて飛び掛かる。
予備動作なしの中距離砲撃。
息を大きく吸わないが強力な極挨を放つ。
この矛盾を解決したのは、実に馬鹿げた手段。
息を吸わなければいい。
声を発する直前に息を吸わない。
向かう途中で徐々に肺に空気をためる。これも胸が膨らんでゆく様子で悟られるからダメ。
答えは簡単。向き合う前に空気をため込んでおく。
あまりにも安直。阿呆の所業。
だがこれこそ自分が愛する遠吠流。
愛嬌ともとれる稚拙な教えが愛おしい。
8m。
わずかに息が苦しくなってきた。
気道の圧力を飲み込み、胸を張る。
まだ早い。
月陰狼哮と言えど、近いほどに強い。
3m。それが錦山の間合い。分かっている。
即座に反撃を試みて大きく踏み込んできても4m。それがお前の限界射程。
反撃するにはいささか遠い。そこを狙う。
すでに弓流系であれば打ち込める距離。
好奇心が全身を粟立てる。
表皮を冷たい感覚が走り、思わずにやけてしまいそうだ。
耐えろ。あと一歩。
まだいける。
7m。
緊張が脊髄を圧縮する錯覚。
ふと。
錦山は空気を含んだ。
奥ゆかしく居座っていた彼の凛々しい顎がわずかに上を向く。
予備動作か?居合系は知らないことが多い。
それとも引き締めか?格下の自分を踏みつぶそうと。
いいや、どうでもいい。
ここだ。
今この瞬間がベスト。そう直感した。
横隔の激烈な収縮が締め付けた気道を決壊させる。
溢れだした空気はその身に強烈な波をまとって口蓋へぶち当たり、逃走する。
「「「どッうもッ。こッんにちはッ」」」
勢いを載せて、いつもより腰を折る。
目線は外さない。
すべてを見せろ。ニシキヤマ。
想定していたか?狼狽えるか?
どんな反応を見せる?
表情は?姿勢は?
空嚥系低身長の自分を見る相手の嘲りなど百も承知。
意外だろう?そうだろう。
気持ちが悪いか?当然だ。
対してお前はどう行動する?
お前の底をさらけ出せ。ニシキヤマ。
期待は興奮へ変わり。
大頬骨筋が強く収縮する。
どうだ怖いか?ニシキヤマ。
唾液で濡れた犬歯が根元まで晒され、風を感じる。
追い風。
そう確信した。
引っ張ってしまいごめんなさい。
電岡を考えていたら思いのほか筆が乗ってしまったので、ここで区切ります。
さっさと次回で課長補佐戦に移行したいと思います。




