第2話 ナメられたらそこで人生終了ですよ。
「伊佐ジャンクテクノのデンオカだと⁉」
思わず声に出してしまった。
ニューロキャストを叩き起こし、今日の商談ログを引きずり出す。
だが確認するまでもない。
あの男だ。あの場で、互いに“破断”を確かに刻んだはずの相手だ。
形式上は「持ち帰る」と言った。
メッセージもまだ送っていない。
だが、そんなものは関係ない。
挨拶で決裂した事実は、双方のメモリに焼き付いている。
それでもなお、再戦を挑むというのか。
何を考えている。
スサノオが私に選択を迫っている?
いや、あり得ない。
あの戦略AIは、ここまで非生産的な囲い込みはしない。
では独断なのか。あり得ないだろ。
だがそうとしか思えない。
断られた案件に再挑戦するなど、二歳児でもやらない愚行だ。
送られてきたインビテーションは、どう見ても“果たし状”だった。
挑まれた以上、受けねばならない。
流派の掟でも、社会倫理でも、逃げることは許されない。
そして何より
ナメられるわけにはいかない。
社会奉仕と雑務はすべてAIが行い、通貨が消え、道楽のためだけに貢献ポイントを稼ぐこの時代。
個人の価値は何で決まるのか。
400年前は暴力。
300年前は金と血筋。
200年前は実績と崇拝。
だが今、それらはすべてメガコーポの手の中だ。
残るのはただ一つ。
本能的な畏怖。
逃げる者は臆病者。
弱虫の烙印はログに残り、死んでも消えない。
暇を持て余した無関係な自由市民がそのログを眺め、嘲笑し、拡散する。
そうなれば、商談相手は二度とこちらにひれ伏したりしない。
逃げれば、全人類にナメられ続ける。
我が無外神挨流では、背広の襟元に“うつけ”と刺繍する風習がある。
戦いに背を向けた者は、この刺繍を相手に晒し、破門され、二度と流派の挨拶を行えない。
そんな自戒を示す印。
今回の再戦を申し込んできた電岡を、私は正直ナメている。
特筆すべき特徴もない、ごく一般的な挨拶。
どこに負ける要素があるというのか。
だが、そんな男が私と同格企業に勤務している以上、実力はあるのだろう。
前回の勝利で得た優越感は、精神的余裕として再戦でも大きなアドバンテージになる。
それでもなお挑んでくるのだから、何か策を用意しているのだろう。
自信は揺らがない。
しかし、もし大艦課長補佐との闘いの前に黒星がつけば、イーストウェークベースへの道が遠のくことは明確。
明日は予定を変更して電岡の再調査をしたほうがいい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
貢献ポイントを消費した個人情報アクセスの特権で今日調べたことを少し整理する。
デンオカ・ムウエモン(電岡 無右衛門)
ナットウア重工第8子会社 伊佐ジャンクテクノ
IC製造事業部 資材調達部 ルテニウム精製課
身長1763mm、体重78kg、22歳
流派:空嚥系極挨・遠吠流
目的:基盤配線用ルテニウムの精錬プラントをイーストウェークベースに建設
空嚥系。
私は空嚥系が大嫌いだ。
やつらは「挨拶は大声でやればいい」と本気で思っている節がある。
確かに威圧は効果的だ。動物でもやる。
だが、野蛮だ。距離も考えず声量で押し切るなど、スマートさの欠片もない。
それでも修練の効果が出るのが早く、日本で最も普及している系統。
遭遇率も高い。対空嚥系用の耳栓も普及しているくらいだ。
前回、電岡は流派の挨拶を行わなかった。
今回は確実に撃ってくる。
大艦課長補佐も空嚥系。練習試合としてもってこいだ。
明日は夕方にフグの卵巣漬けが届く。
予定は14時から都内のレンタル商談室。
さっさと終わらせて早く帰れることを願う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
起床後は走り込みと素振りと決めている。
外を30分ほどあてもなく走り、帰れば姿見の前で100回挨拶を繰り返す。
味噌汁と白飯を温め、ニュースを脳内メモリに流し込みながら食べる。
最後に沢庵一枚で茶碗の米粒をすべて拭い取る。
昔は米粒を残すと師範に吊り下げられたものだ。
体罰は脊椎インプラントのリミッターで制限されているが、抜け道はいくらでもある。
高所訓練の省令で決まっている安全帯を口実に紐を括り付け、ウィンチで巻き上げる。
無外神挨流師範、剛月丹 永外はこれを常套手段としていた。
庭の大松には電動ウィンチがついており、近所では“永外ハンガー”と呼ばれていた。
暴力を隠そうともしなかったのに一度も通報されなかった理由は、今でも謎だ。
今日の午前中は南高梅の下処理をしてしまう。
梅干しは大好物だが、はちみつ漬けや梅酢漬けを“梅干し”と呼ぶのを私は認めない。
昔の製法は食品衛生法により譲渡を禁止されているため、自分で作るしかない。
干した梅の表面に輝く塩の結晶の美しさを知る人間が、この時代にどれほどいるだろうか。
出来上がりが実に楽しみだ。
楽しい時間は過ぎ、出立の時刻が迫る。
昼食は一汁一菜。白米は減らして一合。眠気は敵だ。
熱いシャワーを浴び、髪をジェルで撫でつけ、ジャケットを羽織る。
無人タクシーを呼べば即座に配車される。
向かうのは池袋のムスリム街付近のビル。
車内では課長補佐との会合準備を進めているが、胸を高鳴らせているのは今日の商談だ。
相手が何を思って、何を仕掛けてくるかわからない不安なのか、同格との立ち合いへの武者震いなのか。自分でもわからない。
気づけば目的地に着いていた。
ここからは戦場。
タクシーのドアを開けた瞬間からどこで敵とエンカウントするかわからない。
相手の顔は割れている。慎重に索敵しながら控室へ向かう必要がある。
こういった対面の商談での挨拶タイミングは主に4パターンある。
1つ、応接室で相手を待つ
主に相手を自社管轄の部屋に呼ぶときが多い。
2つ、 応接室で相手が待っている
これは1つ目の逆。
3つ、 廊下で遭遇
基本的にどこでも会議室には部屋の両サイドに控室が作られており、予定時刻のぴったり1分前に控室を出て、会議室へ向かうのがマナーである。
なので控室から出て中心にある会議室の扉に入るまでの廊下で挨拶することになる。
極挨の花形である。
4つ、 ビル入口・エレベーター前等での奇襲
これは控室へ向かう相手への奇襲に近い戦法である。あまりマナーのいいものではない。
相手によっては虚を突いて優位に立てるが、狡猾で真向勝負できないやつだと蔑まれる場合もある。
今回は3だ。
だが、一度負けている以上、奇襲の可能性もある。
無外神挨流は間合いが命。不意打ちは不得手だ。
警戒して足が自然と速まる。
控室のドアについて油断はできない。
ビル入り口の控室案内を入れ替えられ、逆に待ち伏せされたこともある。
格下ほど奇策に走るが、それ自体が冷笑を誘うことに気が付かないのだろうか。
何事もなく入室。予定時刻の30分前。
持ち込んだ玉露を湯飲みに注ぎ、ニューロキャストとワイヤーグラスの機能を最低限にして、座禅を組む。
アナログ時計の音。
遠くの車の音。
空調のわずかな風。
心臓の脈。
廊下の足音。
電岡だ。
重く、広く、速い。
極挨の修練を実直に積んだ者の足音。
時刻は10分前。
道中で私と遭遇しないよう、時間をずらしたのだろう。
脈が速まるのが聞こえる。
少し緊張しているのかもしれない。
ワイヤーグラスが振動し、2分前を告げる。
冷めた玉露を飲み干し、ドアノブに手をかける。
1分30秒前。
肺の空気を吐き切り、新鮮な空気を大きく吸いこむ。
深い呼吸を徐々に通常へ戻す。
最後に限界まで口を開き、声なき咆哮。自分を奮い立たせる。
ワイヤーグラスが再び振動する。
一息にドアノブを下げ、扉を押し開く。
廊下の向こうの相手を見てはならない。
情報を求めて相手を伺う姿勢は弱者のそれ。優雅さに欠ける。
体を反転し、ゆっくり扉を閉める。
90度回転。
ここでようやく電岡を視界に捉える。
真っ黒な詰襟。
まるで葬式だ。
私を屠る意思表示か、自戒か。
はっきりとは見えない表情からはその意図が読めない。
歩き始める。
早すぎても遅すぎてもいけない。
廊下は目測12m。
会議室の扉に同時に着くよう、速度を合わせる。
すでに10mを切った。
私の最適間合いは3m。
礼を最も美しく映せる距離。
空嚥系極挨は大抵2m以下。
声量の圧力は近いほど強い。
9m。
決して私の目から視線を離さず、大きく胸を張った姿勢は少し重心を後ろへずらしている。
8m。
小柄な者ほど近距離を好む。
自身を大きく屈強に見せられるからだ。
オオアリクイの威嚇と笑う者もいるが、実際効果は高い。
7m。
明瞭になった彼の顔には並々ならぬ決意が浮き出ている。
気を引き締めんと丹田に力を入れる。
速度は変わっていないはずだが、縮まる距離は遅くなってゆくような錯覚を覚える。
あと数mがもどかしい。
緊張が出口を求めて体中を暴れ回る。
抑え込もうとわずかに体をそらし息を吸い、肺に圧力をかける。
その瞬間。
「「「どッうもッ。こッんにちはッ」」」
空気が破裂した。
視線がわずかに上へ滑り、息を吸い込んだ刹那、この一撃。
踏み込みも予備動作もない。
完全な不意打ち。
低身長、空嚥系。
必ず接近戦だと決めつけていた。
読み違えた。
20°折れた腰の奥から、ニホンオオカミの礼影が噴き上がる。
大口を開け絶叫する礼影は、艶やかな牙を唾液でぬらぬらと光らせる。
鮮血色の歯茎は噛みつかれた自分の姿を連想させる。
多重の皺を寄せた眉間の両側にはまっすぐにこちらを映す月色の瞳。
6m。
思わず目を見開き、息を呑む。
電岡はこの死地に似合わない、満面の笑みを浮かべている。
気持ちが悪い。本当に。
だが歩みは止められない。
驚きを気取られてはいけない。
5m。
返礼しなければ挨拶もできない無礼者。
しかし、焦りを悟られてもいけない。速度は変えられない。
即座に礼を返すか?いや、あと少しで間合いなのだ。
遠い。
近い。
嫌な距離だ。
苦悩が笑みを引きつらせる。
4m。
優雅に。
そして速く。
汗が輪郭を伝う。
不味い。本当に不味い。
たった1mが、たった1歩が、永遠に感じられる。




