第24話 脱兎は結局巣穴に向かう
「どうした、行くぞ。」
大艦に声を掛けられるまで、少し呆然としてしまった。
何が何だか状況がつかめず、フリーズに近い状態だった。
ただ大艦が会議室の扉を開いたということは、慣例に従って大鑑が敗北を認めたということに他ならない。
どうにも腑に落ちないが、いそいそと扉をくぐった。
扉の前で腕を組んでいた課長はこちらに一瞥もくれずニコニコと大艦を見ていた。
この結果が不服なのかどうなのか、その表情からはうかがい知れないが何か一言くらいあってもいいのではないだろうか。
大艦が遅れて入ってきても課長はまた何も言わず、扉から向かって奥の説明者席へと足早に歩いて行った。
自分の席は最前列の中央に用意されていて、隣に大艦がどっしりと座った。
会議室にはホンオフェスタ不動産のフローグランド事業部の面々はもちろんのこと、財務や他事業部。それに関連する協力会社の担当者も一堂に会している。
かなりの人数がいるおかげで経営陣と席が離れているのは幸いだった。
説明中に横から何のかんの話しかけられて応対しなくてはならないのは避けられる。
大艦も破壊した扉のことでチクチク言われないで済むのだから幾分気が楽だろう。
ニューロキャストのグループ音声配信が開始され、ナム課長の声が流れ込んできた。
「えーと。いろいろと類を見ない立ち合いではございましたが、ご覧の通り大艦が降参を表明しましたので、これをもってこの度のイーストウェークベースの増築工事における主任は錦山を任命いたします。錦山、前へ。」
極挨とは違ってこれは完全に友好を示すための挨拶だ。
下手に気張ってはいけないが、少し緊張してしまう。どうにも大衆の前に出るのは好きではない。
「えー。イーストウェーク拡張工事のコンペ主任を拝命いたしました。錦山末吉と申します。この度はこのような社運に関わる重大案件を任せて頂くということで、感無量であるとともに身の引き締まる思いです。若輩者ゆえ、いろいろと至らぬことがあるかと思いますが、誠心誠意努めてまいりますので、なにとぞご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。手短ではありますがこれにて挨拶とさせていただきます。」
無難。それだけを意識した挨拶だが、大丈夫だっただろうか。つまらない奴だなんて悪印象を与えていないだろうか。
だからといって、他にしゃべることもないのだからしょうがない。
立ち合いの興奮をそのままにしゃべれば、「仕事なんぞ適当に済ませ、私は悲願である家族の捜索に尽力します。」なんて口を滑らせそうだった。
「先ほどの極挨でわかる通り、錦山は課のエースですのでどうぞ皆様方に可愛がって頂ければと思います。さて。早速ですが錦山の挨拶でいくつか訂正がございます。本日はそちらの詳細をご説明をさせて頂ければと存じます。」
なんだそれ。
何か間違ったのだろうか。あんな短い挨拶で間違えようなんて無かったはずだ。
「まず工事内容に関してですが、海上面積の拡張としておりましたが近海で重大な治安問題が発生し、工期短縮が必要となりました。それに伴い、”海面部の拡張”ではなく上に階層を追加する”増築”に変更いたしました。詳しい施工内容の変更と至った経緯に関してはデータをお送りしますのでご確認ください。」
ん?どういうことだ?
それでは、計画が丸ごとひっくり返ってしまう。
そんな重要なことを事前に連絡してこなかったくせに、エースと持ち上げたうえで俺のミスというように話すのは、人が悪いのではないだろうか。
課長の性格の悪さは今に始まったことではないので置いておくとして、送られたデータには短縮された工期概算と変更点の詳細が記されていた。
どうやら変更に至るまでに裏でどんなことがあったのか説明する気はないらしい。
課長の隣に並んだ事業部長も怪訝な顔をしていることから、経営陣も良く分かっていないのかもしれない。
「そしてもう一つ。錦山は”コンペ主任”ではなく”主任”とさせていただきます。工期短縮によりご参加いただく企業の選定を事前に告知しておりましたコンペで行えない可能性がございます。その場合は再設計の前にコンペは行わず、出来上がった土地の割譲という形になることをご理解ください。そのようになにぶん決まっていないことも多く、本プロジェクトには多岐にわたる裁量を必要としますので、ひいては錦山を再設計から誘致、施工、クローズの判断まで課長である私と同等の権限を持つ”全統括主任”とさせていただく次第でございます。」
「へ?」
思わず変な声が出た。
急な変更で手一杯なのは理解できるが、それでもあまりに横暴ではないか。
本来ならどれもこれも課長の責務で、俺はあくまでその一端の誘致企業選定を請け負うはずだった。
それなのに昇格させるわけでもなく権限だけを与えて後はよろしくなんて、ぶん投げという可愛らしい言葉で片づけられることじゃない。
権利には当然の顔をして責任がくっ付いてくる。
この女はそれを丸ごと押し付けてとんずらこく腹積もりなのだ。
この発言は大衆の面前で意気揚々と職務放棄を宣言しているに等しい。
どれだけ面の皮が厚いのだろうか。
バカバカしい。嫌だ。やりたくない。
これでは多忙で捜索に当てる時間がとれないではないか。
「ここまでで何かご質問は」
出来ることなら「辞退は可能でしょうか」と言ってやりたいが、それではイーストウェークベースに行けなくなってしまう。
それに今更断ることなんてできない。
なぜなら、あの女は拝命した”コンペ主任”という役柄をあくまで俺の言い間違いとして処理してしまった。主任を拝命したことに変わりはなく、今やめると言えば「おセンチになっちゃったから逃げた小物」と評され、社会人として生きてゆくのは難しくなるだろう。
「新羅陸重機の松村と申します。質問よろしいでしょうか。」
「どうぞ。」
「弊社は工事に際して御社副社長の仙萩様より内内定を頂いておりましたが、白紙撤回は無いと考えてもよろしいでしょうか。」
普通そういうことはこういった場で言うべきではないと思うが、確かに彼らにとって死活問題であるから恥を承知で聞くしかないのだろう。可愛そうに、俺ほどではないが。
「内容の変更は当然ながら後々お話しさせていただきますが、既に結んだ契約に関しては現状はそのままとさせていただきたく存じます。」
協力会社の面々も、並ぶ経営陣にもいくらがホッとした空気が立ち込める。
だが、課長の言葉には続きがあった。
「しかしながら、内々定のような正式に書面を交わしていない事柄については、この限りといたしません。つきましては、主任である錦山の判断のもと後日改めてご契約頂ければ幸いです。」
突如、突き刺すような視線が俺に集中し、背中がカーっと熱くなる。
説明者の列に並んだ経営陣すら俺を睨みつけてくる。
この場の誰もが、俺をいかに懐柔するか虎視眈々と狙っている。
クソッタレ。
あの女はどこまで性悪なのだ。
もともとの計画であっても詳細な工事プランが出ていなかった現時点において、正式に交わしている契約など基礎工事関連を除けば皆無に等しい。
押し寄せる出展希望の企業をコンペを行うということでヘイトを分散し沈静化していたのに、これではすべて俺に向かってきてしまう。
同僚の中には既に推薦する企業を決めてしまっている者もいる。
最悪の場合、企業だけでなく同僚までもが仲良くおてて繋いで、俺に立ち向かってくることになる。
叫びたい。
頭を搔きむしりながら転げまわって、手あたり次第椅子を蹴っ飛ばしてやりたい。
けれども今俺にできるのは、すまし顔で座っていることだ。
脇と尻がびっしょりと濡れて冷たくなってきた。
もしや大艦は知っていたのであるまいな。
こうなると分かっていて、面倒至極だと無茶苦茶して負けたのだろうか。
もしそうなら、さぞかし愉快だろう。
なんて思って横を見てみるが、当の本人は呆然と遠く前を見るばかりで完全に意識が抜け落ちていた。
敗北の余韻なのか、説明も露光に耳に入っていないようで、何やら悶々と考えているようであった。
拍子抜けしてしまい目が泳いでしまったが、ついでに周りを盗み見てみると、大鑑の奥に俺を見ていない人間がいた。
礼節を重んじるべき説明会の場で退屈そうな表情を浮かべ、何やらボリボリと菓子をむさぼっている青年。
立ち合いの合間にも目に入った彼だが、落とした菓子とは別にまだ持っていたらしい。
黒く鈍い光沢のある人糞を思わせる形状の菓子を、忙しそうに口へ運んでいる。
おそらく黒糖かりんとうだと思われるが、気になるのはそこではない。
彼が関連企業列の最前列にいるということだ。
この不遜な態度と座席の位置から、相当な格上企業なのだと推測できる。
そしてプロジェクトの大幅変更にたじろぐ様子もないことから、事前に何か知っていた可能性がある。
何者なんだ。
ニューロキャストで検索をかけてみると、彼は馬締 佐武鹿。所属はいずみ組だった。
基礎工事のすべてを依頼しているいずみ組ならば、コンペの有無なんて気にならないのは当然だ。
しかし、基礎工事の部分までもが大幅に変更になるというのには、多少なりとも説明を聞く気を持つのが普通だと思うのだが、なんなんだコイツ。
見たところ俺よりも若く新社会人といったところなのに、似つかわしくないふてぶてしい態度に困惑してしまう。
彼がいずみ組の担当者なのだとしたら、説明であったように基礎工事の再設計を行うにあたり、頻繁に接触することになるかもしれない。
正直、かなり嫌だ。
第一印象が最悪だ。仕事のイロハも碌に分かっておらず、話が順調に進むとは思えない。それにこの手の手合いは、仕事ができないくせに、事あるごとに上位企業の風を吹かせて面倒なことを言い出すに決まっている。
きっと学生時代の成功体験をまだ引きずっているパターンだ。
俺もどちらかと言えば、その部類だと自覚があるから同類の匂いには敏感なのだ。
大艦も課長もいずみ組も、寄ってたかって俺をいじめているのではなかろうか。
いまだ続く熱視線でヒリつく会議室の中で手が上がった。
「茨木雨生浄水の出弐武治です。質問いいですか。」
少しホッとする。この中で質問を投げるとはすばらしい勇気だ。称賛したい。
ぜひ、思い切って空気を変えてくれ。自分への注目が吹き飛ぶようなものを頼みたい。
課長の許諾を得た出弐武治さんが俺の希望を一身に乗せて質問をする。
「工期短縮の旨は承知いたしましたが、近海での重大な治安問題とはどのような事案でしょうか?我々としても工事にあたり安全リスクを考慮して動かなければいけないので、お聞かせ願いたく。」
「まず、その件については目下調査中であるため、詳細をお伝えできないことをお詫び申し上げます。なにせ事件が起きたのがつい3日前の事ですのでどうかご了承ください。現段階でお伝えできる内容としましては、イーストウェークベース付近にコロニーをつくっているナチュラルと呼ばれる戦争難民が、貨物船を襲撃する海賊行為を行ったとのことです。幸いすぐに討伐されましたが、再び同様の事件が発生する可能性が非常に高いと予測が出ております。」
出弐武治さんはうんうんと頷いてはいるが、おかしくはないか?
「付近とは言いましても、イーストウェークベースは該当のコロニーとは1000km以上離れております。また、無人攻撃機や迎撃設備が配備されていますので工事の遂行に支障をきたすことは無いと判断しております。しかしながら安全リスクがある以上、工期の短縮という形を取らせていただく運びとなりました。ご納得いただけましたか?」
「ええ、ありがとうございます。」
全くもって納得できやしない。明らかにおかしい。
ナチュラルの存在は一般的に知られていないから出弐武治さんや他の海上基地担当の面々が納得するのは分かるが、この課に属する人間は、貨物船の襲撃が日常茶飯事だなんてみんな知っている。
納東亜重工の軍事区画がありながら、海賊ごときで工事が変更になるなんてありえない。
なのにそれを引っ張り出してきて安全リスクとのたまうのは、隠し事があるというのが見え見えすぎる。
「他に質問は?」
挙手は無く、沈黙だけがあった。
振り返ってみると、課の同僚たちも怪訝な顔をしているが質問する気は無いらしい。
彼らはイーストウェークへ出向かないし、他人事と思っているのかもしれない。
「無いようですので、先ほどお送りした資料について改めて詳しく説明してまいります。最後に質疑応答を設けますので、ご質問があればその際にお願いいたします。」
先ほど配られたデータについて今一度口頭による説明が続いた。
陳腐な予想CGやら、なぜか広大な海の魅力や特産の紹介まで行い、予定時刻がもう間もなくと言ったところで「ご質問は?」と再度課長が問うたが、誰も質問することは無かった。
「では最後に錦山より、終わりのご挨拶をさせていただきます。」
いっそ「こんな大役は事前に聞いていた内容とはまるで違い、私には分不相応でございます。それに安全リクはいつもの事なので、変更を余儀なくされるほどの危険がどのようであったのか後日詳らかにいたします。」なんて、ぶちまけてやれたらどんなにスッキリするだろう。
破滅を望む悪魔が心の端から顔を出しているが、自分は大人で社会人であるという誇りが一応はある。
あるのだが…
悪魔は拒絶を見通していたように、天啓とも終えるような閃きを授けた。授かってしまった。
「えー。皆様本日はご足労頂き誠にありがとうございました。何かと変更が多く私自身も混乱しておりますが、一歩一歩着実にこなして必ずやこのプロジェクトを完遂させる所存であります。皆様方には何卒私と共にご尽力頂ければこれほど心強いことはございません。私がこの任を無事終えた時、皆様と作った輝く海を皆様と共に眺め、達成感を分かち合えたらこれほど素晴らしいことはございません。」
心臓がバクンバクンとうるさい。
これから行う行動は、きっと全方面からお叱りを受けることになるだろう。
それでもこれが最善なのだ。
「皆様がご心配している出展選定や追加情報は逐次、迅速に展開いたしますのでどうぞしばしのご辛抱を頂きたく。先駆といたしまして、私はこれより情報の収集および基礎設計に至る現状把握にいそしむゆえ。」
やるしかない。そうする他にもあまたと道はあるが、どれもこれも穴だらけでとても行けそうにない。
行くぞ。末吉。
「これにて御前、失礼つかまつりまする!!!」
走った。
ただ走った。
会議室を大きく回って、扉を突き飛ばし、エレベーターを遠隔で呼び出した。
大艦との立ち合いに逆行する道をひたすら逃げた。
会議の透明な壁越しに見る皆は、どれも今にも目玉が零れ落ちてしまいそうなほど見開いている。
同僚も、関連企業の連中も、課長も、経営も誰もかれもが俺を見ている。
驚きに掌握された感情は、俺が駆け抜け終える頃にはきっと軽蔑に変わるだろう。
しかし、こうするほかないのだ。
説明会後は、関連企業や経営陣との歓談に移るのが世の常。
コンペを頼りにしていた連中が自分に殺到するのは目に見えている。
好機と息を吹き返し、ハイエナのように食いついてくる輩も必ず現れる。
今。俺は裸なのだ。
何も有益な情報を持たず、この短時間で会議室を掌握できるほどの考えもない。
あれよあれよと、人の波に揉まれに揉まれ、ふと口を滑らせたらどうなる?
万が一、思いもよらぬ発言を揚げ足にとられたらどうする。
味方のような顔をして近付く同僚が、既に決めた推薦企業をごり押ししてくるかもしれない。
社長が職権を振りかざして融通を強要してくるかもしれない。
あの場にいた上位企業が、更に幅を効かせようと俺を取り囲むかもしれない。
もはやこの状況で、誰が味方で誰が敵なのか判断することすら俺には出来ない。
だったら逃げるしかない。逃げるしかないのだ。クソッタレ。
たとえ、逃げたと罵られようと最終的にプロジェクトが体裁を保てれば良いのだ。
むしろそれこそ寛容。
それならば、今の俺があそこに留まっていてはプロジェクトの終わりが遠のくことは疑いようが無い。
エレベーターに飛び乗り、踵が小刻みに鳴らす音よりはるかに遅い階数表示を何度も読み返す。
入口の階への扉が開くと、そこには大衆が押し寄せていた。
説明会へ入れなかった者達。
参加を希望する企業の有象無象が、いち早く説明を聞きつけ既に集まっていたのだ。
走って逃げるつもりだったが、難しいことは焦っていても理解できた。
ポイントなど気にする暇も無いと、躊躇なくジェットタクシーを呼び寄せる。
「私は!」「我こそは!!」「ごんっに!!」「どぅおうも!!!!」
一歩出ると、我先にと極挨を放ってくる。TPOなんてへったくれもない。
人様の玄関なんて気にも留めず、礼影のエフェクトが入り乱れる。
「ドォォッッッケェェェッッッ!!!!」
礼儀も何もかも忘れて、怒号を発した。
ジェットタクシーのピックアップまで20秒と表示されれば、すぐさま100m先の地点を指定した。
足にはそれなりの自信があった。
この魑魅魍魎共の中を駆け抜ける。
隙間を縫ってジグザグと。
途中「錦山様〜」とつい最近聞いたたような声もしたが、振り返ることは無い。
逃げると決めたならば、ただ成すのみ。
烏合の衆を抜けるとタクシーが降りてくるのが見えた。
すぐさま乗り込み、自宅へと向かう。
この動乱がすぐに止むとは到底思えなかった。
柔らかい座席のソファはどこまでも沈み込んでゆき、大艦との立ち合い出の疲れをどっと思い出させた。
ぐんぐん上がるタクシーの加速が体に重圧をかけてくるが、何かに包まれているようで安心感を与えてくれた。
ふいに大艦の抱擁が頭をよぎる。
あれは何だったのだろう。極挨を中断しての突然の出来事。
どうにかして後日聞いてみようと思った。
なんとか冷やかしと思われないように、礼を尽くして聞くのだ。
それにプロジェクトへの協力も取り付けられれば最高だ。
家に着くと、想像以上に疲弊していたようで、すぐに眠ってしまった。
通知がうるさいニューロキャストはすぐに通信を遮断した。
起きた時にはもう明後日だった。
別に最終的にプロジェクトを完遂させれば良いのだから、一日仕事をしないことくらいどうということは無い。
しかし、本社ビルがどうなっているのかいささか興味があった。
わざわざ出社する必要もなければ、義務も無いが午前中の内にオフィスへ向かった。
入り口にはまだ何人かがたむろしていたが、無視してオフィスに入る。
誰もいなかった。
いつもは気にしないはずのメンバー表をふと見てみると、大艦榴鯛の名は消えていた。




