第1話 俺をエースと呼ばせてやる
この男も哀れなものだ。
錦山末吉は応接間のソファにもたれ、片手の湯飲みを啜った。
この商談は戦略AIのお遊びでしかない。
人間をソフビ人形のようにぶつけ合い、戦わせているだけだ。
傀儡同士、話が弾むこともあるだろうが、敵として対面した以上、負けは許されない。
今日も玉露が美味い。今年こそ初物を買い付けに行こう――そんな現実逃避に走りそうな頭を、ソファの反発を使って前傾姿勢に戻し、向かいの男が差し出した資料に目を向ける。ふりをする。
このところ商談に訪れる者は1次関数のように増えており、課内の人間総出で対応に奔走している。
商談といっても、入札コンペへの参加権を得るための企画持ち込み営業だ。
すべては、日本とハワイの中間に位置するウェーク島――そこから東に五百キロ、〈大陸に見放された海〉と呼ばれる海域に浮かぶ人工島、イーストウェークベースの拡張工事計画が承認されたことに端を発する。
イーストウェークベースの海底には、第一次企業大戦以前から貴重な資源が埋蔵されていることが知られていた。
だが、開発コストと運営リスクを鑑み、メガコーポの戦略AIは採掘を保留していた。
その拡張案が再燃した。
一枚噛みたいと、連日人が押し寄せてくる。
なぜ今なのかは知らないし、知ろうとも思わない。
AIに聞けば理由はすぐに出てくるが、それは“結論に至る一本の道筋”でしかない。
その裏にある膨大な情報と分岐を理解しなければ、未来予測にも応用にもならない。ゆえにそんなものに意味はない。
最良の選択は、性根の腐ったAIが下す。必要な情報は事前に通達される。
今日の相手も、納東亜重工の戦略AIに指示を受けて来たのだろう。
そして私も、同じAIからこの商談の“勝利条件”を明示されている。
私が勝とうと相手が勝とうと、AIにとっては関係がない。
やることはすでに決まっていて、誰がやるかが違うだけ。
人間の向上心と闘争心を煽り、掌で転がして嘲笑っているのだ。
ヨーロッパを支配するメガコーポ――トリアンドゥイユ輸送機では、自社戦略AIを“ファムファタール”と呼ぶらしい。悪女。的確だ。
気づけば相手の説明は終わっていた。
血管がイナズマのように走った目で、こちらの反応をうかがっている。
不味い――いや、不味くはないが、まったく聞いていなかった。
玉露をもう一口飲み、資料に目を通す。
イーストウェークベースへの新規プラント建設の企画書。規模や採掘対象に多少の差異はあれど、見慣れた内容だ。
今日も優位に話を納められそうだが、来る会社のレベルは日ごとに上がっている。
拡張工事の案件は、どれほどの難敵と会えるのだろうか。
私に持てる案件は一つだけ。
どこまで上の企業の案件を受けられるか――逆に言えば、どれだけ上の企業が来るまで他社の企画を跳ね除けられるかで、得られる貢献ポイントは指数関数的に増える。
企業の位は、第何次の子会社であるかで決まる。
トップはユーラシア東側を治めるメガコーポ、納東亜重工。
その下に子会社、そのまた子会社とピラミッドが形成される。
向かいの男は第八次子会社。私と同格だ。
格下は舐められるが、個人の力量は別だ。
格下でも有望ならすぐに上へ上がる。
私もその口だ。事実であって、うぬぼれではない。
最後の玉露を飲み干し、天を仰いで瞼を閉じる。
目を閉じれば思い出す。
幼いころの錦山家での幸せな日々。
そして胸を締めつける、妹が残した拙い文字――「たすけて」。
私は探さねばならない。
第三次企業大戦終戦とともに突如失踪した家族を。妹、ナギサを。
日本第一高等選抜学校の主席を捨て、納東亜重工の本社内定を蹴ってまでこの企業に入ったのは、父である錦山潮米の失踪後の痕跡がイーストウェークベースで確認されたからだ。
私は必ずイーストウェークベースに上陸する。
そしてそこで動ける裁量権を得る。
そのためなら他者を蹴落とし、切り捨て、屍を積んで天を目指す。
慈悲など、遠い木曜の不燃ごみの日に捨てた。
そもそも今の時代、働かなくとも悠々自適に暮らせるのだ。
「さて、伊佐ジャンクテクノの電岡様のご提案は非常に魅力的です。しかしながら、ベース拡張工事の規模と詳細な設計はまだ固まっておりません。この場で割譲を確約することは難しいとご理解ください。計画書は持ち帰って”私が”熟考いたします。後日改めてメッセージをお送りします。本日はご足労ありがとうございました。またの機会がございましたら、なにとぞ。」
商談で“担当者が個人で考える”と言うのは、強い拒絶だ。
最良の結果が欲しいなら、ナットウア重工の戦略AI〈スサノオ〉に判断を仰げばいい。
この男はスサノオに仕向けられて私のもとへ来たのだろうが、私もまたスサノオから裁量を与えられている。
この案件を取らねばならない時には、他のルートはすでに潰されているはずだ。
そもそも第八次子会社の私に案件が回ってこないだろう。
男は一礼して退出したが、入室から退室まで、片時も私から目を離さなかった。
普段の挨拶による威圧とは違う、別種の圧力を感じた。
昨日までは格下企業だったが、今日の彼は同格だった。
それなりに気張って挑んだが、強烈な挨拶はなく、肩透かしを食らった気分だ。
明日以降は格上企業が相手になる。ここからが本番だ。
自動タクシーを飛ばし、十九時には安アパートの自室へ着いた。
家賃は会社持ちだし、今の貢献ポイントなら豪邸でも借りられる。
だが六畳一間で十分だ。すぐに退去する可能性もある。
ちゃぶ台とせんべい布団があればいい。
帰宅後すぐ、ステンレス鍋に煮干し粉を盛り、水を入れてえぐ味が出るまで煮立てる。
赤だし味噌を溶き、三百グラムのチキンミートともやしを入れて蓋をする。
浸水させた八合の米に純米酒を回し、炊き、蒸らす。
加熱を止めた味噌汁を味見して味噌を足す。
米二合を茶碗に盛り、今日は紫水菜の奈良漬を添える。
普段の食事など栄養カートリッジか経口栄養液で済ませるのが一般的だが、挨拶には顎の筋肉が必要だ。
無外神挨流の教えでも、一汁一菜は基本である。
味噌汁を啜れば、強烈な魚の旨味が口内を支配する。
白飯を頬張りながら、ワイヤーグラスの網膜投影ウィンドウでスケジュールを確認する。
ニューロキャストで直接脳へデータを送ってもいいが、これはどうにも感覚が鈍る。今は紫水菜の小気味よい歯触りを堪能したい。
五日後の金曜日。
イーストウェークベースのコンペ主催者による課内選抜。
候補者は私ともう一人――大艦榴鯛。
同期曰く、
「ヒーザン外道。ウデマエ150・ニクヨクマシマシ・ウルサイマシマシ・クサメ・アブラカタマリ・課長補佐」
ひどい言いようだ。
人間関係が希薄なこの時代に、わざわざ人を嫌う者は珍しい。
中等論理学校の学生に桃色遊戯を持ちかけているという噂もある。
好ましく思う者は少ないだろう。
だが第26子会社から上がってきた実績から、慕う者もいる。
私はこの名を見るだけで、頭に血が上る。
なぜなら――一度、大恥をかかされたからだ。
負けてはいない。恥をかかされたのだ。負けてはいない。ゆめゆめ間違うな。
忘れもしない、新歓酒宴。
南魚沼の最上の山田錦を使った古式純米大吟醸・亀口取りに釣られて参加したが、待ち受けていたのは特大バオバブのような男だった。
身長二一四〇ミリ、体重一九六キロの巨漢。
浅黒い肌、分厚い体。
張り詰めたダブルスーツのボタンからは、悲鳴が聞こえてきそうだ。
側頭部は剃り上げ、頭頂部の髪を結っている。
仁王立ちする姿は、周囲の養分を吸い上げる巨木。
そんな男が会場の引き戸の裏で虎視眈々と新人を待っていたのだ。
会場の引き戸を開けた瞬間、目の前を塞ぐ肉壁。
強烈なオーシャン系の香水。
腰を抜かす新人も多いだろう。露骨な新人いびりだ。
だが私は、居合系極挨を修める者として、驚くより先にすべきことがある。
間合いに入った相手に、最良の挨拶で切り込む。
視座を逆算し、目線、踏み込み、踵、腰の角度――すべて幾万幾億と繰り返し、鍛え抜いた動作。
だが一つの条件が挨拶を妨害した。
近すぎる。
右足はすでに前へ出ている。
引き戸のレール分しかない間合いでは、腰を折る空間がない。
30度のお辞儀をすれば、顔は腹に押し当てられ、突っ張ったボタンと共に悲鳴を上げていただろう。
居合系極挨は、適切な間合いで相手より早く鋭い挨拶を届けることを信条としている。
この状況はあまりにもアウェイだった。
「どうも、初めまして。」
やむなく首だけで会釈した。
視線だけは外さなかった。が、それがいけなかった。
大艦課長補佐からすれば、上目遣いで首をすくめる姿はさぞ滑稽に見えただろう。
彼は口角を吊り上げ、青白い歯を見せた。
丸太のような腕で私の肩を掴み、重圧が鎖骨にのしかかる。
暴力が制限されたこの世界で、この圧力はどう説明されるのか。
握手や軽い抱擁は許されるが、過度な力は脊髄インプラントのリミッターが止めるはずだ。
にもかかわらず止まらない。
これは彼が力を込めていない――地球の引力と結託した蛮行だ。
そして、大きく息を吸い――
「「「こ゛ぉん゛に゛ぃち゛はああ゛」」」
耳をつんざく声量。鼓膜の振動を音ではなく痛みとして捉える。
喰われる――そう思った。
彼のヒグマの礼影が、眼前で大口を開けていた。
眼球インプラントを使用していない裸眼の私は風圧に反射的に瞼を閉じ、顎を引いた。
「やあ、みんな新人が来たぞ。ちゃんと挨拶ができてえらい子だ」
振り返り、同僚に私を披露する。
眉間に皺を寄せ、目をつむり、顎を引いた私は、泣き顔に見えただろう。
向けられた視線は、憐憫か蔑視か、その両方か。
ナットウア重工八次子会社・ホンオフェスタ不動産・フローグランド事業部・太平洋開発部
ノースネモベース課・課長補佐・三十五歳
空嚥系極挨・剛吠流の使い手。
そして、最低最悪の“はじめまして”。
それが大艦榴鯛という男だ。
苦々しい思い出。
味噌汁を啜っても、煮干しのハラワタのえぐ味でも消えない苦味。
五日後の場で、この男を完膚なきまでにたたき潰す。
そして父ニシキヤマの痕跡を追うため、イーストウェークベースへの切符を手に入れる。
目的は明確。道筋も見えている。あとは鍛錬あるのみ。
残りの白飯を味噌汁に突っ込み、胃へ流し込む。
あとは寝るまで挨拶のシミュレーションと素振りを行う。
全身に汗が滲んだ頃、不意にインビテーションの通知が入る。
予定は明後日。
相手は――
伊佐ジャンクテクノ デンオカ?




