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「キャッ!可愛らしい寝顔ですね。さぁさぁフリード様。今がチャンスですよ」
「本当に可愛い寝顔だね」
「アニエス。お前は一体何を言ってるんだ…ちょっとまて貴様。何をしようとしている」
アニエス達の声が聞こえたと思った瞬間、突然わたしは誰かに口を塞がれ、同時に体がふわりと持ち上げられた。
「やっと起きたかシヴィル」
驚いて目を開けると、目の前にキュクレイの顔があった。
口を塞いでいた…手はすぐには離れたが、わたしはまだ彼に抱き上げられたままだ。すぐ正面にはフリードがいて、彼はなぜか残念そうな顔をしていた。
「キュクレイ…これは一体どういうこと?」
「お前が寝てる間にこいつが「魔法具を取り返しました」
キュクレイに尋ねたつもりが、わたしの質問に答えたのはフリードだった。キュクレイはフリード見ると微妙な表情を浮かべ、無言でわたしをおろした。
「シヴィル殿下…あの」
そういえば先ほどアニエスの声がしたというのに、彼女の姿が見当たらない。そう思った矢先、フリードのいる方からアニエス声がして、わたしはそちらに目を向けた。
どうやらアニエスは、フリードの後ろに隠れていたようだ。彼女はわたしの様子を伺いながら顔を出すと、ゆっくりとこちらへ近付いてきた。
「私の魔法具のせいで、殿下に迷惑かけてごめんなさいッ!」
アニエスはわたしの前まで来ると、勢いよく土下座をした。その時に勢いがつきすぎたようで、彼女の頭が「ガンッ」と物凄い音がして地面に当たった。
「アニエス…頭「私。殿下がフリード様と入替わったら、二人の間に色々芽生えて、親密になるんじゃないかと思ってッ!」
あまりにも強くぶつけたので心配で声を掛けたのだが、アニエスは何事もなかったように言葉を続けた。
しかしアニエスは、わたしとオーディの結婚が決まったというのに、未だにフリ×シヴィを諦めていないようだ。彼女がなぜ禁忌の魔法具をわざわざ手に入れたのか疑問だったのだが…アニエスの言葉にわたしは苦笑した。
「…お前。禁忌の魔法具をそんなことに使うつもりだったのか」
呆れた様子でそう言ったのはキュクレイだった。アニエスはそのままの状態で顔だけ上げると、不思議そうに首を傾げた。
「キンキ?煮付けにすると美味しいですよね?」
「…。何の話だ」
「キンキですよね?」
「…おいシヴィル。その男から魔法具を受け取れ。すぐにトリスを解呪して元に戻すぞ」
この話の流れでそんなことを言うのはアニエスらしいが、「禁忌」という言葉は魔導書でしか使われない言葉である。魔法を使うわたしやオーディならともかく、アニエスに「禁忌」と言ってすぐに伝わらないのも無理はないかもしれない。
とりあえずわたしはキュクレイに言われた通り、フリードから魔法具を受け取るため、彼に歩み寄った。
「フリード。もう魔法具を手に入れたの?」
「はい。殿下とお話した後すぐに「フリード様ったら、シヴィル殿下を誰もいない部屋に連れ込んで…キャッ!」
フリードの言葉を遮ったのはもちろんアニエスだ。彼女はいつの間にかわたしの真横に来ていた。
「アニエスはあのときいなかったよね?見てたの?」
「見てましたよッ!フリード様とシヴィル殿下がキスした「してないからね?」
「顔と顔が触れるくらいに近くて、シヴィル殿下も真っ赤でしたよ!あれは確実にキスした「してないよ」
「どうでもいいから早くしろ」
フリードとアニエスのやり取りにキュクレイはしびれを切らしたようだ。彼は珍しく苛々した様子だった。
「えぇっと…フリード魔法具を貰えるかな?」
「…お待たせしてしまい申し訳ありません。こちらが魔法具です」
フリードからようやく手渡された魔法具は、赤黒い真珠のブレスレットだった。よくよく見るとその真珠は単色ではなく、赤と黒のマーブル柄になっている。
「…なんか禍禍しいブレスレットだね」
「うふふッ!このブレスレット。まるでフリード様みたいだと思いませんか」
アニエスにそう言われ、わたしは思わず頷いてしまいそうだった。が、横にいたフリードの顔を見てなんとかこらえた。
「アニエス。さっきからいい度胸しているよね?ちょっとおいで」
「キャッ!フリード様ったら、積極的ですね。でもそういうのは殿下にしてあげてください」
フリードはアニエスにとうとう耐えきれなくなったようだ。彼はアニエスの腰をつかむと、クラッチバッグを持つように彼女を連れて部屋から出ていった。
「…トリスのところに行くか」
「そうだね」
そう答えた直後、昼休憩終了の鐘の音が響き渡った。
*
「何か用?」
学院が終わり、馬車に乗り込もうとするトリスにわたしは声を掛けた。オーディの姿が見当たらないが、魔法騎士団関連の用事があるときはそういうこともあったので、わたしは特に気にすることはなかった。
「ここではちょっと…馬車の中でお話させて頂けませんか?」
馬車があるのは学院の門の前だ。こんなところでトリスを解呪したら、たちまち大騒ぎになる。今でさえトリス姿のわたしが、学院生ではないキュクレイを連れて、シヴィルに話掛けているのは目立っているようだ。皆がチラチラとこちらを見ているのが分かる。
「ここで話して」
しかしトリスはわたしの意に反して、馬車の中で話すことを拒んだ。もしかしたら彼女はまだ魔法具を無くしたことに気付いていないのかもしれない。
「…これに見覚えは?」
「なッ!どういうこと!?だってわたしはシヴィルのままよ!」
言葉で説明するより見せた方が早いかもしれない。
そう思って持っていた魔法具をトリスに見せると、すぐに彼女は袖をまくって、自分の腕を確認し始めた。ブレスレットがないことに彼女は動揺したようだ。トリスは突然大声をあげた。彼女の声にまわりの学院生は何事かと一斉にわたし達を見た。
「お前が大声を出したせいで、どんどん人が集まってる。一度馬車の中に入ったらどうだ」
キュクレイにそう言われ、トリスは周囲を見回してから無言で馬車に乗り込んだ。続けてキュクレイ。わたしが乗り込んだ。
向かい側の席にトリス。手前にわたしとキュクレイが座った。今のわたしの姿は大きいので、隣に座ったキュクレイが押し潰されていて苦しそうだ。それでも嫌な顔一つしないキュクレイは心が広すぎる。
馬車の扉を閉めると、キュクレイはすぐにトリスの呪いを解いた。
「な、なんで!?」
突然元の姿に戻って、トリスは訳が分からないという表情をした。わたしはトリスが元の姿に戻ったのを見ると、すぐに変化の魔法を解いた。
「そんな!?一体どうなってるの!?」
わたしがシヴィルになると、トリスは再び驚いた様子で声を上げた。そんな彼女を見て、キュクレイは淡々と答えた。
「俺がお前に魔法具と同じ魔法をかけた」
「嘘言わないで!それなら私はトリスの姿になるはずよ!」
「そうだ。だからお前に気付かれないよう、魔法具を取り返すまでお前の姿をシヴィルに変えた」
「なッ!」
トリスは自分の状況をようやく理解したのか、それ以上何も言わなかった。
「ねぇトリス。あの魔法具はどうやって手に入れたの?」
「…私が答えると思ってるの?あなたはずっと私達を騙していたくせに」
トリスが「私達を騙してた」というのは、わたしが女だったことだろう。わたしも好きで皆を騙していた訳ではなかったのだが、彼女が言っていることは事実だ。そう言われるとわたしは何も言えなかった。
「シヴィルを好きだった人だっていたかもしれないのよ!…まぁ大半はフリ×シヴィが実現するって喜んでたけど」
シヴィルを好きだった人だっていたかもしれない。
わたしは今まで当たり前のように王子を演じてきたが、そう考えたことは一度もなかった。しかし不幸中の幸いと言うべきか…大半がフリ×シヴィ派のおかげで喜んでいたようだ。不本意ではあるが、あの本を書いたアニエスに感謝しないといけないかもしれない。
「君にも皆にも、わたしが女性だと秘密にしていたことは悪いと思っている。ただ君はそれが理由でわたしと入れ替わっていたの?」
「ち、違うけど。シヴィルが女だって気付いたのは入れ替わってからだし。私は憧れのオーディ様と話がしてみたかったの。トリスの姿じゃあ相手にされないもの」
ドンドンッ!
トリスと話していると、突然馬車の扉が激しく叩かれた。もしかするとオーディだろうか?実はこの馬車の扉には鍵がかかっている。わたしが鍵を開けると、かなり急いでいたのか勢いよく扉が開かれた。
「シヴィル殿下!あなたが女性でも構わない!僕と結婚してくださいッ!」
「る、ルドラ…」
扉を開けたのはまさかのルドラだった。彼はトリスとキュクレイには目もくれず、馬車に乗り込みわたしの目の前にやってきた。
「…ルドラ。わたしは君と結婚するつもりはないよ。それに今、大切な話をして「妾でもいいので、そばにいさせてください!」
色々と突っ込みたいところだが、今のルドラはわたしが「はい」というまでここを退かないという勢いだ。どうしたらいいものか困惑していると、隣に座っていたキュクレイが口を開いた。
「お前は自分のことしか考えていないのか?シヴィルが好きなら彼女の気持ちを考えてやったらどうだ」
なんだかここ最近のキュクレイは格好良い気がする。ルドラはハッとした表情をしてキュクレイを見た。
「…あなたの名前は?」
「俺の名前など聞いても仕方がないだろう」
ルドラに名前を聞かれ、キュクレイは眉を潜めて答えた。しかしルドラはそんな彼を気にすることもなく、キュクレイの目の前にやってきて言った。
「ぼ、僕と結婚してくれませんか!?」
「は!?」
「ブハッ!」
ルドラの求婚に驚いたのはキュクレイ。吹き出したのはトリスだ。
あれだけわたしに執着していたルドラが、急に心変わりした理由は分からないが、とにかくキュクレイのおかげで、ルドラのターゲットはわたしから彼に切り替わったようだった。
わたしとしてはありがたいことなのだが、キュクレイにしたら迷惑だろう。現に彼はルドラに迫られて、心底嫌そうな顔をしている。とにかくこのままでは可哀想だと思い、わたしはキュクレイを連れて転移魔法を使った。
*
「…お前が嫌がっていた理由が分かった」
「キュクレイ。好かれたみたいだね」
「男に好かれても嬉しくない」
わたしが転移した先は、キュクレイの塔だ。彼はルドラに触られた個所を嫌そうに払うと、部屋のソファーに腰を下ろした。
「ところで、あいつはあのままでいいのか?隣国では死刑になるくらいの重罪だぞ」
「魔法具はわたしが持っているし、ここは隣国じゃないからね」
正直、わたしは今回のことでトリスを憎んではいない。むしろ、誰にも注目もされないトリスは気が楽で、ありのままの自分で居られたことに感謝したいくらいだ。
キュクレイは納得出来ない表情をしていたが、彼はそれ以上何も言わなかった。




