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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
エピローグ
37/37

夏空

 厳しかったこの夏も季節の移り変わりが見えて、蝉の鳴き声が変わって来た。少し前まではミンミンゼミが鳴き声の主流だったのに、今は朝夕に物悲しいヒグラシの声が聞こえて来る。


 病室の中は静かだった。墓参りのために帰省している患者が多いせいだろう。

 俺はうつらうつらと眠り、日がな一日をベッドで過ごしていた。あの出来事から既に半月が過ぎようとしているにもかかわらず、いまだに以前の体力が戻っていないように思える。

 高熱のために俺が意識を失っている間、全てのことは終わっていた。

 公彦とはつさん、そして堅三、一度葬式を出したはずの母。崖から落ちた大叔父も、すべての捜索が終了し、改めて皆の遺体は西浦の墓地に埋葬されていた。

 あの後、俺は再び倒れ、やっと入った村外の手によりふもとの病院へ担ぎ込まれた。怪我は手当てを受けたものの、足を引きずる障害は残るだろうとのことだった。この夏に起こった出来事が、一生俺を縛りつけるように。

 俺は思い出していた。


「……いやあああ!!」


 加世が身も世もなく泣き叫び、崖へと駆け寄ろうとする。しかし背後から蓮子の腕が加世をしっかりと押さえていた。


「行かせて、私も行くわ! もう生きていたくない‼」


 半狂乱の加世の背中に蓮子の容赦ない声が飛ぶ。


「だめよ、行かせない! ──あなたはちゃんと償うのよ。簡単に死なせてなんかやらない。犯した罪がわかるまで、あなたは償わなきゃいけないの‼」


 厳しい蓮子の叱責に、俺は顔を両手へ埋めた。


──生きていくのか。俺も生きなくてはならないのか。


 両親も、祖母も、はつさんも。実の父親も、蓮子の姉も。かわいそうな赤ん坊も。……堅三も、公彦も。あの大叔父でさえ死んだ。死んでしまった人達の、全ての思いをこの身に背負って。

 小さなノックが響いた後、俺は病室の扉を開くいつもの姿に目をやった。


「具合はどう?」


 髪を涼しげに一つにまとめ、夏の制服を着た蓮子。左手に巻かれた白い包帯は日に日に薄くなっている。


「今日も暑いわよ。一日中この中にいるんじゃ、きっとわからないでしょうけど」


 窓の外へと目を向けて、ベッドの脇の窓枠に近づく。俺はくすりと笑って答えた。


「そう言うわりには、お前もあまり日に焼けていないな」

「そりゃそうよ。私だって毎日ここに入り浸ってるんだもの。まったく誰のせいだと思って……」


 振り返って露骨に頬をふくらませる蓮子の顔に、俺は思わず微笑を浮かべた。

 事件の後、蓮子は警察による後始末にかり出されていた。そのため、足りなくなってしまった出席日数の調整ゆえに、夏休みの期間中補修を受けることになったらしい。「学校に近いから」と言って左手の治療をここで行い、「そのついでに」と毎日俺の病室へ顔を出していた。とはいえ、蓮子が通っている学校はずいぶん上った場所にあるのだが。


「加世の身柄が移動したようだ」


 俺が今朝聞いたばかりの話をすると、蓮子はわずかに視線を落とした。


「そう……」


 加世はあの後、錯乱状態のままで身柄を拘束された。だがまともに取調べを受けられるような状態ではなかったらしい。加世が犯した罪については精神鑑定の結果の後、捜査が進められることになっていた。


「加世さんは、旦那さんと一緒に……?」


 蓮子の静かな問いかけに、俺はうなずいて答えた。


「ああ。洋輔さんがずっと付き添っているらしい。洋輔さんの話だと、大分落ち着いて来たようだ。加世のことならあの人に任せておけば心配ない」


 蓮子は窓の外を見上げた。よく磨かれたガラス戸の向こうには、青い夏空とくっきりとした山並みが広がっている。


「……あのね」


 蓮子が思い切ったように口を開いた。


「今になって、姉さんが結婚の話を受けた時、黙って西浦に来た理由がわかるような気がするの」


 出会った頃から変わらない、力を持った黒い瞳をまっすぐ俺に向けて来る。


「お父さんのこと……。私は本当にお父さんには可愛がってもらった思い出しかないの。だから、お父さんがいなくなった時も、悲しかったとしか覚えてない。でも……」


 蓮子はさびしげな風情で笑った。


「でも姉さんはもしかして、何かに気づいていたんじゃないかな。東野の人達が必死になってお父さんを捜してた時、姉さんは一人だけあきらめてたような……そんな感じがしてたのよ。私もその時はまだ小さかったから、よく覚えてはいないけど……」


 小さくため息をついて漏らす。


「今、思うと姉さんは……もしかしてお父さんを探して……」


 言葉に出来ない死者の思いが沈黙となって間に下りた。それもすべて、今となってはもうわからないことだ。

 沼の底で眠っていた俺の本当の父親も、警察によって調査され、しかるべき場所に埋葬される手筈を整えられていた。


「姉さんの赤ちゃん、女の子だったのね」


 蓮子がぽつりとつぶやいた。


「──少し調べたことがある」


 俺は物憂い感情の中に身を置いたままつぶやいた。


「村の歴史に関わることだ。海へ向かった西の方に、今でも人魚の伝説が伝わる小さな町があるらしい。……庄屋は代々からくりが好きで、大掛かりな仕掛けの時計や、実物のような茶運び人形を作った者もいるそうだ。なんでもからくりが原因で時の執政者の怒りを買い、村を追放された者がいると」

「それって、まさか」


 目を丸くしている蓮子に、俺は静かに付け加えた。


「一度、行ってみようと思う。西浦で死んだ全ての人の供養のためにもなるだろう」


 ふと自嘲の笑みを浮かべる。


「はつさんは、俺の供養などいらないと言うかもしれないが」

「──いいえ」


 蓮子のきっぱりとした声に、俺は思わず顔を上げた。蓮子は穏やかな表情で続けた。


「初めて西浦に行った時、はつさんは私に言ったわ。『どうか貢生さんを幸せにしてあげて下さい』って。わかりづらいかもしれないけれど、貢生さんは本当に優しい人だからって。──私はその時思ったのよ。この人は貢生さんを大事に思ってるんだなあ、って。はつさん、あなたを恨んでなんかいないわ。心からあなたの幸せを願っていたと思う」

「……ありがとう」


 俺は微笑んだ。

 そして再び、俺は夏空の広がる窓の外を眺めた。ここで寝ている間中、ずっと考えていたことを口に出す。


「蓮子。お前には本当に迷惑をかけたと思っている。俺と西浦の因縁に東野の家ごと巻き込んでしまった。ここを出ることが決まったら、都合をつけて出来るだけ早く東野に顔を出したい。色々と聞きたいこともあるし……」


 そう切り出した俺に、蓮子はぱっと表情を輝かせてベッドへ近づいて来た。


「もちろんよ。お爺さん達もあなたに会いたいって言ってる。お父さんの子供に会えるならどんなにうれしいことかって」


 俺はうなずき、言葉を続けた。


「俺は西浦をもう一度、立て直そうと思っている。──どんなことがあったとしても、このままなくしてしまうわけには行かない。俺が東野の者であることも含め、東野との折衝も行わなければならない」


 忘れられない思い出ならば一生抱えて生きていこう。俺はそう決めたのだ。

 自分があの村を滅ぼしたことは、まぎれもない事実なのである。それが辛いというのなら、生まれ変わった気持ちでそのまま真実を抱えて行こう。自分は本当ならば、あの時死んでいたはずなのだから。

 しばしためらい、俺は再び唇を開いた。


「それで……。俺はもう以前のような立場ではないし、俺達のことはそっちでも色々と言われているだろうが……」


 どうにも煮え切らない言葉を留め、俺は一度息をついた。脇に立つ蓮子の顔を見上げる。


「東野にいるお前の祖父達に、きちんとこれからのことを話したい。……もし出来るなら、お前にも俺のやる事を手伝って欲しい」


 蓮子は目を丸くして、俺の顔を見返した。


「貢生さん……」

「嫌か?」


 真剣に見つめる俺のまなざしに、蓮子はあわてて首を振った。少し赤くなってうつむく。


「私が手伝えるものなら、喜んで」


 俺は大きく破顔した。


「そばにいてくれ。──ずっと、これからも俺のそばにいて欲しい」


 ベッドの上にある蓮子の手を取り、俺はその体を引き寄せた。近づいてくる唇に、そっと自らの唇を重ねる。晩夏を告げるツクツクホウシの鳴き声が遠くに響く。

 きっと自分はこれからも、この季節を迎えるたびに思うだろう。たくさんのものをなくし、そしてかけがえのないものを手に入れたこの夏を。全てが終わり、また全てのことが新しく始まったこの夏を。


 季節が過ぎようとしていた。

今までありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても良いミステリーですね。
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