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後編

 その翌週の日曜日。

 目覚めた私は、寝台から降りようとして「あ痛っ」としゃがみ込んだ。

 足首が痛い。薬が塗られ、包帯が巻かれているようだ。

「昨日の土曜日、マヒロが階段を踏み外して足を捻ってしまったんだ」

 レイフはそう説明してくれ、そして一枚の紙を差し出した。

 女の子が、目から涙をぽろりとこぼしている絵が描かれている。そしてその下に、この国の言葉で『ゴメンナサイ』と書かれていた。

「これが、マヒロの字……」

 自分とは似ても似つかない、たどたどしい筆跡。

 会ったこともない、声を聞いたこともない彼女が本当にいるのだと、腑に落ちた瞬間だった。


 マヒロは少しずつ、文字を覚えていった。

 夫を通じて私に渡される手紙も、最初は挨拶程度だったのが、

『にわを さんぽしました』

『うまを みました』

というように土曜日の行動を簡単に報告するものになっていき、やがて自分のことを説明する文章も書き始めた。土曜日しか勉強できないので、その日に集中して学んでいるようだ。

『私は、ニホンという国で暮らしていました。学校に行っていました。車の事故にあって、気がついたらジェマさんになっていました。それからは、ニホンに戻っていません』

 マヒロの綴る事情は、とても不思議なものだ。マヒロが確かに私の中にいるのだと納得はしても、その話の内容まではなかなか実感として私の心に落ちてこない。

「ねぇレイフ、これはつまり、マヒロは一度死んでしまったということなのかしら」

 まるで小説の内容を話すかのように夫に言ってみると、彼はうなずく。

「マヒロもそう言っていた。死んだら生まれ変わって、赤ちゃんからまた新しい人生を始めるのかなと思っていたのに、どうしてジェマさんの中にいるのだろう、と」

 生まれ変わりを信じる宗教があることは知っている。マヒロもそれを信じているのかもしれない。けれど、死んだら神の御元に行くのだと信じている私とは、考え方が違うのだった。

「生まれ変わり……異国の物語を読んだことがあるけれど、生まれ変わったら前世のことは覚えていないような風だったわ。でも、マヒロは死ぬ前のことを覚えている。だから、どちらかといえば十四歳の幽霊が私に乗り移っているみたいな風に思えるわ」

「そんな感じに近いね。姿形はジェマなのに、ジェマより若い感じがするよ」

「…………」

「い、いや、君のことをどうこう言っているわけじゃない。マヒロが、十代前半らしい言動をしている、ということだよ。君の姿で」

「そう……」

「君も、マヒロに手紙を書いてみたら?」

 レイフに言われ、私はペンを手に取った。

 マヒロは子どもで、初めて私が記憶をなくした土曜日、上の空だったという。きっと彼女も、何が起こっているのかわからず驚き戸惑ったのだろう。そして、レイフに色々と質問されてとうとう泣いてしまったと……

 ……優しくしてあげるべきなのだろう。私は平気だ、何も心配しないでいい、もしこのままでも全然構わない、と。

 けれど、それは私の本心ではない。嫌で嫌でしょうがない、とまでは思わないけれど違和感は拭えないし、自分の身体でマヒロが何をするかわからないということは、やはり少し怖い。

 例えば、もしマヒロが誰かに恋をしたらどうするのだろう? それに、そう、土曜日に突然の来客があったり、逆に親戚の誰かが病気で倒れたりして駆けつけなくてはならなくなったら?

 私の中に、マヒロがいる。一つの身体にいるのだから、心も筒抜けのような気がして、嘘はつきたくなかった。

 私は、手紙に正直な気持ちを綴った。

『初めまして、とも言えなくて不思議な感じです。私だけが、あなたと会うことができていないのだもの。いったいどうして、マヒロは私の身体にやってきたのかしら? 私の方には、何の兆候もなかったと思います。理由があるなら、それを知りたい。そして、その理由が私とマヒロの両方にとって幸せなものであることを、願わずにはいられません』

 すぐに、次の日曜日にマヒロから返事があった。

『お手紙をこうかんできて本当にうれしいです、ありがとうございます。でも本当は手紙なんかじゃなくて、ジェマさんとちょくせつお話ししたい。顔も、声も知っているのに、話すことができないなんて、もどかしすぎです。でも、そんなことも言っていられないので、がんばって書きます。私も、ジェマさんの体にいるわけを知りたい』

 そして、彼女はこう綴った。

『少し思い出したことがあります。車の事故にあったあと、だれかの声がきこえました。「まだ早い、今はその時ではない」というようなことを言っていました。それから私は、まるでとりあえずみたいに、だれかの体に入りました。それが、ジェマさんでした』

 とりあえず、って……と思いながら読み進める。

『早い、ということは、私が死ぬのは早すぎたんでしょうか。そして、とりあえずという感じで入ったということは、元々私が「その時」に行くはずのところがあって、そのうちそこに行くんでしょうか』

 ちくっ、と、胸が痛くなる。

 マヒロは若くして死んでしまったのだ。まだ早い、というのはそういう意味にもとれる。そして、いずれは神の御元に行くのかもしれない。私の身体にいるのは、それまでの猶予のようなものなのかもしれない。

 私は返事を書いた。

『私もとてももどかしいけれど、お手紙を書きます。もしかしたらマヒロの言うとおり、いつかあなたはどこかに行くのかもしれない。でも、あなたの死を「早すぎる」と言ってくださったのが神様なら、神様にとっても予想だにしない出来事だったということですよね。そのせいで私の身体に来たのなら、神様がいいように計らって下さるはずです。どうか、怖がらないで下さい』

『ありがとうございます。ジェマさんも、それにレイフさんも、優しい人でよかったです。迷惑でごめんなさい。いろいろ、気をつけるので、ここにいさせてください』

 

 毎週のように手紙をやりとりしているうちに、私は少しずつ、マヒロと仲良くなれたように思う。

 土曜日の朝に目覚めたマヒロが気づくようにと、寝台におすすめの本を置いたことがある。すると、翌日の朝に寝台の横のテーブルに焼き菓子が置かれていた。

『本をありがとうございます。お礼に、ちゅうぼうを借りてくっきーをつくりました。食べてください』

 侍女が言うには、本当に、私(の中のマヒロ)が厨房に行って作ったものだという。

 それは食べたことがない味で、とても美味しかった。

「私は料理などできないから、きっとこの身体は動きがぎこちなかったでしょうに」

 そんな風につぶやきながらも、私はとても、嬉しかった。もっと、彼女に何かしてあげたいと思った。レイフもすっかりマヒロを気に入ったようで、土曜日はマヒロの日だと宣言し、家庭教師のようにこの国のことを色々と教えている。


 毎週手紙を書き、本や花を送り、お菓子や絵をもらいーー


 そうして、数ヶ月が過ぎた。


 マヒロの手紙は、毎週の楽しみになっていた。彼女の目を通して見たこの屋敷はとても新鮮で、レイフのことまで少し違った見方で見ることができる。レイフが「マヒロに嫌われたら君にも報告が行って、君にも嫌われるかも」なんて冗談を言うほど、私たち三人は打ち解けてきていた。

 けれどやはり、私だけが、彼女に会うことができない。レイフはマヒロに会っているのに、私だけが。

 一抹の寂しさを覚えてはいたけれど、女性ならではの相談事があるような時は、マヒロは私の鏡台の引き出しにそっと別の手紙を入れる。二人だけの秘密のようで、嬉しかった。

 

 夏の、ある日曜日の朝。

 目を覚ました私は、少し驚いて起きあがった。

「あら、私、こんなところで」

 私はなんと、鏡台の前に座り込み、スツールに頭を預けるようにして眠っていたのだ。おかしな姿勢で眠っていたせいか、身体が痛い。

 立ち上がると、鏡台の上には書きかけの手紙が置かれている。

「マヒロったら、手紙を書きながら眠くなってしまったのね」

 私は微笑ましく思いながら、その手紙を手に取った。

 文章は、いつものように土曜日の詳細な報告から始まっている。けれど、途中から文字が乱れ始めた。

『ねむいです。ジェマさん。あの声が聞こえました。そろそろ、その時だ、って。ありがとうございました。レイフさんも。さような』

「レイフ!」

 私は思わず叫ぶように夫の名を呼び、途切れた手紙を手に廊下に飛び出していった。


 不安と悲しみと、もしかしたらという希望を持ちながら数日が経ちーー

 金曜日に眠った私は、土曜日の朝に目覚め、夫に告げた。

「私は……ジェマよ」

 そして、私たち夫婦は泣きながら、マヒロとの別れを惜しんだ。


 その翌月。

 私は、自分が身ごもっていることを知った。


 秋が来て、冬が過ぎ、そして春まっさかりとなった、ある土曜日。

 生まれてきた娘は、黒い髪をしていた。

 私はレイフと顔を見合わせて笑う。レイフは娘の鼻をつつく。

「マヒロが生まれ変わるその時と、ジェマの身体の準備が整うその時が、ようやく合ったんだね」

「ええ、そうね。この子は先にたどり着いて、私の中でその時を待っていたんだわ」

「きっと、優しくて勉強熱心な、いい子になるよ」

 娘は無垢な表情で、腕の中におとなしく収まっている。私は話しかけた。

「初めまして。私とあなた、ようやく、会えたのね」


【週末の転生者 私だけが彼女と会えなくて 完】

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