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料理を作りはじめて数時間、ふいに表で喚声が上がった。
「あれ、年が明けちゃったみたいだね」
カグチが顔を上げて、声のする方を見た。
前日の日没から始まった前夜祭は、日付の変更と共に最高潮を迎える。人々は痺れるような寒さにもめげず大通りにくり出し、呑めや唄えのどんちゃん騒ぎを演じながら新しい年の日の出――新年祭本番を待つのだ。
「あとはもう片付けるだけだし、あんたたちも少し遊んでくるかい」
「ここまで来たら最後まで手伝うよ。母さん一人に任せておくのも不安だし、どうせ僕が目を離した途端にエプロンも脱いじゃうだろ」
カグチが毒を含んだにこやかな笑顔できっぱりと却下して、ユラが鼻白んだ。
「それが母親に向かっていう言葉かい。あたしゃ情けないよ」
「数え切れない前科があるくせに、なに言ってんの」
「やれやれ、締まらないねえ」
ユラが情けなさそうに自分を見下ろした。
お洒落は気合いだと豪語するユラの着物は、一歩間違えれば下品と評されかねず実際に一部の人々からはその烙印を押されているほどにど派手で機能性皆無の、舞台役者も裸足で逃げ出す特異な意匠のものだったが、それはユラの大柄で減り張りのある肉体と姿勢の良さと相まって奇妙な迫力すら醸し出しており、一言で言えばとても良く似合っている。しかし今はその上に、カグチによって舶来物のエプロンを強制的に着させられていた。
「これじゃまるで赤子の前掛けじゃないか。みっともない」
「そういうことは、せめてそのエプロンが何色だったのか分かるくらいになってから言ってよ。どうやったらそんな汚し方ができるの?」
元は純白だったらしいそれは、今にもこの世に在らざるモノが湧き出してきそうな、奇っ怪な模様を描き出している。
「どうにも苦手なんだよ。窮屈でさ」
「やっぱり脱ぐ気だったんじゃないか」
そんな母子のやりとりに、思わず「んぐっふ」と妙な声で小さく吹き出したモユルを、ユラが睨んだ。
「あんたにだけは笑われたくないね」
「私はユラさんみたいに、あちこち汚したりしませんよ」
モユルも負けじとやり返す。
「そのかわり悲惨なくらいどんくさいじゃないか」
「どん……。まあ、そうですけど……」
モユルは家事全般が下手だった。目に見えて綺麗になったという成果が出るのが嬉しいので洗濯は苦にならないし、掃除も好きで、なにより食べることが大好きだ。
しかし好きだから上手いというわけでは全くなく、炊事洗濯掃除、全てにおいて効率度外視で出来の良さを求めるくせに元からそそっかしいため、自分でも不思議に思うほど莫大な時間がかかるのだ。よって総合的な評価は目を覆わんばかりのものとなる。
対してユラの料理の腕前は、良くて並の下といったところか。設計と手順では最高効率を叩き出すものの、いかんせん手元の技術が追い付かずにあちこちを汚してしまうのである。
ユラはモユルの家事能力について悲惨という言葉を使ったが、それを言うならユラが料理したあとの台所や着物の様相の方がよほど悲惨だとモユルは思う。
「そういうユラさんは、鍋が謎の大爆発でも起こしたみたいな汚し方をするじゃないですか。悲惨を通り越して凄絶ですよ」
「言ったね、このイモ娘」
「なんですか、爆裂導師」
んふふふふーと同じ不気味な笑顔で牽制し合っていると、カグチが呆れた声を出した。
「はいはい、二人とも遊んでないで」
「はい。ごめんなさい」
ピタリと揃った声で謝る。息が合っている。
「ちょっと出掛けるなら、さっさと片付けて三人で行こうよ。屋台でカゲローさんの好きそうなものを買い足してもいいしさ」
そう言う間にも、カグチの動きは止まることがない。その熟練の主婦のごとき手際の良さに、モユルはため息をついた。
「ほんとにカグチは何でも出来るよね。頭はいいし術式も上手いし、剣や体術もスサ様が驚くくらいだし。スサ様も、カグチなら俺を越えるかもしれんって褒めてたよ」
「さすがにスサ兄さんみたいにはなれないよ。いつも言ってるけど買いかぶり過ぎなんだってば」
苦笑するカグチの頭を、ユラが撫でた。
「この子はあの人の良いとこを全部受け継いでるからね。そういやあの人は、どうしてだか家事も抜群に上手かったよ。似てないのは性格くらいかね」
あの人はとんでもない馬鹿だったしねえ、と嬉しそうに語る。
その姿を見てモユルは、ユラが今でも初代マハラ・ナギ王ことイサを深く愛しているのだと改めて実感した。
兄弟王の即位とカグチの生まれ年、そしてナギ王の逝去は全て同じ年で、およそ十四年前である。
モユルは以前、そんな昔にいなくなってしまった人のことを、どうしてずっと変わらずに想い続けていられるのですか、と聞いたことがある。言葉にすれば同じ「好き」でも、モユルがスサに対して抱く憧れとは違うもののように思えたからだ。
その時のユラは何と言ったか。確か「そいつはあたしにも分かんないよ。想いの形はそれぞれだからね」だったか。
想いの形。そう言えばモユルは、マミカ導師のあまりにも苛烈なそれを、どうしても認めることが出来なかったが、それも一つの形なのだろうか。
マミカを見習いたいとは思わない。ただその激しさはモユルにないものだったし、ましてユラのような心持ちなど想像もつかない。
――あたしもいつか、ユラさんみたいに思える人ができるかな。想えるようになると、いいな。
「どうしたんだいモユル、ぼーっとしちゃって」
物思いにふけるモユルを、ユラの声が呼び戻した。
「ああ、いえ、ナギ王が……あれ、ユラさんが、かな? そんな風に誰かを想えるのが、羨ましくて。何て言うか深くて、穏やかで――」
「穏やか?」
ハハッ、と声を上げてユラが笑う。
「馬鹿言っちゃアいけない。あたしの愛は激しいよ? あの人のために全てをなげうつことに何の躊躇もなかったからね」
「……いったい何があったんですか」
「僕も気になるな、それ」
カグチにとって顔も知らない父親だが、さすがに興味を引いたらしい。
「僕にとって父さんは初めからいない人だけど、やっぱり母さんは寂しかったりするの?」
「あの人と何があったかはまだ話せないね。でもねカグチ、いまのあたしにはあんたやモユルがいるから、寂しくなんかないし、幸せさ。だからたまには母親らしいことをさせとくれって言ってるのに、この子は」
ユラは所狭しと並べられた料理を眺めて、肩をすくめた。
「いつの間にか家事まであたしより上手くなっちまって。母親形無しだよ」
「あのね母さん、僕はもうすぐ十五だよ? こっちが孝行しなくちゃなんない年齢じゃないか」
「出来が良すぎて泣けてくるねまったく。あんたが導師になったら、あっという間にあたしを追い抜いちゃうんだろうね。そしたらあんたに勝てるものがなくなっちまう」
だからもうちょっと子供のままでいな、と無茶な要求をするユラは、モユルの目から見ても確かに幸せそうだった。
そうしてあらかた片付けが終わった頃、敷地内に侵入した者があることを知らせる鈴が鳴った。
「おや、景郎が帰ってきたかね」
ユラが顔を上げてしばらくすると、戸を叩く音が数回。
「違うみたいですね」
「あ、姉さん待っ――」
カグチが止める間もなく、一番近くにいたモユルが玄関へ向かう。
「はぁい、どなた?」
返事はなく、その代わりとばかりに引き戸の上部が見えない何かに切り裂かれた。
――この術式は!
とっさに身を引くモユルの目の前で、さらに三発の気刃が戸の外枠をなぞるように打ち込まれ、最後に軽く、とん……と音がした。
「姉さん!」
すかさずやって来たカグチがモユルの腕を引き、洗ったばかりの鉄鍋を手に前に出た。
「こんばんは」
ゆっくりと内側に倒れる戸の向こうから、落ち着いた女の声。
りん。新たに鈴が鳴る。
りん。鈴が鳴る。
りん。りん。りん。りん。
りんりんりんりんりんりんりん――。
「いい夜ですね。今日はお別れをしに参りました。永遠のお別れを」
鳴り止まぬ鈴の音の中、マミカがゆっくりと侵入してきた。




