40 ごめんね
ナボウとの試合を終えた景郎は、ユラの研究室でマテル女王随伴についての連絡を待っていた。
「あー気が重い。スサ、怒ってるんだろうなあ……」
陰鬱にぼやいてちゃぶ台に突っ伏す景郎に、ユラがけらけらと笑いかける。
「怒ってるんだろうも何も、誰がどう見ても怒ってたじゃないか」
「ものすごく怒ってましたね……」
こちらも暗い面持ちのモユルは、無意味に急須を弄んだ。
護衛任務を受けるのは景郎個人なので、ユラやモユルまで待っている必要はない。しかしユラは「もののついで」、モユルは言伝てを預かった者として、何となく責任を感じてここにいる。
「なにしろ手加減しろと言われてたのに、一発でのしちまったからねえ。あたしとしちゃ胸がすく思いだけどさ」
景郎はともかくモユルまで恐々としているというのに、ユラはご機嫌である。
「脳を揺らしたんですよ」
景郎が突っ伏したまま、顔だけを持ち上げた。
「あれならまともに入れば体の頑丈さは関係ないから……って言うか、あんなのスサだったら簡単に避けるのに、なんで当たるかなあ。ナメられてるのは大歓迎だったけど、ちょっと油断しすぎですよあの人」
モユルはひきつった笑みを浮かべた。
「スサ様と比べるのはちょっと……」
「でも都で三番目の実力者なんでしょ、あの人?」
拗ねたような景郎の声に、モユルの苦笑が困惑に変わる。
ナボウ将軍は油断などしていなかったのではないかと思う。スサを基準に考える景郎がおかしいのだ。
訓練の相手がスサやシロガネといった規格外の者ばかりであることにも一因があるかも知れないが、恐らく景郎が予想しているより、遥かにスサとその他の者たちには力の差があるということを、そろそろ教えてあげた方がいいのではないだろうか。
生きながら伝説化した「龍の都の英雄」の実力は、他者との比較が無意味を通り越して、いっそ馬鹿馬鹿しくなるほどまでに圧倒的なのである。
「来る……ヤツが来る……。たぶん、もう、そこまで……。あ」
すがり付くように中身のなくなった湯呑みを握りしめていた景郎が、突然びくりとして開け放たれたままの戸口を見た。
モユルが耳をすますと、遠くからどすどすという足音が聞こえてきていた。
間違いない、スサだ。足音で怒りを表現している。
スサならば足音どころか気配まで消して、不意打ちのように部屋に飛び込んで来ることも可能のはずだ。それをわざわざ自己主張しながら近づいてくるのは、心の準備をしておけという優しさか、はたまた恐怖心を煽る嫌がらせか。判断に迷うところである。
「もし戸を閉めたままだったら蹴り壊しかねない勢いだねぇ」
失礼な感想を述べたユラの発言が終わるか終わらないかのうちに、スサが戸口に姿を見せ――。
「龍戦士! アホか貴様はー!」
ものすごい剣幕で怒鳴りつけた。いつもなら欠かさないユラやモユルへの礼すら省いている。
「わーっ、やっぱりスサが来たあ!」
景郎が情けない悲鳴を上げて湯呑みを放り出し、四つん這いでユラの背中に這い逃げる。
「何が来たァかっ」
スサは獲物を狙う猛獣のように足音もなく瞬時に間合いをつめると、そのまま景郎の後ろ襟首をむんずと掴んで一息に持ち上げた。
「だってスサ、めちゃくちゃ怒ってるじゃないかー!」
片手一本で子猫のようにぶら下げられた景郎が、体を丸めてわめく。景郎とて決して背が低いわけではないが、もちろんスサとは比べるべくもない。
「怒られるのが嫌なら、どうして言いつけを守らなかったのだこの馬鹿者ッ! よりにもよって一撃だぞ一撃! よもや言伝てを聞いておらんとは言わせんぞ!」
「う」
それまで傍観していた、いや、正確には助け舟を出す隙が見つからずにおろおろと狼狽していたモユルは、自分が叱られているかのように小さく呻いて身をすくませた。
きちんと一言一句違わずに伝えたからには何の責任も負うことはないし、実際スサの怒りは景郎のみに向けられているのだが、性格的にどうしても何となく責任を感じてしまうのだ。
「ちゃんと聞いたよ! でもあんなの、ただの様子見じゃないか! まさかまともに入るなんて思わないだろっ」
そんなモユルを横目で見た景郎が、負けじと怒鳴り返す。
「相手の力量も読めんのか貴様はッ」
「だから力量を読むための様子見で終わっちゃったんだってば! なんであんなのが当たっちゃうかなあ」
「……龍戦士、貴様」
ふいにスサの語気が緩んだ。
「頭の回る奴かと思っていたが、もしや本当に馬鹿なのか?」
そこにユラが割り込んだ。
「その通り、馬鹿だよこの子は。それに気付いてなかったあんたも馬鹿だけどね」
「ば」
「む……」
男どもが二人揃って黙り込み、ユラは振り返りもせず、ずずずと音を立てて熱いお茶を啜った。
「それより、そろそろ人の頭の上で騒ぐのはやめてくンないかね。ゆっくりお茶も飲めやしないよ」
飲んでいる。いかにも呑気にゆっくり飲んでいる。
が、それを指摘する者はいなかった。
「スサ、あんたも景郎に説教するために来たんでもないんだろ。いいから本題に入りな」
「しかし義母上殿。後の遺恨を考えると」
「それでもやっちまったもンは仕方ないだろうさ。あれはあれで爽快だったしさ。もちろんスサ、あんたの心遣いは嬉しく思ってるよ」
「……どうも義母上殿はこの馬鹿に甘い気がしますが。是非もない」
スサは不満げに鼻を鳴らしつつも、ようやく景郎を降ろした。
「ではマテル女王随伴の詳細を伝える。明日の日の出前、城門前で待機しておけ」
「へ、城門? そんなとこで?」
膝を抱えたまま畳に着地した景郎が、不思議そうにスサを見上げた。
「陛下の言葉をそのまま伝えよう。待ち合わせ、だそうだ。二人の初めての逢瀬を楽しむには、まず雰囲気作りからだと」
「えーと、突っ込んじゃいけないんだよな、それ」
「そういうことだ。だが安心しろ、ヤトギ陛下の影が密かにお前たちを見張っている」
「……見張っているから妙な気は起こすなよって言うとこなんじゃないのか、普通は?」
「妙な気を起こせるのか、貴様は? アレに?」
「いやそーゆーことではなく」
スサのややこしい倒置法を使った質問返しに、景郎が苦笑した。
「まあ、いいか。……で、護衛にあたって予想される危険は?」
「マテル陛下がふらふらとうろつくのは今回が初めてではない。往来の多い都の中ならばともかく、人通りの少ない神域への道での危険は少ないだろう。しかしすれ違う人間には充分に注意しろ。お飾りとはいえアレはこの都の主だからな」
スサは嘘をついた。あらかじめ用意しておいた返答なので、淀みなく答えられたと思う。
「分かった。それで、スサはどうすんの? その影とかっていうのと一緒について来んの?」
「できればそうしたいところだが、あいにく俺は隠行が苦手でな。かえって悪目立ちしてしまう」
スサはここでも嘘をついた。いざとなればスサが来る、などという油断は万が一にもあってはならないからだ。
とは言え自分が嘘をつくのが下手なのは自覚しており、ユラや景郎が相手では遠からずぼろが出るのは明白なので、スサはさっさと退散することにした。
「龍戦士、しかと伝えたぞ。それでは義母上殿、俺はこれで失礼します」
「あ、スサ。ちょいと待ちな」
ユラが声をかけた。
「明けて二日の夜、景郎が帰って来たらウチで新年のお祝いをするからさ、来れるようならあんたも来な。もちろんモユルも来るよ」
「は。必ずお伺いします」
短く答えて退出したスサの足音が聞こえなくなった頃、景郎が笑いを含んだ声で呟いた。
「相変わらず、女王がからむと妙な緊張感を漂わせるなあ」
まさかそのおかげで、いつもなら簡単にバレていた嘘に気付かれずにすんだなど、当のスサにしても夢にも思わないだろう。
「まあ仕方がないさ。そこには触れないでいてやんな」
ユラがため息のような息を鼻から抜いて、急須と湯呑みを盆に片付け始めた。
「さ、あたしはこれでもう帰るけど、あんたたちは? シロガネを探しに行くかい」
「はい」
モユルは間髪いれず答え、景郎がそれに続く。
「あ、おれも行くよ。モユルさんを一人にはできないし」
「ごめんねカゲローさん。……あ、でも明日の準備は?」
景郎よりも先にユラが答えた。
「必要なものはお城の方で揃えてくるだろうから、個人的な手回り品だけだろ? それならあたしとカグチでやっておくさ。別れ際にでも何がいるか教えとくれ」
さっさと帰り支度を済ませ、立ち上がる。
「すまないね。シロガネの捜索はあたしも手伝ってやりたいところだけど、たまにはカグチに母親らしいことをしてやりたいんだ」
「いえ、そんな。ユラ導師はこのところ働きづめで家にもほとんど帰っていませんし、シロガネのことは――」
ユラと並んで部屋を出たモユルは、ここで「あ」と声を上げた。
「どうしたんだい」
「そういえばシロガネの件について、上がどんな判断をしたのか、スサ様に聞くのを忘れてました」
スサは「この件は俺に任せてください」と言っていた。それはもしかすると捜索等も含めて、何もするなという意味かも知れないではないか。
モユルがそう言うと、ユラは「あくまで個人的に捜すくらいなら、いいんじゃないかね」と気楽に答えた。
「もしお咎めが来たらその時に止めればいいさ。あたしが責任を持つ。それにあんた、じっとしてらンないんだろ?」
それはその通りである。王族や都の民がどう思っているかはともかく、モユルにとってシロガネは大切な友にして、家族なのだ。何もせず待てと言われて待てるものではない。
「すみません、ありがとうございます」
「なあに、――ん?」
モユルがユラの配慮に感謝して礼を言ったとき、どこか遠くで女性の悲鳴がした。
悲鳴と言っても絶叫などではなく、何かに驚いて思わず声を上げてしまった……程度のものだったが、「中庭の方ですね」と低く呟いた景郎が前に出た。このまま進むと中庭に面した回廊を通ることになる。
「あ、もしかしてシロガネが急に帰ってきたとか」
「そうだといいんだけどね」
モユルの希望的観測にも、景郎は緊張を弛めない。
やがて見えてきたのは、掃除番らしき女官たちが集まって何やら騒いでいるところだった。
「何かあったのかい?」
ユラが声をかけると、女官の一人が眉をひそめて答えた。
「あ、ユラ導師。そこの植え込みの陰に、ものすごい数の……蛇の死骸が」
「蛇?」
蛇と聞いて、モユルの記憶に引っかかるものがあった。
いなくなる時に見たシロガネは、暗闇の中で何かをくわえていたような気がしなかったか。それは細長くはなかったか。
「……まさか!」
思わず飛び出しかけたモユルの前を、式銃に手をかけた景郎がふさいだ。
「待ってモユルさん。おれが前に立つ」
「見るんですか? ああやだやだ、この寒いのにどうして蛇なんか。ここを片付けたら大掃除も終わりだったのに」
身震いする女官の声を背にモユルが覗き込むと、そこにはおびただしい数の死骸があった。それも十や二十ではない。
しかもそれらは全て、頭を潰されていた。
「これは……」
「シロガネ、だね」
モユルの確信を、景郎が引き継いだ。
「見てモユルさん。真新しいのから、ちょっと萎れたやつまである。あいつ、いつからこんなことを……?」
モユルは、サンチとハヤトから聞いた話を思い出す。彼らは、シロガネが毎晩のように城内をうろついていると言っていた。
それは、このためだったのだ。これだけの数の蛇が、たまたま冬眠もせず活動していたというのは、いかにも不自然である。つまりこの蛇たちは尋常なものではなく、マミカとの関連を疑うべきものだった。
シロガネは、「モユルを守る」という約束を果たしてくれていた。それも誰に言うでなく、たった一人で、ずっと守ってくれていたのだ。
そしていま、そのシロガネはいない。
状況が変わったのだ。何かが起きたのだ。
それはシロガネが何らかの目的意識を持っているかのように南へ去っていった、というハヤトの言からも明白である。
「シロガネ……」
ごめんね。疑ってごめんね。
モユルは胸の前で両手を握りしめた。
――さがさ、なくちゃ。
祈りにも似た願いが、決意に変わった。




