32 リュウノスの機能
「わ――」
分かってるならもっと、と言いかけて、モユルは言葉を失った。
もっと、どうしろと言うのだ。自分に何が言えるというのか。
「まったく、見かけによらず大した男だね、あんたは」
ユラが呆れたように言った。
「あんたたちをここに呼んだのは、まさにその話をしようと思ってたからなのさ。景郎の身体が生身じゃないことは、早くから予想できてた」
ではその身体は何なのか、景郎とはどういう存在なのか、だが――と、ユラは指を二本立てた。
「考えられる仮説は二つ、いや三つか。まず景郎の元の身体が直接タマヒに変換されたという可能性だが、もし本当にそんな現象が起こってたとしたら、こりゃもう完全にお手上げさね。それこそ〈モユルの魔法〉の一言で片付けるしかなくなっちまう」
「つまりユラさんは、他の可能性を見ていると」
景郎が先を促し、団子にかぶりついた。
ユラは団子の串を手にしたままで続けた。
「ああ。三次元術式法陣リュウノスの作動中に景郎が召喚されたというのは、やはり見逃せない要素だ。リュウノスは景郎が出現する瞬間までは、完璧に作動していた。ただ景郎の召喚という結果が違うから、はじめはあたしも術式が失敗したと思い込んじまってたんだが……さて、術式は本当に失敗したのか?」
突然リュウノスの話題を持ち出すユラの意図が分からず、モユルは混乱した。
「ど、どういうことですか。リュウノスが何かを召喚してしまうなんてあり得ないから、カゲローさんを喚んでしまったのは私の魔法のせいだって――」
あの夜、ユラは確かにそう言ったはずである。
「そりゃきっかけはあんたの魔法だろうさ。いま問題にしてるのは、景郎の身体を形成した直接の原因だよ。リュウノスの機能は、月の波動を宝珠に込めたタマヒに転写することだったね。いいかい、転写だ」
正確には、月の波動というのは条件設定に過ぎず、極論すればリュウノスの機能とは〈転写〉、それ一つのみなのである。
モユルはようやく理解した。
「転写……。それじゃカゲローさんは」
「リュウノスによってタマヒに転写されたモノなんじゃないかと、あたしは思う。そして転写され再現されたのが身体だけとは限らない」
ユラは三本目の指を立て、あたしの結論だ、と言った。
「景郎は、肉体と精神、まるごとリュウノスによって転写されたのではないか」
「ここにいる俺は、コピー……偽物だってことですか」
内容の深刻さの割には、世間話をしているかのような呑気さで景郎が言った。食べ終えた団子の串を皿に戻しながらなので、緊張感のなさに拍車がかかっている。
そんな景郎をじっと見つめるシロガネの背中をユラがゆっくりと撫で、串から外した団子を一つ与えた。
「そういうことになるね。仮にここにいるあんたの心が本物だとして、元の世界の、心が抜けちまった身体がどうなっているのか分からないから、あんたにとってどっちがいいのかも分かんないけどさ」
「そういうことなら、ここにいる俺は全部複製の方がいいなあ。父さんと母さんに心配かけないで済むし」
事もなげに言う景郎を、モユルは信じられない思いで見た。
「複製の方がいいって……」
「だって複製だって言われても、自覚はないしさ」
そんな簡単に割りきれるものだろうか。
思えば景郎は、自分が人ではないと知ったときも淡々と事実を受け入れていたように見えた。
かつてモユルは、自ら望んだわけではない魔法の力のせいで差別されていた頃や、人を遥かに超越したタマヒ許容量があると分かったとき、自分は何者なのか、本当に人なのか、もしや人々の言うように魔物なのではないかと、随分と悩んだものなのだが。
それが、景郎にいたっては人ではないばかりか、心すら作られたものかも知れないというのに、この落ち着きは何なのだろう。
「カゲローさん……無理、してない?」
「そりゃしてるよ」
景郎があっさりと認めた。
「いまの話だと、何がどう転がってたって、必ずどこかに不都合が出るじゃないか。不安だよ」
もし身体ごとこちらに来ていたなら本来の肉体は失われており、心だけが来ていたなら元の世界には中身を失った身体が取り残されており、完全に複製ならばこの景郎は偽物で、しかも帰る場所がないかも知れないのだ。
そして誰も口にはしないが、タマヒで作られた身体がいつまで保つのか、それともこのまま安定しているのか、全く分からないのである。
「そ、そうよね。ごめんなさい」
言わなくていいことを言ってしまったと小さくなって謝るモユルに、景郎がことさら大きな声で、だからさ、と言った。
「モユルさん、慰めてよ」
「慰めてよって……」
何か嫌な予感、いや、ほぼ確信に近いものを覚えたモユルの目の前に、わきわきと動く景郎の右手がゆっくりと差し出された。
「もちろんおっぱ」
「その手はやめなさい」
モユルは熟練の戦士もかくやという素早さで皿に戻された串を取り、返す手で景郎の手をつついた。
「ぬおおお、手が、手があああ!」
軽くつつかれただけで刺さってもいないのに、景郎が大袈裟に転げ回る。
モユルは、何だか心配するだけ無駄な気がしてきた。
「もう、真剣に話してるのに」
景郎が何事もなかったかのように、むくりと起き上がる。
「いやあ、どーせなるよーにしかなんないしさ。それよりモユルさん、だんだん突っ込みが激しくなってきてない?」
「カゲローさんが馬鹿なこと言うからでしょ」
「馬鹿とは心外な。おっぱいは――いえ何でもないです」
今度は本気で刺す気で串を構えたモユルの殺気を感じ取ったらしい景郎が口を閉ざしたが、代わりにシロガネがユラの膝から頭を上げた。
「おっぱい?」
「何でもないっ。寝てなさい!」
ここでまたシロガネにモユルのおっぱいがどうのと駄々をこねられては堪らない。城に来る前に立ち寄ったユラの家での一件で、さすがの景郎も懲りたかと思っていたが、甘かったようである。
ユラが面白がって茶々を入れた。
「なんだいあんたたち、たった一日でずいぶん仲良くなってるじゃないか。もしかして何かあったのかい」
「ありませんっ!」
景郎がキメ顔であごに手を当て、鼻から息を吹いた。
「むむ。むきになって否定するところが怪しい……」
「アンタは当事者でしょーがっ」
神殿への道行きでは見直す所も多かったが、やはり何を考えているのかさっぱり分からない男である。
あるいはもしかして、景郎はモユルが思うより遥かに大物なのだろうか。そう言えば、こうやって己れの不幸を笑い飛ばして受け入れてしまうあたりは、ユラに似ているかも知れない。
じっと見つめるモユルの視線に、景郎が居心地悪そうに姿勢を正した。
「まあ、冗談はともかく。ユラさん、さっきの話って、何か根拠があるんですか?」
「ああ。決め手になるほどのものじゃないし、心については分からないままだが、少なくともリュウノスが作動したかどうかを探る手はある」
ユラが袂から糸切り鋏を取り出した。
「ちょいと試してみようか。景郎、これでそのジャージの端っこを切り落としてみな。――ああ、そんなに切らなくていい。ほんのちょっぴりでいいんだ」
言われるままに景郎が切り落とした切れ端は、すぐにタマヒに分解された。
「ふうむ、やっぱりね。非常に珍しい現象だが、その服はタマヒで出来てるよ」
珍しいどころか前代未聞である。
「――ってことは、ユラさん。実はこの斬られたところ、元々はもっと切り口が大きかった気がしてたんですけど、もしかして」
「恐らくリュウノスによって〈そういう形で在るモノ〉として設定され再現されているために、ある程度なら自己修復されるんだろうね――あんたの身体と同じ様に」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
モユルは慌てた。
「タマヒで出来た服なんて、聞いたことがないですよ! なんでそんなに平然としてられるんですか」
「なんでって、仮説を立て、検証し、強化された、それだけのことじゃないか。それに検証材料はまだあるよ。……景郎、あんたの身体は、何故かタマヒを引き寄せているね?」
ユラは串を口にくわえると、おもむろに魂見の印を結んだ。
「ちょいとあんたを視させてもらうよ。――吾見ゆ」
略式の詠唱をしたユラは、ほんの一呼吸で術式を解き、モユルに向かって、あんたも視てごらんと言った。
「え――でも」
実体化したタマヒは、見かけ上は実際の物質のように振る舞う。モユルには、実体化している景郎に魂見の術式を使う理由が分からなかった。
「違う、そっちの魂見じゃない。深く視るんだ。月を視るようにね」
「あ……」
一瞬だったので判別し難いが、言われてみれば展開された術式法陣は、通常の魂見とは少し違っていたような気がする。モユルは、ユラが独自に改良したもう一つの魂見を行使した。
ユラの研究成果の一つに、この世のあらゆるものには固有のタマヒの振幅――波動があり、光にもいくつかの種類が存在する、という発見がある。
それは龍脈召還計画――三次元術式法陣〈リュウノス〉の理論的根幹を成す、この師弟の他には知る者のない最秘奥であり、ユラはそのモユルに「月を視るように」と言った。
すなわち景郎の波動を視ろ、という意味である。
「深くって――やだ、ゴーストラインまでは降りてこないでね」
意味の分からないことを言う景郎に構う余裕もなく、モユルは術式に集中した。通常の魂見と違い、この術式はとにかく術者に極度の集中を強いるのだ。
果たして景郎の放つ波動は、通常の生物ならあり得ないはずの、単一で、しかも強いものだった。
「これは……この波動は」
ユラが串を握りしめて、力強く頷いた。
「そう、龍の巫女のあんたなら判るね。景郎は月と同じ波動を放ち、そしてタマヒを引き寄せている。つまり――景郎自身がリュウノスの成果なんだ。術式は成っていたんだよ。これが根拠さ」




