第4章 奪われた中枢
「助ける、ねえ」
その言葉ほど、口にしたやつの目を見たほうがいい台詞はないと思う。
たとえば今みたいに。
九条ハヤトは、探索局の封鎖線の外で、やけに人のいい顔を作っていた。爽やか寄りの声色まで乗せて、「カナタを連れ戻す」と言っている。知らないやつが聞けば、仲間思いのリーダーに見えるだろう。実際、周りの連中はちょっと感心した顔をしている。腹立つことに、絵面だけなら完璧だ。
でも俺は知ってる。
あいつの“助ける”は、利用価値があるうちだけだ。
価値がなくなれば、崩落する床の上に平気で置いていく。
地上の情報を持ってきてくれたスズの端末に映る監視記録の一部を、俺は中枢区画の壁際で睨みつけている。配信の切り抜き、探索局の公開会見、現場周辺の投稿動画。その中に、篠宮ヒナの姿もあった。
白い救護ジャケット。少し疲れた顔。唇をきゅっと引き結んで、ハヤトの横に立っている。
胸の奥が、嫌な感じにざらつく。
「見ないほうが楽よ」
スズが俺の隣で言う。
「わざわざ刺さりにいってる顔してる」
「性格が真面目なんでな。自傷系の確認作業をしがちなんだよ」
「そこは見栄張るところでしょ」
「見栄は張る。現実も見る。忙しいだろ」
軽口は出る。でも、端末の中のヒナから目が離せない。
幼なじみだ。小さい頃、家が近くて、よく一緒に帰った。俺が熱を出した時に保健室まで引っ張っていったのも、ヒナだ。探索科に入ってからは、立場が少しずつずれて、話す機会も減った。減ったけど、それでも完全に切れたわけじゃなかった。
だから余計に、今の位置がきつい。
ハヤトの隣にいる。
俺を落とした男の隣に。
「……アーキヴ」
「なんだ」
「ヒナがここへ来る可能性は」
「高い」
即答かよ。優しさゼロか。
「ハヤトは利用できる人間を使う。彼女はお前の生存を信じる動機を持っているし、救助を口実に誘導しやすい」
「嫌な分析だな」
「事実だ」
「知ってる」
知ってるのが、いちばん嫌なんだよ。
俺は設計台の前に立つ。中枢区画の青い画面が、いつもより少しだけ明るく見える。気のせいかもしれない。気のせいであってほしい。
第3章の一件以来、俺は迷宮の防衛をかなり強化していた。非殺傷の迷路区画、強制転回廊下、魔力封じの石格子、侵入者を眠らせる胞子室、偽の中枢室。偽装も増やした。嫌がらせと性格の悪さが、だいぶ高い次元で融合している。設計者としては順調だが、人間性としては少し心配になる。
「歓迎会の準備、できてる?」
スズが壁にもたれたまま言う。
「三段階で出迎える。まず迷う。次に疲れる。最後に泣く」
「性格悪っ」
「迷宮の主だからな」
「その肩書き、便利に使うわね」
便利だ。とても便利だ。だいたいの嫌味を正当化できる。
だが今日に限っては、内心の落ち着かなさを隠すためでもある。
ハヤトは来る。たぶん、かなりの戦力を連れて。
そしてヒナも来る。
迎え撃つ。そう決めてる。
決めてるんだが、胸の奥に小骨みたいな違和感が刺さったままだ。
「カナタ」
スズの声が、ほんの少しだけ真面目になる。
「ヒナが来ても、あんたが無理に会う必要ない」
「……それはそれで後悔しそうだ」
「会っても後悔するかもよ」
「知ってる」
「なら、どっちの後悔がマシかで選びなさい」
それはずるい言い方だ。ずるいけど、たぶん正しい。
俺が返事をしないでいると、迷宮外周に新しい反応が現れた。
赤い点が、いつもよりまっすぐ進んでくる。迷いがない。外周迷路の薄い部分を選び、迂回路を正確に使って、最短ではないが安全なラインを通っている。
「……は?」
俺は思わず画面を拡大する。
「なんでそこを知ってる」
「え」
スズも画面を覗き込む。
そこは、通常の侵入者には見抜けないはずの搬送路だ。素材を回収するために俺が後付けした細いメンテ通路で、防衛区画とは別系統。知っているのは俺と、スズと、アーキヴだけ。
いや。
もう一人だけ、可能性がある。
俺の喉がひどく嫌な感じに乾く。
「ヒナ……」
画面の先頭反応は軽い。戦闘職の動きじゃない。途中で何度も立ち止まり、周囲を確認しながら、それでも迷わず“抜け道”を進んでくる。
ハヤトの部隊本体は別ルートだ。
つまりこれは、先行案内。
「嘘だろ」
「まだ決まってない」
スズが即座に言う。
「助けに来た可能性も――」
「抜け道をハヤトに渡した時点で十分決まってる」
言ってから、自分で自分の声の固さに驚く。
怒ってる。
思ってたより、ずっと。
アーキヴが横から無慈悲に補足する。
「侵入経路の一致率九三パーセント。偶然ではない」
「黙れお前、そういう時だけ精密機械みたいな数字出すな」
「事実を言っているだけだ」
今日はみんな正論が鋭い。刺さり放題だ。
俺は深く息を吐き、設計画面を切り替える。だったらやることは一つだ。迎え撃つ。ただし、ヒナは殺さない。絶対にだ。
「方針変更」
俺は画面を操作する。
「第一迷路区画、対人拘束モード。搬送路は半分だけ開放。偽中枢への誘導を増やす。あと、ヒナが単独で来たら保護室へ落とす」
「保護室?」
スズが眉を上げる。
「言い方は優しいけど中身どうなってるの」
「ふかふかの床、ロック可能、外から様子が見える」
「牢屋じゃない」
「保護だから」
「その屁理屈、嫌いじゃないけど今はイラつく」
それでもスズは手を貸す。迷宮の死角に監視用の小型反響板を設置し、複数方向の音を拾えるようにしていく。俺の地形把握と、彼女の音響探知。相性がいい。悔しいがかなりいい。
準備を終えた頃、外周で雷が弾けた。
ハヤトだ。
派手な侵入音を響かせながら、やつは自前の部隊と一緒に迷宮へ踏み込んでくる。重装の探索者が三人、索敵が一人、回復役が一人。そして、その少し後ろにヒナ。
「ほんとに連れてきてる……」
スズが顔をしかめる。
「最悪」
「性格が悪いとかいう次元じゃねえな」
俺は監視穴から実際の様子を見る。
ハヤトは相変わらず堂々としていた。人の迷宮だろうが、他人の拠点だろうが、自分の通り道だと言わんばかりの歩き方だ。その後ろでヒナが何か話しかけている。唇の動きは見えるが、声までは届かない。
たぶん、カナタは本当にここにいるのか、とか。
危険すぎる、とか。
そういう、まともなことだろう。
でもハヤトは笑っている。
あの笑い方を、俺は知ってる。
相手に安心させる時の顔だ。利用する相手を、いい気分で働かせる時の顔。
胸の中で何かがごり、と音を立てる。
「……歓迎どころじゃねえな」
俺は通路構造を動かす。
第一層。ループ廊下。
部隊の先頭二人が三周する。索敵が異常に気づき、魔力で壁を探る。そこへ床傾斜。全員まとめて滑る。悲鳴が上がる。よし。
第二層。視界撹乱霧。
発光粒子を混ぜた薄霧で距離感を狂わせる。普通ならここでかなり足止めできる。だがハヤトは雷を放って空気ごと霧を裂いた。雑だ。雑だが突破力があるのが腹立つ。
第三層。回転壁区画。
部隊を分断する。ハヤト、前衛一人、ヒナ、その他で綺麗に散った。ここでヒナだけ保護室へ――と思った瞬間、ヒナが自分から脇の細い通路へ飛び込む。
「待て、そっちじゃ」
俺の声は届かない。
だが、その通路の先がどこへ繋がっているかを知って、背中が冷えた。
そこは昔、俺が仮組みの時に使っていたメンテ穴だ。
今は塞いであるはずだが、完全じゃない。薄い。
「なんでそこを」
「覚えてたのね」
スズが低く呟く。
そうだ。ヒナは覚えていた。
まだ俺がパーティにいた頃、地図の下書きをしていた時、俺は何度か“構造の癖”を話してしまっていた。どこが薄いか、どこに逃げ道が作れそうか、どういう配置が安全か。雑談みたいに。信用していたから。幼なじみだったから。
ああ、最悪だ。
俺が渡した知識で、俺の迷宮が破られる。
「カナタ!」
スズが呼ぶ。
俺は我に返る。ヒナの通ったルートを塞ぐ。だが一歩遅い。そこへハヤトが雷槍を叩き込み、薄い壁ごと突破した。
轟音。
石片。
ひび割れる中枢前廊下。
「くっそ!」
迷宮が悲鳴を上げるみたいに震える。自分の場所を壊される感覚って、こんなにも生理的に嫌なのか。胃のあたりがぞわぞわする。虫を押し込まれたみたいに。
「迎撃に出る」
俺は短く言う。
「私も行く」
「無理すんな。正面からハヤトとやり合うな」
「誰に言ってんのよ」
「たまに無茶する配信者に」
「それ、自己紹介?」
言い合ってる暇はない。俺とスズは中枢前広間へ出る。
そこは俺がかなり手を入れた場所だ。高い天井、三方向に伸びる通路、罠制御用の柱、床下に隠した可動ブロック。迷宮の心臓部に近い、防衛の要。ここを抜かせるわけにはいかない。
だが、既に一角は砕けていた。
雷で焼け、崩れた石が散らばっている。
その向こうにハヤト。
隣に重装の部下。
少し遅れてヒナ。
ヒナは俺を見て、はっきり息を呑んだ。
「……カナタ」
その声だけで、少しだけ昔を思い出しそうになる。だめだ。今はだめだ。
俺は先に口を開く。
「よう。救助にしては随分うるさい入室だな」
軽く言ったつもりだったが、喉が少し固い。
ヒナは一歩前へ出る。
「違うの、私……」
「抜け道、教えたよな」
俺が遮ると、彼女の顔が凍る。
図星か。
だったら余計に、胃が痛い。
「ハヤト先輩が、カナタを助けるって……ここに閉じ込められてるかもしれないって言うから」
「で、信じた」
「私、カナタが生きてるって聞いて、居ても立ってもいられなくて……」
「結果、案内して敵を連れてきた」
言葉が鋭くなる。止められない。
ヒナの目に涙が浮かぶ。そうだろうな。泣きたいのはわかる。わかるけど、今の俺にその涙を受け止める余裕はない。
「カナタ、私は――」
「遅いんだよ」
空気が、ぴたりと止まる。
俺自身、その一言が出たことに少し驚いた。
でも本音だった。
「俺が落ちた後、お前が何を思ったかは知らない。心配したのかもしれない。信じたかったのかもしれない。けど、遅い。もう遅いんだよ、ヒナ」
俺の声は低い。冷たい。自分でもわかるくらいに。
その瞬間、横でハヤトが笑った。
「感動の再会は終わりか?」
心底、殴りたくなる声だ。
「お前さ、ほんと便利だな。泣かせとけば勝手に道が開く」
ヒナがはっとしてハヤトを見る。
「……え」
「助ける? そんなこと言ったっけ?」
わざとらしく首を傾げる。演技がうまい。死ぬほど腹が立つ方向に。
「俺が欲しいのは、カナタそのものじゃない」
ハヤトの視線が、俺の背後――中枢制御柱へ向く。
「あれだろ」
ぞくり、と背筋が冷えた。
やっぱり知ってやがる。
完全には理解してないかもしれない。だが“何か中心になるもの”があると読んでいる。しかも、そこを奪えばいいとも。
「スズ!」
俺が叫ぶと同時、スズが左通路から飛び出す。短剣が閃く。ハヤトの部下の首筋――ではなく、装甲の継ぎ目を狙う正確な斬撃。ひとりが膝をつく。
「ここから先は有料よ、クソ野郎」
「相変わらず口が悪いな、橘」
「褒め言葉に聞こえないわね」
戦いが始まる。
俺は床を二列動かし、前衛二人の足場をずらす。重装の片方が体勢を崩したところへ、壁槍。だがハヤトが雷で強引に焼き切る。出力が馬鹿だ。電気代どうなってる。
スズは素早い。左右へ跳び、短剣で牽制しながら音響で敵の位置をずらす。部下の一人を回転壁へ誘導し、そのまま閉じ込めた。うまい。
でも、ハヤトだけは別だ。
あいつは迷宮のルールを守らない。
力で踏み潰す。
雷槍が床を走り、俺の可動ブロックをまとめて焼く。熱風が頬を舐め、石の焦げた匂いが広がる。迷宮の一部が“死ぬ”感覚が伝わってきて、頭がずきりと痛んだ。
「っ……!」
「カナタ!」
スズの声。
次の瞬間、ハヤトが俺の真正面に踏み込んでくる。速い。予測していてもなお、速い。槍の穂先が雷をまとって、視界を裂く。
俺は咄嗟に壁を出す。石壁が一枚、二枚。しかし三枚目ごとまとめて砕かれる。
「お前、やっぱり持ってたな」
ハヤトが笑う。
「地図読むだけの雑魚じゃないと思ってた」
「褒めるなら別のタイミングにしろ」
「なら奪った後で言ってやるよ」
最悪の親切だな。
俺は後退しつつ床を開く。落とし穴。だがハヤトはそれすら踏み台にして飛ぶ。おかしいだろ、その運動神経。高校生の範囲からだいぶ逸脱してる。
「カナタ、下がって!」
スズが割って入る。短剣と雷槍がぶつかり、火花が散る。無茶だ。真正面から受ける相手じゃない。
「おい、無茶すんなって言ったよな!」
「今さら!」
その言い返しと同時、ハヤトの肘打ちがスズの脇腹に入る。
嫌な音がした。
スズの体が横へ吹っ飛び、制御柱に叩きつけられる。息が詰まったような声。床に膝をつく。血が口元から落ちる。
視界が、一瞬だけ赤くなる。
「……てめえ」
俺の中で何かが切れる。
軽口が飛ばない。
笑えない。
ただ、熱い。
熱いのに、頭だけ妙に冷える。
俺は設計画面を最大展開する。広間全部を対象に、構造権限を解放。床をずらす。壁を生やす。天井を落とす。通路を丸ごと反転。迷宮が俺の怒りに合わせて変形する。
轟、という低い音が広間を満たす。
ハヤトの部下が悲鳴を上げる。床が傾き、壁が挟み込み、出口が消える。逃げ道を失った二人を石格子で閉じ込める。回復役は天井から落ちたブロックに押し潰される寸前で停止。死なないギリギリ。そこは守る。俺はそこまではやらない。
だが、ハヤトには違う。
「へえ」
あいつはむしろ楽しそうだった。
「そうこなくっちゃな、カナタ」
「黙れ」
俺は床下から石柱を一斉に突き上げる。ハヤトは躱す。壁が迫る。雷で砕く。通路が反転し、足場が消える。空中で体をひねって別の壁を蹴る。何なんだこいつ。本当に人間か。
でも、押してはいる。
迷宮全部が俺の腕みたいに動く。
怒りで精度が上がるなんて、性格としてはよろしくないが、戦術としては強い。
「カナタ……やめて……!」
ヒナの声が飛ぶ。
振り向けば、彼女は広間の端で立ち尽くしている。泣きそうな顔で、でもまだハヤトの近くにいる。近くにいる時点で、俺の中の何かはもう許してくれない。
「下がってろ!」
俺が怒鳴った、その一瞬。
ハヤトが笑った。
最悪の予感がした時には遅い。
やつはわざとヒナの方へ飛ぶ。俺が壁を出せない位置へ。保護しようと俺の制御が鈍る、その隙を狙って。
「そういうとこだよ、お前は」
ハヤトの雷槍が、広間中央の制御柱を貫いた。
青い光が、ひび割れる。
「――あ」
喉から変な声が漏れる。
まずい。
そこはまずい。
中枢制御柱。俺の設計権限を物理的に安定させてる要だ。完全な本体じゃない。でも、ここを破られると権限の流れが乱れる。
俺が駆け出す。
間に合わない。
二撃目。
三撃目。
制御柱が砕け、中から青白いコアが露出する。拳大の結晶体。脈打つように光るそれを見て、ハヤトの目が獣みたいに光った。
「やっぱり当たりか」
「触るな!」
叫んだ瞬間、ハヤトの手がコアを掴む。
雷と青光が激しく弾ける。
広間全体が揺れた。足場が波みたいにうねる。壁の位置が狂う。上下感覚が歪む。迷宮そのものが、ひどい熱を出して暴れ始めた感じだ。
【警告:設計権限の一部が外部接続されました】
【権限競合を検出】
【迷宮構造が不安定です】
画面の警告が見たことない勢いで流れる。
「っ、くそ……!」
頭が割れそうに痛い。片方の腕を無理やり引っ張られるみたいな感覚。権限の一部を、持っていかれてる。
ハヤトが結晶を握ったまま笑う。
「なるほどな。これが、お前の力か」
「返せ!」
床を持ち上げる。壁で挟む。だがもう遅い。権限競合で俺の制御精度が落ちている。壁は途中でねじれ、床は意図しない位置で割れる。
迷宮が暴走を始めた。
通路が勝手に伸びる。
部屋が反転する。
天井と床の向きが狂う。
遠くで、食料庫の棚が崩れる音。加工台の石が砕ける音。寝台のある部屋が、ひしゃげるような振動。
俺の場所が壊れていく。
それを理解した瞬間、怒りとは別の痛みが胸を貫いた。
「やめろ……」
誰に言ってるのかわからない声が出る。
ハヤトか。迷宮か。自分か。
スズがよろめきながら立ち上がるが、その肩を落ちてきた石片が直撃する。彼女が小さくうめいて、膝をついた。
「スズ!」
俺は反射でそっちへ走る。
その一瞬で、ハヤトとの距離が開く。
あいつはもう深追いしない。目的を達した顔だ。
「カナタ……逃げて……」
スズの呼吸が浅い。脇腹と肩をやってる。血が制服をじわじわ濃くしていく。
俺は彼女を抱き起こす。軽い。いや、軽いとか言ってる場合じゃない。熱い。血が。
「ヒナ!」
俺は思わず叫ぶ。
医療スキル持ち。こういう時なら動けるはずだ。助けてくれ。そう叫びそうになった、自分に腹が立つ。
でもヒナは一歩も動けない。泣いたまま、その場で固まっている。ハヤトに利用され、俺に拒絶され、何もできなくなってる。
「……くそ」
罵る相手が足りない。
俺はスズを抱えたまま、広間の出口へ向かう。背後で壁が崩れ、部屋が反転し、床が割れる。迷宮の悲鳴が耳の奥で鳴り続ける。
「アーキヴ! 脱出路!」
「南東搬送路。だが長くは保たない」
「十分だ!」
俺は走る。足首の古傷が抗議するが無視だ。今さら痛いとか言ってる場合か。抱えたスズの息が肩口にかかる。かすれている。でも生きてる。
通路を抜ける途中、振り返ってしまう。
見える。
最初に作った小部屋。
拡張した食料庫。
鍛冶台。
収納箱。
三重罠の入口。
俺が掘って、積んで、笑って、“ここは俺の場所だ”と思えた中心。
それが、崩れていく。
壁が折れ、天井が落ち、部屋の形がねじれ、全部が“俺の意思じゃない動き”で壊されていく。
胸の奥が空っぽになる。
居場所を壊されるって、こんな感じなのか。
殴られるよりきつい。
見下されるよりきつい。
役立たずって言われるより、ずっと。
「カナタ……」
スズが薄く目を開ける。
「前、見て」
「……ああ」
だめだ。今は立ち止まれない。
俺は最後の可動壁を開き、南東搬送路へ滑り込む。直後、後ろの通路が崩落した。石煙が押し寄せる。ギリギリだ。ほんとにギリギリ。
外縁近くの退避空間まで辿り着いて、俺はようやくスズを下ろす。即席の寝台を設置し、収納箱から止血布を引っ張り出す。手が震える。こんな時に限って震えるなよ、役に立て。
「しっかりしろ」
「うるさい……配信中でもないのに、大声……」
「元気じゃねえか」
「痛い……」
「それはそうだろ」
止血する。応急処置だけじゃ足りない。ヒナがいれば、って考えた瞬間、自分で自分を殴りたくなる。
その時、アーキヴが静かに言った。
「お前は作る理由を間違えた」
俺は振り向く。
「……は?」
「見返すために作った。見せつけるために広げた。怒りで拡張した。だから奪われた時、迷宮は脆くなる」
「説教かよ、今」
「違う。記録の継承だ」
いつもの平坦な声なのに、その中に少しだけ苦いものが混じっている気がした。
「前任者も同じだった」
その言葉に、何も言えなくなる。
見返したかった。
認めさせたかった。
俺を捨てた連中に、“間違ってたのはそっちだ”って突きつけたかった。
だから作った。
だから強くした。
だから、壊された時、こんなにも何も残らない感じがするのか。
遠くで、迷宮の崩れる音が続いている。
ハヤトは中枢の一部――権限の欠片を持ち去ったはずだ。あいつなら使う。俺の力を、俺を踏み台にするために。最悪の形で。
俺はその場にへたり込む。
膝が冷たい石に当たる。手のひらが血と埃で汚れている。笑えるくらいぼろぼろだ。
何かしなきゃいけない。
追うべきだ。
止めるべきだ。
わかってる。
でも今は、体が一ミリも動かない。
スズが横で苦しそうに息をしている。
迷宮は崩れている。
ヒナの顔が脳裏にちらつく。
ハヤトの笑い声が離れない。
俺は、ただ膝をつく。
初めてだった。
罠も、壁も、軽口も、何も出てこない。
目の前で自分の場所が壊されて、守りたいものに傷がついて、それでもすぐ立ち上がれない自分が、ひどく情けない。
けど、その情けなさからも目を逸らせない。
「……クソ」
やっと出た言葉は、それだけだった。
短い。安い。どうしようもない。
でも、今の俺にはそれが精一杯だ。
崩壊音の向こう、上層接続側で新しい振動が走る。
地上に向けて、巨大な構造がせり上がっていく感覚。
俺にはわかる。
ハヤトが持ち去った中枢の欠片が、現実側に反映され始めている。
新しい迷宮が生まれる。
俺の設計じゃない。
俺の居場所を食い破って、別の怪物が地上へ顔を出す。
最悪だ。
本当に、最悪だ。
俺は拳を握る。
でも今は、まだ立てない。
立てないまま、壊れた迷宮の音を聞いている。
それが、自分の胸の内側が崩れる音と、妙にそっくりで、余計に腹が立った。
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