第1章:追放された俺、最下層で“作る側”になる
3作目はダンジョン物です。またよろしくお願いします。
「……は?」
その一言が、今日の俺の扱いをだいたい説明している。
湿った石の匂いが鼻につく。都立蒼星高校の探索実習用ダンジョン第三層、通称“中級者が調子に乗って痛い目を見るフロア”。天井からは冷たい水滴が落ち、遠くではスライムがぐちゅ、と夢のない音を立てている。足元の砂利は妙に滑るし、壁に生えた発光苔はうっすら青くて、顔色の悪さだけは盛ってくれる親切設計だ。
そんな場所で、俺――朝霧カナタは、地図端末を片手に立っている。
役割は地図係。言い方は聞こえがいいが、要するに前に出ない係だ。いや、違うな。前に出させてもらえない係だ。
「九条先輩、この先十メートルで右に分岐です。左は魔力反応が薄いですけど、床が空洞っぽい。崩れるかも」
俺が端末を見ながらそう言うと、先頭を歩く九条ハヤトが肩越しに笑う。金髪混じりの髪が、発光苔の光を受けてやたら絵になるのが腹立つ。
「なるほどな。右に行くぞ。左は落盤の危険ありだ」
今の、丸ごと俺の情報なんだけどな。
後ろにいた実習担当の教官が感心したようにうなずく。
「さすが九条だ。判断が早い」
おい教官、いま俺がしゃべってたんだが。鼓膜、今日休みか?
口に出したらめんどうなので、俺は笑うだけにしておく。こういうとき、黙って飲み込むのは得意だ。得意になりたくてなったんじゃないけど。
「カナタ、ぼーっとすんなよ」
ハヤトの取り巻きの一人が、わざとらしく肩をぶつけてくる。
「地図係が迷ったら笑えねえだろ」
「笑えるだろ。俺が迷う前提なのがまず失礼だし」
「口だけは達者」
「そりゃどうも。剣振るより舌回すほうが燃費いいからな」
くすっと笑う声が後ろからした。振り向くと、救護担当で参加している篠宮ヒナが、困ったような顔で目をそらす。幼なじみだ。たぶん笑ったのを俺に見られたくないんだろう。今の俺をかばえば、自分まで空気が悪くなる。そういうの、わかる。
わかるから余計に、胸の奥が少しだけ痛い。
進むたび、俺は端末に地形を書き足していく。目立たないけど、この作業がないと帰り道を見失う。魔力の流れ、壁の厚み、わずかな空気の変化。俺はそういうのを拾うのが得意だ。というか、得意だから今までこのパーティが事故らずに済んでる場面、わりとある。
でも、称賛されるのは前衛。派手に雷をぶっ放すハヤト。魔物を斬るやつ。配信映えするやつ。地図を作るやつは映らない。映らないやつは、いなかったことになる。
便利だな、この世界。
第四層へ降りる手前で、また分岐だ。俺は壁に手を当てる。ひんやり冷たい石の向こうで、空洞が響いている。
「待ってください。この先、変です」
「何がだ」
「空気が流れてる。未発見の空間が近いかも。それと、床の下が薄い。多人数で乗るとまずい」
ハヤトがちらっと俺を見る。その目だけは、俺をちゃんと見ていた。
こいつは知っている。俺の索敵と地形把握が、役立たずなんかじゃないことを。
だからこそ、余計にたちが悪い。
「へえ。じゃあ、お前が先に行って確かめろよ」
「は?」
「地図係だろ。安全確認も仕事だ」
教官は止めない。止めろよ。教育って言葉、君の辞書で死んだ?
俺はため息をついて前に出る。こういう押しつけも慣れている。壁に沿って、重心を落として歩く。床の振動は軽い。だが、中央はだめだ。踏み抜く。
「端を通ってください。中央は――」
言い終わる前に、後ろでドン、と激しい衝撃音が響いた。
雷槍だ。
ハヤトが魔物でもいないのに能力を放ったらしい。眩しい閃光が通路の先で炸裂し、次の瞬間、床全体が低くうなる。
嫌な音だ。石が悲鳴を上げる音。
「崩れるぞ!」
俺が叫ぶより早く、床に亀裂が走る。蜘蛛の巣みたいに広がったそれは、一拍遅れて全部まとめて抜けた。
視界がひっくり返る。
「うおっ!」
体が浮く。胃が置いていかれる。耳元でヒナの悲鳴がした気がしたが、それもすぐに轟音へ飲まれた。崩れた石と土砂が一緒くたになって落ちてくる。肩にぶつかる。背中を打つ。息が詰まる。
必死に何かにつかもうとして、指が空を切る。
そのとき、穴の縁にハヤトの顔が見えた。
見えた、というより、見下ろされた。
「九条先輩! 手を――!」
俺は叫ぶ。情けないと思う暇もない。落ちた先が見えない。助けを求めるのは本能だ。
ハヤトは穴の向こうで、静かに笑った。
「悪いな、カナタ」
ぞっとするくらい、あっさりした声だった。
「お前、もう足手まといなんだよ」
背筋に冷たいものが走る。落ちる恐怖とは別の寒気だ。
「……ふざけんな」
「地図はもらってる。お前がいなくても困らない」
こいつ。
こいつ、最初から。
「役立たずはここで終わりだ」
その言葉と一緒に、ハヤトの姿が遠ざかる。助けを呼ぶ声も、慌てる足音も、全部上に消えていく。俺だけが下に落ちていく。
ああ、そうか。
見捨てられたんじゃない。
切り捨てられたんだ。
次の瞬間、俺の体は石の斜面に叩きつけられ、そのまま何度も跳ねて、最後に硬い地面へ転がり落ちた。
肺の中の空気が全部抜ける。痛い。というか、全身がまとめて「抗議します」と叫んでいる。右足首が特にまずい。動かしただけで、視界の端が白くなる。
「っ……は、はは」
笑うしかない。笑わないと、たぶん今すぐ泣く。
周囲は真っ暗だ。頭上、はるか遠くに小さな穴の光があるが、あれは星より遠い。湿気が重くまとわりつき、土と鉄の匂いがする。水滴がどこかで落ちる音が、やけに大きく響く。
終わったな、と思う。
ここが何層なのかもわからない。通信端末は落下の衝撃で死んでいる。食料も少ない。足もやった。地上まで登れるわけがない。モンスターが来たら終わり。来なくても、そのうち終わり。
なんだよ、それ。
俺、こんな終わり方かよ。
誰かの手柄を横取りされて、最後は穴に捨てられて、名前も残らずゲームオーバー。あんまりだろ。クソゲーにもほどがある。
壁に拳をぶつけようとして、痛みで途中でやめる。ダサい。最後までダサい。
「役立たず、ね」
その言葉を口にした途端、胸の奥で何かがぎゅっと縮む。怒りか、悔しさか、たぶん両方だ。
役に立たないのが怖い。
いらないって言われるのが怖い。
ずっと、そうだ。軽口叩いて誤魔化してるだけで、本当はあの一言が一番効く。
「……ふざけるなよ」
俺は這って、近くの壁に手をつく。冷たく、ざらついた岩肌。爪の先に砂が入り込む。
その瞬間だった。
びくり、と壁の向こうで何かが脈打った気がした。
次いで、暗闇に青白い線が走る。細い光が格子みたいに広がり、俺の目の前に四角い枠を描いていく。空中に、透明な板みたいなものが浮かび上がった。
「……は?」
今日二回目だ。しかも一回目より意味がわからない。
青い画面には、見慣れない文字が並んでいる。
【設計領域への接続を確認】
【初期権限を付与します】
【ブロックを設置しますか?】
「いや待て待て待て」
頭を打ったせいでついに幻覚を見始めたか? そう思って頬をつねる。痛い。現実だ。最悪。
画面の端には、半透明の格子状の地形図が映っている。目の前の壁と床が、まるでゲームのマップみたいに区切られて見えた。
そして、妙にわかる。
ここを掘れる。ここに置ける。ここを通路にできる。
説明されてないのに、なぜか指先が知っている感じがする。
「……どうせ死ぬなら、試すか」
俺は震える手で、画面の壁の一マスに触れる。
瞬間、目の前の岩が、音もなくすっと消えた。
「は?」
穴が開く。人ひとりがなんとか潜り込める程度の小さな空間だ。崩れない。きれいに、四角く削れている。ハンマーも爆薬もなしに、だ。
「嘘だろ」
今度は床側を二マス、三マス。削る。広げる。すると、小さいながらも身を隠せる部屋ができあがった。まるで積み木を抜き差しするみたいに、地形そのものが従う。
心臓がうるさい。恐怖じゃない。たぶん興奮だ。
「……攻略するより、作ったほうが早いだろ、これ」
思わず口癖が出る。
その直後、暗闇の向こうで低い唸り声がした。
ぞくり、と背中が冷える。
赤い目が三つ。いや、三匹だ。四足歩行の魔狼が、鼻を鳴らしながらこちらへ近づいてくる。血の匂いを嗅ぎつけたんだろう。俺の足首から流れた血が、石の上に黒くにじんでいる。
普通なら終わりだ。
でも今の俺には、さっきまでなかった選択肢がある。
俺は青い画面を睨む。通路の幅、床の厚さ、壁の位置。全部見える。
「来いよ、犬っころ」
一匹目が飛びかかってくる。
その瞬間、俺は通路の真ん中の床を一マス削った。
前脚をかけた魔狼が、勢いのまま空を踏む。ガッ、と爪が空を引っかき、そのまま縦穴に落ちた。続く二匹目も避けきれず、悲鳴を上げて転落。三匹目だけが止まったが、そこで俺は左右の壁を一気にせり出させる。
狭まる通路。魔狼は身をよじる。そこへ、頭上のブロックを外す。
ごん、と鈍い音。
綺麗に潰れた。いや、綺麗ではないな。わりとえぐい。でも生きるためだ。文句は受け付けない。
しばらくして静かになる。
俺は荒い息を吐いた。手が震えている。怖かった。めちゃくちゃ怖かった。けど、生きてる。
しかも今の、俺が勝った。
剣でも魔法でもなく、地形そのもので。
「……使える」
画面の端に、小さな表示が増えている。
【素材を獲得しました】
【魔核×3】
【石材×28】
【初期設計ポイントが増加しました】
意味は完全にはわからない。でも、“できることが増える”類の表示だってことは理解できる。つまり、これは一回きりの奇跡じゃない。システムだ。継続する力だ。
そのとき、不意に背後から声がした。
「理解が早いな、新しい設計者」
反射的に振り向く。
そこに立っていたのは、フードを深くかぶった少年だった。年は俺と同じくらいに見える。淡い灰色の髪がのぞき、目だけが妙に透き通っている。気配が薄い。というか、薄すぎて、今までそこにいたのかもわからない。
「誰だお前」
「案内役。《アーキヴ》」
「いや雑すぎる自己紹介だな。もっとあるだろ。所属とか、目的とか、突然出てくるなとか」
「必要か?」
「人としては必要だろ」
少年――アーキヴは、少しだけ首をかしげた。その仕草だけ見ると人間っぽいのに、感情の乗り方がどこかズレている。
「ここは設計領域。現実のダンジョン深層に重なって存在する裏層だ」
「さらっと大事なこと言うな」
「お前は権限を継承した。だから見えるし、触れる」
「権限?」
「迷宮を設計する権限。壁、床、階段、罠、部屋、転移門。素材と核を使って構築できる。作ったものは上層にも反映される」
情報量が大型トラックみたいに突っ込んでくる。脳が轢かれそうだ。
「……つまり?」
「お前は、ダンジョンを攻略する側じゃない」
アーキヴは淡々と言った。
「作る側だ」
一瞬、言葉の意味が胸の真ん中に刺さる。
攻略する側じゃない。
作る側。
今まで誰かが作ったルールの中で、使われるだけだった俺が。
「笑えるな」
気づけば、口元が上がっていた。
見捨てられて、落ちて、死にかけて。その先で渡されたのが、“自分で場所を作る力”だなんて。皮肉が利きすぎてる。
「だったら」
俺は足の痛みをこらえながら立ち上がる。まだふらつく。でも、立てる。
青い設計画面を開く。表示された一覧には、簡易扉、小型収納、簡易寝台、加工台、落とし穴、圧力板。見ているだけで頭が妙に冴える。
「俺が一番安全な場所を作る」
アーキヴの目がわずかに細くなる。笑ったのかもしれない。
「適切な判断だ」
「どうせなら褒めろよ。今の俺、だいぶ偉いぞ」
「……偉い」
「棒読みか」
言い返しながら、俺は作業を始める。
まずは入口だ。さっき削った通路をわざと細くする。敵が一列でしか入れない幅に調整。次に、通路の途中に一マスだけ脆い床を作る。落とし穴の上には薄い石板。軽い俺なら踏み抜かず、突っ込んできた魔物だけが落ちる計算だ。
その先に扉。扉の横には壁穴を空け、こっちからだけ様子を見られる覗き口を作る。
「性格が悪い」
後ろでアーキヴが言う。
「防犯意識が高いと言ってもらおうか」
小部屋も広げる。ベッド代わりに簡易寝台を設置。藁の匂いがほんのりする。なんで素材だけで藁の匂いまで再現できるんだよ、この機能、無駄に本格的だな。
次に収納箱。中には初期食料として乾パンみたいな保存食と水袋が生成された。泣ける。いま世界で一番ありがたい箱だ。
さらに加工台。石と魔核を使って、粗末だが使える短剣を一本、あと足首を固定する添え木まで作れるらしい。
「神機能かよ」
「設計者の生存は優先される」
「急に優しいじゃん、この世界」
「世界は優しくない。機能があるだけだ」
うん、知ってる。痛いほどな。
俺は短剣を腰に差し、添え木で足を固定する。痛みは残るが、さっきよりましだ。次に、部屋の奥へ採掘スペースを伸ばし、鉱石のある場所を掘る。青い結晶、黒鉄石、よくわからない赤い砂。触れるだけで、使える素材だと直感する。
面白い。
めちゃくちゃ面白い。
掘れば材料になる。材料があれば作れる。作れば安全になる。因果がわかりやすい。努力がちゃんと形になる。
誰かに横取りされない。俺が置いた壁は、俺が置いた壁だ。
この感覚は、たぶん初めてだ。
作業に夢中になっていた俺は、入口側からまた唸り声がしたときも、今度は慌てなかった。
「来たな」
覗き口から見る。今度は五匹。さっきの血の匂いか、あるいは音を聞きつけたか。魔狼が群れで通路に入ってくる。
俺は扉を閉め、圧力板の位置を確認する。
一匹目が落とし穴へ。二匹目がつられて落ちる。三匹目は飛び越えた。だがその瞬間、壁からせり出した槍状の石柱が脇腹を貫く。四匹目は止まろうとして後ろから押され、圧力板を踏む。天井のブロックが崩れ、まとめて生き埋め。最後の一匹だけが扉まで来たが、俺は扉の横穴から短剣を突き出し、喉元を裂く。
血の匂いが濃くなる。
静寂。
俺はしばらく扉にもたれて息を整え、それからふっと笑った。
「三重罠、成功」
「初日にしては悪くない」
「だから評価が上司なんだよ、お前」
素材表示がまた増える。設計ポイントが跳ね上がる。できることが広がっていく感覚に、胸が熱くなる。
役立たず。
そう言われて、切り捨てられた。
でも今、ここでは違う。
壁一枚、扉一枚、罠一つ、その全部が俺の判断で生き残りにつながってる。誰かの後ろで情報を差し出すだけじゃない。俺が決めて、俺が作って、俺が守ってる。
小さな拠点の中央に立つ。
簡易寝台、収納箱、加工台、採掘口、扉、覗き穴。狭い。地味だ。配信映えも最悪だろう。でも、ここにはちゃんと意味がある。俺が必要で、俺が作った場所だ。
頭上の遠い穴から落ちてくる風はもう届かない。代わりに、部屋の中には石の冷たさと、保存食の乾いた匂いと、まだ新しい拠点の静けさが満ちている。
妙に落ち着く。
こんな場所なのに。
いや、こんな場所だからか。
「なあ、アーキヴ」
「なんだ」
「この先、もっと作れるんだよな」
「お前が素材を集め、深く理解し、権限を広げるなら」
「上等」
俺は部屋の中央でくるりと一回転して、入口の罠群を見やる。通路は狭く、床は偽装され、扉の向こうにはまだまだ仕掛けを増やせる余地がある。食料庫も広げられるし、鍛冶部屋もちゃんとしたものにできる。寝床だってもっとまともになる。転移門? よくわからないが、置けるなら便利そうだ。夢が広がるな。方向性はだいぶ物騒だけど。
追い出されたはずなのに、変な話だ。
いま俺は、どこにいるときよりも“自分の場所”に立っている感じがする。
口元が勝手に上がる。
「いいじゃんか」
誰に聞かせるでもなく、俺は呟く。
そして、迷宮の中心になったばかりの小さな部屋で、はっきり笑う。
「ここは俺の場所だ」
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