第二十五章 ― 闇は、俺の運命か
ピアノの音が、部屋に満ちていた。
ニノの指が鍵盤の上を滑るたび、
音が、静かに降り積もる。
……綺麗だ。
痛みが、少しだけ遠のく。
何もかも忘れてしまえそうな――そんな音だった。
⸻
――その時。
「……亡くなりました」
⸻
……え?
音が、消えた。
いや――聞こえているはずなのに、
頭に入ってこない。
視線が、揺れる。
右へ、左へ、定まらない。
理解を、拒んでいる。
胸が、重い。
息が――できない。
……守れなかった。
まただ。
俺は――何をしている?
……もう、いいんじゃないか?
全部、壊してしまえば。
……なんで、あんなことを言ったんだよ。
⸻
「……大丈夫ですか?」
看護師の声。
……見れば、わかるだろ。
ゆっくりと、息を吸う。
そして――
⸻
叫んだ。
喉が裂けるほど。
ガラスが――割れた。
身体が、暴れる。
止まらない。
壊れていく。
内側から。
⸻
暗い。
何もない。
沈んでいく。
……これが、俺の運命か?
痛みも、悲しみも。
全部――最初から決まってたのか?
「……なんでだよ、サカ」
なんで、俺を置いていく。
闇が、足元から這い上がる。
沈む。
もっと、深く。
⸻
その時。
手が、見えた。
黒い。
歪んだ手。
足を、掴まれる。
声。
「……はじ、ま……った……」
⸻
目を覚ました。
朝だった。
医者が、目の前にいる。
「……これを」
差し出された、一通の封筒。
……サカから。
手が、震える。
開く。
……読めない。
見えているのに、理解できない。
全部が、そこに吸い込まれていく。
涙が、勝手に落ちる。
呼吸が、乱れる。
……でも。
止まった。
もう一度、開く。
読む。
――刺さる。
一文字ずつ。
ゆっくりと。
抉るように。
⸻
「タイへ。
これを読んでるってことは……
まあ、俺はもういないんだろうな。
悪いな。
色々、教えきれなかった。
トレーニングのことは、まとめておいた。
時間も、ちゃんと書いてある。
……お前が武器を選ぶ時、
隣にいられないのが、少し心残りだ。
お前は――俺の息子だ。
それだけは、忘れるな。
……ああ、なんか上手く書けねぇな。
ちょっと待て。
タバコ、吸ってくる。
……よし。
いいか、タイ。
過去に縛られるな。
前に進め。
それでも、忘れるな。
お前が思う俺で――いい。
強くなれ。
悲しみに、潰されるな。
お前なら、できる。
……俺は、いい父親だったか?
わからねぇな。
でも、お前は俺の息子だ。
それだけで、十分だ。
ちゃんと、生きろ。
お前は、まだ何も手に入れてない。
これからだ。
……あんまり、俺のこと引きずるなよ。
寂しくなるだろ。
また泣いて、タバコ増えちまう。
……ニノを、大事にしろ。
あいつは――いい子だ。
じゃあな、タイ。
……生きろ」
⸻
……全部、読んだ。
一行も、逃さず。
でも――何も、残らなかった。
……いや、違う。
残ったのは――
空っぽだ。
完全に。
⸻
「……父さん」
声が、出ない。
タバコは――もう、消えない。
俺も――もう、終わった。
笑えない。
信じない。
誰も。
⸻
ドアが開く。
ニノが入ってきた。
不安そうな顔。
……ああ。
そうだよな。
心配するよな。
俺は、口を開く。
「……大丈夫だ」
「人は、いつか死ぬ」
「だから……気にするな」
「……ごめん。悲しませたな」
⸻
少しだけ、表情が和らいだ。
「ねえ……外、行けるって」
「無理しなければ、どこでもいいって」
「……行く?」
⸻
頷いた。
病院を出る。
ニノの家へ。
……懐かしい。
知らないはずなのに。
胸が、痛む。
⸻
しばらくして――
ニノが、出てきた。
……別人みたいだ。
綺麗で、眩しい。
「……行こ?」
「ああ」
⸻
街へ。
今日は――少しだけ、違う日。
食事をして。
……何を食べたか?
別にいいだろ。
想像しとけ。
服屋へ。
白いドレス。
アクセサリー。
試着。
出てきたニノは――
……綺麗だった。
視線を、奪う。
思わず、言った。
「……誰だ、お前」
「ニノってやつと一緒にいたはずなんだが」
笑った。
澄んだ笑顔。
他の服も試す。
……詳細?
いらないだろ。
続き、読め。
⸻
店を出た、その時。
影。
五人。
警察。
一人が前に出る。
背が高い。
体格もいい。
「すみません」
「タイという男を探しています」
「見ませんでしたか?」
⸻
――心臓が、止まった。
(第二十五章・完)




