七月十四日(金) 午後四時四十五分 広場
「おーい。そこにいるよねー? はやくでてこないと――」
凛とした涼しげな『声』が夕焼けに照らされた雑木林に響く。続く声は木々のざわめきによって届かない。まだ距離がある。
家からそう遠くはない学校の裏山だけど、緊張感がすごい。図書館の地下で起こったことも十分怖かったけど、今の方が間違いなく怖い。だって、ぼくたちは実際に襲われていて隠れているわけだから。
ハイキングコースからはずれている山の中がどうなっているのかわからなかった。誰も入らない獣道しかないような山だと思ってたけど、意外にも人によってふみ固められた地面が露出して右に左に分かれたりしている。山菜やキノコ狩りで来る人たちがつくったものかな?
そうしてできた道を挟んで、伸びている二本の立派な松にぼくたちはそれぞれ身を隠している。少しでも幹からはみ出したら、声の主にバレてしまうのではいないかと思うと気が気でない。
(……なあ、どうする? このままじゃアイツに見つかっちまうぞ!)
(大丈夫だよ。た、多分……)
小声でやり取りをするが、突然のことで頭が回らずうまくしゃべれない。
(ほんとうか? つばきがそう言うなら信じるけど……)
(……なんとかなるはずさ)
励ます言葉、それもつっかえてうまく出てこない。すまない親友。ぼくも動揺しているんだ。
「ねえー、どこにいるのー? こっちに逃げてきてるのはわかってるんだからおとなしく出てきなさーい。……あれぇ、おかしいなー」
先程よりも『声』がはっきりと聞こえる。『声』のする場所を明らかにしようとそれぞれ隠れている木の裏から慎重に顔を覗かせた。茜色に照らされた雑木林の中を、長く伸びた影を先頭に歩いてくる少女の姿が、そこにはあった。少女は道のそばに生えている木の裏や人が隠れられるくらい伸びた草むらの中などを徹底的に見て探している。ゆらゆらとした影の動きも相まって恐怖心を与えてくる。少女が横を向いた瞬間、手元がキラリと輝く。初めて見たときは手を後ろで組んでいたから見えなかったけどあれは…鉈?
(……つばき、見たか。アイツ、見たところオレたちと歳、変わらないよな。こんな時間にここにいるなんて、この町のやつに決まっている。もしかしたら、おれたちと同じように謎を解いたのかもな。あんなヤツいたかわからないけどよ)
(そうかもしれない……だけど、もしかしたら夜の図書館にいた人物なんじゃないかなって――)
(ホントか!? だったら今すぐ捕まえてやろうぜ! 隠れている必要はないなっ)
(まって! あいつの手、何か握っているのが見えないの?!)
立ち上がろうとした駿英を必死にとどまらせる。どうやら少女の持っているものに気が付いていないようだ。また顔を少しだし彼は少女を確認する。何を持っているのか理解したんだるう。確認が終わった駿英は少し青ざめた顔でこっちに振り返った。
(なんであんなの持っているんだ……なんのためだよ!?)
(ぼくもそれが気になっている。もしかしたらボクたちのことを……)
(お…おい。かんべんしてくれよ)
さっきまで快活だった駿英、だけど今は声がかすかにふるえている。
(一つだけ思いついたんだけどさ、ひょっとしてあの少女が図書館にいたのかな?)
(…冗談きついぜ。でも違うとも言い切れねーな)
ガサリと後ろで音がした。慌てて後ろを確認するがまだ大丈夫だ。距離はある。だけどさっき覗いたときよりも確実に、辺りを調べ終えて着実にこっちへ範囲を絞って近づいてきている。
(ひとまず、少女の動きを警戒しよう。この不慣れな場所で逃げ切れるとも限らない。慎重にいこう)
(ああ、わかった! つばきに従うぜ!)
ぼくたちは作戦を立てた。彼女がこっちに気付く前に、頂上の方に石を投げて彼女をおびき出すといったものだ。これなら、ぼくたちに気付くまでに時間がかかるはずだ。それに、まだ少女との距離は離れている。万が一があっても逃げられる余裕がある。
――『声』までは、おおよそ二~三十メートル。肩まで伸びた黒髪を風になびかせながら、周囲をきょろきょろと見渡している。着ている制服は、逆光のせいでよく見えないけどおそらくぼくたちの通っている中学のものだ。すこしでも少女の気がゆるんだら、先に二人で決めた合図とともに二人して市街地へと走りだす。大丈夫。サッカー部に所属している駿英はともかく、ぼくだって足は遅い方ではない。いくら得体が知れないといっても女の子に追い付かれるはずはない。加えて彼女は鉈を握っている。どうしてなのか、まったくわからないけど……。そんなものを持ったまま山の中を走るのは危ない。山を駆け降りるときにつまづいたりしたら、自分を傷つけちゃうかもしれないからね。うん、大丈夫。ここにいることがばれても、急いで逃げ切ればもう会うこともないはずだ。そう自分に言い聞かせ、失っていた心の余裕を取り戻した。
…いや違う。気を緩めてしまったんだ。安心したのも束の間、ぐんぐんとこちらに向かって少女が歩いてくる。いったいなんで?! 人の背丈ほどある茂みや、どこに続くかわからないけもの道はここに来るまでにまだたくさんある。それなのに、ぼくたちが隠れている松林の方向にまっすぐ進んでくる。考えても仕方がない。今から逃げるにしては、もう、遅い。直感でわかってしまう。それならもう、ただ見つからないように祈るだけだ。心臓の鼓動は、口から飛び出しそうなほど激しく、頭の中でガンガンと響く。頭の中は渦が出来たようにぐるぐると回りはじめ、体もつられて揺れ動きそうになる。木の幹から体をはみ出さないように、体育座りで背中を丸める。気分は危険を感じたダンゴムシの様だ。
(なんでいきなり!? とにかく落ち着かないと――っ)
冷静になろうと、呼吸を整えようと、歩み寄ってくる恐怖に耐えようと、意識を集中させる。しばらくするといつの間にか足音はなくなっていた。いや、もともと足音など聞こえていたかな?
なにがなんだかわからなくなってきた。それは横の木に隠れている駿英も同じようだ。ちらりと横目で彼の様子を窺う。彼も緊張と恐怖で身体が硬直していた。
こうして生み出し抱いた安堵は慢心にかわり油断を生んだ。頭は真っ白になって、周りの状況もうまく確認できない。頭がぐるぐる回って気持ち悪くなってきた。そんなとき、 そんなときだったんだ。それは、さっきまでとは別人が発したかのように、甘く、それでいて、邪気のない子どものようなふわふわとした声だった。
「君たちのこと、もっと知りたいなぁ」
言葉の、意味が、わからなかった。どういうことか、と頭を働かせようとした。でも、その瞬間、思考が停止した。気付いてしまったのだ。俯いた姿勢のぼくの眼には白く艶めかしい少女の細い足がくっきりとうつっている。
(そんな、ありえない……。)
これほど幽霊の方が良かったと願ったことはない。これほど、現実の方が恐ろしいと感じたことはない!
声は、ぼくたちの正面から聞こえてきたんだ。
「――なんて。怖がらせて、悪かったね」
ぼくはおそるおそる顔をあげる。目の前には女性が経っていた。髪はぼさぼさで、顔を少し隠しているけどやさしい顔でこちらをじっと見つめていた。
「……あの、あなたは?」
その大人びた風貌から女性は僕たちよりも少し歳が上に見える。鈴を転がしたような柔らかな声は先程遠くから聞こえてきたものとすごく似ているのだが、どこか違う。彼女のミステリアスな雰囲気のせいだろうか。光沢のある黒髪は腰まで伸び、その瞳は海のような深みのある青色。その吸い込まれるような瞳からボクは目をそらすことが出来ない。
「ワタシは『学校の亡霊』。キミたちが助けを求めていたからここに来たの」




