招待状
領地に戻ろうと準備をしていた矢先、アンブローズ・ラヴィオラ大公から一枚の招待状が届いた。
不思議に思いながらも中を見れば、自慢の庭に咲いた薔薇の花を見に来ないかと、別邸へのお誘い。しかもフィオナと二人の招待だ。
「どういうことかしら?」
王弟であるアンブローズとのつながりは、薄いものだ。先日、貴族院へ呼び出された時が初めての顔合わせだった。両親のことを知りたかったらいつでも声をかけてほしいとは言われたが、その後も特に接点はない。レジーナの参加する夜会とアンブローズが参加する夜会は重なることがほとんどなかった。
突然の招待状に何か裏があるのではないかと、レジーナはじっと考え込む。何もないのに招待状が送られることなどありえない。
アンブローズは大公であるが貴族院長を務めている。レジーナの噂と現状を考えて契約結婚する相手との顔合わせやお見合いの場を整えたのではないかと、嬉しくない想像が頭をよぎる。考えれば考えるほど、眉間にしわが寄った。
フィオナはレジーナから渡された招待状をしげしげと眺めていたが、突然立ち上がった。
「考えていても分からないわ。折角だから、お誘いに乗ってみましょう!」
「お姉さま」
「領地に戻ると片道3日はかかってしまうけど、ここならば半日ぐらいで行けるわ。気晴らしにも丁度いいじゃない」
「気晴らしにならない可能性の方が高いです」
レジーナは不機嫌そうに応じた。フィオナはにこにこしながら、そうかしら、と呟いている。
フィオナはなんだか嬉しそうだ。レジーナはきつく眉を寄せて、浮かれている姉をじっと見つめた。フィオナがこれほど嬉しそうな顔をしたのは戻ってきてから初めてだった。いつもにこやかだが、やはり手放しの喜びではない。
「お姉さまは大公殿下とお知り合い?」
「いいえ?」
レジーナの質問の意味が分からないのか、キョトンと不思議そうな顔をして見返した。
「ではどうしてそんなに嬉しそうなの?」
「うふふ。素敵な何かが起こる予感がするの」
フィオナは唇に人差し指を当てて、にんまりと笑った。レジーナはその顔を見て一緒に行くのはやめようと決める。
「ではお姉さまだけ招待を受けてね。わたしは予定通りに領地に戻るから」
「あら駄目よ。これは招待状の形をとっているけど、ほとんど命令に近いんだから」
「そんなことはありません」
アンブローズの穏やかそうな姿を思い出し、ごり押しはしてこないだろうと判断する。フィオナは呆れたようにため息をついた。
「大公殿下は自分の思い通りに人を動かすのが上手だと聞いたことがあるわ」
「だったら余計にわたしは招待を受けないと判断していると思いますけど」
「別の手を打たれるだけよ。どちらにしろ、行くことになるのなら早いうちにのった方が身のためだわ」
フィオナの言葉は穏やかであったが、レジーナは嫌な予感しか感じない。
「お姉さま? 何を隠しているの?」
「そう心配しなくとも、貴女にとって嫌なことは起きないわよ。わたしだけが幸せになるだけの話なのだから」
やはり何か、知っているようだ。
「手紙を貸して?」
レジーナはフィオナが持っている手紙を見つめ、手を差し出す。
フィオナの反応がよくなったのは手紙を長い間眺めていた後だ。手紙に何か特別なことが書いてあったのだろうとあたりを付けていた。
フィオナは素直にレジーナに手紙を渡した。
「特別なものは何もないわよ」
「信用ならないわ」
むっと唇を尖らせて、手紙をもう一度丁寧に見直した。
特別なものは何もない白い便箋。
文字は流麗で少し巻いたような癖がある。内容は二人を別邸に招待したいと書いてある。何度見ても特に変化はない。気になるところは、最後のサインの文字と文を書いてある文字が違うことぐらい。
ただ招待状などは夫人や家令が代筆する場合もあるので、手紙の文字とサインが違うことなど普通と言えば普通だ。
「何もないわよ」
「うーん」
レジーナは紙を日に透かして見たが、普通の紙だった。ため息をついて手紙をテーブルに置く。
「一週間後だから準備も急がないと」
フィオナは渋るレジーナを置いて部屋を出ていった。フィオナの足取りは軽く、今にも踊り出しそうだ。
「何があるのかしら……」
フィオナが別邸に招待されて楽し気でいる、その理由がわからない。
不安しかないが、レジーナも準備するために立ち上がった。
******
「フィオナ!」
「クラーク、会いたかったわ!」
別邸に到着して馬車から降りるなり、フィオナは走り出した。妊婦だというのに、その素早い動きにレジーナが唖然とする。レジーナに手を差し出したアンブローズは苦笑いだ。レジーナはアンブローズの手を借りて馬車を降りる。
フィオナの突撃先には背の高い男性がいた。彼もためらうことなく走ってきたフィオナを受け止め、両腕で抱きしめた。
そのまま熱烈なキスをしている二人にレジーナはどういうことかと隣に立つアンブローズを見上げた。
「何故、ここにハガート公爵様がいるの?」
「もちろん彼女に会いに。私と彼は古い知り合いなんだ」
アンブローズがごく当たり前のように言う。レジーナは複雑な目で二人にもう一度目を向けた。
「教えてくれてもよかったのに……」
誰に聞かせるわけでもなかった呟きをアンブローズが拾った。握った手を少し強めに握られる。レジーナは慌てて自分の手を引き抜いた。
「あの二人にも事情があるようだから許してほしい」
「わかっております。でもどうやってお姉さまはあの手紙でわかったのかしら?」
この別邸への招待はフィオナとクラークを会わせるためだと言うことがわかって、レジーナとしてもほっとしていた。見合いを設定されていたらどうしようかと思っていたのだ。ほっとすればほっとしたで、一言言って欲しかったという拗ねた気持も顔を出してくる。
「とりあえず中に入ろうか?」
「はい」
「アンブローズ」
歩き出そうとしたときにクラークがアンブローズを呼び止めた。アンブローズは彼の方へと振り替えた。
「申し訳ないが、二人きりになりたい」
「それはいくらなんでもがっつきすぎだろう」
「長い時間、離れていたんだ。今日は見逃してほしい」
アンブローズは肩をすくめた。クラークはそのままレジーナの方へと視線を動かした。レジーナは簡易的ではあるが挨拶をする。そんな彼女にクラークは表情を柔らかくした。
「レジーナ、久しぶりだ。君とも話したいことはあるのだが、今はフィオナと一緒にいたい」
明け透けに許可を求められて、レジーナは頬を染めた。二人は夫婦であったが、二人で何をしたいのかを察して恥ずかしくなってしまったのだ。
「ちょっと! もうちょっと言い方はないの?」
フィオナがクラークの脇腹をつねったが、彼は気にする風でもない。レジーナは小さな声で問題ないことを告げれば、クラークは満足そうに頷いた。
「ありがとう。後で埋め合わせをさせてもらうよ」
クラークはふわりと笑ってフィオナを横抱きにするとそのまま早足で屋敷の中へと消えていった。
その後姿を見送って、レジーナはため息をついた。
「あの、わたし、帰ってもいいですか?」
「フィオナ夫人はしばらくオルコット家には戻れないから、君も一緒に滞在してほしい」
「……」
滞在と聞いて、レジーナは考え込んだ。アンブローズは小さく笑う。
「心配しなくとも、ちゃんと伯爵には許可をもらっている。君も色々なことがあって疲れているだろうから、少し喧騒から離れてゆっくりしたらいいよ。私も余計なことは何もしないと約束する」
「そこまで甘えるわけには……」
何とか断ろうとするレジーナであったが、アンブローズはあえてそれを無視した。もう一度彼女の手を取り屋敷の中へと促す。
「難しく考えなくていい。今回はフィオナ夫人に会いたかったクラークが私にお願いした。フィオナ夫人を一人だけ呼ぶわけにはいかないから、君も付き添った。それでは納得できないかな?」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
色々と反論しても、上手く丸め込まれるだけだと悟ったレジーナは肩を落とした。
次から次へとやってくる出来事に頭の中はぐちゃぐちゃだ。どれもこれもどうしたらいいか、わからない。一人だけ、取り残されている。
何もかも投げ出したくなった。