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「だ、旦那様…どういうことですか?」

「私にも…急な呼び出しだからな。あの殿下のことだから君に礼を言いたいというところだろうが」

「お、王家からのお言葉など畏れ多いです!」

「そうなるだろうな…殿下は気安すぎるからな…慣れてくれ…」


ブリジットは揺られる馬車の中で目眩を覚えた、対するユーリは遠い目で窓の外を見て乾いた笑いをしている。

ユーリが爪をディノスへ渡してから一週間が経った頃、突然ノーラッド邸にこれから登城せよとの指示から届いたのだ。それはなんと王家からのもので、いくらなんでもと絶句した。文句が言える立場ではないとはいえ非常識すぎるというか、もう少し余裕を持たせてほしい。いや、なんとなくディノスが慌てるこちらを見て楽しみたいという思い付きからした事と思わなくもないのだが。


ブリジットが手に入れた爪によってディノスの身体が完全に治ったのは事実でそれはユーリ経由でしっかりと礼を受け取っているのだ。さっさと実家に送って屋敷維持に使ってしまったから返せと言われても困るが。しかし王家の言葉とは重いもの、2度も臣下たる貴族に礼を伝えるというのは些か過剰過ぎるし、なんなら王族全体に傷をつけかねない行いだと思うのだが疲れ切っただけのユーリの横顔を見るに、重大なことではないのだろうか。ブリジットはいまいちしっくり来ないまま小さく溜息をつく、プライベートとして呼ばれてもそれはそれで恐れ多いと思うのだ。



そして、数十分ほど経ち馬車は静かに止まった。ユーリのエスコートで馬車から降りたブリジットはつい視線を彷徨わせてしまう。王城には何度も出入りしているが、それはナナリーの護衛としてだけだ。貴族の女ブリジットとして呼ばれると振る舞いにやや不安を覚えてしまう。マナー自体は講師から合格点をもらっているが落ち着かない気持ちに少し俯きがちになった。


そんなブリジットの不安を感じ取ったのか、ユーリは苦笑しながら側を歩く。そしてディノスの私室の前に通されユーリが少し躊躇いがちに入室の許可を取れば中からはあの日と同じ間の抜けた声が聞こえてきた。


「入ってー、もう元気だから」


その声に扉を開けると、ラフな姿でソファに腰掛けているディノスがにっこりと2人に微笑みかけた。王子の部屋だというのに調度品の少なさが目立つが、ここにいつかないということなのだろうなとブリジットは1人納得する。


「…殿下」

「はい、やめー、ここは僕の耳と目しかないって何度言わせるんだ?」

「…ディノス。振り回すな」

「あはっ、無理かな」


身体が回復したといっても、即時会えるわけではなくブリジットもユーリもディノスに会うのはあの夜会以来だ。飄々とした印象はまるで変わっておらずそれがブリジットにとっても嬉しかった。少しだけ震えたユーリの声をなんでもなさそうに笑い飛ばしたディノスが徐に立ち上がり2人に歩み寄った。


「だがこうして身体を動かせるのはひとえにそなたの細君の献身あってこそ。助かったぞ、ブリジット」

「は…!勿体ないお言葉です…!」

「うん、やっぱ肩凝るね、ブリジットもゆるーくしていいよ」


肩がこるという物言いも不思議なほどに似合っていたのはやはりその身に流れる高貴な血故なのだろう、一瞬浮かべられた優雅な笑みに少し呆然とするとさっさと元に戻ったディノスがぐいぐいとユーリとブリジットの背を押して向かいのソファへと誘導する。

半端強制的に座らせられると、ディノスも軽いジャンプと共にソファに腰を下ろす。乱暴な様子でも軋みもせずゆったりと主を迎えるソファを見るに上等な品なのだろう。奔放すぎる姿にユーリはやれやれと頭を振って、小さくブリジットの方に詫びを挟む。正直言って謝る必要はどこにも見えないのだが、友人だからということなのか。曖昧に笑って前に座る王子に視線を戻した。


「もう本当に異常はないんだな?」

「バッチリ!なんなら走ってこよっか」

「やめろ。あぁ…でも、本当に良かった」

「ユーリにも心配かけたね、あれくらい本当なら自分でなんとかしないといけないんだけど。家族には言葉でボコボコにされまくったよ…まぁ直撃しなかったのはお前のおかげなんだから、引きずったりしないで?」


へらへらとした笑顔だが、どこかこれ以上引きずるようなら許さないという圧が見えた気がした。どうやらブリジットの勘違いではないようで、となりのユーリは少しうっと息を詰まらせた。なんというか、使うべきでないところでしっかり権力を使う人なのだな、と若干置いてけぼりがちに思う。


だがまぁ、勝手に主役がパーティの場から逃げるような真似をして挙句曲者に矢を射られたのだから、ナナリーあたりは兄といえどゴミを見るような目をするのではないだろうか。彼女は幼いながらも厳格であり身内にこそ容赦しない立派な女性であるから。国王も王妃も締めるところはしっかり締める人物なので、ディノスの総攻撃については納得がいく。ブリジットは自由人すぎる王子を叱れる人材がいたことにほっと胸を撫で下ろしてしまった。


「…で?今日は?お前のことだ、なんかよくわからん褒美とかを押し付ける気だろう」

「ピンポーン!あのね、王家の秘密を話したくてさ」

「………は、はい?」

「おい」

「あ、許可貰ってるから大丈夫ー、漏れたら忠義なしとして処刑すればいいだけだしね」


信じられない言葉に反応が遅れ、その上黒いことを続けられてさらに混乱する。要するに口外しないことを信じている、という切り口なのだろうがディノスとの親交がほとんどないブリジットにとっては重すぎる脅しにしか聞こえなかった。もっとも口は堅い方なので漏らさない自信はあるのだが。


それに、許可が出されているというのも不可解だ。知っている通り厳しいあの王家の人々がたかが王子の恩人というだけで秘密を明かすことを許すのだろうか、尊い血を守るのは貴族の義務で謝礼も払われているのにこれでは過剰にも程がある。一体この王子はどんな反則をしたのか、ユーリも同意見らしく難しい顔をしていたがディノスは素知らぬふりで先を続けた。


「さて、さて、我がアルカディアが七千年もの間魔獣に憎まれながらどうして存続できてると思う?」

「え…?勇者の加護、とかじゃないのか」

「はいバカー、ブブー。次お嫁さん!」

「わ、私ですか…!ま…魔獣との戦闘で他国より国民のレベルが高いからでは」

「うんうん、1割!情報統制は上手くいってるね!」


要するに見当違い。恥ずかしさにブリジットが目をそらすとバカ呼ばわりされたユーリは少し顔を歪めて腕を組んでいる。それがおかしくてほんの少し気が紛れてしまったのは、多少行儀がよくないが許されたい。予想通りという顔を得意げに輝かせているディノスが足を組み替えて、ほんの少し声音を落とした。


「この国が魔王に憎まれる為にあるからだよ」

「え…?」

「教えてあげる、本当の建国神話ってやつをね」


国が、憎まれるために?

ならば滅ぼされていなければおかしいではないか。ついブリジットはユーリと示し合わせたように顔を見合わせてしまう。言われてみれば人間の国で魔獣と敵対しながら7000年も王家の血が途絶えずに続いているのはおかしい話だ。言われないと気がつかなかったくらい、当然のこととその異常を認識していただけ。1000年を生きる長命種たるエルフの国とて、彼らのプライドの高さが災いし3000年続くことも稀なこと。よく考えなくてもおかしすぎる。


ブリジットは知らずのうちに唾を飲んでいた、静かなディノスの目を見つめ言葉が紡がれるのを待っていると、形のいい唇がゆっくりと動いた。





7000年前、魔王は英雄とさえ呼ばれる人物であったという、強大な力と知恵を備えどんな危機にも怖気付かなかった。けれど、凡庸な人間はその暴力的なまでの強さを憎み妬み嫉み、そしてついに恐れてしまった。散々救いを求めていた手で彼に石を放り投げる行為をしたのだ、本人に敵わないならとその母親を嬲り、甚振り、凡ゆる苦痛の果てに殺した。


それを知った英雄はその瞬間、一瞬で無力で哀れな人々に牙を剥いたのだ。まるで今日がたまたま雨だっただけというような気安さで暴徒を、それを止めようとした人間ごと例外なく虐殺した。今までギリギリで人の側にいてくれたということを理解しないまま、か弱い人々はその命を潰された。


そして誰も予想をしなかった事が続けて起こった。魔王はその血から魔獣を生み出し人間という種の根絶を始めようとしたのだ、それが怒り故の暴走だけならばどれだけよかったか、残念なことに魔王には世界の支配に手を掛けている中でさえずっと理性を側に置いていたのだ。

そう。暴走だけなら、まだよかった。その暴走を止められる理性を持ちながら、それを止める意義を彼は一切見出さなかったのだ。魔王は怒りに身を焼きながらも虫を殺すように事務的に、淡々と人間だけを徹底的に殺して回った。魔獣もそれに倣い、あんなにも多かった人間達は忽ち絶滅危惧種のようになっていった。


そしていつか神に祈りが届いたのか、1人の若者、アルカディア建国の勇者アダムスが魔王を止めると宣言した。そしてついに悪の元へたどり着くとアダムスはこう叫んだ。


──そんなにも、まだ人間が憎いのですか。


それに魔王は無表情に魔法を放ちながら答えたという。


──自惚れるなよ。この世界は俺のもの、全てが思うままでないとつまらない。人間なんて、とうの昔にどうでもいいさ。


アダムスは愕然として、そして思い知った、この血塗れの王に真っ当な感情など備わってない。復讐ですらなく、ただそう思ったからで世界を蹂躙するまごうことなき魔性。あれは偶々人の形になってしまった災厄で、もし退屈が溢れたらば、つまらないの気持ちだけで世界を滅ぼしてしまえる生き物だと。


幸いにも、果たして不幸にも、アダムスには稀有な才能が備わっていた。向かい合う人物を真似て、そして少し、ほんの少しだけその者よりも強くなれる技だった。その代わり、結局は何者にもなれないその腕でアダムスは魔王を袈裟斬りにした、心にもない言葉を残酷に添えながら。


──憐れな。ずっと貴方は、悲しかったのですね。




やっとディノスの唇が閉じて、ブリジットはなんとも言えない気持ちで息を吐き出した。幼い頃聞かされた話では裏切りに傷付けられた魔王が勇者の暖かな説得に涙を流してこの世界からそっと隠れる…という筋書きだったはずだがたった今語られたものは殺伐としすぎているし、あまり救いがない。隣のユーリは居心地悪そうに視線を彷徨わせてから小さく首を振った。魔獣との共存を夢見ている彼にしてみれば残念どころではないのかもしれない。それに少し、ブリジットの心が痛む。


「…まるで違うじゃないか」

「まーまー、物語を伝えるにはやっぱ美化が必要だからねー」

「…それで、どうしてそんな事を?」

「勇者…アダムス様は自分だけを憎んでもらうことにしたんだよ。あえて致命傷を与えて殺しきらず、見当違いに同情した。相当腹立たしかったんだろうね。魔獣が今でもこの国を威嚇するくらいにはさ」


ディノスが言うには、アダムスは国を作って早々にこの世を去った。その間に新たな理由で怒り狂う魔王がアダムスを襲撃しなかったのは、神がその身を縛ったからだという。自らが一度は台無しにした世界に奉仕する調停者として生きる事で、罪を洗い流せという通達が下ったとか。ブリジットは甘すぎる、と思ってしまったがここで魔王を殺しては反省させなれないという理由なのかもしれないと考え直した。


そして、本当に復讐したい相手が早々に退散してしまってその後を荒らすという小物じみた真似もできなくなったら魔王は今でもアルカディアを逆恨みしつつ日々を過ごし、アルカディアはというと魔王が興味を無くさないようにちょくちょくちょっかいを出したりとなんだか子供じみたことを続けてきたのだという。

悲しいかな、魔性を縛るものは感情しかなかった。永い時を生きる彼の者たちは心に疲れるということはほとんどないのだ。ならばどれだけバカな真似をしてでも、何かに関心を、何か特別なものを持っていてもらわなくては困るのだ。何もない者は、簡単に何かを壊してしまえるのだから。


なお、その過程で凶暴な魔獣を狩る術を確立させて、本当に国が富み大きくなってしまったらしい。なんだか悪い夢のようだとブリジットは半目になる。


「なんというか…知ってみるとなんとも言えない気持ちになるな」

「や、本当だよ。まさかマリエラと協定結ぶくらいに丸くなってるなんて思わなかったけどねー…このままもっと丸くなってくれないかなーとか…」

「あの…その話はずっと伝えられてきたのですか?」

「いやいや、無理があるって。王家の人間はね、アダムス様の記憶とスキルだったものを継承してるんだよ」

「そんな、ことが…」

「こんなに国が崩れないなんておかしいでしょ?上に立つにふさわしい力が代々備わってるんだよ」


ちょっとずるいけど、とディノスはぺろりと舌を出して笑った。確かに最初から王になるべき人間が生まれるようになっていたなら話は簡単だ、そのものをしっかりと鍛えていればまず国は安泰となる。しかしそれは、あまりに機械的というか、選択肢を奪われるような生き方ではないだろうか。ブリジットはなんとなく重苦しさを感じて目を伏せた。


「なぁユーリ、こんな貧乏くじな国でも魔獣と寄り添う夢は諦めない?」


少し真剣さが混ざった声にはっと顔を上げる、そうだ、この現状が大昔から仕組まれたものであるなら変えるなんてことは不可能ではないのか。心臓が早鐘を打って落ち着かない、けれど今ユーリの顔を見る勇気も出なくて。黙り込む隣の気配がひどく重たく感じた。


「…当然。むしろ、尚更燃える」

「……」

「あはっ、バカだー!」


そのはっきりとした声に恐る恐る横を見れば、そこには夢を語った時のあの横顔。少しだけ苦さもあるけれど、挑発的に上げられた口角に嘘の様子はなくて、ブリジットは安心して息を吐き出した。



その後は何事もなかったかのように茶会にもつれこもうとしたディノスをユーリが止めて帰ることになった。流石に頭がパンクしそうだったので非常にありがたいことだ、王家の真相だけでもいっぱいいっぱいだというのに友人扱いをされると非常に困るのだ。先に部屋の外の護衛に話を付けているユーリに続いて、ブリジットが部屋から去ろうとすると、ディノスがいきなり耳元に口を寄せてきた。いきなりの行動に面食らうがそんなことはお構いなくディノスが囁き声で語りかける。


「…ね、ブリジット」

「は、はい…?」

「君が持ってきてくれた爪ね、城にもあったんだよ」

「えっ」

「なんで使わなかったかなんて、分かるでしょ。君と違って殺して手にしたものだから、ユーリの夢を知っててそれを使ったら友情を裏切ることになる」

「…王家の人間でも、ですか」

「僕は出来損ないだからねー、そんなにスキルも継承出来なかったし。だけどさ、そんなふにゃふにゃ王子でも譲れないことってあるんだよ」


王弟としての仕事なら半身不随程度でも熟せるし、子供だって作れるなどとあっけからんと言うディノスにはどんな顔をすれば良かったのか。


それにしても、やはり爪はあったのだ。無いはずは無いと思っていたがそんな事情だったとは。もしかするとユーリはそのことまで知っていたのかもしれない、とブリジットは考えた。自分のせいと塞ぎ込むあの様子にこの事情まで含まれていたとしたら、勝手な想像を巡らせるブリジットを見つめてディノスはゆっくり耳元から離れて涼やかに微笑んだ。


「ありがとう、君が助けてくれてよかった。君が、ユーリのお嫁さんでよかった」









「何か言われたか?」

「えっ…あ、はい。旦那様の話を」

「へ、変なことは吹き込まれていないな?私は断じて奇行とかはしないぞ?」

「どうしてそうなるのです…」


帰りの王門前に向かう道すがら、ユーリから問われる。やはり何かしらの内緒話をしていたことはバレていたのだろう、通信魔法を使えば良かったところを口頭にしていたあたり本当の内緒話、ということはないのだろうけれどブリジットはそのまま言う気にもなれず言葉を濁す。なにかを勘違いしたのかユーリはやや青ざめた顔で、不安そうにこちらを覗き込んできたがとりあえずは否定しておく。


ふと視線を先に向けると帰りの馬車が見えた、ブリジットはそれに一瞬足を止めてゆっくりと口を開いた、出来れば声が震えませんように。


「あの、旦那様。一つお願いをしても構いませんか」

「勿論」

「…ユーリ様と呼ばせてください」

「…勿論?」

「疑問符がついています」

「いや、その、いきなりまたどうしてかなと」

「私に旦那様と呼ぶ資格はないとわかりましたので」

「そんなことはない!」

「だって」


はっきりとした否定が嬉しくて、同時に申し訳なかった。先ほどの涼やかなディノスの顔が脳裏に浮かぶ。


君がユーリのお嫁さんでよかった、なんて、そんな身に余る言葉を受け取る資格はない。また1人、誰かを欺いてしまった。ブリジットはきつく拳を握って、自嘲を押し殺す。せめて、この人には隠さないようにしなくてはならないと思うのだ。


「だって…私は、ユーリ様に抱きしめられて、喜んでしまうような女です。貴方が望むのはそういうものではないでしょう」

「…それは、どういう」

「貴方が、好きなのかもしれません。申し訳、ありません」

「何故、謝るんだ」

「貴方を、裏切ってしまったから」


ユーリの驚きに揺れた瞳が見ていられなくて俯いて一歩を退いた。どれだけ情けないのだろう、ここで好きだと言い切ってしまったほうがまだ潔いのにブリジットには決して口にはできなかった。


あの時、この身を案じて抱きしめてくれた彼の暖かさが嬉しかった、甘い夢を語る子供のような顔が眩しいと思った、ずっとそうあってほしいとわがままを言ってしまえるほど。

こんな感情は初めてで、だから、分からないのだ。分からないことを決めつけるほどの強かさがあればよかったのにとブリジットは爪先に力を込める。しかしただ1つ間違いないと言い切れるのは、この人に自分のせいで苦しんでほしくはないということだけ。


もっと長くユーリにとっての都合のいい存在でありたかった、ブリジットはじわりと目元が熱くなるのを他人事のように思いながらユーリの悲鳴が聞こえる時を待った。けれどそんなものは訪れず、暖かな指先が頬に触れる。


「…何故、泣いているんだ」

「これからは、貴方から怯えられる人間になってしまうんでしょう?」

「俺の手は、震えているか?」

「………」


ブリジットがぎこちなく顔を上げると、ユーリの少し困ったような笑顔。もっと強張った顔をしていると思ったのにそう優しい顔をされては、かえって苦しく感じる。ハンカチで涙を拭かれながらぼんやりとユーリを見つめた。どうして、触れたままいてくれるのか。


「恋とはなんなんだろうな、俺にはわからない」

「…私にも、まだ、分かりません」

「うん、だから、それでいいんだろう」


無責任とも思える軽い肯定に思わず目を見張る、そしてユーリは更にブリジットを驚かす言葉を投下する。


「俺も、君が好きなのかもしれない」

「………っ、お戯れを…」

「失礼だな。恋も愛も分からん俺だが、少なくとも、涙を拭ってやりたいと思うのは…友情とは少し違うのではないか?」


悪戯っぽく笑うユーリを恨めしげに少し睨んでみると、咳払いをしながら視線をそらされてしまった。その顔はほんのりと赤らんでいて、なんだかずるいと思ってしまう。でも、突き放されると思っていた手が伸ばされたことに喜びを感じる自分を見つけてブリジットはほんの少し笑ってみた。


「あぁ…ええと、なんだ…すまんが、友人から始めてくれないか?…ブリジット嬢」

「…喜んで」


書面上も事実上も夫婦で、お互い初々しさが似合う年でもないのにおかしな話だ。2人はどちらからでもなく向かい合って、同時に吹き出した。

けれど、それでいい。甘ったれでも、まだはっきりした想いに出来なくてもこの2人の間にやっと特別なものが浮かび上がったのだから。恋人を前提にとか、夫婦を前提にとかではなく気持ちの整理を前提に付き合っていこう。


つまり、逃げの関係はもう少し続行、ということで。

お付き合いいただきありがとうございました、ひとまず完結となります。

ひと時でも楽しんでいただけたら幸いです

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