第22話 魔剣士 VS 超越者(の観戦)
迷宮攻略は、海を航海するのと良く似ている。
順風満帆で荒波を切り裂いて進むのは爽快だろう。気分も良くなるしワハハと笑ったりする。
しかしそこにおかしな奴が見えたらどうだ。
波の向こうに暗雲が広がるように、ピンク色の蛍光色をした魔物が一体、ひたひたと石床を鳴らして真っ直ぐこちらに向かってきたらどう思うだろう。
まず全身金属鎧を着た男が、大盾を構えたままそいつを見た。
少し距離を空けた位置に立つ盗賊風の男も目を丸くする。
「おっ? ありゃあなんですかね。旦那、知ってますか?」
旦那と呼ばれた魔剣士ナザルは、じいと氷のように冷たい目で見つめる。それから魔剣をゆっくりと引き抜いてゆく。
「……超越者だ。気をつけろ、手強いぞ」
遠くからサキンという軽い金属音が響いたと思ったら、全身金属鎧の男はすっ転ぶ。足払いでも受けたような動きだったが、立ち上がろうとしても足が滑って上手くいかない。
それもそのはず、足首から先が失われていた。
「ッガアアアアア!!」
次に掴みかかろうとした手首が飛ぶ。断面はゾッとするほどなめらかで、両腕を胸に抱いた姿勢のまま今度は首が飛ぶ。ドッと真上に血が飛んだ。
一瞬だけ惚けた顔を男は浮かべて、傍をナザルが通り過ぎてからようやくギョッと目を剥く。
分かるよ。俺もまったく同じ気持ちだ。
超越者とは、人としての心や肉体を失ったにも関わらず、消滅できない者のことを言う。人は必ず寿命を迎える。しかしなかには神の定めた運命を捻じ曲げた者もいるのだ。
かつて俺が迷宮の奥底へ向かうとき、たしかにあいつを見た。そのときは「絶界」を行使していたので一戦を交えることはなかったが、あれだけの階層からやって来るとなるとやはり今回の接触は偶然などではなさそうだ。
「そんなバカな! ありえねえ! 強さのあまり死を超越した奴が、なんだってこんな浅い階層に!」
いくら否定をしたって現実は変わらない。
ひょこりひょこりとおかしな歩き方をするそいつは、目のない顔で俺たちをぐるりと見て、それから口のあたりに穴を開けた。
「かわいそうに」
粘液質でトロみのある声でそう言う。
瞬間、ズシと周囲一帯の重力が増す錯覚を得た。常人ならざる力量を持つ者だけが発する【鬼圧】と呼ばれるものだ。
正面からそれを浴びた男は、口の端から泡を吐きながらも威勢のある声を上げて、腰の得物を引き抜く。
あれで気絶しないなんてすごいなと俺は感心した。
「~~~~~~~~ッ!」
怪鳥のような声を上げて、全身の筋肉を爆発的に高める。まばたきする間に幾つかの斬撃を閃かせる様子は、恐らく彼にとって生涯最高の技であったろう。
しかし剣を振り抜いた姿勢で、彼の頭部や首、脊髄などが輪切りにされて、へたり込みながら命を失う。
呆気に取られるような瞬殺に、ナザルは舌打ちをしながら前進していた。彼が囮にさえもならないことに腹を立てたのだ。
また同時に魔術師は、幾つかの術の同時詠唱を始めている。あのフードの奥には、幾つもの口があるのだろうか。
女戦士のリサは、先の男よりもずっと冷静だった。ナザルと正反対の位置に立ち、挟み込む動きを選んでいる。ただし闘志を溢れさせているにもかかわらず顔色は死人のように真っ青だ。
死を決意してでも挑む女戦士。
それを嘲笑うように、円形の斬撃が生じて二人を飲み込む。
しかしダメージには至らない。
先にナザルがピンク色の剣を砕き、その割れた刀身から溢れ出た血がリサを赤く染めるにとどめた。
――ガッ、ガキュッ、ガツッ、ガツッ、ガンッ!
前後から振られる剣術に、超越者は軽い歩調でヒョイと宙で反転して、折れた刀身にいくつもの火花を散らす。曲芸のような動きは立て続けに行われており、暗い迷宮を細かく染めてゆく様子に俺は息を呑む。
うーん、強い。力量で言うなら五分以上だが、あいにくと獲物は魔剣のほうがずっと上だ。でなければ最初の一刀で少なくない被害が出た。
超越者は遊んでいるわけではなかった。
前後から襲いくる斬撃をかわしているあいだに、刀身から大量の血を流す。それは片刃の剣の形となり、しばらくするとかさぶたのように赤黒く染まってゆく。やがてぼろりとかさぶたが剥がれ落ちると、そこには包丁に反りをつけたような得物が生まれていた。
撫で斬り丸。
刀身にそのような名を刻んでおり、剣を中心にしてすぐさま宙で反転する。
ドドッと二発の蹴りをリサの胸部に叩きつけて、吹き飛ぶ女戦士に目もくれず、超越者は魔剣士ナザルに肉薄した。
鋼同士の立てる音を響かせると、魔剣はわずかに超越者の得物に食い込んでいた。
新たな鮮血を剣から噴き出させながらそいつは唇をめくりあげる。
「いい魔剣だなぁ」
必死の形相で背後から強襲せんとするリサに気づいているだろうに、ピンク色の物体はニタリと笑う。
それと同時に超越者の周囲に「死」を意味する単語が埋め尽くす。魔術に気づいたリサもすぐさま急ブレーキをかけた。
「死こそは汝の救いである。死こそは汝を解き放つ。死するときはいまである」
節くれだった腕に血管を浮かせて、魔術師はブルブルと指先を震わせる。死という単語の数だけ生命を奪う術ではあるのだが、即死系をボスみたいなのに使うのはどうかなと思うよ。
しかしそんな予想を魔術師は裏切る。同時詠唱していた術を時間差で完成させたのだが、まだその意図に俺は気づけない。
「汝に命を与えよう。万物に宿りし力は神のみわざである。産声を上げて、いま大地に産み落とさん」
初めて超越者は苦しそうな顔をする。
死を超越した者には即死系など効かない。だが強制的に命を与えたぶん、まるっきり同じ量をいま死に変えた。
ゲエエと呻いたその瞬間、ナザルは目を細めると――おおっと、それはヤバぁぁい!!
「リサさん、危ないっ!」
へっぴり腰で抱きついた。
その刹那、頭の上は縦横無尽に切り裂かれる。リサの元いた場所は隙間なく剣筋が通り、おぼろげに青白い線が浮く。そのうちに一刀が俺を追うように振り下ろされる。
――避けきれない。
一瞬でそう判断をした。
普段ならともかく困ったことに本日はソロじゃない。腕のなかにはまだ女戦士がいるのだ。
鋭い斬撃に向けて片腕を差し出しつつも、エリンギでさえ吸収しきれないのをコンマ数秒以下で悟る。頭骨まで断ち切られる予感もあった。
死が見える。
喉の奥にヒリつような死の味がする。
爆発的にアドレナリンが駆け巡り、輪切りにされる寸前、腕の辺りにおびただしい水流のようなものが生まれた。
ゆっくりと魔剣が腕に食い込んでゆく。斬撃エネルギーがそのまま形になったようなそれは、じっくりと身体を通って後方に抜けてゆく。
澄んだ音を立てて魔剣が通り過ぎた瞬間……ザンッとすぐ背後の大岩が切り刻まれた。
「……いひひ、できた」
わずかに笑い、どっと大量の冷汗を流しながら人知れず俺はそうつぶやく。さすがに怪しかったのだろう。腕のなかの女戦士も目を見開いていた。
種明かしをすると、いまのは謎スライムことエリンギの応用だ。
衝撃を分散するという特性を持っており、しかしいまのような鋭すぎる技だと処理がぜんぜん間に合わない。
そこで俺が日課として取り組んでいる気の操作によって、衝撃を受け流す補助をするのと同時に――切り離した。
これ、かなり応用が利くんじゃない?
そんな予感を覚えていても、ピンク色の物体にじっと見られていては落ちつけない。背中がずっとぞわぞわするし、気持ち悪いったらないね!
「変わった技を使うようになったなぁ、幽鬼」
目の前にしゃがみこみ、気色悪い発音でそう言われた。
そりゃどーもと答えたいが、すぐ背後からの魔剣フラウデリカの斬撃が迫りくる。これまでが様子見であったように、超越者の主に関節を狙って流星のような剣の軌跡が吹き荒れた。
「っと!」
片腕だけでリサを抱いたまま跳躍すると魔剣の射程距離から離脱した。もう正体を隠しきれる余裕はない。
ゾギギギッという硬いものを砕く音を響かせて、絶えず関節に当てているのは相手の体勢を崩し続けたいのだろう。
もはや俺たちに入り込める戦いではなく、リサは荒い息を吐きながらへたり込んでいた。死地に踏みとどまる戦いは、ごく短時間でも魂を削る。
そのとき魔剣の魂、フラウデリカは右側面をキッと睨む。
しかしナザルは気づけない。
突如として飛来してきたのは人型の何かは、先ほど輪切りにされた男の遺体だった。
ああ、そっか、俺と火竜みたいな主従関係ね。
遺体は倒されたことで超越者に従うことになり、残されていた全身の筋肉を爆発させて襲いかかったのだ。
唸りを上げてナザルの構えた剣にブチ当たり、わずかに魔剣士の体勢を崩す。その間に、超越者は剣を構え直すとナザルにクッと顔を向けてきた。
「爆圧、縮」
ひゅっとナザルは息を吐く。いや、肺の空気をすべて絞り出される。
ぐおんと大気が歪み、ナザルは苦しげにあえぐ。ブンと振った剣は苦し紛れのようだったが見えざる大気を切り、断面からはおびただしい血が辺り一帯に降りそそぎ、ズズンと地響きが起きた。
「三人の王!!」
「悪し」「悪し」「悪し」
ナザルの叫びに対して、しかし魔術師は劣勢だと見抜いている。
タタッと地面を蹴っていつでも逃げられる退路上に立つと、ようやくその両手から虹色の球体を生み出し始める。しかし詠唱完了までの時間は足りるだろうか。
「不全、盤上」
超越者が鬼術をまた使う。
キャヒヒィという赤子のような笑い声が虹色の球体から聞こえて、魔術師は明らかに狼狽した。フンと気迫の声を出して球体を握りつぶそうとするのだが、全力をもってしてもうまくいかない。
地獄の蓋が開かないように三人の王は力を振り絞っており、もはや戦いには加われない。
ザッと足を鳴らして超越者はナザルと向き合う。
襲いかかるかと思いきや、しかしブランと千切れかけの剣を向けてきた。
「ふむ、これでは折るには足りない。すぐにまた来る」
にぃ、と唇を浮き出させてまたすぐにトロけて消える。
悠々と去ってゆく後ろ姿を追う余力は、ナザルには残されていないように見えた。
痛み分け……よりかはだいぶ分が悪いかなぁ。
少なくとも俺の目にはそう見える。
チン、と魔剣を鞘に収める音が周囲に響く。
能面のように無表情な男だったが、このときはありありと激昂を浮かべていた。