第15話「ミラル、堕天使を知る」
「ハァッ、ハァッ……!!」
駄目。本当に駄目。
なぜリタは勝手に、私の場所からいなくなってしまったの?
「わかってた、けど……」
別れが来ることは、疾うに承知の上だった。
そのうえで旅をしていたのだ。王国での仕事も今だけは捨てて、リタが天界に戻れるようにって。
「わかってても、突然すぎるよっ……!」
まだ最後の別れすら言っていないのに。
白い冠を作って、抱き合って寝て。
互いのぬくもりを分かち合った後に消えるなんて、そんなの残酷すぎる。
……まさか、独りよがりだった?
堕天使と人間。その壁は、あまりにも高すぎる。
リタが私に放った一言一言。
「離れたくない」
「お前がいなくなったら、この世で独りになってしまう気がする」
あれはただの気まぐれで、内心は私のことを思っていなかった……?
私なんて、どこかで切り離したい邪魔者だったの?
確かに、私は彼の主人だった。私は対等に接したつもりだが、彼は気にしていたのかもしれない。
今思えば、彼が私に協力してくれたのは、友情でも愛情でもなく、単なる立場上の忠誠心から来ていたものだ。
私なんて……
「……」
どうしよう。突然足が止まってしまう。
鉛のように重くなって、ありもしない寒さに震えて動かない。動いてくれない。早く行かないと、もう間に合わないかもしれないのに。
「……ふっ」
眠気が襲ってくる。
なぜこんな時に限って、私は力が出せないの。
王国で培われた水魔法だって、今は何の役にも立ってくれない。天才魔女の名が嘘のようだ。
私って……いつの間にこんな情けなくなっていたんだ……
次の瞬間、視界が反転して、暗闇に包まれた。
「……なんであなたは彼を追いかけているの」
どこか馴染み深い声が聞こえた気がして、私は目を覚ます。
私がいたのは、真っ暗な世界だった。何もなくて、自分がどこに立っているのかさえわからない。
正面を見つめると、なぜか「私」が立っていた。
そう――もう一人のミラルが、無表情で私を見つめている。
「なんで追いかけてるのよ」
「……そ、それは! 彼が急にいなくなるなんて信じられなくて――」
「リタは堕天使だよ? いずれあなたのもとからいなくなる存在なのに。なんでもう一度会わなきゃいけないの」
私が、「私」に責められている。
彼女の言葉が反響して聞こえ、脳が振動するような気分だ。
「も……う一度会わないといけないのは……彼が安全じゃないから。手配書がたくさん散ってる状況で、彼だけが戻ったら……絶対に危険だから……」
「いいんじゃない? 彼が決めたことだし。あなたはこれ以上干渉せずに城の研究に戻れば?」
――何も、言い返せない。
彼女の言葉は、あまりに的確に、私の心に刺さるものだった。
「リタを天界に戻すために旅をするとか言って、でも突如いなくなると必死に捜し始めて。奴隷と主人って言っちゃってるのに、結局は対等とか言って。矛盾しすぎなのよ、あなた」
「……」
「一度気持ちを整理すれば? あなたは結局のところ、何がしたいの?」
言われてみればそうだ。
私って……何がしたいんだろう。
「……わからない」
思わず本音が漏れてしまった。
孤独の暗闇の中で、もう一人の自分に現実を突きつけられる。これが夢か現実かさえ、考える余裕がない。
私はその場に崩れ落ちた。瞳から熱いものがこみ上げてくる。
悲しい。訳もなく悲しいと感じる。
リタを買った時から、少しだけ一緒に過ごした日々。ロストへの復讐と、その後の旅。宝物だと思っていた価値が、一気に崩れおちていく気がした。
「うぅっ……」
「……」
暗闇の中に、沈黙が続いた。
……やがて、もう一人の「私」が声を出す。
「……でも、そんな矛盾だらけのお前を、あいつは好いてたんだ」
「……えっ」
思わず顔を上げる。
気が付けば、もう一人の「私」の姿は、いつの間にかリタの姿に変わっていた。
それも、紫紺の堕天使の姿で。
「あいつはバカだ。お前を置き去りにして、本気で天の国に帰ろうとしている。丁寧に白い冠までお前にあげてな」
「待って……どういうこと? あなたは誰?」
理解が追いつかない。
さっきまで私に辛辣な態度を取っていたミラルはどこへ消えたの。
「俺はリタでもミラルでもない。リタはあいつ。あいつは不器用なんだ」
「……」
「あいつはずっと、お前だけを見てた。お前があいつにかけたすべての言葉が、あいつに勇気を与えていた。あいつはいつだって、お前を一番に思っていたさ」
「……じゃあ、なんで私のもとから消えたの」
するとリタではない「リタ」は、肩をすくめてため息を吐く。
「そこがあいつの変な部分。あいつも矛盾ばかりだ。お前と一緒にいたいって思ってるくせに、お前に迷惑をかけたくないと思っている。手配書が降ってきた日、後者の気持ちが爆発した。もうお前には迷惑をかけないって、あいつなりの最善を尽くそうとしていたんだ」
「……それで私に黙って、わざと村の人たちに……!? そんなっ……」
「だからさ、あいつを止めてくれないか」
目の前の「リタ」は、私に歩み寄ってきた。
見た目も声も彼そっくりだ。でも違う。彼は、こんなこと言わない。
「あいつ、放っておくと危険だからさ。お前が止めてくれ」
「……」
「お前がロストに復讐するとき、あいつは全力だったんだ。今度は、おまえが……な。きっと、あいつも本当はそれを望んでいるはずだぜ」
「……はっ」
目を覚ますと、私は地面で横たわっていた。
「……また、変な夢を見た」
今朝といい、急に眠気が襲ってきた今といい、明らかに不自然な悪夢が襲ってきているような気がする。
……いや、今のは悪夢だったのか?
まるで何かを訴えるような夢だった。どうしてこんな、都合の良い夢ばかり見るようになっているのだろう。
「……あっ」
ふと、懐の中が妙に温かいことに気づいた。
服をめくってみると、出てきたのは黒い羽根。大事に持っているリタの羽根だった。
「まさかこれが……」
朝は気が付かなかったが、起きた後、羽根に熱がこもっている。
もしかしたら……この羽根が、私に何かを伝えたいのかもしれない。
「……」
夢で、言われた通りだ。
私は1ヶ月という時間、リタを天の国に戻すために旅をしてきた。でもその間、リタと一緒にいる時間を楽しんでいた。
現にリタが急にいなくなった今、私の中にある感情は悲しみ。そして、リタの安否に対する漠然とした不安。
……そうだ。夢で言われたことも事実だ。
気持ちを整理しよう。そして、認めてしまえばいい。
「私はリタが好きだから」
奴隷と主人という関係を飛び越えて。
人間と堕天使の壁を越えて、私は彼が好き。
もう誤魔化さない。私は彼と出会った時から、彼が好きだった。
「だから助けたい」
体に熱がこもる。
今までに感じたことのない力が、体の奥底から湧き出てくるようだ。
今なら走れる。何キロだって、彼のために!
それから、私はどのくらい必死に走ったのだろう。
足の感覚がなくなっても、決して止まらずに走った。眠っていた分の時間も取り戻すために。
しかし――
息を切らし、速度を上げて走っていた私の前に、厄介な人物が現れた。
「……ん? おかしいぜ。なぜかお前から、天使の気配を感じるぞ」
「あなたまさか、天使の羽根の一部を持っていませんか?」
太陽より眩しい、純白の翼を広げた男女。
白い羽衣を纏い、私の目の前に神々しく降り立つ。
見た瞬間、私はこの人たちに、リタと同じなにかを直感で覚えた。
きっと天使だ。そして、手配書をばら撒いた人たちだ。
「さっき教会に、みごと堕天使を捕まえた連中たちが歩いて行ったんだよ」
「この先は教会です。まさか、邪魔しに来たのですか?」
一方の女性は、指先をしなやかに動かしながら言う。
「もしそうだとすれば……ここは通しませんよ」




