第94話 悪女、キスをする。
彼は制服を着ているとはいえ、あからさまに雰囲気が余裕然として。
『この時代にいないはずの』アイヴィンがにっこりと私の名前を呼ぶ。
「ただいま、ノーラ」
「卒業式前に戻るんじゃないかったの?」
「早めに戻ってきちゃった。そういや、俺がいないときみが大切な青春の思い出を作れないんじゃないかと思ってさ」
「けっこう普通に満喫してたよ?」
本当に、アイヴィンがいなくて困ることは何もなかった。
友達だってちゃんとたくさんできたし、身体が人形だとバレるようなことも、壊れるような危ないこともなかった。とても平和で充実した青春を過ごしてきたつもりである。
だけど、アイヴィンは意地悪く口角をあげるのみだった。
「ふーん、俺以外の男と恋愛していたんだ?」
「あ……」
たしかに青春といえば『学業』『友情』『恋愛』というイメージだし、シシリーの身体を借りるときも、私はそれを含めて環境を整えると約束したけれど。
私が視線を逸らすと、くつくつと笑ったアイヴィンが私の腰に手を回してくる。
「では参りましょうか。俺の女王様」
「ど、どこへ?」
「この学園で一番ロマンチックな場所に決まってるだろう?」
私が素っ頓狂な声をあげると同時に、身体が彼の魔術によって浮かび上がる。
こんなところ、誰かに見られたら⁉
だけどその心配は杞憂だったのだろう。大きな音を響かせて、夜空に大輪の花が咲きだした。
生徒らの歓声から、彼らの視線がその大きな光の花に注がれていることが窺える。きっとアイヴィンはそこまで計算した上で、このタイミングに現れたのだろう。相変わらず頭のいい男である。
そして、連れて来られた先は時計塔のてっぺんだった。
「あれ、この場所って……」
「ノーラ」
アイヴィンが今までにないくらい甘い声で私を呼ぶ。
彼の声がとてもくすぐったい。だから顔を背けるのに、彼の手がそれを許してくれなかった。
「俺の恋人になって?」
重たいメガネまで外されてしまい、私とアイヴィンを遮ってくれるものはもう何もない。
……何度されたって、こんなの慣れやしない。
彼の唇の温度がわからなかった。柔らかい感触がただただ恥ずかしい。
「最低……」
聞き慣れた声がすると同時に、アイヴィンが爆速で私にメガネを掛け直させる。
そして少女の声に、唇を離した私たちが同時に顔を向ければ。
エメラルドの大きな瞳に、これでもかと涙を溜めたシシリーがアイヴィンの頬を叩く。
「わたし、あなたならって信じていたのに!」
そして、シシリーはすぐさま屋根を駆け下りていく。「トラバスタ嬢!」とすぐにあとを追ったマーク君も、アイヴィンに軽蔑の眼差しを残して。
頬を腫らしたアイヴィンが両手を打った。
「あのときのあれって、こういうこと」
「自業自得だったね」
「本当にね」
私が苦笑すると、彼も心底楽しそうに笑う。
別にシシリーに殴られたことは、彼にとってどうってことないらしい。
アイヴィンは懐かしむように花火を見上げていた。
「俺、もうこの頃からどうやってノーラを助けようかって、それだけで頭がいっぱいだったから当時はあまり気にしてなかったけど……懐かしいな。そういえば最後のあたり、めちゃくちゃシシリーちゃんに嫌われてたね」
私は一年前くらいの感覚だけど、アイヴィンからしたら何十年も昔の話である。
若気の至りくらいの軽い口ぶりの彼に、私も当時抱いた覚えのある質問を投げてみることにした。
「そういや、いつから『シシリーちゃん』って呼ぶようになったの?」
「いつからだろうなー。きみが消えて、入職試験の直後に会ったのが最後だったんだけど……やっぱり一人で研究だけしていると、この頃の思い出だけが支えだったから。昔を懐かしむ間に……かな」
いやぁ、こちとら……というか、主にシシリーは当時のアイヴィンとこのアイヴィンの間で、めちゃくちゃ振り回されて可哀想なことになっていた気がするんだけど……。
これは本当、全部暴露するときに土下座じゃすまないんじゃなかろうか。
というか、あまり考えないようにしていたけれど……私はこのあとで、『ハナちゃん』の正体が『ノーラ』であると明かしていいのだろうか。それとも『ノーラ』は過去の人として、シシリーとは交わらない人生を歩んだほうがいいのだろうか。
そんなことを考えながら、彼女の青春の証を見上げていたときだった。
アイヴィンが再び私のメガネを外してくる。
「それで、返事は?」
「なんの?」
「俺の恋人になってほしいという返事」
……あぁ、その話、まだ続いていたの?
私も不満が顔に出ていたのだろう。アイヴィンは「逃がさないよ」と言わんばかりに、私の両頬をホールドしてくる。だから、私は彼から目を逸らせなかった。
「……私、もう人間ですらないけど?」
「俺が作ったんだ。そんなこと気にすると思う?」
「いや、気にしようよ」
だけど、アイヴィンは私の軽口なんかに誤魔化されてくれない。
もう年貢の納め時なのだろう。私がため息を吐くと、彼が私の耳を舐めてくる。
「それで、返事は? 俺のこと好き?」
「…………他の女とキスされたら、泣いちゃうくらいには?」
「十分だ」
そして、私はもう一度アイヴィンにキスをされる。
あぁ、花火もクライマックスなのだろう。生徒たちの歓声と何発も打ちあがる音があまりにうるさいから、唇が離れたと同時にまたつま先を伸ばして、私からも食らいつくようなキスをしてやった。
何事もやられっぱなしは性に合わないからね。
もう早売りしている書店さんもあるようですが
明日4月15日、ノベル2巻の発売です!!
明日、本作のエピローグを投稿しますね。






