第87話 悪女、最後の願いを無碍にする。
お待たせしました! 最終章です!!
私は死んだはずである。
私の弱った自我がシシリーの魔力に追い出されてしまった。
肉体を失った自我が、私の弱り切った本体に戻っても命を繋げるはずもない。
そのため私は洞窟の冷たいクリスタルの中で、静かに老衰を迎えるはずだったのだが。
「なんで私、生きてるの?」
「俺が生き返らせたから」
私の問いかけに、即答した老人がお茶らけた様子で肩をすくめる。
「て、カッコよく言えたらよかったんだけどね」
「あなたは――」
古ぼけたフード付きマントで顔を隠した男の背格好。多少背筋が曲がったように思えるけれど、無駄にあふれる色気には妙に覚えがある。
「私に冤罪を押し付けたやつ!」
「そんなこともあったねー。あれももう二十年くらい前になるのかな?」
たしかに言われてみれば、首のしわもクシャクシャだし、私を撫でてくる手もシワシワのカサカサ。
若かりし頃はかなりの美青年だったと窺えるけど……今はもうただの余命目前のおじいさんである。
場所は私が封印されていた洞窟の中。クリスタルはもう割れてしまっているけれど、破片にこもった魔力からして、まだ割れたばかりらしい。他にも隅に書類が乱雑に積まれていたり、寝袋などの生活用品などが雑に置かれているところからして、きっと誰かがこの場所で研究でもしていたのだろう。
そう――このおじいさん的な誰かがね?
私がジッと観察していると、彼は苦笑して私の首元を舐めた。
「そんなに見ないでよ。十代の頃なら自信あったけど、さすがにもうこの歳じゃね」
「もしかして――」
言うのが早いか、私がフードを無理やり剥がすのが早いか。
たとえしわだらけで髭が生えていたとしても、どこか猫を思わせる瞳と色気ある笑みを、私が見間違えるはずがなかった。
だって彼は老年になっても、私を見て、嬉しそうに目を細めるのだから。
「ようやく会えたね。俺の女王様」
「アイヴィン=ダール⁉」
思いっきり指さしたとて、彼はそれを咎めたりしない。
困惑する私を幸せそうに見つめるだけだった。
「え、どういうこと? アイヴィンがこんな年をとったってことは――」
「きみがシシリー=トラバスタと離れてから、六〇年が経ったんだ。だから、俺ももう七十八歳。それでも、八○○年以上生きてきたきみにとっては大した年月じゃないのかもしれないけど」
いやいやいや、あれから六〇年だって?
たしかに『私』の身体は、あのときに限界を迎えたのだ。
肉体の再生なんて、少なくともあの時代のまともな魔術では叶うはずがない。私が急ごしらえに作った若返りの薬だって、それこそ本物の八〇歳くらいならまだしも、八〇〇年間クリスタル漬けの肉体に使える代物ではなかった。
だったら、私の今の依り代にしているものは――?
「鏡でも見てみる?」
そういうやいなや、老年アイヴィンが魔術で姿見を錬成してくれる。
それに映った姿に、私は三度驚かされることになった。
長い黒髪に包まれたのは、懐かしい『ノーラ=ノーズ』を思わせる菫色の瞳。
まぁ、素っ裸なのは研究者の愛嬌だとしても……本来なら関節があるだろう場所場所に、人形の節のような接着痕が見られる。そして肝心の胸元には赤い魔力クリスタルが付いていた。
手足の動く感覚に違和感があるものの、かえって軽い。
まるで稀代の大賢者が、魔法でパペットを動かしているが如く。
「この身体は人形……それも、この魔力感応からしてキリングドール?」
「ご名答。さすが稀代の大賢者だね」
「今褒められても、まるで嬉しくないかな」
ニコニコしている老年アイヴィンはさておいて、私は思案に耽る。
どうやらアイヴィンはかつての母親の研究と同じことを施したらしい。
ここまでの段階で、アイヴィンはとんでもないことをしてくれたことが否めない。
私はもう一度、自分の顔をよく見てみた。
なんかもっとこう……既視感があるんだよなぁ。
そう――何気なく、自分の目の前に指で丸を作ってみる。
そして、すべてに合点がいった。
「これハナちゃんじゃん⁉」
「あの『ハナちゃん』がきみ自身だったからだよ」
「はあ~~⁉」
いやいやいや、あっさり言ってくれますけどアイヴィン=ダール。
もしあなたが言っていることがすべて本当なら、こういうことになりますが?
アイヴィンがキリングドールに私の魂を憑依させた。
それだけなら、アイヴィンはすでに学生の頃に自身の母親でその実験を完成させていたからね、細かいことを気にしなければ、さほど驚くことでもない。でも当時でキリングドールは二体しか残存していなかったうち、一体は私が壊して、一体は母親に使ったあげく私が壊した。ならば、元の人形はどうやって手に入れたのか。
新しくアイヴィンがキリングドールと同性能の人形を作った可能性はあるけれど、ならば私たちが学生していたときに、私が六〇歳くらいのアイヴィンを見かけた理由は?
さらにアイヴィンの言うことが本当ならば、この『私』を、六〇年前に転移させたことになるのでは?
そんな私の心の中の疑問に、アイヴィンはご丁寧な解説をしてくれる。
「時間転移の術式なら、三〇年前に俺が完成させたんだ。きみの身体に使った人形も、学生のときにきみが粉々に粉砕してくれたキリングドールだよ。あの欠片にはきみの魔力がふんだんに宿っていたからね。きみの魂を定着させるに、これ以上ない器だと思ったんだ」
そうだね。私も分野違いとはいえ、同じ研究者だ。理屈はわかるよ。
つまり、こういうことだ。
「あのキリングドール暴走事件も――」
「そう、全部俺が犯人♡」
いい歳したおじいちゃんがそんなかわいい顔で言わないでも、すべての元凶はアイヴィン=ダールであったことには違いないわけで!
私が思いっきり怒りを魔力にこめて、適当な一発の衝撃波を投げつけてみた。
この程度、あっさりアイヴィンは防ぐどころか吸収して見せてしまうけれど……その芸当、キリングドール事件のときに私がしてみせたことだね? ちくしょーめ。
だけど、今のじゃれ合いでわかったこともある。
このキリングドールの身体は想像以上に身体以上に扱いやすいこと。
そして、アイヴィンの身体が――
私は後者にはまだ触れず、とりあえず確認を進める。
「そもそも時間転移の魔術自体が、あの時代じゃまだ未完成だったと思うのだけど」
「だから俺が完成させたんだって。そもそも基本提唱はあのクズ王が終わらせてくれていたからね。そこから、あのとききみが行った呪い返しの魔術や、俺自身の身体や、クズ王の遺体を研究材料にして……まぁ、連発はできないけど、実験段階にまでは形にできたよ」
得意げな彼に、私は苦笑を返した。
「うわぁ……天才の執念って怖いね」
「俺を超える天才に言われたくないかな」
そのとき、彼が咳き込んだ。
痰が絡まったかなり重い咳だ。あちこちに葉巻の吸い殻が大量に転がっているからね。ストレスの捌け口に使っていたのだろう。身体に悪いことを、彼が知らないはずがないだろうに。
「ずっとひとりだったの?」
「死んだ人間を人形として生き返らせることに、時間移動……そんな研究を公にできると思う?」
私が返事の代わりに吸い殻を踏み潰すと、彼が「ははっ」と笑った。
「まぁ、もうこんな歳だからさ。『あのころ』に戻る前に、老人の最後のお願いを聞いてもらいたいのだけど」
「重いって」
「俺の愛が重いのは六〇年前から知っていただろう?」
そんな軽口は、たしかにいくらでも楽しめそうだけど……。
私が過去の楽しい時間に戻ったあと、ひとり年老いた彼はどうなるのだろう。
それを覚悟している老人が、心底嬉しそうな顔で私を口説いてくる。
「シシリーちゃんとの約束通り、ちゃんときみを『あのころ』に戻してあげるからさ、最後に一晩だけ、きみの時間を俺にくれないかな? ゆっくりと……何気ないお喋りを、きみと二人きりでしたいって……ずっとそれだけを夢見ていたんだ」
そんな努力の末の、ささやかすぎるお願いに。
私はにっこりと笑みを返した。
「うん、断る♡」
「酷っ‼」






