第88話 悪女、贈り物を返してもらう。
絶句するアイヴィンに対して、私は飄々と尋ねる。
「ところで、アニータは現在どのあたりに住んでいるか知ってる?」
「……彼女なら、トラバスタ家の跡地にできた病院で療養しているはずだけど」
「どこか具合悪いの?」
「まぁ、みんなもう歳だからね」
そっか……まぁ、みんな同い年だったのだから、当然の話なのだけど。
それでも心のどこかでショックを受けていると、アイヴィンが苦笑する。
「ちなみに、その病院を作ったのはシシリーちゃんのお姉ちゃん」
「まじで⁉」
シシリーの姉といったら、あのかつてのとんでもわがまま姉ちゃんネリアである。
たしかに、トラバスタ家の跡地を使った病院ならば、土地の権利が彼女に渡っていてもおかしくないわけで。あのあと、彼女が無事に王宮メイドになれたのだろうか。そのあとどういう人生を歩んだら、実家の跡地に病院を作ろうという考えに及んだのだろう。
そもそも、あれから六〇年。シシリーは今、なにをしているのかな。
ちゃんと幸せになれたのかな……。だけど、私はそれをアイヴィンに聞かない。
代わりにパンッと自分の両頬を叩いて、気合を入れる。
「よし、それじゃあ行ってくるね!」
「どこへ?」
「すぐ戻ってくるよ」
そして使うは、転移の魔法。やっぱりこの人形の身体は魔力の効率がすごくいい。きっと製作者が、丁寧に調整してくれたのだろうな。
そんな天才の愛情と、呆気にとられた視線を全身で浴びて、私は跳んだ。
かなり長距離の移動だったけど、無事にできたみたいだね。
目を開ければ、そこは簡素だけど清潔な部屋。
窓から見る夜の風景だけ、少しだけ覚えがあるようなないような……まぁ、六〇年前の夏に少しだけ訪れた風景なんて、変わっていて当然だけど。
そんな夜風に靡いた髪を耳にかけていると、ベッドの主の声がする。
「ひとの寝室に来るのに、ノックもしないなんて……相変わらずですわね」
「ごめんって――アニータ」
張りのあった長い金髪も、いまや細い白髪となっていた。肌のはりも失われ、少し小柄に、だけどふっくらした体型になりながらも、彼女の高貴な喋り方と真のある魔力に変わりはない。
ベッドで寝ていた老婦人がゆっくりと身を起そうとする。だけど、身体がつらいのだろう。上がりきらない上半身を、私はそっと戻してやった。
「私ってわかるんだ?」
「正直、もう目がほとんど見えておりませんの。それでも、あなたのようなふてぶてしい人の気配を忘れるほど薄情ではなくってよ」
「それは褒めてくれているのかな?」
私からすれば、ほんの数週間ぶりくらいの感覚だけど……アニータからしたら、何十年ぶりの再会になるのだろうか。
それでも変わらない会話をしてくれるアニータがやっぱり愛い。
だけど、私は彼女の頭をそっと撫でながらも、目的の質問をする。
「さっそくで悪いんだけど、私があげたネックレスはまだ取っておいたりしてないかな?」
「まったく……本当に情緒もなにもありませんのね。まぁ、そろそろ来る頃だと思ってましたけど」
口を尖らせながらも、アニータはベッドサイドの小棚を指さす。引き出しにはベルベットのケースだけがぽつんと入っていた。その中には赤い液体の入ったハート型のペンダント容器が、あの当時のまま保管されている。
思わず目頭が熱くなるね。あんな適当に、実験授業の合間に作ったものを、こんな大切に何十年も取っておいてくれるだなんて。ほんとうに、アニータは……。
私は声が震えるのを懸命に堪えながら尋ねる。
「一度あげたもので悪いけど……これ、返してもらってもいいかな?」
「構わなくてよ。あたくし、はなから使う予定ありませんでしたもの」
「ごめんね。これを使えば、アニータも若返ることが――」
そのとき、ビシッと手に痛みが走る。アニータに叩かれたらしい。地味に痛い。
叩いた本人に悪気の色は一切なかった。
「馬鹿にしないでくださいまし。あたくしが自分の人生を後悔するような生き方をしてきたと思って?」
たとえベッドの中から動けなくても、若い頃と変わらない高貴な彼女の生きざまに。
私はもう大好きが止まらなかった。
「あぁ、もう……今日も私の友人がとても愛いなぁ」
「ふふっ、この年になって『愛い』なんて言ってくれるの、あなたくらいよ?」
「まぁ、出会った頃からずっと思っていたけどね」
そのあと、私たちに会話はない。
だって、今から私がしようとしていることのためには――彼女の今までを聞くわけにはいかないからね。彼女の苦労も、喜びも、私は今から共有していくのだ。
まだ何も知らない私が、彼女にかけられる言葉はない。
そして、やっぱりアニータは敏いのだ。
「ほら、早く行きなさい。大切な人が待っているんでしょう?」
「……うん」
「死ぬ前に……またあなたに会えてよかった……ノーラ。あたくしの大好きな親友……」
そうしてゆっくりと眠るアニータの手を握る。
たくさんのしわが刻まれた手が、とてもとても愛おしい。
そして、私が気づいていた。
アニータが『私』の名前を呼んでくれた。
『私』たちがここまで歩んできた関係を悟って、私は目を細める。
「私も大好きだよ、アニータ」
私はカーテンを揺らす夜風に乗じて、あなたと過ごした青春の続きに帰るのだ。
だけど、その前に。
「アイヴィン、ただいまー」
「うわ、ほんとに気安く帰ってきた……」
おじいちゃんアイヴィンがジト目で睨んでくるけどね、怯みませんとも。
だってあんなに素敵なアニータに会ってきちゃったんだもの。ますますやる気を出しちゃったよ。
「じゃあ、飲んで?」
「えっ?」
私はスポッとアニータから貰ってきたペンダントの蓋を開けて、自分の口に煽った。そして、アイヴィンの両頬をぐいっと引き寄せて、そのまま口移しにする。
まん丸とした瞳は、若い頃と変わらないね。
だけどそんなに照れた顔は初めて見たよ。ちょっと快感になりそうだ。
しかし彼はお忘れのようだけど――ノーラ=ノーズが稀代の悪女なのである。
「う……がが、ががががあああああああ‼」
まもなくして、地に伏せたアイヴィンが苦しみだした。
さて、このアニータにあげた薬のこと、アイヴィンは覚えていたのだろうか。
究極の若返りの秘薬である。かつては王立魔導研究所への入職が絶望的になり落ち込んだアニータに、人生をやり直すようにとあげた肉体を細胞レベルで強制的に再生させる薬である。
まぁ、八○○年前の疑似九十歳女性の『ノーラ=ノーズ』には使えなかったけどね。純粋な八十歳男性のアイヴィン=ダールなら、なんとかなるだろう。
絶望を超えた痛みに耐えられたなら、の話だけど。
苦悶に呻くアイヴィンが、なけなしの力で私に手を伸ばしてくる。
「いっそのこと……殺して……」
「やぁだ♡ また一緒に青春やり直そうね」
「この~~……」
アイヴィンの口の動きからして『悪女め』と言いたかったのかな?
言われずとも、存じておりますとも。
正真正銘の天才賢者になった男のうめき声が、深夜の洞窟に響き渡る。
コミカライズ2話が公開されました!
アニータの登場回です。序盤なのでひたすらツンツンしてますね。
こんな冷たい視線はここだけかな、と思うので、
ぜひ睨まれたい方(笑)はコミカライズもチェックしてみてください!
また、ノーラもぱっつんになるよ!
https://www.123hon.com/nova/web-comic/doteihen/
(あと、小説2巻の制作もひと段落しましたので、続報をお待ちくださいませ!)






