大地を渡り歩く者
ソニアは挨拶をしながら、そっと木の扉を押し開けた。木の造りの家の中は暖炉の明かりで照らされていた。部屋の中はがらんとしていて誰もいない。
「作業場のほうだろう。あいつは仕事を始めると、こもりきりになるから」
ベアトリスが慣れているように中へ入り、奥の部屋の扉をノックする。ソニアはそこまで行くのは気が引けて、暖炉の傍まで待っていた。ソニアは折れた杖を直してもらいに、ベアトリスの知り合いの職人のもとへ来ていた。折れた杖はソニアが眠っている間に預けられていた。それを引き取りに来たのだ。
ほどなくして奥の部屋から、ひげもじゃの筋肉質の男が姿を現した。天井に頭が届くか届かないかぐらいの背の高さだ。大男はその手に一本の杖を包むように持っていた。彼が杖職人なのだろう。
「使ってみてくれ。これから仕上げをする」
ソニアは手渡された杖をしっかり受け取った。前の杖の形とほとんど同じで、杖の先はカーブを描いて曲がっている。ちょっとだけの大振りで杖のところどころに草木の彫刻が施されている。
使ってみてくれと言われてソニアは戸惑った。魔法を使えということだろうが、うまくいくか分からない。
あの試練を受けてからソニアは眠り続けていた。正確に言うとそうだったと後で、ルミールに聞かされたのだ。フロルがバハムートの力を奪おうと割り込んできた時、ソニアは四大精霊の魔法を使った。それでもバハムートの力を取り込んだフロルの魔法は強大だった。弾き飛ばされる瞬間、大精霊たちがソニアを守ってくれた。だが、力を使い果たしてしまった。
『このままでは、お前の魔力が全て失われてしまう。そうなったら、命に関わる。だから、お前を眠りにつかせよう。それが我々のできる最善の策だ』
「眠り……? わたしはどうなっちゃったの?」
『とても疲れてるんだよ。君の力量以上の魔法を使ったからね。だから魔力を回復するまでボクたちが君に眠りの魔法をかけるよ』
シルフィールとノームが、そう話してくれた。その後は、あまり覚えていない。長い間、夢を見ていた気がする。懐かしい夢だった。いつの間にか故郷に戻っていて、家族と過ごしていた。あれはいつのことだったか。自分がこの旅に出る決心をするずっと前。まだ魔法をほとんど使っていなかった頃だ。夢の内容は思い出そうとしても何も思い出せなかった。ルミールが夢の世界に迎えにきてくれたというのに、そのこともあまり思い出せなかった。ただ、ルミールが遠くで自分の名前を呼んでいる気がしていた。
「夢の世界っていうのは、そういうもんだ。特に精霊の魔法で眠った場合は、何も覚えちゃいない」
ベアトリスはそういってくれたけど、ルミールに申し訳ないように感じた。口ではあまり何も言わないけど、きっと大変だったに違いない。
ベアトリスはソニアが目覚めてすぐに、ここへ連れてきた。まだ、頭がぼんやりするけれど、折れた杖のことは、はっきり覚えている。それが直るというのは、嬉しいものだった。もう直らないとさえ、思っていた杖だから。
杖職人から手渡された杖は前よりも軽かった。試しに掲げてみると手に馴染む感覚がある。杖を手にするまでは魔法を使えるか少し自信がなかった。でも、この杖を手に取ると、そんな不安はあまり起こらなかった。きっとどんな魔法でも使えるだろうと思わせる何かがあった。
「迷ってるなら、あの木を元気にしてやってくれ。これも杖作り用の木なんだが」
ある小さな苗木だった。しおれかけて元気がない。真っ先に浮かんだのはノームの魔法。草花を元気にしてやる魔法があるのだ。自然に杖が苗木に向けられる。しおれかけていた苗木は淡い光を帯びて少しずつ元気を取り戻していく。
「素晴らしい」
それだけ言うと杖職人は杖を受け取った。杖の状態を確認し、やがて工房へ戻っていった。
「あいつがああ言ったら、もう出来上がるぞ。いつもそうなんだ」
ベアトリスの古くからの知り合いだという杖職人はこうやって以前から杖を作り続けてきた。だが、だんだんと魔法使いが減って杖を作らなくなっていたらしい。
「久しぶりの仕事だから、嬉しいんだよ」
二人で仕上がるのを待った。ベアトリスはもうすぐと言っていたが、なかなか出来上がらなかった。彼が出てきたのは日が傾きかけた頃だった。それだけこだわって仕上げてくれたのだろう。事実、職人は満足のいく出来だと告げた。
「前の杖を地面に埋めて、そこから新しい木を育てた。前の杖の子孫の木だ。その木から新たに杖を作った。きっとどんな時でも支えてくれる。もともと想いと魔力にあふれる杖だ。これもそうなるだろう」
「ありがとうございます」
杖をぎゅっと握る。杖から暖かい力を感じた。大精霊の力と似たような力だ。
前まで使っていたのは祖父がソニアの誕生日に贈ってくれたものだった。祖父が作った見習い用の杖だった。
「旅先で、ソニアを守ってくれるように」
そう願って作った杖だと言っていた。杖は折れてしまった。ソニアを守って。新しく作らえれた杖は前の杖から作られていると言っても、少し違っていた。ソニアにぴったり合った杖。ソニアと一緒にどこまでも旅してくれそうな、そんな杖に思えた。
ソニアは職人に何度もお礼を言った。礼には及ばないと職人は返す。
「それよりも立派な魔法使いになってくれよ。魔法の一つでも見せに戻ってきてくれたらいい」
帰りは行きと同じようにベアトリスがつれて帰ってくれた。どんな魔法を使っているのかは、よくわからない。ただ、目を閉じて開いたら、もう帰り着いていたのだ。ルミールの待っている街へと。そして、ベアトリスは自分の魔法について何も教えてくれないのだった。ただ、おかしそうにソニアがただ驚くのを見ているだけなのだ。やっぱりベアトリスは只者ではないらしい。
帰るとベアトリスは試練のことについて話したいことがあると告げた。
「途中でやめる形になってしまったことは詫びる。だが、今はフロルの奴を止めないといけない」
「一人でどうにかするつもりなのか? バハムートの力さえ、取り込んでいるというのに」
ルミールの冷静な物言いに、だからだとベアトリスは応じる。
「俺はバハムートの門番だ。どうにかするのが俺の役目だ」
「あの、少しはお手伝いできますか。わたしでも」
ソニアの発した言葉にベアトリスはその動きを止めた。ベアトリスは驚きながらも次第に考え込むようになった。まるで今まで気付かなかった考えに気付いたというように。
「もしかすれば、うまくいくかもしれないな」
「なんの話だ」
「もし手伝う気があるならって話だ。バハムートの社まで来てくれ」
ルミールとソニアは、ベアトリスと一緒に社まで行った。ベアトリスは二人を社の中へ入れた。中は大理石でできたドームといった格好だった。ベアトリスは、そこで一息つくと、話したいことがあると切り出した。
「バハムートの門番が何かっていう話だ」
その昔、まだこの大地に精霊たちが溢れて間もない頃。日の光の精霊と夜の闇の精霊は交互に天と大地を行き来して、世界を見守っていた。二人の精霊が天と大地を行き来するうちに、時が生まれた。時が巡るうちに、何もなかった大地に風が吹き、雨が降り、川や海ができた。世界には緑が溢れ、精霊が生まれ、多くの生き物たちが生まれた。そうすると、たった二人だけで世界を見守ることは難しくなってきた。そこで、日の光の精霊と夜の闇の精霊は、それぞれの力から眷属となる精霊たちを生み出した。その中から、一人ずつ選び出し、この大地を見守る役目を与えた。この二人の精霊も交互に大地を旅して、そこに生ける者たちを見守っていた。一人はバハムートの門番として、もう一人は大地を見守る者として交互に大地と天を行きかった。
「それが俺とフロルだ。俺は日の光の力を持っている。フロルは夜の闇の力を持つ。今は俺が門番として天から大地を見守っていた。それなのに」
ベアトリスは言葉を切った。バハムートの社の中は誰もいない。ルミールとソニア、ベアトリスだけだった。社の丸い天井が高く高く広がっていた。ベアトリスの言葉は天井に響いていて消えていった。
「なぜこうなったかは分からない。ただ、フロルに何かがあったのだろう。こうなってしまっては人の手では止められない。そこでだ。二人に天の社まで行ってもらいたい。その間に俺はフロルとバハムートを探す」
「天の社へ……?」
「行くだと? 私たちがか」
ベアトリスは精霊に近い存在だとは、ソニアも感じていた。でも、まさか日の光の精霊の眷属だとは。それよりも驚いたのは天の社のこと。伝説の中の話だと思っていたら、まさか自分が行くことになるなんて。そもそも人が行けるようなところなのだろうか。そもそも空の天高い場所なんてどうやって行くんだろう。
「天の社に続く道はこの社にあるバハムートの門から続いているんだ。行くためには二人の力を合わせてくれ。社へ着いたら、あの御方に会って今の状況を伝えてほしい。恐らく天の社から全て見て知っておられるかもしれんが」
あの御方というのは、日の光の精霊と夜の闇の精霊だろう。ルミールとソニアにはお構いなくベアトリスは話を続けていく。ルミールがはっと我に返った。
「人間が行ってこられる場所なのか? 精霊が住むんだろう」
あまりに伝承の中のような話がぽんぽんと飛び出すので毒気を抜かれたようだ。ただ、それだけを口にする。
「それは心配ない。バハムートの試練を乗り越えた魔法使いは何人も通っている道だ。今は緊急事態だから、俺が二人に通行の許可を与える」
ルミールはそれでも何か考えているようだった。なんだか話がどんどん大きくなっていく。まるで現実味がない。自分は天空の果てまで行けるだろうか。まだ、バハムートの試練も終わっていないのに。
でも、もし自分が何かできるなら、力になりたかった。試練のためにここまで来て、フロルがバハムートと共に去っていくのを見た。関係ないとは思えなかった。
「わたしは、行くよ。でも、ルミールは」
ルミールに無理に来てもらうのは、どうなんだろう。もとあといえば、試練も何も関係ない。それなのに、ずっとずっと一緒に旅をしてくれた。
「今さら、そんなこと言うな。私も行く。」
いつものように仮面で表情は見えない。でも、ソニアのことをまっすぐに見つめているのは分かる。迷いはもう、なかった。
「決まったな」
ベアトリスは目の前に扉を作り出した。青い扉には金の縁取りが施されている。天の道へと続く扉はソニアが思っていたよりも小さかった。確かに扉の表面には細かい装飾がされていて、立派な扉だ。でも、もっと巨大なものを想像していた。それこそこのドームいっぱいになるぐらいの扉を。現れたのは人、一人が通れるぐらいの扉だった。




