夜の闇を照らす者
事態は予想だにしないところから進展することになった。木苺を摘みに行くから一緒に来てほしいと言われ、ルミールはソニアと出かけた。木苺の群生するところは森の中ほどにあった。折しも森は春で、ところどころに薄紅色の花々をつけた木も見られた。木は音もなく花弁を散らす。春の訪れとともに森の中で花をつけるこの木々は村の人々に親しまれているらしい。薄紅色の花に包まれた森はあでやかだった。夢の中であることを忘れてしまえるほどに。
動物は小鳥ぐらいしか見かけず、特に何事もなく家路についた。ただ道のりが思いのほか長く、帰る頃には夕方になっていた。それがいつもと違っていたかもしれない。いつもは日の高いうちにソニアの家に帰り着いていた。夢の世界でも現実と同じように日が昇り、月が満ち欠ける。そのことに気付いていたルミールは、その時は特に何も思わなかった。
「おじいちゃん、ただいま」
そう言って先に家へ入ったソニアはその場で立ち止まった。見ると部屋の中の明かりがほとんど消えている。何かがおかしい。用心しつつもルミールはソニアの後について家の中へ入る。暖炉と大きな木のテーブル、台所とがあるいつもの部屋。そのテーブルに寄りかかるようにして老人が倒れていた。ソニアが駆け寄って抱き起こす。片腕を押さえているのが見えた。
「どうしたの!?」
泣きそうになりながら叫ぶソニア。ひどく怯えていた。あんな姿を見るのは、グリフォンに出会ったとき以来だった。ルミールがソニアと出会い、グリフォンから逃がそうとしたあの時だけだった。
やがて老人はゆっくりと目を開き、孫を安心させようとソニアの手を握りしめた。
「大丈夫だ。だが、魔物が……」
夢の世界にも魔物が潜んでいるとでもいうのだろうか。反射的に窓の外を見ると、影のようなものが森へ去っていくのが見えた気がした。
まさかソニアの目覚めを妨げているのは、さっきの影だろうか。その影はルミールのよく知るものだった。ルミールの力と近しいもの。フロルの力の一部に違いない。バハムートの力を奪いとるときに、フロルの魔法がソニアにも力を及ぼしていたのだとしたら。
やるべきことが分かった気がした。ルミールはすぐに老人の傷の手当てを行った。魔物の傷特有の黒っぽい靄のようなものが見えた。それを自分の力を使って退ける。薬草はさすがに夢の世界には持ってこれなかった。自分の鞄の中身は空っぽだった。だから薬草はソニアの家にあるものを使った。幸い、傷によく効く薬草が家に保管してあった。ソニアは始めこそ、怯えていたものの、ルミールが手伝いを頼むと少し落ち着いた。薬草を集めて持ってきたり、湯をわかしたりしてくれた。
老人をベッドに寝かせ、時々、脈を測った。様子が落ち着いた頃には夜になっていた。
恐らくこの夜は明けない。ルミールが魔物を追い払ってしまうか、ソニアが目を覚ますまで。今まで潜んでいたフロルの力が姿を見せたのだ。決着がつくまではこのままだろう。ソニアとともに元の世界に戻るには魔物を追い払うしかない。そのために、ルミールは一人でも戦うつもりだった。意を決してルミールは一人でこっそり、家の外へ出ていこうとした。夢の中のソニアには魔物のことはまだ言わないつもりだった。
「待ちなさい」
出て行こうとするルミールを老人が呼び止める。
「どうされましたか」
「もし、出ていくのなら、暖炉の傍にある杖を持っていきなさい」
「しかし、私は魔法使いでは……」
意図が分からない。ルミールが身じろぎもしないでいると老人が続けた。
「あれは、わしの杖ではない。ソニアのだ。あの子の誕生日に贈るつもりだった。わしが作ったものだが、それでもあの子の役に立つはずだ」
もし必要なら渡してやってほしい。そう頼まれたルミールは一つうなずいて家を出た。老人は、ソニアが夢の世界に引き留められていることを知っているのかもしれない。なんだか、そんなふうにルミールは感じた。夢の世界のことは、老人には話していない。でも、ここから出るために、この杖が道しるべになってくれる気がした。
村の傍にある森は昼と違い、夜の闇に包まれている。カンテラを用意してはいるが、すぐ先はもう何も見えない。葉ずれの音だけが不気味に響いている。薄紅色の花をつけた木が月光に照らされて、淡く輝いていた。その森の入り口近くで誰かに呼び止められた。
「魔物を倒しにいくの?」
ソニアだった。何も言わずに家を出たのに、追ってきてくれたんだろう。もしかしたら、影が目覚めを妨げていることに気づきかけているのかもしれない。もちろんそれは、ルミールの憶測だが。
迷ったがルミールはソニアに杖を渡した。
「これは君のおじいさんから預かった。君なら魔物から魔法で身を守れるだろう」
「でも、わたし、魔法なんて使ったことないよ」
「奇妙に聞こえるかもしれないが、私の知っている君は魔法使いだよ。頼りになる魔法使いだ。だから、心配しなくていい。だが、魔物と戦うのはまず、私だけにしたいと思う。君はおじいさんの傍についていてくれ」
それだけ告げると、ただこちらを見つめるソニアを残してルミールは森へ足を踏み入れた。今、自分ができることは魔物を探し出し、戦うことだけだ。
カンテラの明かりはやはり、どこか心もとない。ここに魔物がいるのは気配で感じる。しかし、これだけ手元も見えないとなれば戦うことは難しい。
森の木々がまばらになる所まで歩いた。木々の間から月が顔を出し、青白い光が辺りを照らしている。カンテラの明かりを吹き消すと、月光だけになった森は、目に見えない影が潜むようにも見えた。魔物の方でもこちらを伺っているに違いない。明かりをなくせば、動きやすくなり、あちらからやって来るだろう。
近くの木の影がざわりと動いた気がした。手にした自分の杖に力をこめる。かつてフロルが操っていたあの影が、すぐさま飛びかかってきた。自らの力で攻撃を防ぐ。
どうしたものか。フロルの力の一部とはいえ、バハムートの力を横取りしたせいで前よりも強力だ。影は軽々とこちらの力を払いのける。
手合わせをして、やはりこの力は自分の力と似ていると確信する。こちらが力を使い慣れないのと、あちらが精霊に近いことを考えれば、こちらの分が悪いのは確実。良くても決着がつかない可能性もある。そう頭で冷静に考え、望みの薄い戦いであることを思い知る。本当に、こんなに軽率に行動するなんて自分らしくない。だが、それでもここに来なければならなかった。そのことを後悔はしていない。
杖が手から転がり落ちた。自分の力が霧散していく。しまったと思った時には闇がすぐそこまで迫っていた。
身を守ろうと構えた時、森の方から、かすかな明かりが見えた。自分が持ってきたカンテラのようにゆらゆらと揺れる小さな明かりだ。その明かりに気づいたように、影は身をすくめ、動きを止めた。その明かりはやがて、木々の間を抜け、ルミールのすぐ傍にまでやってきた。
「ソニア」
ソニアが杖に明かりを灯し、やって来たのだった。影は近くの木々の中へと身を隠したらしい。いつの間にか消えていた。魔法の光が恐ろしかったのだろう。
「大丈夫?」
ソニアは走ってきたようで息が切れていた。礼を言うと安堵したようだった。
「さっきのが魔物でしょ」
「そうだ。だが、なぜここへ来た?」
「さっきのルミールの言葉がどうしても気になったから」
魔法を使ったことはないのに、ソニアを魔法使いと言った。
「魔法をまだ使ったこと、ないのに。なんでかなって」
ソニアの村には魔法使いも多い。家族だってそうだ。魔法はソニアの身近にいつもあった。教えてもらった魔法はいくつもある。でも、自分で杖を手に呪文を唱えて、魔法を使ったことはなかった。
「ルミールはわたしのことを魔法使いだって言った。でも冗談とか、そういうので言ってるようには思えなくて」
ルミールに魔物に近づかないように言われても、どうしても心配になった。試しに光の魔法の呪文を唱えてみたら、すんなりと杖に明かりが灯った。この明かりは魔物除けになる。それに勇気づけられて、ソニアは後を追いかけたのだ。
「わたしも一緒に戦うよ。それに、一人より二人のほうがいいよ」
そう言ったソニアには迷いなんて、ないように見えて。いつも一緒に旅をしていた時と同じように、そう言ったのだった。
そして、その言葉に、はっとした。一人で戦う必要はない。もし、二人なら、もっと違った戦い方もできる。ある考えがルミールの頭にひらめいた。
「まず、魔物をおびき寄せるから、光を弱らせてくれ。魔物が襲ってきたら、わたしが魔物の動きを封じる。そうしたら、光で魔物を倒してほしい」
魔物もまた、月光の下へと戻ってきていた。こちらが攻撃しないと見て、機会を伺っているのだ。逆に油断もしている。今がチャンスなのだ。
ルミールの突然の提案にソニアは黙って、かすかにうなずいた。少しばかり杖の明かりを弱める。
魔物はそこへ喰らいついてきた。ルミールはとっさに力を使い、無数の影を操って、魔物を絡めとった。ソニアは呪文を唱え、杖を掲げた。その呪文は精霊たちから力を借りる祈りにも似た響きを持っていた。
光が目の前に満ちる。
その向こうでソニアがほほ笑んだような気がした。
気が付くとルミールはベアトリスの目の前に立っていた。夢の世界に入り込む直前のままのように。
「よく戻ったな」
ベアトリスが額から手を離す。病室の窓には午後の日差しが入り込んでいた。
そのすぐ傍のベッドで眠り込むソニアに目を移す。前と変わらず眠っているように見えた。
その目が、ゆっくりと開き、まるでうたた寝から目を覚ましたようにソニアは目を開けた。
「ルミール……?」
「やっと戻って来てくれたな」
「こいつが迎えに行ったんだぞ」
ベアトリスの一言にソニアは納得したようだった。
「そうだったんだ。ルミールがずっとどこかで呼んでくれてる気がしてた」
「私が?」
「うん。そうだよ。どこか遠くからだけど。はっきり聞こえた」
そうして今度こそソニアはただいまと、はっきり言ったのだった。その笑顔は夢の世界で、光の中で見た笑顔と同じ暖かいものだった。やっと帰って来たんだと、ルミールは思った。




