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夢の底を旅する者

ルミールはソニアに声をかけて部屋へ入った。返事はない。花瓶の花を新しいものに替え、ベッドで眠っているソニアの脈を測る。脈は規則正しく打っている。異常はない。もう何日も眠ったままということを除けば。ルミールはあの日のことを思い返していた。自分がなす術もなく、ただソニアの帰りを待っていた試練の日のことを。

 あの日、ソニアが結界に入ってしまうと、その中は淡い光に包まれて見えなくなってしまった。何をするでもなく、ルミールは結界の外でソニアの帰りを待った。ほどなくして、地の底から突き上げるような衝撃を感じた。それと同時に結界から天に向かって黒い光が上がるのが目に入った。

 「一体、何が……」

 その光に恐ろしいほどの力を感じ、片膝をついてしまう。情けなくも膝が震えている。あれは一体、なんなのか。考えたくもなかった。自分の中に潜む夜の闇の精霊の加護の力がその黒い光を警戒していた。

 その黒い光の傍に、ほどなくして金色の光が現れた。同じように結界から天へ向かっている。黒い光を打ち消しているようにも見える。揺れはさっきよりもひどくなっていた。二つの光は拮抗を始めた。それをただただ、眺めていた。

その二つの光は何度か拮抗した。そして、何度目かの拮抗で両方の光がぶつかり、弾けた。

 辺りを白い光が満たし、何も見えなくなった。その光から一拍、遅れてすさまじい突風が巻き起こった。ルミールの身体もあっけなく吹き飛ばされる。かろうじて傍にあった街路樹にしがみつき、何とか突風に耐えた。

 永遠とも一瞬とも思えるような時間だった。

突風が消えると、結界も消えいているのが見えた。そこから一体の巨大な竜が飛び立っていった。禍々しい漆黒の翼が天を斬るように、竜は羽ばたき、天を駆け、遥か彼方へ去っていった。

結界のあった辺りには立ち尽くすベアトリスと倒れ伏すソニアがいた。ソニアは手に折れた杖を持ち、深く深く眠り込んでいた。

 ソニアを病院へと運び、師とともに診ていたが、眠っている以外は、いたって健康だった。だが、眠りはひどく深く、どんなことをしても目を覚まさない。ベアトリスはフロルとの対決で魔力を使い果てしてしまったのだろうと言っていた。バハムートの力を横取りしようとするフロルを止めようと、強大な大精霊の魔法を使ってしまった。そのため、杖は魔法に耐え切れず折れ、ソニアも魔力を回復するために眠ったのだろうと。

 「フロルはどうなった?」

 「バハムートの力を完全には奪えなかった。だが、バハムートを操るまでには奪えてしまった。奴はどこかへ飛んで行った。バハムートに乗ってな」

 何も言えなかった。今の自分に何かできることがあるのかさえ検討がつかなかった。もともとフロルはバハムートを狙っていたのかもしれない。それを知っていた者は誰もいなかった。フロルの思惑にまんまと乗せられてしまったのだ。

 「これは俺たちの問題だ。関係ないのに巻き込んだ」

 だから必ず何とかする。そう言ってベアトリスはソニアの杖を持って出て行った。魔法使いを支える杖を直せば、少しは状況が変わるだろうと告げて。

 それ以来、ルミールはただ、ソニアを見守った。いつも脈だけを測り、どうしようもないと分かっていても毎日、見舞った。ソニアは変わらなかった。ただ、穏やかに眠り続けるだけだった。

 そんなある日、ベアトリスが戻ってきた。杖は修理を頼んだから、しばらくすれば直るとルミールに伝えた。

 「しばらくだと。それまでソニアは眠ったままだというのか」

 つい語尾を荒げたルミールにベアトリスは驚くような視線を向けた。

 「まだ目を覚まさないのか?」

 眠っているソニアを見て、ベアトリスは眉をひそめる。額に手をかざして、黙り込んだ。

 「何かが邪魔をしている。夢の世界から出られなくなっているのか……。恐らくフロルの力がこの娘の心を夢の世界に引き留めている」

 「どうにかならないのか」

 ベアトリスは考え込む。方法はないこともない。誰かが彼女を起こしてくればいいのだ。

 「言ってみれば夢の世界にいることに気づいていない状態だ。自分の魔力を回復するために眠っていたが、フロルの力の邪魔のせいで目を覚まさなければいけないことを忘れている」

 「その言い方だと夢の世界とかいうところに誰かが迎えに行けるようだな」

 皮肉っぽくそう口にするルミールにベアトリスは真剣に答える。

 「行って帰ってこられるさ。お前なら。夜の闇の精霊の加護を受ける者よ」

 思わず息を呑む。ベアトリスにそのことを話したはずはない。ましてソニアが彼に話すはずがない。それとも、やはりバハムートの門番は人ではない存在なのだろうか。こんなにどの人の目にもはっきり見えていても。もしかすれば、精霊に近い存在なのだろうか。

 「そう、驚くな。そういう気配がしただけだ。お前から」

 「なぜ私ならソニアを起こせるんだ。もし、あなたが夢の世界に入ることができるのなら、あなたの方が適任だろう」

 ベアトリスはおかしそうに笑った。

 「俺じゃ無理さ。この娘とずっと旅をしてきた友こそ適任」

 「……私はどうすればいい?」

やっと決めたようだなと呟き、ベアトリスはルミールの額に手をかざす。

 「何をする必要もない。ただ、ソニアに夢から覚めるように言ってやりゃいいんだ」

 ぐらりと視界が揺らいだ。ベアトリスの得意そうな顔を見たのを最後に、何も見えなくなった。



 瞼にかすかに光を感じる。薄く少しずつ目を開ける。見慣れない景色が眼前に広がっていた。さっきまで病室にいたはずなのに、全く違う所にルミールは立っていた。どうも、夢の世界とやらには無事にやってこれたらしい。それにしても、実感はわかない。

 淡い陽光に包まれた野原。そこには様々な色の花が咲いている。自分はどうも小高い丘の上にいるらしい。丘のふもとには森が広がる。森の縁には村のようなものも見えた。

 少し視線を移すと、丘の左右両側にも森が広がっており、そのさらに先に切り立った崖とその上に続く山並みが見えた。どうやらここは谷、といってもかなり広い谷だが、その間にあたる場所らしい。

 おずおずと一歩を踏み出す。足はしっかりと草地を踏みしめる。夢とは思えぬ現実感だ。まずは近くの村へ行ってみようと思い、丘を降り始めた。その道の先に人影を見た。つい、そちらへ目をやった。その途端、足が止まった。

 「……ソニア」

 ソニアがいつもと変わらぬ様子で歩いて来る。ただ服装はいつもの魔法使いの旅装ではない。もっと普段着のようだ。手には籠をさげている。思わず立ち尽くすルミールにソニアが気付いた。数歩、手前で立ち止まる。

 「こんにちは。旅の人?」

 笑顔を向けているが、それはいつもルミールと話す時のようなものではなかった。もっとよそよそしい、まるで全く初対面の時のような笑顔。

 「私が分からないのか」

 ソニアは不思議そうにこちらを見つめる。本当にルミールのことが分からないらしい。これはソニアの夢の中だ。何か理由があるはずだと言い聞かせ、焦っていることをなんとか押し隠す。

 「もしかして村へ行くの? それなら、わたしもこれから帰るの」

 言われるままソニアの後をついていく。ソニアは慣れた足取りで村へと歩いていく。途中、村人らしき人々とも親しげに挨拶を交わす。どうやら、ここはソニアの故郷らしい。

 ソニアはルミールに興味を持ったようだった。村にはあまり旅人は来ないのだと言う。ルミールは自分のことを医者で旅をしていると話した。

 「医者って?」

 「怪我や病気の人を診ているんだ。薬草なんかを使って」

 「ふーん。みんな、お面してるの?」

 「まあ、ギルドの連中はしてるな」

やはりルミールのことも覚えていないらしい。それどころか、医者も初めて知ったようようだ。ソニアの住む村は穏やかなところだった。森の端にあり、木造の家がまばらに点在する。その中の一つにソニアは入っていく。

 「おじいちゃん、帰ったよ」

 「お帰り」

暖炉の傍にローブを着た老人が座っていた。ローブの裾に綴られている複雑な模様と立かけられた杖。この老人も恐らく魔法使いなのだろう。お客さんとは珍しいと、老人はルミールに席につくように勧めた。

 「お医者さんなんだって」

それを聞くと老人はほう、と驚いたようだった。この村まで医者が来たことはほとんどないのだという。

老人はお茶を淹れて、もてなしてくれた。淹れてもらったお茶はかすかに春の香りがした。辺りに咲く野の花が少しだけ入っているらしい。うららかな日の光に包まれるこの村にどこか似ていた。ぼんやりとお茶をしていると、自分がなぜここにいるのか忘れそうになる。ここはソニアの夢の世界だ。ということは、ここはソニアの知っている場所ということになる。ソニアの様子から、ここはやっぱり彼女の故郷で間違いない。つまり、ソニアがこの旅に出る前に暮らしていた村なのだ。これはまだ旅に出る前のソニアの思い出なのかもしれない。少なくともこの老人はソニアの実の祖父のようだ。

 どうしたものかと考えあぐねていると、老人がルミールにしばらく、ここに泊まっていくように提案した。

 「この先の森を抜けるには準備も必要だろう」

 森の先には大きな街があるという。そちらへ行こうとしていると思われたらしい。ルミールはソニアを起こすことが目的だから、話を合わせ、ここへ留まることにした。そのほうが都合がいい。

 ソニアは旅をしているときのように、いやそれ以上にのびのびとしていた。まるで、ここが現実の世界であるかのように、疑いもなく暮らしていた。

 ソニアはルミールに旅の話をよくせがんだ。この村の外の世界へ旅したいのだと繰り返し、話してくれた。それを聞く度に、いずれ旅に出ることになるのだと言いたくなるのをこらえた。まだ旅に出る前のソニアにそんなことを言っても、きっと不思議がられるだけだ。

 少しでも、ソニアが自分のこと、旅のことを思い出しはしないかと考えた。だが、そんな素振りはここ数日は見つけられなかった。何か、方法があるはずだ。フロルの力が邪魔をしているのだとすれば、それを何とかできればいいのかもしれない。


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