第9話 高雄山の秘密(2)
次話投稿大変遅くなりまして申し訳ありません(>人<;)
大規模なスランプに陥っていました…
今回の話は短いですが、どうかお楽しみ下さい!
Twitter:@shinkoku0
「ゔぉっほん」
校長は大きく咳払いして、話を始めた。
「この話はな、毎年この学校に入学してきた新入生にしておるんじゃ。軍人たるもの、過去の惨劇と平和の大切さを知っておいた方が良いと思ってのう」
簡単に話をする経緯をこう説明し、校長は話を始めた。
校長の話は、1時間近くに及んだ。学生一同は初めはやや退屈そうな様子であったが、校長の話は耳を疑うような衝撃的な内容であり、そのうち皆は校長の話を息を飲んで聞いていた。草木のざわめきと、小鳥たちの囀りのみが響く山頂で。
話の終盤になると、幾人かの学生は瞳に涙を浮かべていた。大柄の男子学生も、拳を強く握りしめて、歯を食いしばっていた。
シーナ達の瞳にもまた、涙が浮かんでいた。シーナは父を戦争で失っていることもあり、その話は心の奥底に深く突き刺さった。
いつもはふざけてばかりの千紘も、真剣な面持ちで校長を見つめている。
校長の話は、敷島皇国建国以前。ヴィルト帝国が繁栄するよりも更に昔の話であった。
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今から500年以上前、敷島皇国のあるこの東端の地には、日の出ずる国、「日本」と呼ばれる国があった。
2600年以上の長い歴史の中で培われた独特な文化を持ち、他国から観てもそれは特異なものに感じられた。
春には街々の通りに植えられた「桜」の木が満開になり、人々はその下で宴会を楽しむ。通りは桃色に覆われ、限りなく美しく、人々の賑やかな声が響き渡る。
桜の花は、2週間もしたら無残に散ってしまう。その儚い美しさを、人々は感傷、感慨、幸福といった感情を胸に、桜を眺めるのである。
「日本」には、八百万の神がいると云われる。それらの神は、全国各地に神社と呼ばれる建物に祀られていた。
その神社では、夏の盆といわれる季節に「祭」が開かれる。
いつもは人気も無く、静かで荘厳な雰囲気の神社も、祭の時期になると参道の路肩に露天が犇めくように立ち、たくさんの人が訪れ賑やかになる。
日が落ちて、露天の裸電球の灯や提灯の灯が燈ると、それらが年季の入った社屋をぼんやりと照らし出し、なんとも言えない美しい風景を作り出す。
人々はその神社に祀られた神々に、豊作や健康を祈念しながら楽しむのである。
秋になると、木々の葉は赤や黄に色づき、田舎ではたわわに実った稲の刈り込みが始まる。一面に広がる黄金色の絨毯。それを縫うように這う水路。ポツリポツリと建つ民屋。その風景は、日本人の誰もが心の中に抱く故郷そのものであった。
冬になると、北方の地域は白銀に覆われる。特に積雪の多い地域では、道路の側に数メートルにもなる雪壁ができる程で、その風景は雄大であった。
年が開けると、一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈るため、初詣に出掛ける。雪の舞う中、白い吐息を吐きながら大勢の人々が神社に列をなす光景は、どこか幻想的に感じられた。
季節の移り変わりを大切にし、それらを自然のままに楽しむ。その様な生活がこの地にはあった。
しかしこの美しい生活は、長くは続かなかったのである。
〈イラスト:真香灯様〉




