第22話「スピンとボイド」(挿絵あり)
可能性の海を泳ぎ、ボイドは導かれるように声の方へ向かう。
遠くから、規則正しい心拍のような音が聞こえてきた。白い空間の中で、鼓動を繰り返す巨大な青白い光の球体。それは大量のカレイド・スープに包まれ、まるで虹色の宇宙に抱かれた胎児のように、穏やかに脈打っていた。
やはり、新しい宇宙が産声を上げようとしているのだ。かつての天界がスピンたちの場所だったように、ここは新しい宇宙の「天界」となるべき場所なのだろう。
スープの奔流に飲まれかけていたスピン、グラ、ディーヨンは、必死にもがいていた。
「ボイドーーーー! こっちよ、こっち! なんとかして! せっかくのカレイド・スープなのに、ここで飲んでもいまいちピンと来ないのよ。やっぱり地上で味わわなきゃダメなのかねぇ!?」
「飲んだのか…」
呆れ果てながらも、ボイドはスピンの手を掴んだ。だが、スープはネバネバとして、なかなか引き揚げることができない。
ディーヨンが喚き、スピンが応援する。
「グラ、まだ座標は分からんのか!」
「トゥクトゥー!」
「ボイド、頑張って!」
その時、宙を舞う煌めきがボイドの目に留まった。オッカムの剣の刀身だ。消滅したのではなく、この「内側」の世界へ転送されていたのだ。ボイドは腕を伸ばし、その刃を掴み取った。
「パウリに感謝だな」
ボイドは呟くと、仲間たちを縛り付けていたスープの粘性を、鮮やかに切り裂いた。
ふと見れば、ディーヨンの頭にはミミズが乗っている。
「……また我の頭ですわ。こいつ、分裂したみたいですな。ミミズと光の球に。ミミズは我と一緒がいいそうで。まぁ、我々皆の一部もあの光の中に入っちまったがね。次の世界では、あの法則達が育つって訳ですな」
スピンはスープの呪縛から逃れると、無重力の中を遊泳するように緩やかに回転し、ボイドの胸に飛び込んだ。二人は強く抱き合う。
鼓動する光の球体は、ゆっくりと二人から離れていった。
「お二人さん」と、ディーヨンが口を開く。「あっちの世界へ行くこともできるのではないかね? 多分、これからビッグバンってものが起きる。一緒に行けば、また素敵な新世界を作れるかもしれないぜ」
スピンはきっぱりと答えた。
「いやいやいや! 私はこちらの世界の女神様ですよ? こっちを放ったらかしになんてできないでしょ。女神のいない世界なんて、あり得ます?」
ボイドもスピンの手を握り直し、光の胎児を見送った。
「俺もこの世界が好きなんだ。俺は、俺の生まれた世界で生きる。あの子はスピンの世界から生まれた、新しい可能性だ。子供は自由に、思うままに自分の世界を作ればいい」
「トゥクトゥクトゥー!」
グラの緑の瞳が発光する。地上の座標を掴んだ合図だ。
離れていく光の球は、激しい電光を放ちながら次元の狭間へと消えていった。マジックワームが分かれた際、魔法の中の「雷」の性質を強く持っていったようだ。新しい世界は、魔力ではなく電磁力が活躍する世界になるのかもしれない。
次元の彼方で光は爆発し、巨大な宇宙を創り出すだろう。かつてスピンがそうしたように。
「こっちの世界から祈ってるよ。……あなたの世界が、上手くいきますように」
スピンは、まだ見ぬ我が子のような宇宙へ、優しく微笑んだ。
地上では雲が去り、暖かな太陽が顔を出していた。崩壊したゴド遺跡の傍らで、パウリとベクトガルドは、じっと空を見つめていた。
黄金の天使が消えて数分。次元の隙間が弾けるように開き、スピン、ボイド、グラ、ディーヨンが飛び出してきた。
「まったく、我の使い方が荒いんだから!」
ブツブツ言うディーヨンを他所に、パウリは涙を浮かべて二人を抱きしめた。
「良かった……本当に良かった!」
喜びを分かち合った後、落ち着きを取り戻したスピンは思い出したように叫んだ。
「あっ! 爺やに報告しなきゃ!」
テルルフォンを鳴らすと、案の定、爺やの絶叫が返ってきた。
『いやー! 素晴らしい! まさか本当にやり遂げるとは! さすがスピン様ですぞ!』
ボイドが受話器越しに問いかける。
「爺や、あんた新しい宇宙が生まれることを知っていたな? 遺跡の地下の壁に刻まれていたぞ。天界の者があの建物を造ったと。あんたの名前だろ?ゴド。最初から計画通りだったのか?」
『いや、おっと……。確かに、事実は知っておりました。遥か昔、私がゴド遺跡を作り、石盤に「頂点の二つの意思が揃う時、永遠の時を得るであろう」と書いたのも事実です。しかし、あれは勇者と魔王のことではありません。「女神様と、地上から選ばれた誰か」のことです。それがボイドでもパウリでも、私にはどちらでも良かった』
爺やは一息ついて続けた。
『本来の計画では、永遠の命を得た地上の者とスピン様が、遥か先の未来、この宇宙の終焉頃に新世界を創るはずでした。それがこんなに早まるとは、想定外の想定外ですよ!』
「ふーん。爺やは誰に頼まれたの? そんなこと」
『それはもちろん、前の宇宙の創造主……この世界の「親」ですよ。私とて会った事はありませんがね。「動き方」のみ承っております。記憶は引き継げずとも、法則や構造はこうして受け継がれていくものなのです。生物と同じ様に』
ひとしきり爺やの講釈を聞き終え、お礼を言って電話を切った。
パウリがゆっくりと立ち上がり、ボイドに尋ねる。
「ボイド。これから、どうするんだ?」
スピンがじーっとボイドを見つめる。
ボイドは真っ直ぐにスピンを見返し、言った。
「……天界に行っていいかな、スピン」
スピンはこれ以上ないほどニンマリと笑った。
「もちろん! ……でもさ、もうちょっと一緒に地上を旅しようよ。天界でフワフワするのもいいけど、地上の方が、うまい料理がより『うまい』んだもん!」
スピンはボイドの腕に、しっかりと自分の腕を絡めた。
「お、おい……!」
ドギマギする魔王の姿に、パウリが愉快そうに笑う。
グラは本人の希望で、スピンたちの旅に同行することになった。
ディーヨンは旅を面倒くさがり、ミミズと共に天界へ帰っていった。「食べたい時にワープして地上に現れる」と言い残して。
ベクトガルドは、魔族たちに会いに行く決意をした。始祖の願いが「仲間」であったと知った今、彼の目的は支配ではなくなった。
パウリはイストール王国へ帰り、家族と穏やかな時間を過ごすだろう。
そして、スピンとボイドは――。
今日も、スピノリアスのどこかを歩いている。
野に実る果実を見つけ、ボイドが口を開く。
「これはブルーイチゴだな。空気中の魔力を分解して栄養にする植物だ。魔力回復に効く」
「ジャムにすると美味しいかもね! バニラアイスに乗せたら最高!」
一つの物事から、無数の可能性が入り混じる。
だから、女神と魔王の旅は終わらない。
人間たちが、そうであるように。
黄金の日差しの中、二人と一体は、どこまでも続く地平線へと歩いていった。
おわり
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




