78話 天翔祭ゲート前
――翌朝。
いつもの時間に目が覚めた健二は、差し込んでくる朝日に背伸びをした。
両隣で横になっている輝夜と千影の前髪を軽く撫でてから、柔らかく語りかける。
「おはよう。たかちゃん、千影さん。気持ちのいい朝だね」
「オ、オハヨウ、ゴザイマシュ……」
「もうすでに幸せのキャパオーバーだわ……」
「ふたりとも、大丈夫?」
首を傾げる健二の一方で、輝夜と千影は浴衣の前を握りしめながらうなだれていた。
目が覚めたら健二の横顔が目の前にあったことに加え、優しく声をかけられながら髪を撫でられて、頭が沸騰してしまったのだ。
外では雀が元気に鳴いている。輝夜が叫んだ。
「これは、まごうことなき朝チュン!」
「……? あ、ふたりとも髪をとかしてあげようか? だいぶ乱れてる」
「やめて想像させないで!」
「……??」
その後、朝食の場では、美少女ふたりの様子を見た澄玲が、呆れたように言った。
「据え膳食わぬは――あなたたちの方だったみたいね」
「だってぇ……」
「言い訳は聞きません。これは先が思いやられるわね」
(皆、何の話をしているのだろう)
女性陣の会話に首を傾げながら、健二はマナーをきっちり守って食事を続けた。
その泰然とした健二の態度に、周りの使用人たちは畏怖の視線を向けるのだった。
――身支度を整え、安藤が運転する車へ。ネコマタもちゃっかりついてきた。
両隣に座る少女たちに、健二は不思議そうに尋ねた。
「何だか、高嶺家の人たちの態度が昨日と違ったように思えるんだけど、何かあったのかな」
「やっくん……」
「それと澄玲さん。たかちゃんや千影さんにあそこまで強く当たらなくてもいいのに。澄玲さんを怒らせるようなことなんて、ふたりは何もしていないと思う」
「クロバラくん……何もしてないから怒られたの。私たち」
「……?」
釈然としない健二に、運転席から安藤が「健二様、もうそのくらいで」と遠慮がちに言った。
――20分後。
車が天翔学園の近くまでやってきた。
校門には『天翔祭』と大きく書かれたゲートが設置されていた。遠目でも華やかで目立つシンボルだ。
いよいよ今日から天翔祭が始まるのだ。
「そういえば、たかちゃんや千影さんはクラスの出し物に参加しなくていいのかい?」
「うん。杵築さんが『あとはこっちでやっておくから』って。どうしても忙しくなったら連絡がくることになってるけど」
「私は3年生だからね。基本的に出し物は有志でやってるの」
だから一緒に回れるよ、と輝夜と千影は言った。
そのときだった。
いつもなら校門の前まで進む安藤が、今日はかなり手前で車を停めた。
学園へ向かう来場者で道が混んでいたこともあるが、それとは別の理由があった。
「あの車の列は何だろう」
後部座席から身を乗り出した輝夜がつぶやく。
3台の黒塗り高級大型車が、天翔学園の校門前に連なって停まっていたのだ。
生徒や来場者は、道の片側半分を埋める車列に戸惑いの視線を向けている。
健二は「まさか」と思った。
「たかちゃん、千影さん。ここで降りよう」
「う、うん。そうだね」
輝夜たちとともに車を降りる。足元のネコマタが、警戒するように耳を立て、尻尾を大きく振っている。
人の流れに乗って校門へと向かう。
すると、見覚えのある黒いスーツの集団が、校門脇で直立不動になっている姿を見た。
彼らの中心で、ツインテールの少女が手を挙げる。
「あ、来た来た。カグ兄様ーっ!」
「エリス。やっぱり、この車の列は君だったのか」
「ふふ。来ちゃった」
年相応なガーリーファッションに身を包んだエリスが、健二の前に進み出る。すかさず健二の両脇を固めた輝夜と千影にも、エリスはにこやかな笑みを向ける。
「輝夜お姉ちゃん、千影お姉ちゃん。おはよう。学園祭日和の、いい天気だね!」
「エリスちゃん」
「やだなあ、輝夜お姉ちゃん。何意外そうな顔をしてるの? エリは言ったよね、『明日からの天翔祭、楽しみだね』って」
「……何が狙い? 黒薔薇エリスさん」
「もちろん、『普通の来場者』として楽しむためだよ。違法でも違反でも、何でもないよね? エリは知ってるよ」
輝夜と千影が口ごもる。
エリスはさらに笑みを深くすると、輝夜たちを押しのけ、健二の腕に手を回した。
「カグ兄様、一緒に回ろう! エリ、こういうお祭り初めてなんだ」
「遊びに行くことも駄目だったのかい?」
「そうだね。忙しかったから」
あまりにもあっさりと頷くエリス。わずか12歳の少女が、大人と同じような苦労をにじませて笑う。その姿に、健二は胸が締め付けられた。
昨日、澄玲が口にしたアドバイスを思い出す。
「わかった。一緒に回ろう」
「やっくん」
「クロバラくん……」
「ただ、エリス。生徒や来場者の人たちに不安を与えるから、後ろの車や護衛の人たちは下がらせてくれないか。せめて、別の場所で待機させてほしい」
健二が言うと、エリスは目を輝かせた。
「じゃあ、カグ兄様がエリを護ってくれるの!?」
「うん。もちろん」
「やったぁ!」
さらに強く腕にしがみつくエリス。それは小学生の妹そのままの姿だった。
ふと、エリスが健二から離れた。背後に控える部下を振り返る。
「兄の言うとおりにします。皆さんは別の場所で待機していてください。必要があれば、私から連絡します。くれぐれも、不要不急の連絡を寄越さないように」
「かしこまりました」
「それと、私に黙って私服の護衛を付けることもやめてくださいね」
「しかし、それは」
「二度は言いませんよ」
「……かしこまりました」
「ありがとう。じゃあ、しばらく待っててね」
次期当主の顔から、小学生の少女の顔へ。
目の前で『黒薔薇エリスの二面性』を見せつけられ、健二たちは一瞬、言葉を失った。
ぞろぞろと撤収していく黒服たち。
輝夜と千影――そしてネコマタ――は警戒心をにじませた。
一方、健二は少し切なそうに眉を下げた。
「エリス」
「なぁに、カグ兄様」
「手を繋ごう。久しぶりに」
「……! うん、繋ぐ。嬉しい!」
差し出された左手を、エリスは喜々として握った。
健二も優しく微笑む。
ふたりの姿は、まさに仲の良い兄妹そのものだった。
輝夜は小さく息を吐いた。それから努めて明るい声で言った。
「エリスちゃんだけ楽しいのはずるいよ。私たちもやっくんと一緒に回る!」
「エリはカグ兄様のお願いを聞いたもの。今度はカグ兄様がエリのお願いを聞く番だもん」
「なんだとー!」
左腕にしがみつき、エリスと視線をぶつけ合う輝夜。
「たかちゃん、落ち着いて」と輝夜をたしなめようとした健二を、千影が止めた。
「あれは、輝夜ちゃんなりに『一緒に楽しみましょう』って言ってるの。きっとエリスさんも理解してる」
健二は、左腕で繰り広げられる17歳と12歳の睨み合いを見た。
「……本当にそうなのかい?」
「まあ、後に引けないって理由もあるかしら。6割くらい」
「それは見たとおりの闘争状態ということでは」
「女の戦いは時に過激に映るものよ」
「そもそも戦ってほしくない……」
「そんなことより、早く行きましょう。時間がもったいないわ」
千影が健二の右腕を取る。輝夜とエリスが「あ、ずるい!」と喚いた。




