トーマス地区長とダリア夫人
この物語はフィクションです。
前話の話の続きです。
前話を辛いと思った方は読み飛ばしても構いません。
次話をお待ちくださいませ!
読まなくても、大丈夫にしています。
勿論トライア地区の孤児院も、良い面だけじゃない。
そうでなければ、孤児院に子供がいる理由がつかない。
何らかの理由で育てられなくなってしまった人達もいるのだろう。
前世の私のように、子供をおいて亡くなった人もいるのかもしれない。
「何か気になる事がありますか?」
穏やかな低くめの声の方を向くと、初老に差し掛かった男性がいた。
白髪混じり茶色の髪は、セットされていたのだろうが、子供達に触られたのか後ろが少し跳ねている。
丸みのある顔と、少しふっくらした体型に、にこやかな笑みを向ける姿は、話しやすそうな人だと思った。
「いいえ、気になることはないです。
皆楽しそうにしていて微笑ましいです」
「ありがとうございます。職員も喜ぶでしょう。
初めてお目にかかる方ですが、新しくペティの孤児院に入った職員の方かな?」
「えぇっと、職員ではないですが、ペティでお世話になっていて、今日は手伝いで来ましたフィリアと申します」
「それはそれは、お手伝いありがとうございます。
お陰で子供達も楽しく過ごせてますね。
ペティのお菓子は美味しいと評判なので子供達も大喜びですよ。
挨拶が遅れましたが、私は、中央孤児院の院長をしています。トーマスです。
一応地区長も兼任していますので、これからよろしくお願いしますね」
「地区長さんですか!?
本当に、この地区はいい所ですね!!
私は、トライア地区に移住者として、つい最近来ました。
手厚い支援に感謝しております。
お陰で充実した日々を送ってます!!」
「ほほほ。そうでしたか。最近の移住者の方のお話を聞けて私も嬉しいです。充実していても何か、困っている事とか、不自由してる事はないかな?」
何と、目の前にいる方が、この地区のトップの地区長さんとの事だ!!
トップであるにも関わらず奢ったところもなく、寧ろ一意見をとても重要視されている姿勢が素晴らしいと思った。
「特にないです!! 寧ろ甘やかされている気もして、これに慣れてしまわないように自分を律している所です」
私がそう言うと、トーマス地区長は困った顔をした。
「そこが難しい所ですね。
あまりに、勝手が良すぎると、本来その人が出来るはずの事や、その人の成長を阻害してしまいかねない。
与えすぎも良くないのは重々承知しているのですが、一度後悔している事があるだけに、どうしても手厚くしてしまいがちになる」
トライア地区に住み始めてから、住民の人たちから地区長さんの話は賛辞しか聞かない。後悔って? と思っていたら、トーマス地区長は、悲しそうな顔をした。
「本当に必要な人に保育が届くなら、やり過ぎでもいいのではないかと思ってしまうのです。
今でこそ、人員配置もかなり余裕を持たせていますが、最初はそうじゃなかった。
失敗もかなりしています……。
昔……人員も足りなくて、緊急性の低い保育希望だと思って断った人がいたのです。
月に1、2回、数時間だけ。それくらいなら保育なんて必要ないだろうと保育希望の方には返答しました。実際にそう思っていたのです。数時間だけなんて、何のために預けるのかと泣いているだけで終わるに決まってる。と……若かったですね。
その数時間で人生が変わることもあるのに……。
それが原因で、その方は2度と保育を希望する事が無かったのですよ。
私が対応した2年後に、その人が過労で儚くなったと聞いた時は自分を責めましたね。それを知ったのは、ずいぶん後で、最近なのですが……。こんな奴が、地区長を続ける訳にはいかないと、辞職するつもりだったのです。
ですが、女房に、本当に反省してるなら、理想の保育園を作るまでは、寧ろ辞めてはいけないと喝を受けまして。
……今に至るのですが、フィリアさんはどう思いますか? やはり私は辞職して、ひっそりと懺悔しながら生きた方がいいと思いませんか?」
……。何故か矢継ぎ早に話された。
こんな重たい話を初対面の私に、何故話したのだろう?
保育園として醜聞になりかねない、地区長の評判を落としかねない内容なのに。
それに何故か、地区長が話した内容は、私の前世と重なる話だ。
偶然なのだろうけど、そう言われると地区長が、前世の保育園の職員さんと重なった。
確かに、受け入れて欲しかったけれど、あの時は、人員も足りない中では、初対面の手のかかる子供を預かるのには、リスクを伴っただろう。
娘が預かってもらっても、泣き喚く娘に人員が取られ、他の子達の保育が手薄になり、そちらで事故が起これば本末転倒だ。
「人員配置が揃ってない中で、無理に受け入れる必要はなかったと思います。仕方がなかった……けれど、その断る理由は、お母さんのせいではなく、施設の人員が足りないからだと安全にお預かり出来ないと正直に言って欲しいなとは思います。
トーマス地区長が、辞める辞めないは、私がどうこう言える立場ではないと思うので何とも……。
ただ、今の孤児院の子供達は、とても楽しそうにしていますし、一般の保育されている子供達も父母も皆笑顔なので、奥様の助言のおかげですね」
トーマス地区長は、私の審判を受けるかのように、慇懃な態度で始終聞いていた。
私の最後の言葉を聞くと、トーマス地区長の目が潤んでいるように見えたが、目をグッと閉じて次見開いた時は、私の言葉を噛み締めているようだった。
「貴重なご意見ありがとうございます。心にしっかりときざみたいとおもいます。
こんな私が地区長と孤児院長を続ける事については如何だと思いますか?
フィリアさんの主観でいいのです。
率直な意見を聞きたいのです」
私に生殺与奪を握るように、言われても困る。
トーマス地区長の思い詰めた態度から、私の意見をそのまま採用しかねないのだ。
私は境遇は似ているけれど、今回の当事者ではないし、私が勝手にどうこうしてはいけない事だ。
仮に、私が当事者だったとして、トーマス地区長を辞めさせる事が出来るだろうか?
私財を投げ打ってまで、子供達のために尽くしている地区長さんを?
当事者家族なら辞職を求める人もいると思うけど……。
ご家族は、その事を知った後に探したそうだが、バラバラに別れてしまい、見つからなかったとのことだ。
……断り文句としては、どうかと思うが、どちらにしても臨時保育を断らなければいけなかった事例。
臨時保育は他にもあったはずだ。
それに、トーマス地区長は、この地区には欠かせない人だ。
ここに住み始めて地区長に感謝を述べている人が多い事。
それだけ、地区のために、献身的に尽くしているのだろう。でも、私がどうこう言う事じゃない。私が許す許さないの立場にはないのだ。
そう思って、私が困っていると、
「あなた。相手が困っているでしょう??」
「ダリア……。」
声の主を見ると、40代くらいの女性がゆっくりと、こちらに向かって歩いてきた。
シンプルな紺のワンピースに白いエプロンをしているので、孤児院の職員の1人なのだと思う。赤い髪をきっちり纏め、優しげな蒼瞳は、困ったように細められていた。
「全ての答えを求めてはダメよ。
貴方が一生悩み苦しみ抜かないといけない事なのよ。
……それが貴方への罰になるのよ」
「しかし、辞職を望むなら私は……」
「それも含めて、本来、辞職しないといけない身なら、それを覆すくらい身を粉にして働きなさいといつも言ってるでしょう?」
「……」
確かに辞職したら一定の責任は取ったという事になるのだろう。それで、トーマス地区長は肩の荷が下りるのかもしれない。
けれど、ダリアさんは、それを許さず茨の道を行けという。亡くなった人の意見は聞けない……その場に居続けるという事は辞職以上に、トーマスさんにとっては辛い選択なのかもしれない。
トーマス地区長は、一度私を見て、私が意見を言うつもりがないのがわかると、ガクンと肩を落として項垂れていた。
その姿にダリアさんが背中を思い切り叩く。
喝を入れられたトーマス地区長は、私に向き直った。
「どうやら俺は楽になりたいだけだったようだ。
これからも、本当に良いのかと、悩む事が多いだろうが、子供達とその家族の為に、何が出来るかずっと考えていきたいと思う」
「私がどうこう言える立場ではないですが……今ここにあるみんなの笑顔は、トーマス地区長の献身のお陰だと思います」
私の言葉に、トーマス地区長の目から溢れる何かが輝いて、さらり目からこぼれ落ちたのは、見間違いではないだろう。
◇◇◇
ダリア夫人は、地区長を引きずるようにどこかに連れて行ってしまった。
ほんの数分で夫人の尻に引かれている地区長が目に浮かぶ。
けれど、この後の地区長さんに、何かが起こっても、それはダリアさんが地区長さんを思っての事なのだろう。と何故かそう思えた。
人によりますが、断罪される訳でも、許される訳でもない、一生悩み続ける事が1番辛い審判なのかもしれません。




