交流会当日 ペティと中央孤児院
この物語はフィクションです。
現実世界とは異なります。
後半に、前世のフィリアの辛い経験が出てきます。
内容は、専業主婦が子供を預ける事に対して、否定的な意見が出てきます。
次話には否定的な意見に対しての謝罪があります。
なので辛い方は、今回と次話は、読み飛ばしましょう。
読み飛ばしても、話は読めるようにしています。
なので無理をする必要ありません。
よろしくお願いします。
交流会当日。朝から身支度や子供達の荷物整理をして、準備を終えた。
ペティと中央孤児院は、交互に場所を変えて交流しているらしく、今回は中央孤児院での開催だ。
なので私達が移動になる。
移動は、観光バスのような椅子の配置の何十人も乗れる魔導バスだった。
車体の色は淡青色で所々、金の装飾がある。
高級感があるので、みんな何処となく緊張している。
魔導バスは、動力が魔石で、車輪は骨組みは鉄のような硬いものであったが、その周りのクッションの役割を担うのは、ゴムではなく、スライムのようなプニプニした得体の知れない物質だった。車輪は車高の3分の2程の大きさで、かなり大きいが、車輪は車からはみ出ているため、車高は高速バスと変わらない。荷物は夜行バスと一緒で座席の下に空間がありそこにみんなの荷物を入れ込んだ。
最初は緊張していた子供達だったが、すぐに慣れてしまい、普段乗れない魔導バスに興奮気味だ。
引率する大人達も、それを微笑ましく見ている。
人数を確認して出発する。
魔導バスでの移動時間は20分ほど、ペティの農園は舗装されておらず土埃が立っていたが、通り過ぎ、中心部へ近づくと、石畳の舗装された道路になる。
程なくして、立派な建物の前にバスが止まった。
どこかの貴族の邸宅を思わせるような門構えに、ちょっと驚く。
孤児院といえば、こじんまりした石造りの家に皆んなが和気藹々と、慎ましく暮らしているイメージだ。
ペティのお屋敷は、かなり大きいので、孤児院としてはかなり恵まれていると思っていたが、中央孤児院は、更に上をいく。
前世の小学校をイメージしたような大きさだ。年齢によってクラスが細かく区切られているらしくそれぞれに地区で定められた指導員がつくとの事。なんと、思春期から就業までは小さいが個室もあるらしい!!
勿論、運動の為の庭や、体育館のような場所もあるらしい。
装飾こそ少なめであるが、白を基調とした壁は、清潔感があり、とても安価で作られたとは言い難い。
三階建てで、土台もしっかりしており、20人程の子供達とその世話をする人たちが暮らしているとはいえ、大き過ぎるくらいだ。
私が思わず感嘆の声をあげていると、
「凄いでしょう? セキュリティ対策も兼ねているから門はちょっと豪勢よねぇ。
地区長の想いが詰まってるのもあるけど、地区長が私財を投じて建てたから、ここはちょっと違うとも言えるけど。
今トライア地区にある孤児院はこことペティだけなの。
後の孤児院は保育園に変わっちゃった。
まぁ、中央の孤児院は、保育所も兼ねているから、こんなに大きいのだけれど、それでもちょっとここは大きすぎるくらい。定員も余裕のある充分な職員配置もされているから、ここの凄いところよね?
子供1人に対して必要空間が決まっているのだけれど、ここは最低基準の5倍の大きさだから広いのよね。ペティでも3倍よ?
広いから良いって訳じゃないけれど、掃除の魔道具が無かったら一日中掃除で終わっちゃうわよね?」
特に、中央とペティが張り合っているわけではなく、両方とも、より良い運営はないか、日々模索している最中らしい。
孤児院に完璧! という言葉なないのだそう。
その他にも、バネッサが、中央孤児院について補足してくれた。
ここは保育所も兼ねているので、日中は倍以上の子供達が集まるので、こんなに広いらしい。
トライア地区は、子供とその家族にとても手厚い支援をしている。
子供は1番の財産という考えが根付いて、皆が、子供達に寛容だ。地域みんなで育てようとしている。
勿論子供達は、悪い事をすれば、親以外からも叱られるし、甘やかしとは違う。
子供にかかるものは、ほとんどが無料で、成人するまでは、様々な教育支援もある。
全ての子供達に、移住者と同じ職業支援もあり、孤児院出身だからと、職業差別されることもない。
要は子供のやる気さえあれば、手厚い支援が受けられる。
孤児院の子供達と、一般家庭の子供達は、分けることはない。問題が起こりそうだが、日中、一緒に生活していて、特にギスギスしていない。
時々、一般家庭に、孤児院の子ども達が数人で遊びに行くイベントや、本当に仲良くなり、引き取られていく子供達もいるらしい。
引き取る際の支援も充実しているのだとか。
今、子供達同士が、挨拶をしている。
その後ろには、職員の他に、手伝いに来てくれている父母もいた。
中央孤児院の皆が、歓迎の歌を歌い、ペティの子供達からはお菓子のプレゼントだ。
多くの子が、何度も顔を合わせている為か、とても気安く会話をしていた。
今の子供達を見る限りでは、ペティも中央孤児院の子供達も皆、楽しそうに暮らしている。
一般家庭への支援も充実していて、3歳まで(トライア地区は4歳から義務教育が始まる)は保護者(夫婦共に)の意思選択で、仕事は育休しても良いし、早めに復帰するのも自由だ。
保護者の考えで保育園に預ける事が出来る。
待機児童もない。
復帰する人が仕事人間なのかと思えばそうではなく、職人のスキルを落としたくないので週に2回だけという人もいれば、毎日3時間だけ、社会との関わりを持ちたいと、短時間預ける人等、様々だ。勿論ガッツリ働く人もいる。
減給分は公的機関から支援がある。
復帰する時間も日数も、選択自由だ。
給与支援は、前年度の給与の10割が基本なので、生活が困窮する人は少ない。
人員配置に余裕を持たせているので、育休の人でも、希望者は、月2回はリフレッシュする為の預かり保育もあるらしい。
至れり尽くせりだ。正直前世にもこんな制度あったらなと思った。
……前世では、私の住んでいる場所が保育園激戦区で、私は引っ越してきたばかりの専業主婦。臨時の預かり保育すら、使うのはハードルが高かった。
2人目妊娠中、つわりが酷くて、子供を連れて外出が辛かったので、妊婦健診の間だけでも、臨時に預かってくれないかと、認可の保育園に相談した事がある。
『月に1、2回なら子供が保育園に慣れない。たった数時間預けるだけなら、貴方の子供はずっと泣いているだけになるよ?
それは可哀想でしょう』
と、遠回しに断られた事を思い出した。
当時は、引っ越したばかりで周りに友達もおらず、ネットで調べて、臨時保育を行なっている公的機関を探して、勇気を出して最初に電話したが上記の回答。
今思えば、定員オーバーだったからが、1番の理由なんだろうけど、私としては勇気を出して問い合わせて、そう言われてしまったので、次の保育園にかける勇気は無くなった。
ファミリーサポートもあったけれど、同じ事を言われてしまったらと思うと、もう何も頼る気にはなれなかった。
旦那は新しい土地で、営業を開拓するために、新しい同僚と仲良くなるためにと、付き合いで土日も家を空ける事が多く……。
結局誰にも頼れない日々だったのだと思う。
そうして、誰かに頼る事をやめたのだった。
2人目が生まれてからもその気持ちを抱えたままで……。
最初は私も頼ろうとした事を思い出した。
大体、夫婦2人の子供なのだから、もう少し旦那が、子育て手伝ってくれても良かったのではないか?
新天地で、妻が心細い思いをしているのに、飲み歩いている旦那……。
あの頃は、疲弊しすぎて考えられなかったけれど、1番悪いのは旦那じゃない!?
と、無性に腹が立ってきた。
ふぅ。今はもうすぎた事……。今更だな。
あの頃は、旦那と話し合う気力もなかった。
お互い、いっぱいいっぱいだったのだ。
トライア地区は、財政も安定していて、潤沢にあり、経済的にも豊かな為、全ての人が、余裕のある生活をしている。
公的設備も充実している。
余裕のある生活は、心の余裕がうまれる。
心の余裕は、周りに優しくなれるという。
好循環になっている。
旦那も余裕がなかった? 保育園の職員さんも?
旦那の方はよくわからないけれど、あの時、保育園の職員の薄給で、人員確保が難しいと問題になっていた時期で、あの職員さんも心に余裕がなかったのかもしれない。
私も、もっと他の保育園やファミサポ、シッター等もっと問い合わせれば良かったのだと思う。
一度断られたので、全てに拒否されたような気がして全てを背負い込んでしまった。
小心者の私にも、悪いところはあったのだろう。
微笑ましい子供達の交流を見ながら、私だけ、心が重たくなった。
これはフィクションであり、現実世界ではありません。
私は、『子育て』に専業主婦と兼業主婦、どちらが大変、偉い、と言う議論は好きではないです。
どちらも、大変な事もあれば、良いこともあると思います。
子供の性格、親の性格にもよると思います。
周りの支えてくれる人たちがいるかどうかも……。
環境、性格、考え方、仕事内容、拘束時間、職場の人間関係など……いろんな要素が揃う事はないので、比べる事自体が違うのではないかと思うのです。
フィリアは途中で諦めてしまいましたが、助けてくれる人はきっといます。世の中、捨てたもんじゃないと思うことも多々あります。
リフレッシュを推奨している場所もありますので自分に合った場所はきっとあります。
ワンオペ育児で頑張っている専業主婦の方、今回の話のような事を言われた経験が実際あると思います。
けれど、専業主婦だって、リフレッシュは必要です。
兼業主婦だって、リフレッシュは必要です。
後ろめたい事など無いと思うので、精神的に参る前に、是非リフレッシュしましょう!!
最初は子供は泣くかもしれないですが、子供たちの方が適応能力が高かったりします。
産後うつと気づかずに、頑張って子育てしてる人も沢山います。
当時、気づいている人は少ないです。
後から、あの時は産後うつだったと思う人が多いです。
産後うつは病気です。
心と身体が参ってしまう前に、どうか休んで欲しいです。
産んだからには、自己責任と、そんな風潮が強い気がします。
でも、人生思い通りに行く方が少ないです。
子供は思い通りに動いてくれません。
本当に辛い方もいらっしゃるのです。
どうか、寛容な人達が、増えてくれる事を祈ります。
長文失礼しました。




