俺はチョベリバと叫んだ【前半】
この街でいちばん重い罪は、殺しでも盗みでもない。 ダサい言葉を、本気で言うことだ。
⭐︎⭐︎⭐︎
空から言葉が降ってくる朝、下層区――通称「ゴミ字」は、お祭り騒ぎになる。
騒ぎと言っても、声を出すやつはいない。
下層区の住人は窓から身を乗り出し、空を見上げ、指をさし、肩を叩き合う。
それで全部だ。
歓声は減点。笑い声も減点。ため息だって、ロゴスの機嫌次第では減点される。
だから俺たちは、音のない祭りをやる。
ひと月に一度、上層区の管理AI〈ロゴス〉は、使われなくなった言葉を辞書から捨てる。
大掃除――ガベージ・コレクションってやつだ。
捨てられた言葉はどういうわけか結晶になって、この街のいちばん底に降ってくる。
ぱらぱら、ぱらぱら。トタン屋根を叩く音だけが、やけに陽気だ。
ガキどもが無言で駆け出していく。
大人は無言でざるを空に向ける。
犬だけが遠慮なく吠えて、飼い主に口を押さえられている。犬にスコアはないのに。もう癖なんだろう。
今朝の雨は、当たりだった。
鉄屑とプラスチックの山に、ガラス片みたいなものがきらきら刺さっている。
ほとんどは爪の先ほどの小粒――誤変換や打ち間違いのなれの果て、「字」だ。
下層区じゃこれが金になる。
パン一個が三字。安宿が一晩十二字。
俺は錆びた火ばさみで字を拾い、ジャージのポケットにざらざらと流し込んだ。
灰村瓊心、十九歳。
職業、ガベージ・コレクター。
要するに、AIのゴミ拾いだ。
ちなみに名前の「瓊」の字は、俺が生まれたあと、その大掃除で捨てられた。
おかげで役所の端末には「灰村■心」と表示される。
名前ごと粗大ゴミ扱い。笑えない。
いや、笑ってもいいんだが。
俺の頭のチップは七年前に壊れていて、減点のしようがない。
この街で唯一、言葉を盗み聞きされていない男。
聞こえはいいが、要は戸籍上の幽霊だ。
「……お」
瓦礫の隙間に、親指ほどの結晶が引っかかっていた。
字じゃない。
中にちゃんと「言葉」が入っているやつだ。
拾い上げた瞬間、耳の奥で知らない誰かの声がした。
――おーあーるぜっと……。
残響だ。
捨てられた言葉の結晶に触れると、その言葉がかつて人間にどう使われていたかが、声や気配になって流れ込んでくる。
今のはたぶん大昔の誰か。
真夜中の画面の前で頭を抱えて、文字だけで膝から崩れ落ちていた誰か。
「orz」。地面に手をついてうなだれる人間を、たった三文字で描いた顔文字。
二〇〇〇年代に流行って、とっくに忘れられた言葉だ。
五年間、こうやって残響を聞いてきた。
おかげで俺の頭の中には、ちょっとした死語の辞書ができている。
使ったことは一度もない。売り物の味見をするだけの、臆病な辞書だ。
俺は結晶を目の高さにかざした。
「……で、それのどこがエモいんだよ」
棒読みで言う分には、何も起きない。
死語ってのはそういうもんだ。感情を乗せない限り、ただの音。ただのゴミ。
こいつはバザーで売る。
中層区には、残響で他人の感情を味わうのが趣味の物好きがいる。
ロゴスに感情を削られた連中が、ゴミの中の誰かの絶望をこっそり舐めて、こっそり泣く。
そういう商売が、この街の底では成り立っている。
ゴミ山を降りると、隣のバラックの前でラジ爺がしゃがんでいた。
元ラジオDJ、七十二歳。
AIが言葉を管理しはじめる前の時代を覚えている、生きた化石だ。
チップのせいで古い言葉は口にできないから、爺さんはいつも地面に指で書く。
ロゴスが聞いているのは声だけで、地面の落書きまでは読めないらしい。
今朝の地面には、こう書いてあった。
『おっはー』
「……爺さん、それ朝から濃いって」
爺さんは歯の抜けた口でにやりとして、その下に書き足した。
『ケイ坊 なにか ひろえたか』
俺は無言で「orz」の結晶を見せてやった。
爺さんは結晶を覗きこみ、それから地面に両手をついて、見事な「orz」のポーズを取った。
肩が震えている。
声を殺して爆笑しているのだ。
七十二歳の全力の無音爆笑は、ちょっと心配になる絵面だった。
⭐︎⭐︎⭐︎
週に一度の面会日も、今日だった。
下層区の北のはずれに、窓のない四角い建物がある。
「保管所」。言葉を奪われた人間――リビング・ドールが、夜を過ごす場所だ。
昼間、ドールたちは街の清掃や荷運びに駆り出されていて、夕方になると一列になってここへ帰ってくる。
面会室の椅子に、妹のハナが座っていた。
十五歳。
まっすぐな黒髪。きれいに揃えた膝。五年前から、ずっと同じ姿勢。
「よう、ハナ」
「はい」
「今日、雨だったぞ。字、けっこう拾えた」
「はい」
「パン買ってきた。三字のやつじゃなくて、五字のやつ」
「はい」
「あと、ラジ爺がorzやってた。こう、地面に手ついて」
「はい」
ハナが話せる言葉は三つだけだ。
「はい」「いいえ」「了解しました」。
それでも俺は、毎週ここに来る。
ハナの「はい」は、俺が来たときだけ、ほんの少し弾む。
職員は気のせいだと言う。
ロゴスの記録にも、そんな数値は残っていないらしい。
知ったことか。俺には聞こえる。
「……なあ、ハナ」
言いかけて、やめた。
謝ったところで、この子の言葉は戻らない。
五年前、ハナから言葉を奪ったのはロゴスだ。校閲局だ。この街だ。
でも、半分は――俺だ。
「また来週な」
「はい」
ほら、弾んだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
新作を書いてみました。楽しんで読んでいただけると嬉しいです。
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




