97.アリソンの一日(中)
二つの玉座の前に立ち、高みから見下ろすエリカの鋭い視線が、報告を申し出た快活なエルフの少女へ向けられる。
少し考えた末、エリカは口を開いた。
「話せ。何の用だ」
してやったりとばかりに、アリソンはにやにやと笑った。
背負っていた荷物を下ろし、中から慎重に取り出したのは、まるで透明な液体がそのまま布になったかのような、大きく奇妙な柔らかい布状のものだった。
表面では透明な水の波紋が絶えず揺らめいており、よく見れば、まるで一種の奇妙な生命体のようにも感じられる。
後ろに並ぶほかのエルフたちも、それを見ると次々に驚きの表情を浮かべた。
「これは何だ?」
エリカの記憶には、このようなものを本で読んだ覚えも、誰かから聞いた覚えもない。
「エリカ様、これはエリカ様とヴィンセントへの贈り物です」
アリソンは二つの玉座へ続く階段の前まで歩み寄ると、待ちきれない様子で奇妙な布状のものを差し出した。
エリカが受け取った瞬間、しなやかで弾力があり、それでいて手によくなじむ奇妙な感触が伝わってくる。
だが、危険は感じなかった。
「エリカ様、これは光の高原にしかいない変形虫です。どんな形にも擬態できる天賦を持っているんです。そのおかげで隠れるのがものすごく得意で、普段は見つけるだけでも大変なんですよ。まして、これだけの量を集めるなんて、本当に難しいんです!」
アリソンは得意げに説明した。その顔には、早く褒めてほしいと言わんばかりの期待がありありと浮かんでいる。
これは彼女が幼い頃から何十年もかけて苦労して集め続けてきた成果であり、それを今、一度にすべて差し出したのだ。
「それで、この変形虫が私とヴィンセントの何に役立つ?」
指先でつまみながら、エリカもようやく興味を覚え、辛抱強く続きを促した。
アリソンは「私は天才だ」とでも言いたげなほど自信満々に胸を張り、少し顎を上げる。そして、大声で驚くべきことを言い放った。
「エリカ様、変形虫そのものは確かに大して役に立ちません。でも、エリカ様とヴィンセントなら話は別です! だって、お二人は飼育の刻印を使えるじゃないですか!」
「ほう?」
その言葉を聞いた瞬間、エリカの脳裏に閃光が走ったかのように、一つの考えが浮かんだ。
「考えてみてください。変形虫に飼育の刻印を施せば、身体の表面に張りつかせたまま、好きな服の形に変えられるようになるかもしれません。エリカ様とヴィンセントの戦い方には、これ以上ないくらい便利ですよ!」
エリカは改めて手の中の変形虫をじっくり観察した。
確かに、それならかなり便利だ。
ヴィンセントの変身にしても、エリカ自身の激しい近接戦闘にしても、衣服は非常に破損しやすい。二人とも裸になること自体は気にしないが、面倒であることに変わりはなかった。
しかし、本当に驚くべき話はその先だった。
「それにですよ。飼育の刻印をつけたあと、変形虫を思い通りに変化させられるなら、お二人は外の環境にも影響されないんですから、外出するときに顔まで隠せます。別の生き物の姿にだって変えられるかもしれません! つまり……誰にも正体がばれなくなるんです!」
その瞬間。
エリカの鮮烈な真紅の双眸が大きく見開かれた。
二つの玉座の前から、凄まじい圧力と気配が一気に放たれる!
恐ろしい蒼灰色のエネルギーが、陰冷な死の気配を伴って広がり、空間全体を取り巻くように形を成していく。周囲では禍々しい光の流れが閃きながら走り、居合わせたエルフと堕天使たちを圧迫し、誰もが息苦しさを覚えた。
ところが、最も近くにいたアリソンだけは特に何の影響も受けていなかった。それでも目の前の光景には呆然とし、口を半開きにしたまま固まっている。
魔王様の反応が、自分の想像とずいぶん違う。
次の瞬間、後ろから慌てて駆け寄ってきたデヴィットに頭を押さえつけられ、強引に下げさせられた。
美しい顔立ちのエルフは緊張しきった表情を浮かべ、冷や汗を滝のように流しながら、すぐさま頭を下げる。
「申し訳ありません、エリカ様! こいつはいつも妙なことばかり考えていて……何かお気に障ることがありましたら、どうかお許しください!」
大声で謝罪したあと、王座の間は静まり返った。
魔王とはいえ、エリカとヴィンセントは普段から目立つことを好まず、これまでエルフや堕天使たちの前で本当の力を見せたことは一度もない。
今回ほんの一瞬だけ垣間見えた力でも、彼らを緊張させるには十分だった。
人の魔王が放つ気配は、あまりにも恐ろしい。
自然の生命を本能的に押さえつけるような何かがあるようにさえ感じられた。
興奮によって漏れ出した気配を収めると、エリカは玉座の下で謝罪している二人のエルフには構わず、手の中の変形虫を見つめながら真剣に考え込んでいた。
誰も口を挟もうとはしない。
ドロシーでさえ、今は余計なことをして殴られたくなかった。
ヴィンセントだけは、おおよそ妻の考えていることを察していた。
今頃、どうすれば最大限の利益を引き出し、最も有効に使えるかを頭の中で計算しているのだろう。
不安と緊張を浮かべたままの二人のエルフを見て、仕方なくヴィンセントが代わりに話を引き継いだ。
「変形虫は、あとどれくらいある?」
「え……わ、私……変形虫はすごく集めにくいんです。これで、私が子供の頃から何年もかけて集めてきた分は全部です」
今の状況がまだよく分かっていないのか、アリソンは少し呆けたまま答えた。
横にいたデヴィットが、すぐ補足する。
「変形虫は光の高原各地に生息していますが、極めて発見しにくい生命体です。感知に長けたエルフや亜人であっても、見つけるにはかなりの時間と労力を必要とします。それに、これまでは特に価値のある生き物でもなかったため、村でも普通は集める者はいません」
つまり、アリソンが持ち込んだ量が、現時点ではほぼすべてということだった。
ヴィンセントは少し考えたあと、まだエリカが口を開かないのを見て、続けて尋ねた。
「村中の住民に変形虫の採集を手伝ってもらった場合、これと同じ量を集めるのにどれくらいかかる? 問題はあるか?」
「それは……お、おそらく……数年は必要です。変形虫そのものは無害ですし、数も少ないわけではありません。ですが、本当に見つけにくいんです。母樹に手を借りても、この微小で奇妙な生命体を探し出すのは難しいでしょう」
デヴィットは困った表情で答えた。
変形虫はとにかく発見するのが難しく、しかもすべてのエルフや亜人が偵察に長けているわけではない。
そのうえ彼らは、普段から死亡峡谷へ守衛や物資を送り出すだけでなく、光の高原に存在する脅威にも自分たちで対処し、村の日常生活も維持しなければならない。
人手にはまったく余裕がなかった。
さらに魔王からは毎年召集がかかり、村は外へ出たい住民を送り出すことにもなる。人口の均衡を保てなければ、村の規模が逆に縮小していき、最悪の場合は存続そのものが危うくなる可能性さえあった。
光の高原には決して脅威が少なくない。
だからこそ、デヴィットにも簡単に答えられる問題ではなかった。
ヴィンセントも次に何を聞けばいいのか分からず、デヴィットもどう説明すればいいのか分からない。
双方の間に気まずい沈黙が流れたところで、ようやくエリカが口を開いた。
「構わない。思わぬ収穫だったと思えばいい」
そう言うと、手にしていた大きな変形虫の塊を二つに分け、一方をヴィンセントへ渡し、自分はもう一方に飼育の刻印を施した。
ほどなくして、奇妙な変化が目の前で起こった。
柔らかな布状の変形虫が、まるで意識を与えられたかのようにエリカの手から素早く全身へ広がっていく。元の衣服を溶かしながら覆い尽くし、やがてまったく異なる服装へと姿を変えた。
黒を基調とした身体にぴたりと沿う制服調の衣装が、主の引き締まった細身の体を際立たせる。ところどころを金と赤の線が彩り、独特の威圧感と魅力を引き立てていた。
さらに両肩には軍装風のロングコートが掛かり、両手を背後で組んだ姿からは鋭い気迫が漂う。
変形虫はそのまま頭部へも広がっていった。
エリカの金色の長髪は徐々に茶色へ染まり、最も目立っていた真紅の双眸も深い黒へと変わっていく。そして顔立ちさえ、まったく別の女性へと変化した。
あまりにも大きな変貌に、その場にいた誰もが驚嘆した。
これを持ち込んだアリソンでさえ、ここまでうまくいくとは思っていなかった。
その時。
二つの石造りの玉座の後ろで、変化した女性の顔を見ていたドロシーが、呆然と呟いた。
「ロナ姉さん……」
試験を終えたエリカが意識を向けると、髪の色も瞳も顔立ちも、たちまち元の姿へ戻っていった。
この結果。
この報告。
そして、この変形虫。
エリカは非常に満足していた。
しかも変形虫には、急所というものが存在しない。
つまり飼育の刻印を受けたあと、エリカが世界の心を通じて絶えずエネルギーを供給している限り、たとえ致命的な攻撃を受けても、一瞬で完全に消滅させられない限り、何度でも際限なく再生し、変化し続けられるということだ。
「素晴らしい贈り物だ。アリソン、お前は大きな功績を立てた。ここには二人分の変形虫がある。二つ、望みを叶えてやる」
デヴィットに押さえつけられていた頭が、勢いよく跳ね上がった。その反動でデヴィットの手を弾き飛ばし、アリソンは瞳をきらきらと輝かせながら、興奮した声を上げる。
「じゃ、じゃあ……外の世界を見に行きたいです! それでもいいんですか?」
協定では、迷宮城に加わったエルフ戦士は、永遠に死亡峡谷を離れてはならないことになっている。
最初の願いからいきなり協定に抵触する内容を持ち出したアリソンに、デヴィットは内心ひやりとした。
ところが、金髪の魔王はただ微かに笑っただけだった。真紅の双眸に深い光を宿し、どこか意味ありげに告げる。
「いい。だが今ではない。侵入者側の連合作戦が終わったら、私が直接、お前を外へ連れていく」
デヴィットのようにあれこれ考えることもなく、アリソンはその言葉を聞いただけで、叫び出しそうなほど嬉しくなった。気持ちは最高潮まで舞い上がり、興奮しすぎたせいで二つ目の願いさえ思いつかない。
ただその場で口をぱくぱくさせながら、何を言えばいいのか分からなくなっていた。
「二つ目は急がなくていい。思いついてから言え」
「はい! ありがとうございます、エリカ様!」
元気いっぱいの声が王座の間に響き渡った。
アリソンは嬉しさを抑えきれず、危うく隣のデヴィットに抱きつき、キスしながら大騒ぎするところだった。
「うむ。他に報告がなければ、今日の会議はここまでだ。アリソンだけはいつも通り残れ。ほかの者は、それぞれの任務に戻れ」
あの驚くべき光景を目にしたあと、一同は命令に従い、エルフも堕天使も順に王座の間を離れ、それぞれの任務へ戻っていった。
デヴィットだけは、あまりにも嬉しすぎてどこか呆けた顔になっているアリソンへ、去り際に何度も小声で念を押した。それからようやく、呆れた表情のまま王座の間を出ていく。
その場に四人だけが残ると、エリカはヴィンセントへ視線を向けた。
二人の間に言葉は必要なかった。
ヴィンセントはすぐに石造りの玉座の後ろへ回り、まだその場に残って興味津々にしていたドロシーをそのまま連れていく。
こうして王座の間には、エリカとアリソンだけが残された。
世界の心の感知領域で周囲に生命反応がないことを確認すると、エリカの表情が険しくなった。
冷たい声で告げる。
「いいぞ。今日の報告を始めろ」




