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83.魔王の庭(五)

「説明する前に、夢について一つ、先に君たちに知っておいてもらわなければならないことがある」


 オスヴィドは笑みを消し、真剣な表情でそう告げた。視線をエリカとヴィンセントの間に巡らせ、最後には、これまで主に発言を担ってきた金髪褐色肌の女へと向ける。


「聞こう」


 エリカには、これから語られることが自分に関係しているような予感があった。


「夢は、遥か昔の神霊時代、この名以外にも欲望の神と呼ばれていた。そして今では、より多くの者が……名もなき神霊と呼んでいる」


 両手を背に組んだエリカの周囲で、風もないのに気流が巻き起こった。


 蒼灰色の冷たい気配が一気に噴き上がり、軍装のコートが激しくはためく。元々厳しかった表情には濃い殺意が宿った。


 エリカは今も明滅を続ける柔らかな光体へ歩み寄ると、その前で足を止め、無言のまま立ち尽くした。


 次に何をするつもりなのか、誰にも読み取れない。


 オスヴィドはしばらく待った。


 新しい仲間が手を出そうとしないのを確認する。魔王の庭へ来てからあまりにも多くのことを知ったせいで、かえって多少のことでは動じなくなったのかもしれない。


 何も起こらないと分かってから、ようやく話を続けた。


「思っていたより冷静だな。君たちについての情報を初めて知った時、俺は今の君よりずっと驚いたものだ」


 セバスティンとクイナは黙ったまま、それぞれ異なる表情でエリカを見ていた。二人もこのことを知っていたのだろう。


 魔王の庭には、名もなき神霊を信仰する教派が崇める真の神そのものがいる。そしてエリカは幼い頃から、その名もなき神霊に仕える神官に選ばれ、育てられてきた。


 どう考えても尋常ではない。


 それどころか、彼女がこれまで数十年の人生で経験してきた出来事さえ、どこか現実味を失って見えてくる。


 すべてが、あまりにも怪しかった。


 振り返ることなく、エリカは柔らかな光体の前へ手を伸ばし、触れないまま軽く振ってみた。


 夢は何の反応も示さない。


 そこでようやく、エリカはゆっくりと口を開いた。低い声は、いったい誰に問いただしているのかさえ分からなかった。


「私の人生は、すべてこいつに仕組まれていたのか?」


 誰も答えられないことを理解していたオスヴィドは、仕方なく両手を広げて答えた。


「分からない」


「なら、何を知っている」


 今回の魔王の庭では、これまでより遥かに多く話している気がした。だがほかに頼れる者もいない。オスヴィドは結局、説明を続けるしかなかった。


「以前、神霊時代以来、神霊と意思を交わせた生命はほとんどいないと言ったのを覚えているか?」


「実を言えば、あの言い方は少し正確ではなかった」


「神霊は、生命と意思を交わすことなどない。彼らがするのは、ただ神託を授けることだけだ。名もなき神霊の神官に育てられた君なら、よく分かっているはずだ」


「夢も同じだ。この千年以上、最初の魔王の庭が開かれた時、招いてもいないのに突然現れ、意味も分からないまま神託を授けた。それ以来、今回君たちに挨拶したのが、俺が神託を聞いた二度目だ」


「夢自身に隠す意思はないと判断したからこそ、俺もこうして君たちに正体を教えた」


「だから……俺たちがほかに何を知っているのかと聞かれても、答えは一つだ。俺たちは何も知らない。夢の信徒が幼い頃から君を見つけ出して育てていたと知った時は、俺のほうが君以上に驚いたくらいだ」


 オスヴィドは話しながら首を振り、理解できないといった声で呟いた。


「神霊が代行者を育てている……これもまた、別の大変革なのかもしれないな……」


 怒っているのか、それとも衝撃を受けているのか。


 エリカの顔はずっと陰ったままだった。


「お前たちでも、神霊とは意思を交わせないのか?」


 オスヴィドは残念そうな表情を浮かべ、意味の掴みにくい言葉を返した。


「そうだ。彼らは『存在』であって、『生命』ではない。生命が、どうして存在と意思を交わせる?」


 傍らでは、セバスティンも巨大な竜頭をこちらへ戻していた。金色の縦長の瞳で柔らかな光体を見つめ、深い眼差しのまま告げる。


「オスヴィドは嘘を言っていない。神霊は俺たちとはまったく違う。あらゆる生命とも違う。遥かな昔から、そういうものだ」


 老竜の言葉にも、エリカは答えなかった。ただ静かに、宙に浮かぶ堕天使を見つめ続ける。


 これは自分の一生に関わる答えだ。完全に把握しなければならない。


 誰かに用意された盤上の駒として、永遠に生きるつもりなどなかった。


 たとえ相手が神であろうと。


 まだ説明を続けなければならないと悟り、オスヴィドは少し考えて記憶を整理してから、神について知ることを語り始めた。


「生命はエネルギーによって生きている。竜族、超獣種、悪魔種族、知性種族、邪悪体、魔獣、それ以外の生命も例外ではない。テレサ世界の生命はすべてそうだ。違うのは、エネルギーを得る方法だけだ」


「だが、神霊は違う。彼らは信念によって姿を現し、信念によって活動する。彼らは信念を体現する存在であり、あるいは……信念そのものが彼らなのかもしれない」


 理解し難い話だった。


 だがエリカは一つ、以前聞いたことを思い出す。


「以前、神霊時代は信念によって滅びたと言っていたな。それはどういう意味だ?」


「簡単に言えば、大変革が訪れたことで、神霊が依存していた信念同士が衝突したり、信念そのものが変えられたりした。そして……神霊たちは消えた……」


 オスヴィドの顔から、次第に笑みが消えていく。いくら説明しても終わらないとでもいうようだった。


 数千年、あるいは数万年にも及ぶ情報の隔たりは、あまりにも大きい。


 彼もいつまでも説明役を続けたくはなかった。遥か昔の記憶を掘り起こすことは、決して楽な作業ではない。


「……つまり、ここまで聞けば分かるだろう。神霊は俺たちとは完全に異なる。存在の在り方も、思考の在り方もだ」


「俺たちにできるのは、神霊が何を考え、何をしようとしているのか推測することだけ。神霊から俺たちへ向けられるものも神託だけだ。それが唯一の『意思疎通』だ」


 エリカには、オスヴィドの声に妙な苛立ちが混じり始めたことが分かった。周囲のエネルギーもかすかにざわめき始めている。


 老竜は黙ったまま翼を持ち上げ、宙に浮かぶ堕天使へ視線を向けた。クイナまで、いつの間にかエリカのすぐそばへ寄っている。


 この堕天使の王にも、明らかに不安定な一面がある。


 ただ、ほかの者より隠すのが上手いだけだった。


 同盟を結んだばかりだ。今のところ、それぞれの魔王が抱える秘密へ深く踏み込むつもりはない。エリカはこれ以上説明を強いることをやめたものの、夢に対する疑念はますます深まっていた。


 同時に、ヴィンセントが以前、ボーウェンは今も国境の町の近くで暮らしていると言っていたことを思い出す。


 あの老神官なら、自分の疑問のいくつかに答えられるかもしれない。


「分かった。残りは自分で調べる。説明には感謝する。話を本題へ戻そう。夢について、何を話し合う必要がある?」


 その言葉とともに、岩場を満たしていたエネルギーの揺らぎが少しずつ静まっていった。


 その場にいる魔王たちも、ようやく警戒を解いていく。


 一方のオスヴィド本人は、まるで何も気づいていないらしい。


 自分では今も友好的な笑みを浮かべているつもりのまま、なぜか心の中では、来年はサマンサを連れてきて自分の代わりに説明役を任せようと考えていた。


 表面上、堕天使の王は相変わらず辛抱強く会議を進める。


「君も疑問に思っているはずだ。魔王の庭の始まりは、竜族が世界の心を提案したことだった。その後、悪魔種族が知性種族と協力して徐々に完成させ、最後には大変革へ対処するために魔王の庭が設けられた」


「だから悪魔種族や竜族がここにいても不思議ではない。超獣種が加わっていることにも、一応の理由はつく」


「だが……なぜ神霊までいる?」


「前にも話したとおり、魔王の庭が成立したその日、夢は突然現れ、神託を授けた」


「神託は難解だった。その内容を堕天使族、深海妖姫族、竜族の三種族で解読し、ようやくどうにか一つの答えに辿り着いた」


「神託から読み取れたのは、夢が……なぜ存在しているのか。あるいは、どういう形で存在しているのか。それを説明する内容だった。ここは少し説明しづらい……」


 珍しく、オスヴィドまでクイナのように言葉に詰まっていた。


 だが神霊という存在そのものが曖昧で理解し難い以上、エリカにも説明の難しさは理解できる。


「……簡単に言えば、悪魔種族が世界の心を使って生存環境を維持しているのと同じように、夢も欲望と夢の中で自らの存在を維持している」


「そして、すでに神霊時代ではない今、夢が世界へ干渉する力は大幅に弱まっている。そのため、魔王の庭に自らを守らせることを選んだ……」


 苦労しながらそこまで説明したところで、オスヴィドは突然エリカのそばまで浮遊してきた。


 夢へ掌を向ける。


 荒々しいエネルギーが渦巻く光となって集まり、凄まじい力が一点へ集中した。


 次の瞬間。


 柔らかな光体全体が、跡形もなく吹き飛ばされた。


 爆発によって飛び散った無数の光点が眩く輝き、岩場全体を照らし出す。


 エリカも驚きはしたものの、老竜とクイナに動く様子がないことに気づき、そのまま黙って見守った。


 ほどなくして、飛び散った光点がゆっくりと集まり始める。


 やがて再び、一つの柔らかな光体を形作った。


「だが、見てのとおりだ。守るとは言っても、実際にはテレサ世界の生命で神霊を本当の意味で傷つけられるものはいない」


 真に永遠なる存在。


 エリカは少し考え、確信を込めて言った。


「神霊が無意味なことをするとは思えない。夢が魔王の庭に保護を求めたのなら、必ず理由がある」


 新しい仲間の鋭さを、オスヴィドは喜んだ。


 老竜の傲慢さとクイナの狂気には、以前から散々頭を悩まされている。この新しい仲間なら、もしかすると何かの助けになり、自分の負担も減らしてくれるかもしれない。


 今では本当に、エリカたちが加わったことを歓迎し始めていた。


「そのとおりだ。最初の驚きが収まったあと、俺たちはすぐに一連の検証を行った。そして最後に、一つの問題を突き止めた」


「夢が傷つけられるたびに、テレサ世界全体で大変革がほんのわずかに早まる。……本当に、ごくわずかだがな」


 神霊を相手にそんな検証まで行うとは。


 魔王の庭とは、まさしくその名に恥じない集まりだった。


 だがエリカはむしろ好ましく思った。


 自分でも、同じことをするからだ。


「だから、神託を必要以上に複雑に考えたくないなら、夢を世界の心のようなものだと思えばいい」


「ただし、テレサ世界全体を制御する、超大型の世界の心だ」


「そのため毎年、魔王の庭では交代で夢の保護を担当している。これが次に話し合う議題だ」


「去年は老竜だった。今年は……順番ならクイナだな」


 エリカは「友達」を見上げた。


 巨大な蛇尾と人の上半身を持つその深海妖姫の、美しく物静かな顔には、ありありと嫌そうな表情が浮かんでいる。


 しかも涙を浮かべた瞳でエリカを見つめており、それだけで頭が痛くなってきた。


「……夢を守るには、どんな代償が必要なんだ?」


「夢は欲望の神だ。時折、心を揺さぶる奇妙な波動を放つ。意志の強い生命なら影響は小さいが、そうでなければ簡単に自我を見失い、何をするか分からない状態になる」


 冒険者として活動していた時期のあるエリカは、すぐに思い当たった。


「三大迷宮城で、怪物が不定期に暴走するあれか?」


「そうだ。外では、あれを悪魔種族による反撃だと噂している。だが実際は、夢が放つ精神への波動による影響にすぎない。夢が止めるまでは、迷宮城の主である俺たちでさえ、飼育している守衛をまともに制御できなくなる」


 迷宮城の守衛の大半は、邪悪体や魔獣が担っている。


 一定の知性を持ちながら知性生命とは認められないこれらの種族は、意思疎通ができなかったり、自らの精神を制御できなかったりするからこそ、欲望に影響されやすく暴走し、破壊と殺戮への衝動を生みやすい。


 まして、欲望の神そのものから直接煽られればなおさらだった。


「それだけなら、夢の存在もそれほど大きな問題には聞こえないな。表向き、迷宮城は元々侵入者と敵対するものだろう。時折暴走するくらいなら、適度な威嚇にもなる」


 自分の考えを述べながらも、エリカには疑問が残っていた。


 なぜクイナは、夢の存在をあそこまで嫌がっているのか。


 隣の「友達」へ顔を向ける。涙を溜めた大きな瞳は、まだ一度もエリカから離れていなかった。


 相変わらず、哀れっぽくこちらを見つめ続けている。


 ただし――


 いつの間にか、深海妖姫の王の口角は耳元まで裂けていた。


 そこから、肉食獣を思わせる恐ろしい尖牙がずらりと覗いていた。

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