48.推測
翌日、深い眠りからようやく目を覚ましたヴィンセントの体内では、血液が勢いよく巡っていた。その流れと循環の中から滲み出すエネルギーも、以前よりわずかに強くなっているように感じられる。
わずか一晩休んだだけで、先ほどまでの重傷はすっかり治っていた。
知性種族と比べれば、悪魔種族はこうした面で大きな優位を持っている。多くの亜人種族や野蛮人も回復力では決して引けを取らないが、知性種族の中で最も数の多い人間と比べれば、その差は非常に大きい。
目を覚ましたヴィンセントが最初にしたことは、自分の上にうつ伏せになっているドロシーを押しのけ、起こすことだった。
ドロシーの怯えたような、いかにも可哀想そうな様子での説明を聞き、エリカからの知らせを逃してしまったと知ると、ヴィンセントの表情は目に見えて険しくなった。
だが、今は彼女と揉めている暇などない。
すぐに骨と血で形作られた翼を広げ、地下河川の中に隠された石窟へ向かって飛び立った。
その後ろでは、また一度叱責を免れたドロシーが、得意そうに笑いながらついていく。
二人の飛行速度はかなり速かった。
ヴィンセントが地下河川を抜け、無事に石窟へ戻った直後、後に続いて中へ入ろうとしたドロシーの目の前で、地面が急激に隆起した。
天然の石壁が作り出され、彼女の行く手を塞ぐ。
続いて、エリカの声が頭の中へ直接響いた。
「昨日と同じような機会がまた欲しいなら、今すぐ鎌蜘蛛を連れて皇家冒険団を襲撃して。姿は見せないように。今、第十二層の宙吊りの石道で狼煙を上げて、位置を割り出しながら階層を飛ばして探索できないか試している」
冷たい声音で任務を説明すると同時に、エリカは甘い餌までぶら下げてきた。
話を聞き終えたドロシーは顔色を変え、大きく目を見開いた。
頭の中で素早く天秤にかけた末、姉とお義兄さんを奪い合う方が、外の雌犬どもにここまで入り込まれるよりは遥かにましだと判断する。
ドロシーは慌てて地下河川へ引き返し、自分の可愛い小さな仲間たちを呼びに向かった。
天賦「探知」が返してくる波紋の感覚から、ドロシーが慌ただしく引き返していくのを察知し、さらに背後で突然隆起した石壁と合わせて、ヴィンセントはおおよその事情を察した。
エリカが意図的にドロシーを遠ざけたのだろう。
そうでなければ、ただでさえ残り少ない世界の心のエネルギーを使い、わざわざ地形そのものを変えるはずがない。
明らかに、自分と二人だけで話すべき重要なことがある。
ヴィンセントは急いで奇妙な部屋へ飛んだ。
到着すると、エリカは相変わらず何も身につけず、巨大な光球の前に立っていた。
光を浴びた褐色の肌はほのかに艶めき、金色の髪は腰まで流れ落ちている。それでも丸く張った臀部までは隠しきれず、細く長い四肢には、彼女らしい引き締まった精悍さが表れていた。
振り返ったエリカの鮮紅色の瞳は、欲望の深淵を思わせるほど深く、否応なく目を引く。
豊かな胸元は大きく実りながらも重たさを感じさせず、引き締まった腹部の滑らかな線が、さらに均整の取れた肉体を際立たせている。
世界の心による変化を受ける以前に比べ、凛々しい顔立ちからは、言葉にしがたい落ち着きと自信がいっそう強く感じられた。
決して華やかな顔立ちではない。
それでも、目を逸らすことができなかった。
「どうしたの。見たことがないわけでもないでしょう?」
珍しく、エリカが穏やかに笑った。
ヴィンセントは首を横に振り、同じく上半身に何も身につけていないまま彼女へ歩み寄った。
そして、その姿を見ながら正直に言う。
「綺麗だ」
言ったあと、何か好ましくないことに気づいたように眉を寄せた。
「ドロシーは君に服を渡さなかったのか」
この数か月間、ヴィンセントが奇妙な部屋でエリカに付き添っている間、ドロシーは自分の小さな仲間を連れ、各階層で死んだ冒険者たちの持ち物を密かに拾い集めていた。
だが、どうやら姉と共有する気はまったくなかったらしい。
「別に構わない。そんな小さなことで、あの子に何かを要求する必要もない。それに、この新しい身体はかなり強い。普通の気温の変化くらいでは、もう何の影響も受けないから」
エリカ自身、人に裸を見られることをそれほど気にする性格ではない。
まして、ここにいるのは夫だけだった。
ヴィンセントは何も答えず、そのまま再び外へ飛んでいった。
そして、さほど時間も経たないうちに戻ってくる。
その手には、簡素な衣服一式と外套があった。
「俺が持ってくるのは、要求したことにはならない」
ドロシーが集めた品の中から、急いで使えそうな服を選んできたのだ。
軍用のコートがなかったのは残念だった。
ヴィンセントは、あれならエリカによく似合うだろうと思っていた。
エリカは微笑みながら受け取ると、ヴィンセントの目の前で一枚ずつゆっくりと身につけていった。
すべて着終えると、外套を手にしたままヴィンセントの前まで歩き、腕を伸ばして抱き締める。ほとんど同じ背丈の二人は、頬を並べるように寄り添った。
「もう身体は元通りになった。子供を一人作ること、考えてみない?」
耳元に柔らかな声が響く。
一生を流浪の中で過ごしてきたヴィンセントは、かつて夢見た家庭のことを思い出した。
それは、エリカが以前に与えてくれた約束でもあった。
だが、すぐに現実へ意識を戻し、首を横に振る。
「また今度にしよう。今はまだ、その時じゃない」
腕をほどいて少し距離を取ると、エリカはヴィンセントの顔にわずかに浮かんでいる不安をじっと観察した。
そして最後には頷く。
「なら、また今度にしましょう」
そう言うと、数歩すばやく後ろへ退いた。
先ほどまでの柔らかさは消え、手にしていた外套を勢いよく翻して肩へ掛ける。
硬質な顔立ちに、厳しい表情。
冷徹で鋭い、いつもの気迫が再び戻った。
エリカは巨大な光球のそばへ戻り、ヴィンセントにも来るよう促す。そして二人で同時に世界の心へ手を触れるよう求めた。
妻の言葉に従い、ヴィンセントが手を伸ばして触れた瞬間、意識はたちまち幻想的な空間へ引き込まれた。
そこは一面、鮮やかな蒼い光に満ちていた。
見慣れたそのエネルギーの色は、無数の流線となって絶え間なく形を変え、奇妙でありながら自然と目を惹きつける様々な模様を描き出している。
目を奪われるほど美しく、神秘的な光景だった。
やがて、現実にいる二人の姿も、この空間の中へはっきりと映し出された。
「ここは世界の心の内部。地下河川と繋がったことで、今ではテレサ世界全体に存在するエネルギーの節点の一つとも言える」
エリカが説明した。
「エネルギーの節点?」
「そう。これが魔王の庭へ行く方法。実体で会議へ参加する必要はない。世界の心を通して、指定されたエネルギーの節点へ意識を投射できる。時期が来れば、今年の開催を担当する魔王から知らせが届く」
ヴィンセントの表情がわずかに重くなる。
低い声で訊ねた。
「相手が本当に伝説の魔王だという確証はあるのか?」
「ある」
短い返答だった。迷いはまったくない。
ヴィンセントがエリカの言葉を疑うことは滅多にない。それでも、突然もたらされた話があまりにも重大だったため、彼でさえしばらく黙り込んだ。
これまで幾人もの魔王の名は、数百年、あるいは千年以上にわたって語り継がれてきた。
だが普通の人間はもちろん、冒険者にとってさえ、それらは歴史の背景に存在するものと大して変わらない。
その魔王が、今は現実の存在として確かに目の前へ現れようとしている。
ヴィンセントは、以前自分と言葉を交わしたオスヴィドを思い出した。
物腰は穏やかで、辛抱強く、礼儀もある。
とても伝承に語られる恐ろしい魔王には見えなかった。
「君は魔王と連絡を取ったのか?」
魔王の話になると、エリカの表情もわずかに引き締まった。声にも重みが増す。
「ヴィンセント。私が眠っている間、あなたは何度もオスヴィドを呼んだのに、一度も返事がなかったでしょう。私は、彼が呼びかけを受け取っていなかったわけではないと思っている。何人かの魔王が揃って無視することを選んだんじゃないかと考えている」
そこで一度言葉を切った。
「おそらく……私たちが元は人間だったことを、彼らはもう知っている」
その推測を聞いたヴィンセントの気持ちも沈んだ。
世界の心から最初に向けられた好意と、その後まったく反応がなくなったことを合わせて考えれば、十分にあり得る。
もともと三人を取り巻く状況は、決して良いものではなかった。
もし将来的な助力として考えていた魔王たちからまで拒絶されるのなら、この先はさらに厳しくなる。
迷宮城、世界の心、そしてエリカが今どのような種族になったのか。一連の謎も、答えを得る手段を失ってしまう。
「どうして、何人かの魔王が揃って無視したと考える?」
「別の魔王が自分から私へ連絡してきて、そのことを教えてくれたから。三大迷宮城の一つ、霧影の淵の主――海の魔王クイナ」
エリカは少し間を置いた。
「ただ……精神状態に多少問題があるように感じた。いろいろ聞いても断片的にしか答えないから、まだ確認しなければならないことは多い」
ヴィンセントはしばらく考えてから言った。
「無視することが相手側で合意された決定なら、海の魔王だけが君へ個人的に連絡してきたのは矛盾している。まだ不確定なことも多すぎる」
少し間を置く。
「それでも魔王の庭には参加する必要があるのか? 向こうから招待自体が来ない可能性もある」
「参加する。私たちがその時まで世界の心とこの迷宮城を掌握している限り、魔王の庭から必ず招待は届く」
エリカは目を閉じ、腕を組んだ。幻想的な空間の中を身体がゆっくり上下に漂うまま、説明を続ける。
「あなたの経験と、私が得た情報を合わせて考えて、一つ、とても信じがたい推測を立てている」
「最初の天象異変が起きた時、テレサ世界のエネルギーが激しく変動し、それを何人かの魔王が察知した。彼らはエネルギーの節点を辿ってここへ来て、変化の途中にいたあなたを目覚めさせた。その後、オスヴィドが代表して連絡を取り、『新しい仲間』であるあなたを助けようとした」
「助けには何らかの代価があるはず。ただ、彼らが私たちに何を返してほしかったのかは、今のところ分からない」
「その後ほどなくして、私が二度目の天象異変を起こした。自然環境そのものを変えてしまうほどの現象が頻繁に起こるのは、明らかに異常。それも、同じエネルギーの節点で繰り返された」
「だから魔王たちは疑念を持った。世界の心を通した連絡をやめて、実際に別の手段を使って事情を調べ始めたんじゃないかと思っている」
そこまで話すと、エリカは目を開いた。
その声音は、これまで以上に厳しく、重い。
「彼らは迷宮城以外にも、シロ大陸に自分たちの勢力を持っている可能性がある。あるいは……知性種族と協力関係にある勢力が存在するのかもしれない」
「そうでなければ、壊死の大地にあるこの迷宮城で起きたことを、これほど早く把握するのは難しい」
鮮紅色の瞳が静かに細められる。
「二つの種族は……表向きほど敵対していないのかもしれない」
それは確かに、信じがたい推測だった。
悪魔種族は魔獣や邪悪体とは違い、意思疎通そのものが不可能な存在ではない。言語すら共通している。
しかし混沌時代以来、かつて一つの時代の寵児だった悪魔種族は、他者を見下ろすことに慣れきっていた。彼らにとって知性種族は、飼育する家畜と大差ない。
場合によっては、屠殺して食らうことさえできる家畜だった。
そのため現在の時代に至っても、知性種族の中では悪魔種族に対する邪悪、血腥、暴虐という印象が極めて強い。
それはすでに血の中にまで刻み込まれ、代々の教えとして引き継がれている。
迷宮城や荒野に生き残った悪魔種族が発見されれば、複数の国が協力し、最大限の戦力を動員して即座に討伐する。
ある意味では、二つの種族は領域、資源、生存そのものを奪い合い、互いを食らう天敵だった。
ただ、悪魔種族の側が時代の変化によって衰退し、各地の迷宮城へ閉じ込められる形になったに過ぎない。
双方の生死を懸けた憎しみは千年以上続いている。敵対しない日があるなど、簡単に信じられる話ではなかった。
だがヴィンセントはエリカという人間を知っている。
ある程度の根拠もなく、このようなことを勝手に想像する性格ではない。だからこそ、その推測を信じた。
「蒼藍帝国という可能性は?」
それが最も警戒すべき可能性の一つだった。
幸い、エリカは首を横に振った。
「おそらく違う。蒼藍帝国なら、あなたが辺境の拠点へ戻った時点で捕まっていたはず。それに五大国の中で、皇家冒険団をわざわざ組織して迷宮城攻略を専門に行っているのは蒼藍帝国だけ。何人かの魔王にとって、これは好ましいことには見えない」
「……なら、他の国のどこかが魔王と繋がっている可能性がある」
「断定はできない。輪と足跡商会、遊騎兵ギルド、血染めの薔薇、四正教、それ以外の小規模な教派かもしれない。荒野をうろつく盗賊や邪教組織だってあり得る」
「今は情報が少なすぎる。まだ何も判断できない」
そこまで言うと、エリカの表情は強い決意に変わった。
迷いなく言い切る。
「だから、すべての疑問に答えを出すために――私たちに起きたこの奇跡がどうして生まれたのか、この先どう進むべきなのかを知るために、魔王の庭には必ず参加する」
ヴィンセントは頷いた。
エリカの考えは理解した。
ただ、一つだけどうしても腑に落ちない重要な問題がある。
「さっき、魔王たちは必ず招待してくると言ったな。今はまだ情報が少ない。時期が来ても、向こうの考えが変わらないとどうして断言できる?」
「今回の主催者が海の魔王だから。彼女が招待を送ると約束した」
「なぜ?」
ヴィンセントには理解できなかった。
先ほどまでの話が正しければ、すでに何らかの合意をした魔王たちは、今のところ距離を取りながら様子を見るはずだ。
「彼女は少しおかしいから」
ヴィンセントは返す言葉に困った。
とはいえ、先ほどエリカ自身が、相手の精神状態には問題があるようだと言っていた。そう考えれば、まったく受け入れられない話でもない。
ただし、もう一つ懸念が残っている。
「意識をエネルギーの節点へ投射して魔王の庭に参加する。その状態で危険はないのか?」
「分からない。エネルギーの節点にある意識が攻撃された時、どんな影響を受けるのかもまだ分からない」
エリカはそこで、ヴィンセントをまっすぐ見た。
「でも、私の天賦なら、その問題を解決できると思っている」
鮮紅色の瞳がヴィンセントを捉える。
その表情は極めて厳しく、これまで見せたことのないほど真剣だった。
そして低い声で告げた。
「ただし――あなたは、自分の命を完全に私へ預けなければならない」




